short(gnsn)

gnsn/ラウマ
霜月の子で家族同然に過ごしてきた夢主と詠月使の話。
空月の歌 Luna I 第一幕「白銀の浪と蒼林の舞」の内容を含みます。
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【虚月を満たせ、我が心】

「恨んでおるか」
「……何と」
「私のことを恨んでおるか」
 もう一度、彼女は尋ねた。その声は静かで、異様なまでに穏やかであった。

 今、彼女は森の奥深く、湖にいた。濡れるのも厭わず水に浸かり、腰までその身を沈めている。月を見上げ、手を重ねる姿はこれまでと変わらない。それはまさに彼女が数刻前に告げた通りだった。
 敵陣から戻り、月髄と呼ばれる聖物を取り戻したという矢先のことである。里に戻るなり、彼女はすぐに信徒たちを広場に集めた。普段であれば、立場上責任があるとはいえ独断で動いたことに苦言を呈するところだ。そうならなかったのは彼女の迅速さと、彼女が打ち明けた真実にある。

 夜空に浮かぶ月は、真のそれではない。
 私はずっとこの真実を黙っていた。本意は皆に不安を与えぬ為だが、騙していたと言われても仕方のないことだと理解している。
 しかし、家族たちよ。月光は今でも確かに我らを照らしておる。この身に感じるは祝福の潮汐に他ならぬ。皆の祈りは偽の天幕を越え、真の月へと至るはずだ。どうか祈りを捨てず、これまでの習慣を大切にしてほしい。
 去る者たちよ、留まる者たちよ。これは私の願いだが、皆の意志こそを尊重する。昼も夜も、月光が我らを結ばんことを――。
 
 彼女の告白を思い返しながら、夜空の月を見上げた。白く、そしてわずかに青みを帯びた光が、満遍なく大地へと降り注いでいる。
 月の三女神が一柱、霜月の女神フーレクータル。彼女の恩寵を受けた一族は、月光から祝福の力を感じ取ることができる。その一族は女神への崇敬から、自らを「霜月の子」と名乗った。
 三つの月のうち、二つは砕け散った。どれだけ強大なものが存在を誇ろうとも永遠に続くことがないことは、この世界の至る所で体現されている。明日は我が身、明日は我らが月が砕け散ってもおかしくはない。それでも一族が信仰を失わずにいれたのは、新たな月――新月の少女クータルの誕生と、夜空に見える月の存在があったからだ。前者は信徒たちの前を去って久しいものの、後者は今もこの地を見下ろしている。
 我々は見捨てられたわけではないのだと、とある信徒の本音を聞いた。信ずるものの象徴が目に見える、それは言葉で表す以上に安息を与えるものだ。事実、己も安息を与えられた一人である。傷付き、流れた血を掬った時、その小さな銀湖に映り込んだのは寒夜に浮かぶ月だった。静かに見下ろす姿は、まるで夜泣きに起き彷徨う子を宥める母。その姿は祈りの標として大きな意味を持っていたことは言うまでもない。
 しかし詠月使によれば、それは誰がついたかも知れぬ嘘なのだという。
「……では、あの月は、我らに見えるあれは何なのですか」
「それは、すまぬ。私にも分からない」
 詠月使は、「霜月の子」における大祭司たる大祭司である。大祭司という名称自体は掟により失われて久しいが、祭事を司る者の代表という意味ではこれ以上に相応しい言葉はないだろう。霜月の力をより強く受け継ぐ者であり、それは自ずと「最も角が大きい者」に集約する。
 その彼女が、夜空に浮かぶ月からは力を感じられないと打ち明けたのだ。祝福の潮汐に敏い彼女がそう言うのだから、信徒たちは狼狽えるしかない。
「目に見えるあれは源ではない。だが、確かに月光の祝福は存在するのだ。それが何処から来ているのかも、私には分からぬ。それでも……見えるだろう? 霜月の恩寵、銀の角は我らと共にある」
 彼女は、信徒たちの悲痛な問いかけに一つ一つ誠実に答えた。感じる全てのものを、それが不明瞭であったり不安を覚えるようなものであっても、彼女は共有した。家族に隠し事はしない、そう彼女が宣言した通りに。

 しばらくの間、里には不安と動揺が伝播していた。信仰の意味を見出せなくなり去った者もいる。暴動沙汰にまで発展しなかったのが救いだ。
 だが思うに、これは、遅かれ早かれ我々が向き合うべき問題だったのだろう。その真実に至ったのが――あるいは打ち明けたのが――初代詠月使アイラではなく、その五百年後の当代詠月使ラウマだったというだけの話だ。
 幸いにも動物たちは落ち着いていた。彼らはずっと彼女に寄り添う友でいたようだ。

「恨むものか」
 答えを受けても、彼女は振り返らない。
「詠月使が決めたことだ。我らはそれに従うのみ」
「詠月使として、か」
「無論家族としてもだ。お前が熟慮の末に下した判断に、私が口を挟めようか。そもそも、今日に至るまでお前が私の言うことを聞いたことがあったか? ラウマ」
「まるで私が頑固者のような言い草だ」
 今度は振り向いた。「聞き捨てならぬ」と文句が返ってくるならまだ調子は良い方だ。幼い苛立ちを滲ませた彼女に、肩をすくめてみせる。
 里の子ども達にはやれ年配者を大事にせよだの、先人の教訓から多くを学べだのと説いている割に、当の本人は五つも上の同胞の言うことを聞いた試しがない。甘やかしすぎたのではないかと問われれば、思い当たる節が無いわけでもない。それだけ彼女が愛され、いかに特別かという裏返しでもあるのだ。
 誕生したその瞬間から、彼女は聖女であることを定められた。塔に響いた産声は彼女が告げた初めての神託なのだと、年長者たちは今でも口を揃える。出来るだけ差別のないよう努められていたのだろう。しかし、やはり同世代の子どもたちは敏感だ。子どもたちが遊んでいても、彼女はいつの間にかその輪から離れ、塔にて祈祷や呪術を学んでいた。
 ――皆に求められる詠月使であらねばならぬ。
 周囲の期待が、彼女にそれを背負わせた。自分もそんな周囲の一人である。寄り添い支えるのは当然のことだ。
「我らは迷い、それでも生きてきた。手を取り合い、己の信ずるところを守り、驕らず、隣人と苦楽を分つ。これらは、かの故郷ヒュペルボレイアを離れた我らの生存戦略であり、霜月の教えである。昔に教えたろう――」
「なぜ霜月の子と呼ぶのか? それはかの女神への感謝と共に、我らが固く結ばれた家族であることを示す」
 湖に足をつける。波紋が広がり、彼女が起こしたそれと重なっていく。
 月光の祝福は時に引き寄せ、時に離れ合う性質を持つ。人々の関係も同じだ。同じ志は互いを引き寄せ、異なる心は時に衝突を生む。決して善悪をはかるものではない。耐え難き別離に至るとしても、出会いそのものは祝福なのだ。
 遠く見つめるだけだった彼女とは、今は手を伸ばせば触れられるほど近付いていた。
「では、これからも私と共に在ってくれるか」
 稀代の詠月使足り得ない己には、残念ながら予知の力はない。故にこのような楽観的でいられるのだろうか。だが、もしそうだとしても。
「私はお前と共に在る」
 彼女がこちらへ手を伸ばす。少し身を屈めてやれば、その手は頭へと触れた。目を閉じ、額同士を軽く押し当てる。月光、そして彼女という光に触れ、輝くものを感じた。
「昼も夜も、月光が我らを結ばんことを……」
 切なる祈りは湖に染み渡り、何とも知れぬ月がただ静かに見下ろしていた。
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