第1章 ルル・ルー
1.ルル・ルー
「お父さんもね、冒険者だったんだって。あまり話したがらないの。わたしが剣を持ったお父さんを見て泣いちゃったから。それでも……覚えてるよ。お父さんはわたしとお母さんを守るために戦ったんだって」
風の国モンド。旅人にとってはテイワットでの旅立ちの地でもある。いまやフォンテーヌにまで足を伸ばした旅人だが、こうして定期的にモンド城へとやってくるのだ。それはイベントが開催されている時もあれば、何事もない穏やかな時もある。この日は後者だった。
正確に言えば、何事もない日であっても語れるエピソードはたくさんある。モンド城にある西風騎士団所有の図書館を訪れると――魔女が作り出したと思われる不思議な空間につながっていた、とか。
「たまには絵本を借りるのもいいかもな。ほら、最近はスメールの論文とかフォンテーヌの推理小説だとか、難しい本ばっかりだっただろ? オイラは人気どころから攻めていくのが王道だと思うぞ……これなんてどうだ。『イノシシプリンセス……』」
「流石にそれはもう読んだことがあったと思うけど」
「ええっ、そうなのか?」
幻想シアターの控え室と呼ばれる不思議な空間を出て、たまたま勤務中だった図書館司書の指南を受ける。いくつか簡単な質問をしたリサ女史はテキパキと絵本を選んでいく。
「可愛い子ちゃんはやっぱり勇者とかのお話が好きかしら」
「悪者を倒す正義の話なら、好きかも」
「そうだな! オイラたちも見習わなきゃって思うし」
「そうね。まるであなたたちみたい」
柔らかく笑んだ女史は栞代わりの押し花を一枚添えて、絵本数冊を貸し出した。押し花はモンド城外でよく見る蒲公英だった。
借りた本を汚すわけにもいかないし、急ぎの用もないからたまには泊まろう――そんなパイモンの提案に、旅人も首を縦に振った。キャサリンにおすすめの宿を一部屋取ってもらう。「ゲーテホテルは取れないのか?」「あそこは貸切なので……」、パイモンとキャサリンがそう話しているのが聞こえた――そんな時。
「ルルー?」
少女がひとり。民家の裏を覗き込み、何かに呼びかけていたのだ。
何故かしょぼくれていたパイモンの服の裾を引いて呼び止める。なんだよと文句を言いかけた彼女も、しゃがんだ少女を見てすぐに状況を察したようだ。
「こんにちは! 猫ちゃんを探してるなら手伝うぜ。こう見えてこいつは猫語が話せるんだ」
社交的な相棒が明るく話しかける。その工夫が功を奏したのか、顔を上げた少女もまた明るい笑顔で応じた。スカートの砂埃を払って立ち上がると、こちらに向かってはきはきとお礼を述べる。本人の素直な性格と、両親の行き届いた教育が第一印象に焼きついた。
「ルルっていうの。いつも『ルルルー』って鳴くから」
「へえ、変わった鳴き声の……猫か?」
「なんだろう。いつもお父さんの影に隠れてるから、ちゃんと見たことがないの。もしかして鳥かもしれないし、本当に猫ちゃんかもしれないわ」
旅人は首を傾げた。パイモンもそれに続くと、少女も真似をして首をひねった。
結局、旅人は少女と共に「鳥かもしれないし猫かもしれないもの」を探すことにした。なぞなぞのようにも聞こえるが、この素直そうな少女が出会ったばかりの旅人たちにいたずらっぽく問うてくるとは思えないのだ。彼女曰く、それはよく影に隠れているらしい。建物の影や狭い路地裏をのぞきこんでは「ルル、ルー」と呼んでみる。このリズムが重要らしい。
「やっぱりお父さんといっしょなのかな」
「お父さんはどこにいるんだ? えっと」
「あ、ごめんなさい。忘れてたわ、まずはあいさつをしないと――エルっていうの!」
「エルお父さん?」
「ううん。エルはわたし! かわいい妖精さんっていう意味なんだって。あなたとおなじだよ」
幼い淑女に世辞を言われたかわいい妖精はへにゃりと笑った。
日はまだ高い。常日頃から野外で討伐任務をいくつもこなしている旅人だが、あっという間にくたくたになってしまった。いくらスタミナに自信があるとはいえ、慣れないこと――「ルル」という名前しか分かっていない何かを探すことはそう容易なことではない。探しながら特徴を少女に聞いても「猫の姿をしているが鳴き声が変わっている」「目の色? そういえば見たことがないわ。目も黒いのかも」「お父さんが大好きなのよ」、というものばかり。どれも少女が言う微笑ましい日常のワンシーンには間違いないのだろうが、捜索対象に関する情報としては有益性が乏しい。そうかという相槌しか打てない自分にもどかしさを覚えつつ、旅人とパイモンは重い足取りで広場へと戻ってきた。
広場に戻ると、レストラン『鹿狩り』の店員サラから声を掛けられた。「いつものお礼です。」、そう言った彼女は案内したテーブルにドリンクと軽食を並べていく。よほど疲れて見えたのだろうか。並んだ飲食はどれも疲れた身体に染み渡る、優しくて甘い誘惑ばかり。
「お代はいりませんよ。いつも配達を手伝ってもらっていますから」
「わたしもいいの?」
「もちろん」
少女は目を輝かせていたが、なかなか手をつけようとはしなかった。幼いながらに遠慮しているらしい。あれもこれも美味しいとパイモンが口を頬張らせてようやく、少女も目の前のパンケーキに手をつけた。
「そういえばお父さんとは一緒じゃないの?」
「一緒に来たんだけど、お父さんは冒険者協会に行ったんだ。用事があるんだって。わたしはマージョリーおねえさんのところでお留守番してたんだけど……そうだ、戻らなきゃ。おねえさんが心配しちゃう」
「そ、そんな慌てなくてもいいんじゃないか。せめて食べ終わってからにしようぜ。オイラたちも一緒に行くぞ。栄光の風はオイラたちも行きつけのお店だしな」
席を立ちかけた少女にパイモンが慌ててそれを制する。だが、少女の言う通りでもある。親にしてみれば、幼い子どもが預けた先でいなくなってはいてもたってもいられないだろうし、預けられた側の人間も同様の気持ちになるだろう。ここは一旦、記念ショップ『栄光の風』に戻るべきか……。
「エルフリーデ」
旅人たちのテーブルにふと声が掛けられた――低い男の声だ。焦りと安堵が込められた声音だった。
声の主はわずかに乱れた息を整えながら、屋外テーブルへと近づいてきた。
「お父さん」
「駄目じゃないか。マージョリーおねえさんも心配したんだぞ」
椅子から飛び降りた少女を、膝をついてしゃがんだ声の主が抱き止める。二人の関係性は聞かずともすぐに分かった。
「一人で勝手に行かない、そういう約束だっただろう?」
「うん。お父さんを迷子にしちゃうから」
「そうだ。いや、そうじゃないが……はあ、まあいい。もう心配させるようなことはしないでくれ」
少女の声は震えていた。好奇心が勝って勝手に出歩いてしまった、その行為の危険性を悟ったのだろうか。少なくとも声の主――少女の父親は厳しく叱っているわけではなさそうだった。
少女を抱きしめたまま、父親がこちらへと顔を上げる。片方に大きな傷跡をつくった顔は少女の言葉通り、不器用さと真面目さと優しさが合わさったような形をしていた。
「マージョリーのところにいないから何処へ行ったのかと思っていたが、君たちのところにいたのなら要らん心配だったな――相手をしてくれてありがとう、栄誉騎士たち。娘が迷惑をかけていないといいが」
「彼女はずっと礼儀正しかったよ」
「そうだぞ。エルはオイラたちが知らない絵本の話を聴かせてくれたんだ」
旅人たちの返答に、父親の眉間の皺が一つ減る。
「オイラたちは『ルル』を探していたんだけど、お前のところにいるのか? その……」
ルル、ルー。
まるで猫みたい。少女がそう評した理由はすぐに分かった。
「ルル! お父さんと一緒だったのね」
「ルン! ルルルル」
「こらこら。お気に入りのスカートが汚れるぞ」
抱きついていた父親を半ば押しやるようにして身体を起こした少女は、出会った時のようにすぐにその場でしゃがんだ。ただ、覗き込んでいる先は民家の裏ではない。
それは、父親の影の中にいる猫。それがパイモンの言葉を遮って鳴いた、「ルル」だった。