第3章 大人たちの喧騒


2.北風薫る②

 モンド城でのもう一つの用事を済ませるため、庭園を離れたノルベルトは西風騎士団図書館にやってきた。遠征隊を出迎える準備で出払っているためか、騎士団本部も図書館も騎士たちの姿はまばらだ。
 娘から託された本を片手に図書館へ立ち入る。が、肝心の図書館司書が不在だった。いつもならテーブルに置かれているティーカップも今日は見当たらない。
「リサさんなら今はいないわ」
 そう声を掛けてきたのは言語学者のエラ・マスクだ。図書館規則の前で突っ立っているノルベルトの心境を察したのだろう。今朝一度来たきりで、その後は戻ってきていないらしい。実地調査に出かけている時以外はほとんど図書館で過ごしている彼女が言うのだから、信憑性は高い。
「いない?」
「ええ。なんでも、騎士団の催し物の手伝いですって」
 西風騎士団図書館司書のリサ・ミンツといえば、博識・優美・温和の三拍子が揃った女性だ。ただし三つ目に関してはこうも言い換えられる――無気力、と。
 彼女が何故そうなのかはノルベルトには分からない。図書館司書であると同時に騎士団所属である彼女は、司書業務のほかに騎士団の薬剤供給を任されているらしい。ただし、そうあくせくと働いているわけではないようだ。材料調達には人を使うことがほとんどで、ノルベルトも何度かおつかいを頼まれたことがある。しかも材料を入手しても調合台に向き合っているところを見たことがない。テイワット随一の学術機関であるスメール教令院を卒業し、二百年に一人の天才と言わしめた彼女であれば、薬剤の調合など片手間で済むことなのだろうか。
 自ら取り組んでいる司書業務もあまり熱心さを感じたことはない。図書館は整然と保たれているので構わないのだが、慣れるまでは不思議なものだった。それだけ脱力感と仕事ぶりのバランスが絶妙なのだ。
 そんな彼女が騎士団の手伝いをしているというのだから驚きである。
 エラ・マスクに礼を述べ、図書館を出る。もう日も落ちかけている。今晩は冒険者協会支部に泊まらせてもらい、明日出直すしかないだろう。小さくため息をついて小脇の荷物を抱え直した。
 返すだけなら本と書置きを残しておけば問題はない。ただ、今回はまた別の本を借りてこいと言われている。そのまま図書館で待っても良いが、司書がいつ戻るか分からない以上どうあっても暇を持て余してしまう。本を読む習慣のない自分にとって、本に囲まれた環境に居続けるのは中々の苦行なのだ。
 そう、それはまるで――机に長時間向き合っていられないような大団長と同じ……。
「ノルベルト!」
 騎士団本部は決して狭くはない。その男の声が響きすぎるだけだ。
 彼が執務室から出てくること自体はそうおかしいことではない。そもそも彼は本来そこにいるべき役職だ。それが珍しい出来事になってしまっているのは、昨今の騎士団の遠征が彼主導によるものにほかならない。
 飛んできた声に足を止める。振り返るより先に、肩を無骨な手に掴まれた。視線を少し横に動かしただけで鬱陶しいほどの金髪が視界に入る。目が合うと、呼び止めた張本人――ファルカは目を細めて何度も肩を叩いた。
「ああ久しいな、本当にお前に会えて嬉しいよ。やはり旧友に会うと帰ってきたという実感がある。そう思わないか?」
「そうだな。その調子で執務室に帰るといい」
「全く変わらんな。そうだちょっと付き合ってくれ悪いようにはしないから頼む」
「何なんだ急に……」
 有無を言わせぬ勢いで肩を押され、外へと促される。どんな強敵相手にも動じない男が狼狽を隠しきれていない。その理由は、火を見るよりも明らかだ。
 背後では代理団長が彼を探し回る声が聞こえていた。
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