第1章 ルル・ルー


2.喉元過ぎても①

「やあやあ! 久しいな、友よ」
 かつて広大な世界を駆け回った男にとって、酒場のテーブルは随分と小さい世界である。しかし、彼は窮屈そうに背中を丸めながらも、そんな不自由さを微塵も感じさせずに慣れた様子で片手を振っていた。
 それもそうだろう。我が家のように足繁く通った行きつけの酒場、テーブルに並んだ二杯の美酒とそれらを取り囲む美食、それから数年振りに再会する旧友。モンドのベテラン冒険者が上機嫌になるには十分の要素が揃っていた。

「また老けたんじゃないか? サイリュス」
「相変わらず冗談だけは一人前だな。メンバーでも若い方だったお前からすれば、俺が老けて見えるのは当たり前だろう」
 並々に注がれた酒杯を持ち、豪快な一突きを交わす。酒の泡を溢さないようにするには熟練の腕が必要となるが、もう何度も経験した技だ。たとえ数年ぶりの儀式だとしても腕が鈍ることはない。
 この男――サイリュスは、かつて旅を共にした冒険者仲間だ。その冒険団は当時のモンドでも屈指の実績で、長い旅路の中いくつかの目標を達成し、そして惜しまれながらも解散した。
 冒険団のリーダー格だったサイリュスは今でも冒険者としての夢を保ち続け、現在は冒険者協会モンド支部の支部長を務めている。
「お前はどうだ? ノルベルト」
 一方、その団で遊撃を担っていた男は冒険者を引退した。今は魚を獲って売るしがない漁師である。勿論それだけが仕事の全てではないが、冒険者業から程遠いものであることには違いない。生活拠点も中心部であるモンド城ではなく、そこから北に位置する港町ドーンマンポートへと移した。競う相手もいない港町では剣を握る機会もめっきり減り、たまにモンド城への輸送の護衛に付き合う際に携帯する程度である。
「忘れてはいないが、随分と剣の腕は鈍ってるよ。今の君と手合わせしても勝てる気が全くしない」
「それにしては大仰じゃないか。いつの間に神の目なんてものをこさえて」
 返答代わりに肩をすくめてみせる。だが、好奇心に目を輝かせた冒険者を目の前にそれで終われるはずがない。仕方なく懐からお目当てのそれ――神の目を取り出した。
 冒険者協会は、七国を股にかける世界規模の探索組織である。所属している冒険者の経歴も特徴も十人十色。神の目所持者もそう多くはないが、いないわけでもない。現にモンド冒険者協会にも神の目所持者は数人在籍している。
 しかしながら、やはり在籍する冒険者のほとんどは神の目を持たないごく普通の人間だ。神の目を持っていなくとも、否、持っていなかったからこそ、ひたすら己の身一つで道を切り開いてきた。力を持ち得たから大事を成したのだろうが、何事においてもその大事への一歩を踏み出したという事実ありきである。
 自分もただの人間だ。そして曲がりなりにも身一つ、あるいは仲間の力を借りて、いくつかの発見と成果をもたらした。齢四十、全てを終えてようやく肩の荷が下りた……はずだったのだ。
 故郷に戻り、授かったのは――伴侶、娘、そして神の目だった。
「正直、宝の持ち腐れだよ」
 そうぼやいて手にした宝玉を見つめる。
 冒険者としてあちこちを駆け回っていた頃も、常に宝物と共にあった。この大男が引き寄せたのか、あるいはチームの他のメンバーが冴えていたのか。今振り返ると、宝物に恵まれた冒険団だったと思う。
 だが当時、メンバーの誰も神の目という宝物を得ることがなかった。サイリュスに聞けば、今でもその冒険団のメンバーで神の目を持っている者はいないという――ただ一人、水元素の刻印が刻まれたそれを持つ自分を除いて。
「使い方を教えてくれる人がいるわけでもない。漁師だからせめてもの恩恵ということなら、多少なりともありがたみは感じるんだがお守り程度だ」
「そう言うな。多くの若い冒険者たちにとって喉から手が出るほどほしい代物なんだぞ」
「それなら俺だって欲しかったさ、もっと早くにな。そうすればトリックフラワーに炙られた時も火傷しなくて済んでたかもしれない」
「はは、傷は男の勲章とも言うだろう」
 そのトリックフラワーは君が怒らせたんだがな――その一言は美酒を流し込んだ喉音に掻き消された。
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