公募作品(3)
多くの人を躱しながら、私は案内看板のある場所を目指して歩く。駅の中は思っていたより降りる人が多くて、のどかな町だと勘違いをしていた自分を笑いたくなる。だが、それは当然の報いなのだ。
ここにいるのは、食欲に負けた哀れな女なのだから。
大垣市、名前だけはずっと知っていたけれど、足を運ぶ事になるとは思っていなかった。別に行きたくないと思った訳じゃない…ただ、きっかけがずっと無かった。私は愛知県に住んでいて、旅行は行く機会があったものの、他の地域ばかりでこちらまで足が伸びる事無く今の今まで過ごしていた。では何故、今回ここに来る事にしたのかと言えば。
水まんじゅう、である。
恥ずかしながら、私は水まんじゅうが好きなのに、その発祥地である大垣の事を知らないまま二十年近く生きていた。私と水まんじゅうの出会いは、祖母がくれたものだった。子ども時のある暑い夏の日、部屋でのんびりしていた私に、今は亡き祖母が買ってきてくれた。触るとぷにぷにして、食べると口内が一瞬にしてひんやり、噛めば餡子がとろりと私の舌に甘さが降りて来る。その時まで、幼いながらも色んなお菓子を食べてきたけれど、その感触や味が新鮮で、美味しくて、私は一気に水まんじゅうの虜になった。成長すると味の好みが変わると言うが、他の食べ物でそれがあっても、私の水まんじゅうへの愛が変わる事は無かった。最初食べた時の反応が良かったからか、祖母が夏になると定期的に私に与えてくれた事もそれを助けた形になって、今なお私の好物は水まんじゅうだと言える。
しかし、何故そんなに好きなのに、今更大垣までやってきたのかというと。
一か月前、祖母が亡くなったのだ。
幼い時も、大きくなっても、変わらず夏に水まんじゅうを私に与えてくれた祖母はもういない。私は孫の立場で、葬式の準備や進行は親や親戚、葬儀会社が協力してくれたのだが、正直な話…あっという間過ぎて、私は当時の事は朧気にしか覚えておらず、今も実感出来ないでいる。それもそのはずで亡くなる前私は、一人暮らしで仕事の事しか考えていなかった。こうして、亡くなってからあれこれ思い出すのは、最早私に蔑ろにされた祖母からの呪いなのではないかとさえ考える。だから、私は大垣に助けを求めに来た。
「美味しい水まんじゅうは…どこだろう。」
私も水まんじゅうが好きだが、祖母も同じくらい甘い物好きで、糖尿病に罹ってしまう程に甘味を求めていた。食事制限され、最期には満足に好きな物を食べられなかった祖母は大変悲しかっただろう…その想いも味覚も受け継いだ孫である私が、祖母の代わりに大垣へ行く事にした。
やっと人が少なくなった大垣駅の改札を抜けて、観光案内所を見つけた私はすぐさまそこへ立ち寄る。今日は平日なのと、早い朝の内から来たからか、中に人はいない。けれど、今の私にうってつけの物があった。
「水まんじゅうマップ…これだ。」
下調べも最低限しかしていなかった私は、安堵の溜息と共にこの言葉を零す。近くに椅子があったので、そこに腰を下ろし地図を開いてみた。
「思っていたよりいっぱいある…どこに行こうかな。」
目的が目的なので、私の腹はいつでも食べ物を迎える事が出来る状態だ。なので、意気揚々と駅近くでこの時間でも空いている和菓子屋まで足を運ぶ事にする。大垣駅から商業施設を抜け、すぐにその場所は見えてきた。
ちょろ、ちょろ、ちょろろ…
涼やかな水の奏でる音が、私に水まんじゅうの在処を教えてくれる。手に持っていた地図と見比べて、私は自分の求めているお店が本当にここなのかと二、三度確認してしまう、何故なら。
「水まんじゅうが…水で冷やされている。」
私が想像していたのは、一個ずつパックに入って売られている形状で、まさか店の外で水に注がれ冷やされ売られているこの状態を私は見た事が無い。呆然とその光景を見ていると、水まんじゅうを買い求める他のお客さんが近くの店員さんにそこから掬い取って貰いそのままテイクアウトをしていき、私はより衝撃を受ける。
「まだ世の中には知らない事が多いなぁ…。」
全ての物事を見聞きしているなんて傲慢な事を思ってはいないが、知らない事がまだあると知ると大人でもわくわくするものだと私はほくそ笑む。そんな事を考えていると、今度はきゅうとお腹が私に不満を訴えてきた。店内でも水まんじゅうが食べられると外に立っていた店員さんに聞いた私は早速中に入り、中のレジ付近で立っていた別の店員さんに注文をして空いている席に着き、水まんじゅうが来るのを待つ。
「そういえば、和菓子屋さんで食べるのは初めてだ。」
地元ではどれだけ美味しくても家に帰って食べる方が多く、こうしてのんびりと和菓子を堪能する事もかなりご無沙汰だったと思い返す。お待たせしました、と声を掛けられ私は一度思考を止めた。
目の前の机に置かれたのは、きらきら輝く水に氷…そして、主役の水まんじゅうが硝子の器の中に飾られている。
「この水も含めて食べるのかな。」
用意されたスプーンを持ち、まずはラーメンのスープを味わう様な感覚で水の方から口にした。すると、初夏の暑い中で長い移動時間にくたびれていた私の体へ、冷えたその水がじわじわと染みて欲しかった潤いが行き渡るのが全身で感じる。知らない内にそのまま水だけを何杯か掬い飲んでしまったので、正気に戻った私はその手を止めた。
「水が美味しいって観光案内所にも持ってきた地図にも書いてあったけど…。」
やはり実際に口にしてみないと分からないものだと頷いた私は、いよいよ目的の物へスプーンを向ける。氷水の中にいる水まんじゅうは嫌とも言わず素直にスプーンに座り、そこから私の口へと迎えられた。
一噛み、たった上下の歯が合わさるだけで、その価値が分かる。餡を包む生地が厚く、一口で食べられるサイズなのに食べ応えがあって、まずそれに驚く。更に噛む事で零れた餡の上品な甘さが私の口内を満たす。気を付けて味わっていないと、三個しか無いのに次の物へ欲してしまいそうになるのをどうにか押し込めて口の中で一回、また一回と削る様にして喉へと送る。水だけでもかなり癒されたのに、こんなに美味しい物を全部食べたらどうなってしまうのか…などとおかしな考えまで浮かんできた。
ここにいるのは、食欲に負けた哀れな女なのだから。
大垣市、名前だけはずっと知っていたけれど、足を運ぶ事になるとは思っていなかった。別に行きたくないと思った訳じゃない…ただ、きっかけがずっと無かった。私は愛知県に住んでいて、旅行は行く機会があったものの、他の地域ばかりでこちらまで足が伸びる事無く今の今まで過ごしていた。では何故、今回ここに来る事にしたのかと言えば。
水まんじゅう、である。
恥ずかしながら、私は水まんじゅうが好きなのに、その発祥地である大垣の事を知らないまま二十年近く生きていた。私と水まんじゅうの出会いは、祖母がくれたものだった。子ども時のある暑い夏の日、部屋でのんびりしていた私に、今は亡き祖母が買ってきてくれた。触るとぷにぷにして、食べると口内が一瞬にしてひんやり、噛めば餡子がとろりと私の舌に甘さが降りて来る。その時まで、幼いながらも色んなお菓子を食べてきたけれど、その感触や味が新鮮で、美味しくて、私は一気に水まんじゅうの虜になった。成長すると味の好みが変わると言うが、他の食べ物でそれがあっても、私の水まんじゅうへの愛が変わる事は無かった。最初食べた時の反応が良かったからか、祖母が夏になると定期的に私に与えてくれた事もそれを助けた形になって、今なお私の好物は水まんじゅうだと言える。
しかし、何故そんなに好きなのに、今更大垣までやってきたのかというと。
一か月前、祖母が亡くなったのだ。
幼い時も、大きくなっても、変わらず夏に水まんじゅうを私に与えてくれた祖母はもういない。私は孫の立場で、葬式の準備や進行は親や親戚、葬儀会社が協力してくれたのだが、正直な話…あっという間過ぎて、私は当時の事は朧気にしか覚えておらず、今も実感出来ないでいる。それもそのはずで亡くなる前私は、一人暮らしで仕事の事しか考えていなかった。こうして、亡くなってからあれこれ思い出すのは、最早私に蔑ろにされた祖母からの呪いなのではないかとさえ考える。だから、私は大垣に助けを求めに来た。
「美味しい水まんじゅうは…どこだろう。」
私も水まんじゅうが好きだが、祖母も同じくらい甘い物好きで、糖尿病に罹ってしまう程に甘味を求めていた。食事制限され、最期には満足に好きな物を食べられなかった祖母は大変悲しかっただろう…その想いも味覚も受け継いだ孫である私が、祖母の代わりに大垣へ行く事にした。
やっと人が少なくなった大垣駅の改札を抜けて、観光案内所を見つけた私はすぐさまそこへ立ち寄る。今日は平日なのと、早い朝の内から来たからか、中に人はいない。けれど、今の私にうってつけの物があった。
「水まんじゅうマップ…これだ。」
下調べも最低限しかしていなかった私は、安堵の溜息と共にこの言葉を零す。近くに椅子があったので、そこに腰を下ろし地図を開いてみた。
「思っていたよりいっぱいある…どこに行こうかな。」
目的が目的なので、私の腹はいつでも食べ物を迎える事が出来る状態だ。なので、意気揚々と駅近くでこの時間でも空いている和菓子屋まで足を運ぶ事にする。大垣駅から商業施設を抜け、すぐにその場所は見えてきた。
ちょろ、ちょろ、ちょろろ…
涼やかな水の奏でる音が、私に水まんじゅうの在処を教えてくれる。手に持っていた地図と見比べて、私は自分の求めているお店が本当にここなのかと二、三度確認してしまう、何故なら。
「水まんじゅうが…水で冷やされている。」
私が想像していたのは、一個ずつパックに入って売られている形状で、まさか店の外で水に注がれ冷やされ売られているこの状態を私は見た事が無い。呆然とその光景を見ていると、水まんじゅうを買い求める他のお客さんが近くの店員さんにそこから掬い取って貰いそのままテイクアウトをしていき、私はより衝撃を受ける。
「まだ世の中には知らない事が多いなぁ…。」
全ての物事を見聞きしているなんて傲慢な事を思ってはいないが、知らない事がまだあると知ると大人でもわくわくするものだと私はほくそ笑む。そんな事を考えていると、今度はきゅうとお腹が私に不満を訴えてきた。店内でも水まんじゅうが食べられると外に立っていた店員さんに聞いた私は早速中に入り、中のレジ付近で立っていた別の店員さんに注文をして空いている席に着き、水まんじゅうが来るのを待つ。
「そういえば、和菓子屋さんで食べるのは初めてだ。」
地元ではどれだけ美味しくても家に帰って食べる方が多く、こうしてのんびりと和菓子を堪能する事もかなりご無沙汰だったと思い返す。お待たせしました、と声を掛けられ私は一度思考を止めた。
目の前の机に置かれたのは、きらきら輝く水に氷…そして、主役の水まんじゅうが硝子の器の中に飾られている。
「この水も含めて食べるのかな。」
用意されたスプーンを持ち、まずはラーメンのスープを味わう様な感覚で水の方から口にした。すると、初夏の暑い中で長い移動時間にくたびれていた私の体へ、冷えたその水がじわじわと染みて欲しかった潤いが行き渡るのが全身で感じる。知らない内にそのまま水だけを何杯か掬い飲んでしまったので、正気に戻った私はその手を止めた。
「水が美味しいって観光案内所にも持ってきた地図にも書いてあったけど…。」
やはり実際に口にしてみないと分からないものだと頷いた私は、いよいよ目的の物へスプーンを向ける。氷水の中にいる水まんじゅうは嫌とも言わず素直にスプーンに座り、そこから私の口へと迎えられた。
一噛み、たった上下の歯が合わさるだけで、その価値が分かる。餡を包む生地が厚く、一口で食べられるサイズなのに食べ応えがあって、まずそれに驚く。更に噛む事で零れた餡の上品な甘さが私の口内を満たす。気を付けて味わっていないと、三個しか無いのに次の物へ欲してしまいそうになるのをどうにか押し込めて口の中で一回、また一回と削る様にして喉へと送る。水だけでもかなり癒されたのに、こんなに美味しい物を全部食べたらどうなってしまうのか…などとおかしな考えまで浮かんできた。
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