鬼の涙を掬う猫
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『十四郎、吉原に行こう』
「……はぁ?」
ボロアパートに戻るなりそう言って来たハク
そんな変な事を言い出す理由はすぐに見当がついた
「……お前、小銭形に何か言われたな?」
『女でも買えば元気になるって』
「いらねぇよ、第一明日も仕事だろ」
『………』
その日も俺は眠れず、アパートの小さな窓から紫煙を撒き散らしていた
『十四郎、寝ないの?』
「…………」
『十四郎』
「お前も、もう俺の側に居なくていいんだぞ」
『………え?』
「お前は元々、とっつぁんが真選組で預かってくれって言って寄越したんだ
真選組も無くなってとっつぁんも居なくなった今、お前も好きなようにすれば良い」
ハクを突っぱねるような事を言っている自覚はあった
これはただの八つ当たり、自分勝手な言葉。だがこの時の俺は正常な判断ができる状態ではなく、口から出る本心ではない言葉をそのままハクにぶつけてしまった
『………分かった』
その声と共にハクが布団から出る音が聞こえる
次の瞬間、俺はハクに押し倒されていた
「……なにやってる」
『好きなようにしろって言った』
「……はぁ」
正直もうどうでも良かった。ハクが何を考えているのかも、何をしようとしているのかも
『十四郎、タバコ吸いすぎ』
ハクは俺の手からタバコを抜き取り、吸い殻に埋め尽くされた灰皿に無理やり押し付け、俺の懐に入っていたタバコの箱も取り上げた
その後、ハクのヒヤリとした手が、俺の目を覆い、唇に柔らかな感触が触れる
「………ハク?」
ハクは俺の声に応える事なく、俺の目を手で覆ったまま、唇に頬に額に首元に唇を落としていく
「おい、ハク」
『十四郎さん、随分お疲れみたいじゃない
今日はなにもかも忘れて、私といいことしましょう?』
「っ!」
耳元に響く、艶っぽい声
この話し方をするハクに、俺は覚えがあった
吉原に潜入した時の、遊女に化けるハクの姿
目を覆っていた手はいつのまにか手拭いに変わっていて、ハクの冷たい手が着流しの上から俺の身体を撫でる
「おい、ハク、やめろ」
『いやだわ、好きなようにしろと言ったのは十四郎さんじゃない』
「ハク!」
俺がハクの手首を掴み大きな声でハクの名前を呼ぶと、掴んだ手がびくりと動く
俺が起き上がり目隠しを外すと、先程までの余裕たっぷりの遊女の声とは似つかわしくない、悲しげなハクの顔
『やっぱり私の身体じゃ、ダメ
見えなくても、十四郎の力になれない』
「っ、お前」
俺の上に跨ったままのハクを抱きしめる
「……っの馬鹿!」
遊女のフリをして、わざわざ俺に目隠しをしたのは、体の傷を見せないようにする為
小銭形の馬鹿なアドバイスを鵜呑みにしてとんでもない行動に出たハクの背中を何度も撫でる
しばらくそうしていると、ハクが口を開いた
『十四郎、私、勲を守れなかった……ううん、守ろうと、しなかった、“命令”だったのに』
「え?」
『あの時、勲に“お願い”された。十四郎のそばに居てくれって』
「……そうか」
『ごめんなさい』
「なんで謝るんだ?」
『勲を守るのは、十四郎の、“命令”だったのに
勲を守るのが十四郎を守ることだって言われてたのに私っ、勲の“お願い”を聞いた
“命令”を聞かずに、“お願い”を叶えたいって私が勝手に思ってしまった』
ハクにとって命令は絶対に遂行しなければいけないもののはずで、お願いはハク自身が叶えたいと思わなければ叶えなくてもいいと、そんな話をした気がする
『勲を守ることより、十四郎と一緒にいることを、私はっ………!』
肩が湿っていくのを感じながら、俺はハクを抱きしめる腕を強めた
俺の命令を無視して俺と一緒にいたいと思った自分を責めるハクの気持ちに、俺は全く気付くことなく、側にいなくていいだの、好きなようにしろだの、なんて残酷な事をハクに言ったのだろうかと、自分を殴りたくなった
「ハク、さっきは悪かった、俺は……」
俺がハクに声をかけようとすると、ハクの両手が俺の頬を包み上を向かせる
膝立ちのハクの顔を見上げる形になると、ボロアパートの窓から差す僅かな月明かりを涙で濡れたまつ毛がキラキラと反射させ、そのまつ毛に蓋取られた瞳が俺を真っ直ぐに見つめる
その瞳には先程のような戸惑いは全くない
『十四郎、お願い、命令して
勲を助けてこいって、そうしたら私、勲を助けてくるから、どこに居ても絶対助けてくるから、今度はちゃんとするから』
「っ………」
『お願い、十四郎、命令して』
“お願い”は、叶えたいと思わなければ叶えなくてもいい、俺はそうハクに言った
本当にそう命令すれば、ハクなら本当に近藤さんを連れてひょっこり帰って来てくれるんじゃないだろうか
そんな気持ちがチラついてしまうほど、この時の俺は弱っていた
ただ、それと同時にーーー
「………どこにも、行くな」
『………え?』
「そばに居ろ、どこにも行くな、お前まで居なくなったら俺は………」
命令なんてしなくとも勝手に近藤さんを助けに行ってしまいそうなハクを、もう一度腕の中に閉じ込める
「どこにも、行かないでくれ」
『分かった』
俺の言葉をハクが“命令”と受け取ったのか、“お願い”と受け取ったのか、そんなことはどうでもいい
ハクが“分かった”と答えてくれたなら、ハクは本当に俺のそばから離れたりはしないだろう
ゆっくりとまるで子供をあやすように俺の頭を撫でてくるハクに何故か涙が止まらない
どんなに声を押し殺しても、悔しさと、自分の不甲斐なさからじわじわとハクの着物を濡らすソレに、ハクもきっと気づいているはずだ
『十四郎、寝よう、横になったら眠れるから』
「……ズッ……お前に言われたくねぇよ」
その後、布団に入ってからも俺の頭を撫で続けるハクの手に、俺は数週間ぶりに深い眠りに落ちた
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