第2章 モンド牧歌集

1.天使の取り分(ガイア)

「やあ。少し話をしても?」
 勇ましい勲章だと一言添える。声をかけられた男は頭を僅かに動かしただけだったが、こちらを一瞥すると側に置いていた剣を自分の足元に引き寄せた。少しくらいは聞いてやる、そういうことなのだろう。
 彼が持つグラスの氷が軽い音を立てる。確か酒は飲める口だと聞いていた。……それなりに歳をとって控えているのだろうか。まだ夜明けには早いこの時間帯に、彼は酒場でノンアルコールドリンクを飲んでいた。

 ――左目に傷のある冒険者には喧嘩を売るな。
 特定の年齢層の西風騎士たちはみな口を揃えてこう言う。目立つ場所に傷がある冒険者と言われれば屈強な者、もしくは闘争心の強い者を想像するだろう。彼ら曰く、その冒険者はそのどちらにも当てはまるらしい。しかもそれだけにとどまらない。
「愚痴を言っていたら隣のテーブルにいた奴に殴られたんだ。煩いだの、そんな暇があるなら木の杭でも倒してこいだのとな……」
「殴られた同期の敵討ちで模擬試合を申し込んだことがある。木剣を渡したのに、あいつときたら木剣を使わずに私を殴り飛ばしたんだ」

「人違いだ」
「まだ何も言っていないんだがね」
「もしそうなら君は片目だけでもそんなにおしゃべりなんだな」
 長い前髪の隙間から青い目が覗く。その視線には鋭さを感じた。今は漁師だというが、やはり根底にあるのは冒険者としてのプライドか。あるいはそれ以前の、孤高の人としての生き様か。だが今の彼を駆り立てているものは冒険ではなく、愛しているのも孤独ではない。
「勲章だとか言っていたか。顔のことを言っているのなら、残念ながらハズレだ」
 彼の左側に陣取ればその傷はよりはっきり目に映る。鋭利なもので傷つけられたような、しかしながら左眼が機能を失っていないところをみると然程深くはない。武器を持って間もないヒルチャールあたりに引っ掻かれたのだろう。誰にも初心者だった時期はある。
「それは失礼した。風格を感じたものでな、つい声を掛けてしまった」
「人生の学びを得たいというにはずいぶん若いな」
「何事も経験が多いに越したことはない。それに、こういう酒場で会う御仁の話は決まって興味深い。特に冒険譚なんかは」
「そこまで知っているなら何も本人に聞くことはないだろう。殴られたいなら話は別だが」
「まあ、知っているな。なんでも最近は丸くなったと」
 拳は飛んでこない。彼は鼻で笑いグラスを煽っただけだった。
 噂とは打って変わり、彼は話しかければ応えてくれる人間だった。若かりし頃は知る由もないが、少なくとも今の彼はちゃんとこちらの話を聞くし、皮肉めいた切り返しもある。
「随分と強いものを飲むんだな」
「お気に入りでね。いや、そのサイダーも負けてはいない。締めの一杯には最高のドリンクだ」
「同感だな。頼んでやろうか?君もそろそろ喋り疲れてきた頃だろう」
「はは、ご冗談を。まだ夜は長いんだ。俺たちはもっと多くを語り合えると思うんだが、どうだい」
「ったく、酔っ払いが」
 ため息と共に吐き捨てると、彼は荷物を肩に担いで立ち上がった。ガチャリという大きな音が一つ。それにつられた視線は彼の荷物の中、布を巻かれた剣に止まった。
 長剣に分類される形状。剣はそれなりに古いもののようで柄や鍔部分には細かな傷がいつくも残されている。対して簡素な装飾と青い宝石が施された鞘は滑らかな表面を保っており、布の隙間から光を放っている。夜の酒場の照明では細部までは確認することは難しいが、剣と鞘には年式の違いがあるように見えた。まるで打ち替えがきかない剣と、それを護るために毎年――否、毎日鋳られている新品の鞘。
 風格と体格に釣り合った、一方で冒険者を辞めたという男にとっては不釣り合いであるような、存在感を示す武器。
「どうした? ノルベルト。今日は随分と気前がいいな」
「税金分だ」
 踵を返し酒場を後にする。モラを受け取ったバーテンダーに声を掛けられたが、彼は振り返ることなく右手を挙げてそう答えた。
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