新学期初日。予鈴よりも３０分以上前に登校した学秀は架純の前の席に腰を下ろした。ここは学秀の席では無く、榊原蓮の席なのだが浅野はそんな事を気にする性格では無い。
　浅野は春休み中に起こった、大事件を話題の種としてあげた。

　「君は月の爆発についてどう考える？」

　「どうとは？」

　新聞を読んでいる架純に浅野は話し掛けた。架純は新聞から顔を上げることも無く淡々と聞き返してきた。

　「どうして月が爆発したのか。架純には分かるかい？」

　「専門家にも分からない事が一介の中学生に分かるわけないだろう」

　架純は相変わらず目線は新聞のままで言葉を返してくる。当たり前のように言葉を返されて浅野はうっ、と言葉を詰まらせた。確かに自分にも、専門家でさえも原因が分からないのに架純も原因など分かるはずも無いだろう。

　「まぁ、世界各国の会見を見るに、国家…いや世界ぐるみで何かを隠していることは間違いないだろう。首脳会議が開かれていた割には、その具体的な内容は明らかにされなかったからな」

　「俺もそう感じていたんだ。だから各国の首相が恐らく月が爆発した原因を知っているであろう事も理解できる。だが、もしそうだと仮定するならば、なぜ首相達が理解っているんだろう？」

　「さぁね。月を破壊した犯人が名乗りをあげたんじゃない？」

　浅野は頷こうとして、すんでの所で思いとどまった。そして相変わらず興味なさげに新聞を読む架純の顔を凝視した。今、架純は何て言ったのだろう。気のせいでなければ、月を破壊した犯人が名乗りを上げた、とか言ったはずだ。

　…架純って、冗談とか言うのか。

　浅野はその事に少しの恐怖を覚えた。普段冗談を言わない、所謂堅い人物がそんな事を言うとは。隕石でも落ちてくるんじゃないか？月も爆発し、隕石も落ちてくるとなると…。地球終わったな。

　じろり、と架純に睨まれて浅野はぎくりと身を強張らせた。どうやら考えていたことは筒抜けだったらしい。
　浅野は話題を変えるために架純の手元にある新聞に目を落とした。

　「それ…今日の新聞じゃないな。月が爆発した日の翌日の新聞か？」

　「そうだ。少し気になる記事があったんでな」

　「今君が読んでるその記事かい？」

　新聞を覗き込みながら架純の視線の先を追う。するとそこには丁度月が爆発した日と同じ日に起きた爆発事故の記事が載っていた。

　「残念ハズレだ」

　架純は次のページを捲りながら答える。一応目を通していただけだったらしい。相変わらず些細なことであっても、架純の思考を読み取ることはできない。本当に、架純は何を考えているのだろうか。

　「学秀、蓮が来たぞ。退いてやったらどうだ」

　架純の言葉に顔を上げると、そこにはにこやかに笑っている榊原が居た。まるで微笑ましいものでも見ているかのような視線が癪に障る。
　以前から榊原は浅野が架純のことが好きだと勘違いをしているのだ。浅野はただ、この高慢な女を地べたに引きずり回して、首輪を嵌めて飼ってやりたいだけだというのに。

　「…おはよう。蓮」

　「おはよう。浅野君、架純さん」

　「おはよう。さぁ学秀、さっさとあっちへ行け」

　しっしっ、とまるで犬でも追い払うような仕草をする架純に浅野は眉間に皺を寄せる。浅野君顔恐いよ、なんて呑気なことを言う榊原を浅野は睨みつけながらも、仕方なく退くことにした。

　「蓮、席を借りていたよ」

　「あぁ、気にしてないよ」

　さらっと笑顔でそんな事を言う榊原は良い奴だと思う。女関係のことさえなければ、だが。

　「そう言えば、蓮は女のことになると見境無いが、架純にはナンパしないね。何か理由があるのかい？」

　榊原は浅野の言葉に一瞬キョトンとしたが、すぐに朗らかに笑い始めた。一々仕草が様になる男だ。

　「ほら、僕の家も名家だろう？だから架純さんとも昔から関わりがあってね。僕は一目見たときに薔薇のように美しく咲き誇る架純さんに一目惚れしたんだ」

　榊原は架純を見ながら平然とそんな事を宣う。だが架純はこの話しに興味が無いのか、榊原に興味がないのか、はたまた両方か―。顔も上げずに新聞を黙々と読んでいる。

　「そしたらっ、架純さんのお兄様にハサミを持って追いかけられたんだ…。『架純に手を出す奴は親でも殺す』って…。きっと本当に架純さんに手を出してたら社会的に抹殺されてたと思うな…」

　榊原は身体をぶるぶると尋常じゃ無い様子で震わせ始めた。浅野も想像しただけで恐ろしくて思わず身震いしてしまった。ハサミを持って追いかけてくるとか、どんなクロックタワーだ。浅野が架純を支配できたとしても、そんなファンキーなお兄さんを支配できる気がしない。

　ふと架純を見る。架純は無表情だったが目を伏せるその姿は寂しそうに見えた。

　「か、すみ…」

　浅野の声に架純がハッとして顔を上げる。ルビーのように紅く光る双眼が、浅野を捉えていた。架純と目が合うの、久しぶりだ。この眼が浅野を見ている。それだけで心臓がぎゅっと握りつぶされたような苦しさを感じた。

　なんだかすごく気分が良い。

　「おはよー。浅野君、今日の生徒会のことなんだけど…」

　人が悦に入っていたというのに、それをぶち壊したのは荒木鉄平だった。この男は相変わらず空気が読めない。いや、腹の黒いコイツのことだ。分かっていてやっているのだろう。
　浅野は隠すこともせずに舌打ちをすると荒木の首根っこを引っ掴んだ。

　何するんだ！？と驚いて暴れる荒木を見下しながら浅野は扉へ向かう。教室を出る前にチラリと架純を見たときにはもう、新聞に眼を下ろしていた。その事が余計に腹立たしくて浅野はもう一度舌打ちをした。