出会いと理想と現実と
いくら学生の本分でも、勉強が好きだと言い切れる人間は多くはないんじゃないだろうか。
故に、授業中に早く終われと念じたり、科目によっては黒板より時計を見る回数の方が多かったりするのも、特段珍しくはない。
なんなら自分もその部類に入る。妨害するとか、あからさまに態度が悪いなんてことはなくとも、真面目かと問われたら肯定出来ない。とりわけ朝練後すぐや午後なんかは睡魔との戦いで、とにかく集中力が散漫になる。
ちなみに今はその影響が表れ易い時間帯のひとつ、四限目。
...なのだけど、今日は少し違う。
一限目どころか遅刻して参加したHRから現在まで、時間経過の速度がいつもの倍に感じた。ある意味では、が文頭に付きはするものの、嘗てない程の集中力に自分のことながら驚きを隠せない。
だからと言って、内容がしっかり頭に入っているかは......いや、流石に実習系で意識を飛ばすことはしてない、ホント。
(数学で良かった、なんて思う日が来るとは...)
数の学び(数を学ぶ?)と書くくせに、アルファベットやらギリシャだか古代だかの文字だらけ。かと思えば読解力を試すような問題まで出題されるし、一体どれがメインなんだか...ひとまずそれは置いておこう。
そんな退屈と隣り合わせの時間にも関わらず、今の自分は教科書もノートも目も開き、傍から見れば文字通りやる気な姿勢。教師目線で見るなら模範的な態度と言っても過言ではない。
しかし、人が普段と違う行動をとるのは、大なり小なりワケが存在する。ただ単に自信を省みて態度を改めるか、あるいは何かを誤魔化す為か、だ。
今回は後者に当てはまる。
板書する教師の後姿をちらりと確認し、手を伸ばした先は筆記用具でも教科書でもなく、制服のポケット。
あまり広くはないポケットの中から目的のものを見つけるのは容易く、そっと取り出して両膝を合わせた脚の上に乗せる。再び教壇へ目をやるも板書はまだ終わっていないようで、こちらを見てるのは先程と同じく数学教師の後頭部だけだ。
こういう時、最後尾の席は挙動を悟られにくいのが利点だとつくづく思う。まあその分、教師陣からは目を光らされがちなポジションでもあるが......そもそも、自分のように物理的にも目立つ人間はどの席にいようとあまり関係ないか、要は運次第だ。
(...さて。どうするかな、これ)
制服が黒だからなのか、元の白さが一層強調されて見えるそれは、どこにでもありそうなハンカチ。
でも、ただのハンカチじゃない。今朝、HRに遅刻する原因のひとつとなった出来事のが現実であった証拠品だ。
ああいや、遅刻したのは100%自己責任だけど。
(持ってきたのはセーフ...だよな、あのままにしとくのもなんだし......だから決して返さないとかじゃない...!)
葛藤だってしたくなる。
あの時はつい、直前までの思考も相まって少女漫画みたいなシチュエーションに興奮してしまったが、時間が経つにつれ冷静さを取り戻した。落とし物は然るべき場所、校内なら事務室か教務室にでも預ければ良い。これはあの出来事が起こる前から自己解決していたのに、チャンスだって何度かあったのに、何故未だに手元にあるのか。
名前もクラスも知らない相手の、それも、女の子の私物を拾って届けも預けもせず、保有したままでいるのが、自分の現状である。自分が第三者の立場ならちょっと、うん...少なくとも良い気はしない、かも。
(直接渡した方が...あっちも事務とか行くか分かんねぇし...)
人探しも全く当てがないわけではない。
声と、辛うじて見えた顔、あの時間帯にあの場所に居たこと。これらを統合すれば、ほぼ確実に同学年のはず。女生徒が極端に少ないこの学校で同学年(仮)なら、見つけ出すのはさほど難しくはない。
そうだ、なに後ろ向きにばかり考える必要がある。
たった一枚のハンカチを持ち主に返すだけじゃないか。返却が遅れた言い訳なんてどうにでもなるし、その時改めて謝罪すれば良い。
そうだ、これは汚名(に下手するとなりかねない)返上のチャンスだ。
(...とりあえず探してみっか。無いと困るだううし、うん)
半ば無理矢理悩みを解決へと進ませたし、これで少しは気分もラクになる。
...と、油断した自分がバカだった。
「じゃ、次の問題は...」
真面目に受けている者でも教師の視線を気にし、意識的に避ける場合がある。
例えばそう、今みたいな時とか。
「おっ、沢北目が合ったな。よし、解答者は沢北で」
「えっ」
珍しく意欲的な授業態度の真意にこの数学教師が気づいているのか否か、問題の答えどころか問われている内容すらも分からない。
ひとつ明確なのは、ペナルティの名目に遅刻以外が追加したことだけだった。
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