第3章 大人たちの喧騒
1.北風薫る①
モンド城はそろそろ風花祭の時期を迎える。
だが例年とは違い、まだ城内が派手に飾られている様子はなかった。とはいえ人々の往来は記憶の風景と変わらないし、去年のようにどこかひりついた雰囲気があるわけでもない。
「そろそろ遠征隊が帰ってくるでしょう? だからあえていつも通りの方が良いのではないかと」
腑に落ちないノルベルトの表情を察したのか、門番の騎士がそう教えてくれた。西風騎士団の代理団長の方針らしい。あの真面目な獅牙騎士の気配りとなれば頷ける。
ノルベルトは荷の輸送のためモンド城を訪れていた。
市場に並ぶ魚やその加工品を取り扱っている身だが、自らモンド城に卸しに出かけることはほとんどない。ドーンマンポートを拠点とする卸商人に買い取ってもらい、卸商人がモンド城へ売りに行くというのが主な流通経路だ。卸商人を経由する理由は様々だが、やはり一番大きな要因としては、ドーンマンポートとモンド城で物理的距離があるという点だろう。日々の漁で生計を立てている身としては、輸送のためにそう何日も舟を空けるわけにはいかない。しかも苦労してまで売りにいったはいいものの、その先で十分な買い手がつかなければ意味がない。往復の手間賃すら誰も保証してくれないのだ。それならば、少し安値であっても卸商人に買い取ってもらった方が確実である。もっとも、北の港の漁師たちの結託はすさまじいものがあり、卸商人におよそ法外な安値をつけられることはまずない。
だが、今回はいつもと少し事情が異なっていた。荷の輸送に正規の依頼主がいたのである。それも、その依頼主はこの国の守護者たち——西風騎士団だった。
「帰還する遠征隊隊員のために、色んな食材を用意しておきたいのです。そのためにはドーンマンポートで獲れた魚や仕入れる調味料、酒類がうってつけかと思いまして」
数日前に訪れた騎士がそう説明した。なればこそと、港の商人や漁師たちはこぞって自慢の一品を持ち出し、あっという間に荷馬車に詰められたのである。
本来であれば、騎士団の都合であるなら護送も騎士団が担う。しかし、ここまで量が多くなるとは想定していなかったのだろう。訪れた騎士一人だけでは対応できず、かといって港の駐留騎士から割ける人員もいない。こうして、暇そうにしていたノルベルトが商人、漁師の満場一致で選ばれたのである。
輸送中の手間賃も支給されるとあっては、断るわけにもいかないだろう。家族からもついでのお遣いを頼まれたこともあり、荷の護送を引き受けたのだ。
乗せ心地が悪かったのか、それとも
「疲れさせてしまったみたいだな」
「いえ、これは機嫌が悪いわけではないと思います」
騎士は首を横に振った。
「多分、思い出したんでしょうね。彼も自分たちと同じ遠征組だったんですよ。流石に船には載せられないっていうんで、海を越えるというところで帰還したんです」
「そうだったのか。どうりで足腰が強いわけだ、その……」
「スターゲイザー号です。夜になるとよく星空を眺めているからと、大団長がそう仰って」
果たしてそのようなロマンチストな馬がいるものか。騎士団の厩舎番でもない以上確かめようがない。ただ、間近に見る馬の目は大きく、確かに星空をよく映しそうだなとは思った。彼が何を考えて見上げているのかは、やはり知るところではないが。
馬の首筋を何度か叩いたその腕に、黒い鼻が押し当てられた。器用に鼻先をもぞもぞと動かして、掴めるような裾を探し出そうとしている。人の年齢にすればとっくに成人しているような齢の牡馬のはずだが、仕草はどこか悪戯っ子のようだ。流星をなぞるように鼻筋を撫でてやれば、彼は何度も頭を振った。
「また乗ってやってください」
星見馬の感情は相変わらず分からない。ただ、傍らの騎士がそう言って笑ったので、案外悪いものでもなかったのだろう。
その後も落ち着かない馬に手を焼く騎士を見かねて、ノルベルトは荷の引継ぎを申し出た。彼は申し訳なさそうに頭を下げ、総務部隊所属のグランフィディアという騎士の名前を挙げた。
「騎士団でドリンクスタンドを設営する予定なんです。まだ規模は小さいですがね、彼女が飲料や軽食の調達担当をしています。荷はこちらでまとめておきますので、声を掛けておいてもらえますか」
総務部隊といえば西風騎士団の後方支援部隊だ。行政の面で彼らが動くことも多く、一般市民からすれば親しみやすい部隊である。もちろんその部隊に所属する騎士も温和で真面目な者が大半で、グランフィディアという女性騎士も例外ではなかった。
ノルベルトから事情を聞くと、彼女は整った敬礼と共に感謝を述べた。
「ドーンマンポートからと聞いていたのですが、まさかこんなに早く来ていただけるなんて。不便はありませんでしたか?」
「ああ。そう厄介な連中には出くわさなかったし、何より君たちの馬がいたからな」
そう答えると、なぜか彼女は目を丸くして驚いていた。
門番は普段通りと言っていたが、それは城内全体のことを言っていたようだ。グランフィディアに案内されてやってきた庭園は飾り付けが施され、小規模の催し物も開かれている。まだ準備中とのことだが、その仕上がりを見るに、いつ遠征隊が戻ってきても満足のいく歓待を受けられそうだ。これもおそらくは西風騎士団代理団長、現在の獅牙騎士の手腕だろう。
「お疲れでしょう。有り合わせのものですが、何か飲んでいきませんか」
「ありがとう、気遣いだけもらっておくよ。この後も予定があるんだ」
やんわりと断ったつもりだったが、グランフィディアは思いのほか残念そうに肩を落とした。あまりの落ち込みように、こちらの方も申し訳なくなる。
「……酒以外で何かあれば、もらえるとありがたい」
彼女の様子を窺いながらそう付け加えると、女騎士が嬉しそうにぱっと顔を上げた。彼女に促されるままにカウンター席へと腰掛ける。
あまり長居する予定はなかったが、こうなっては仕方ない。内心観念したノルベルトはシードル湖とその背後にそびえる山々を眺めた。そういえば、こうしてモンド城からじっくり風景を眺めるのは初めてかもしれない。
「いい天気ですね」
「もし雨が降ったらここはどうするんだ?」
「小雨ならこのままにして、雨避けのテントを出す手筈です。大雨や風雨であれば、やはり片付けるしかありませんね。こればかりは風神様のご加護に頼るしかありません……」
騎士は心配そうに言ったが、果たしてそこまで危惧する必要があるだろうか。少なくとも、ここ最近の野外催事で悪天候に恵まれた記憶はない。あったとしても、それは去年の風花祭の直前のことだ。ただ当時は強風以上に魔物の襲来という災難に見舞われた。強風自体は大した問題ではなく、むしろモンド城の人々の味方すらしていたように思う。
そもそも風が吹くところに神を感じるような民だ。無風の方が耐えられないに決まっている。