第1章 ルル・ルー

6.竜殺し③
 
「明日はゆっくり起きて、のんびり『鹿狩り』で食べてもいいんだよな」
「いいよ。いつも通りってことだね」
「そんなことないぞ。『鹿狩り』に行けるのはモンド城にいる時だけだからな」

 得意げなパイモンに相槌を打ちながら、旅人はキャサリンから預かった鍵を大切にしまった。
 冒険者協会で手配してくれた宿は想像以上に居心地がよかった。
 外観はこじんまりとした民家。家主は長期外出中の商人で、ただ家を空けるくらいならと、冒険者協会と取り決めを交わし、自宅を宿として貸し出しているらしい。一定以上の高ランク冒険者ならほぼ無料で泊まれるとのことだ。冒険者協会はホテルや宿屋をおさえる手間がない。そして家主も「有名な冒険者が泊まったことがある」という事実を売りにできるというメリットがある。
 実際に、旅人もキャサリンから任意でサインを求められた。見ず知らずの家主のためというのもどうかと思われたが、サインを描いてくれれば、レストラン『鹿狩り』の限定メニューが食べられるのだという。それを聞いて美食家の相棒が黙っているはずがなく、いとも容易く旅人のサインは天秤にかけられたのであった。ちなみに限定メニューは「ニンジンとお肉と二種のベリーハニーソテー」——明日のメインディッシュを飾る予定である。
 簡単に明日の予定を打ち合わせ、ゆっくり過ごそうという意見で一致した。急を要する予定、例えば神を殺した犯人の捜索や、神との一騎打ち、閉じ込められた神の救出、水没の予言から逃れるための神との裁判……そういったものがない限りは、出来るだけ街でのんびり過ごそうと決めていた。これは長い旅路を歩み続けるための秘訣でもあり、「土地を見て人を知ってほしい」というパイモンとの暗黙の了解でもあった。
「話をはぐらかされた気がする」
 パイモンが「んあ?」と間の抜けた声を上げた。きれいにシーツが敷かれたベッドの上で寝転んでいたところを、徐に話しかけられたからだ。
「急に龍殺しの話をすると思う?」
「ノルベルトの話か。やけにアイツのこと気にしてるよな」
「そういうわけじゃ……いや、そうかも。なんだか気になって」
「ドラゴンの話をしてただろ。そんでもって、モンドでドラゴンって言ったらトワリンか、昔トワリンと戦ったっていうドゥリンだよな。トワリンは悪いやつじゃないけど、オイラたちが来た頃にはアビスの影響でおかしくなっちゃって人々を襲う悪いドラゴンになってた。ほら、悪いドラゴンを倒すのは英雄の必須条件だろ。ドラゴンがいるモンドなら、みんなそういうのに憧れるのかもしれないぞ」
「英雄に憧れてるってこと?」
「ああ。最近だと、街の子どもたちはみんな騎士になりたいらしい」
 パイモンはそう言って、意味ありげな笑みを浮かべた。
 確かに、モンド城の子どもたちはみな騎士の敬礼が出来る。当然彼らは騎士ではないが、ごっこ遊びで選ばれる程、騎士というものは皆の憧れなのだ。パイモンには申し訳ないが、おそらく、栄誉騎士が現れる前からずっとそうなのである。
 旅人はふと、寝室の壁に映る己の影を見た。そして数分前のやりとりを思い返していた。

「それは何?」
「影だ。ルル・ルーという」
「それは知ってるよ。ルルって一体何なの」
 旅人が再度尋ねると彼は沈黙した。瞑目し、どう説明したものかと思案しているように見える。
 これまでの短いやりとりの中で、彼について分かったことは二つ。一つは口数がそう多くないこと、そしてもう一つはあまり自分を語らないことだ。
「……迷い込んだんだ。こいつは肉体からだを持たないから、人の影に潜り込んだ」
「答えになってない。人の影に潜り込むそれは一体何と聞いてるんだ」
「ルル、ルルゥ」
 足元から鳴き声が聞こえてくる。大通りから一本裏に入り込んだ住宅街は、街灯があるとはいえ暗い。ただ、そんな街灯の下でも、彼の足元に黒猫の姿が見えないことは確かだった。鳴き声を発したのは、紛れもないルルだ。
 彼はしばらく足元を見据えていた。
「心配か? ここは君の生まれ故郷でもないだろうに」
「当たり前だよ。少なくとも、ここを一度救った」
「大した責任感だな」
 視線を旅人に戻し、ふと息を吐く。皮肉られたのだとは分かった。ただ、何故か自嘲的な笑みを浮かべた彼に対して適当な言葉を思いつかない。
「何か出来るほどの力はない。何かという問いには答える事はできないが、宿主である以上、こいつがどの程度のものなのかは理解しているつもりだ」
「あなたは安全なの?」
「少なくとも、神に見放されない限りはな」
 おやすみと踵を返した彼の背には、水の神の目が輝いていた。

 ふと、壁のもう一つの影がベッドの上に沈む。パイモンの眠気は限界のようだ。
「会いに行くにしても明日でいいよな……そうだ。折角だし、『鹿狩り』に行く前にエルフリーデも誘ってやろうぜ。そうすればノルベルトにもまた会えるし、何の用もないより自然だろ?」
「さすが気が利くね」
「へへんっ」
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