第一章


…憶えていない?

あたしは唐突すぎるその言葉にどう言葉をかければいいのか分からなくなった。
『…まぁ、沈黙してしまうのも無理もない。』
「えっ…と、全く?」
『全く、覚えていない。』
「…やっぱり、悪いことを聞いちゃったじゃない。」
肩を落としたあたしに侍は笑った。
『幻だと思うのなら、余計な気遣いは無用なのでは?』
「それもそうか…。」
そう言われて気が楽になった。が、くすくすと笑う侍を見てちょっとイラッとした。
「何よ。」
『いやなに、生きている人と話すのは久しいものでな、つい浮かれてしまっている。』
「あ、そうなんだ。」
『まあ、死んでから記憶はある…しかし、それがしの名以外覚えていることはない。』
「でも、名前は覚えているんだ。」
あたしは侍のいるドアのところまで歩いて行った。
『む、無理をしては体に障る…。』
「平気よ、あと一週間で退院だから。」
侍の目の前に立ち、ちょっとした出来心で侍の体に触ってみた。
『…!?』
侍はびっくりしたが、あたしも同時に驚いた。
(なんか、ドライアイスの煙みたいな感じ…。)
今まではこんなふうに視える幻に触ったことが無かった。いや、幻から触ろうとこっちに手を伸ばしてきたことはあったけど触られる前に逃げだしていたから気付かなかった。
『…もし?』
沈黙に耐えられなかったのか、声をかけてきた。
「ああ、ごめん。」
とあたしは触っていた手を引っ込めた。
「…じゃあ、改めて自己紹介しようか。」
『え?』
「自分のことで覚えているは名前くらいなんでしょ、じゃあ自己紹介ができるじゃない。」
『…本当にそれがしのことを幻だと思っているのか?』
「いいじゃない、幻にこんな風に話しても。」
『…まこと、変わった子だ。』
半分困ったように、半分嬉しそうに言った侍はまっすぐにあたしを見た。

『それがしは雲流丸(うんりゅうまる)と申す。』
「あたしは、三絵。」

あたしの悪い癖は、つい困っているような人を無視することができないことだ。
その事で、何度も嫌な目にも遭っているのに、未だに改善されない困った癖だ。

でも

名前を言ってくれた侍…雲流丸の表情はどこか気恥ずかしいけれど嬉しそうな、そんな顔を見せられるとやっぱり…こっちも嬉しかった。
そんな気持ちや表情をあたしはいつも求めてしまっているんだろう。
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