poppy 第一章
挨拶を済ませた松陽たちが帰ったあとに、雛菜は高良に尋ねた。
「どうして松陽先生なんでしょうか?」
雛菜の言葉足らずな質問に高良は雛菜の頭を撫でながら問う。
「何故私が今まで寺子屋に通わせなかったのに、松陽のところには通わせようのするのかって?」
高良の質問に、雛菜は頷いた。高良は少しうーん、と考えた。
「松陽は色んなものを見ている。沢山のことを知っていて、素晴らしい考え方を持っている。彼が知っている広い世界を雛菜にも知ってほしいからかな。
あとそれと雛菜を甘やかさないと思ったからだよ」
雛菜は首を傾げ、うんうん唸りながら必死に考え、納得の行く答えを導き出した。
「お父様は私を大切に思ってくれているから、信頼できて色んなことを知っている松陽先生に預けることにしたってことですね!」
前半部分が何故そういう考えに行き着いたのか分からない高良は、目をぱちくりとした。そんな高良を見て、雛菜は言葉を付け足す。
「この前佐吉さんが親は必要以上に甘やかさないのもまた愛情、って言ってました!」
佐吉というのは男手一つで息子を育て上げた立派な主夫だ。ちなみに週三回のペースで吉田家の私営道場に通っている。
どういう会話の流れでそういう話になったのかは不明だが、高良にとっては雛菜が佐吉の話を覚えていたという事実と、きちんと理解していたという点が大切なのだ。
高良は自分の娘の誠実さと頭の良さに嬉しくなり、もう一度雛菜の頭を撫でた。
「雛菜はきちんと物事を捉えているんだね」
高良がそういうもまだ意味が理解できなかったのだろう。雛菜は小首をかしげている。
「物事の、一番大切なことを分かってるってことだよ」
雛菜に説明し直すと、今度は理解できたのか少し照れ臭そうにしていた。普段いろんな人に聡明さを褒められている雛菜も、父親に褒められるのは格別なのだろう。
高良はそんな雛菜の様子を見ながら、雛菜には言わない最大の松陽にした理由を頭の中で考えていた。
高良は雛菜を塾に通わせなかったのではない。通わせたくても通わしてあげられなかったのだ。
講武館。ここいらでは有名な名門塾だ。但しそこで学べるのは専ら良家の士族の子息である。いくら吉田家が莫大な資産を持っていようとも、四民の中ではもっとも身分の低い商家出身の子供が、彼らと同じ所では学べない。まして雛菜は女の子だ。いくら雛菜にどれほどの才覚があろうとも、決して学ぶことは許されなかったのだ。
いや、講武館だけではない。他の塾も似たりよったりだ。
だから私塾を開こうとしていた一介の浪人の松陽に、資金や場所を提供することに決めたのだ。他ならぬ、雛菜のために。
高良は塾に行くことが決まり上機嫌の雛菜の頭を、二回ポンポンと軽く叩く。雛菜はじっと高良をを見つめていたが、やがて笑顔になり早く帰りましょう、と高良の手を引いて家の中へと消えていった。