hust

hust/ギャラガー
夢の世界で拾った赤ん坊が不良息子に育ってしまった話。
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【ヴァージン・ノスタルジー】

 赤ん坊を抱いたことは無かった気がする。

 正確には、あったかもしれない。保安官として事件に巻き込まれた赤ん坊を保護した時だったか。あるいは同僚が待望の我が子に恵まれ祝った、あの時か。どちらにせよ、それがいつのことだったのかはっきりと覚えているわけではなかった。
「ああもう、そんなんじゃダメだ。まだ首が据わってないんだから、ちゃんと支えてやらないと」
「俺なんかに抱かせても危なっかしくて仕方ないだけだろ」
「そんなデカい図体して何言ってんだか。右手はここだよ。……そうそう、様になってる」
 天環族の女性に言われるがまま手を添える。それほど重さは感じないのにぎこちないのは、その形状に慣れていないからだろう。
 腕の中のそれは――赤ん坊の形をした何かだ。決して本当の、所謂人と人の間に産まれたものではない。誰の子かも知れない、夢の中の漂流物。ただそれが赤ん坊の形をしているだけ。
 しかし。
「ほら、笑った」
 声をあげて泣く姿に、人は泣き止ませようと抱き上げる。
 顔を見上げて笑う姿に、人は己の存在を自覚して微笑む。
 得体の知れない存在であることは百も承知。だというのに、両腕は離すことなくしっかりとそれを抱えていた。体温も、鼓動も、何もかも感じないというのに――温もりを感じた。
 もしかしたら、本当に赤ん坊を抱いたことがあるのかもしれない。この温もりはその時のことを追憶しているだけで、今の自分が実際に感じているものではないのだと。
「すっかりお気に入りだね」
 それは小さな手で赤いネクタイを取り、その裾を齧りはじめた。とはいえ、このくらいの見た目ならおそらく乳歯すらしっかり生えていないだろう。どこで覚えたのかも知らない雑学が頭をよぎり、振り切るように溜息をついた。
「赤ん坊には誰にでも微笑む時期がある、ってのは本当なんだな」
「そう照れなくてもいいのに」

――――――

「おい、聞いてるのか。クソバーテンダー」

 誰もが眠らず享楽に溺れている。黄金の刻と呼ばれるこの夢の世界では、バーの客足が絶えることはない。夜明けというものが来ないのだから当然である。スラーダに飽きた長期滞在客や踊り疲れた上流階級者、一攫千金を狙うギャンブラー、スクープの匂いを嗅ぎつけた宇宙記者。十人十色の中、よほど悪目立ちしない限り、周りがどんな客であろうと構わない酔っ払いばかりなのだ。
 だからこそ、高圧的で面倒な客が時折野放しになる。ちょうど目の前にいる男がその典型だった。
「目に続き耳までイカれたか? 年寄りは辛いな。座って作ってもいいんだぞ」
「口の聞き方に気をつけろよ、クソガキ。お客様は神様っていう時代は終わったんだ」
「お前こそ、そんな接客がマニュアルに書いてあるのか? 百歩、いや一万歩譲って俺がガキでも、ちゃんとこうして金を払ってる以上まともなものを出すべきだよな」
 彼はバーカウンターを指でトントンと叩いた。その指先にはドリンク一杯には十分過ぎる程のチップが詰まれている。こちらをそれほど高く買っているのか、それとも金にものを言わせたいのか……それは深く考えるまでもなく後者である。
 それにしてもこの未成年が、黄金の刻で、如何にして大金を稼いでいるというのだろう。

 バーテンダーの仕事は、単に求められたドリンクを提供するだけではない。もちろん客の細かな要望に応じてぴったりの品物を用意することは最低限であるし、同時に言葉以上の難しさがある。
 加えて、客との会話も重要な業務だ。ドリンク作りは会話のプロセス、それが口癖の同僚もいる。
「仕事中に何考えてたんだ」
「……昔のことだ」
「お前がクソガキだった頃のことか」
「そんな大昔のことを覚えてると思うか?」
「昔のことの方がよく覚えてるんだろ。昨日食べた飯のことは忘れるくせに」
 偏屈で口の減らないこの客には毎度頭を悩ませられている。ドリンクをつくれとせがむくせに、それを邪魔したいのかやたらと話しかけてくる。しかもその内容は大抵が自分に対する嫌味や悪口。そんなに嫌いなら他のバーに行けばいいのにと何度も返したが、彼が愛想を尽かしてくれたことは一度もなかった。
 そんな厄介客の彼だが仮にも常連、その好みは充分把握している。このように悪態が白熱した状態の彼には苦味とまろやかさを混ぜた、ノスタルジーとも称すべきベースのドリンクを出してやるべきだろう。
「まあな。お前がまだ天使みたいに可愛い赤ん坊だった頃のことは、忘れたくても忘れられないさ」
 それは――もうあの時のような笑みを浮かべなかった。
 彼はふてぶてしい顔を珍しく歪めていた。握りしめた拳は僅かに震えていておそらく、否どうみても羞恥が込み上げて隠しきれていない。笑みとは程遠い強い感情の顔つきに反して、こちらは意地汚い笑みが浮かんだ。
「気色悪い事言うな!」
「そう照れなくてもいいだろうに」
 声を荒げた子どもを宥めるには物で釣るのが最適解である。第一に子どもの興味をそれへと逸らして、かつそれが子どもの好物なら効果はてきめんだ。
 ヴァージンと名のつくそれは所詮子供騙しのジュース。ただ、今はそれがちょうど彼の喉を潤したようだった。
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