キスガス

『相手の好きなところを十個言わなければ出られない部屋』

 そう書かれた札が下げられた扉を前にして、キースとガストは微妙な顔をしていた。
部屋の内装は、窓がないことを除けばごく普通のホテルのようだ。机に椅子、ソファ。大きなベッドに加えて、シャワールーム等まで併設されている。
 誰かのイタズラか?とも考えたが、ヒーロー能力を使っても扉はおろか、壁や調度品にも傷をつけることさえできない。一通りのことを試して途方に暮れた二人は、とりあえず並んでベッドへと腰掛けた。
「サブスタンス関連か?」
「その説が有力だな」
はー、と、二人分のため息が部屋の空気を揺らす。二人の体重を支えるベッドはいかにも寝心地が良さそうで、ガストは寝転がりたくなる誘惑をはなんとか振り払って言った。
「どうしたら出られると思う」
「どうって……やっぱりアレだろ」
「アレ?」
 キースは胡乱げに扉を指差す。そこにかけられた札に書かれた文言を思い出し、ガストは赤面した。
「マジかよ…………」
 つい最近まで恋愛未経験だったガストにとっては、相手の好きなところを、本人の目の前で口に出すなどあまりにもハードルが高い。
「出来ないか?」
「で、できる!でも、ちょっと恥ずかしいっつーか」
 ガストの心中を察したのか、キースが問いかけてくる。しかしガストはそれを即座に否定した。キースの好きなところなど、数えきれないほど多くある。それを言えないなどと思わせて、キースを傷つけたくなかった。
「恥ずかしいっつーか、改めていうと照れるっつーか……」
 しどろもどろになっているガストを見て何を思ったのか、キースはガストの肩に手をかけ、ぽすり、とガストをベッドに押し倒した。
「へ?」
「じゃあ、オレが手本を見せるしかねーな」
 キースがガストに覆い被さり、距離が近くなる。途端に朱に染まった頬を、暖かい掌が撫でた。
「そうやってすぐ赤くなるところが可愛い」
「っ、」
「頭を撫でた時に嬉しそうにしてるのも可愛い」
 節ばった指が優しく髪を梳く。
「ダーツしてる時の笑顔が無邪気でガキみてえで、好きだ」
 オリーブ色の瞳が熱を秘めてガストを射抜く。
「空を飛んでる時も、すげえ気持ちよさそうで可愛い」
「き、キース」
 か弱い静止の声はキースを止めるには至らない。キースはなおもガストの髪を撫で続ける。
「気遣い屋なところも好きだ。気遣いすぎるのは玉に瑕だけどな」
「わざわざオレの好みに合わせた料理を練習して作ってくれるし」
「二日酔いの時には甲斐甲斐しく世話もしてくれる」
「キー、ん、ぅっ」
 もう一度声を出そうとした唇を塞がれ、濃厚に舌を絡まされる。思考が蕩けるほどに翻弄された後に、解放された唇から唾液が伝い落ちた。
「キスした後の蕩けた顔も可愛い」
「二人で寝た時はすげえ甘えてくるし、信頼されてるんだって実感する」
「後はそうだな、強いて言うなら……オレみたいなのを受け入れて、側に居てくれるところが、好きだ」
 ちょうど十を言い切ったキースは、暫し沈黙した後、照れくさそうに頬を掻いた。
「あー、やっぱり柄じゃねえな、こういうの」
 キースの僅かに染まった頬を見て、ガストは初めて、彼も羞恥を感じていたことを知った。
「そんじゃ、次はお前の番だぜ。頼んだぞ」
 全部受け止めてやっからよ。身体を起こし、両手を広げたキースが言う。ガストは躊躇わずにその腕の中に身を投じた。
「俺も、キースのことが好きだ」
「おう」
「俺より大人っぽくて余裕そうなところも」
 ぎゅう、と、キースの身体に抱きつく。
「俺が好みそうな酒をわざわざ用意して飲みに誘ってくれるところも」
「一緒に酒を飲んでる時に、幸せそうに笑うところも」
「ビリヤードしてる時の真剣な顔も」
「普段はだらだらしてるのに、戦うと強いところも」
「俺が落ち込んでたら、何も言わずに側に居てくれるところも」
「優しく撫でてくれる掌も」
 ちゅ、と、今度はガストからキスをする。拙い動きを、キースは邪魔せずに受け入れる。
「キスが上手いところも」
「二人で寝た時、朝まで抱き締めててくれるところも」
「俺を受け入れて、許して、側に居てくれるところも……大好きだ」
 言うが早いか、かちりと錠の開く音がした。今ならば外に出られるのだろう。それでも、二人は抱き合ったまま動かない。
「キース、大好きだ」
「オレもだぜ、ガスト」
 二人の赤い頬が触れ合う。お互いの体温が混じり合って溶けてしまいそうな、心地よさに、ふ、と息をつく。
「……もう少しこのままでいるか」
「そうしようぜ、ちょっとだけなら平気だろ」
 二人はぼすりとベッドに寝転がった。まるで子供のようにきゃらきゃらと笑い合いながら、靴を脱いだ脚を絡める。
「好きだぜ」
「好きだ」
 少し前まで照れくさかった言葉が、今は迷いなく言える。その事実がなんとも嬉しくて、ガストはキースをぎゅっと抱き締めた。キースは空いた手でガストの頭を撫でてくれる。幸せだ。幸せだ。それはきっとキースもそうで。そうであることがとても幸せだ。
 あと少し、もう少しだけ。言い訳をしながら、二人は幸せな時間を貪った。
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