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キスガス

 キースは恋人から感じる僅かな違和感に、気がつきながらも触れられないでいた。
 軍とHELIOSの衝突が解決し、数日が経ったころ。久方ぶりに二人きりの時間が取れたキースとガストは、キースの自宅へと訪れていた。
 経緯が経緯なだけに最初は二人ともぎこちなくやりとりしていたが、しばらくすればそれなりにいつもの調子へと戻っていく。しかしそれでも色濃く感じる違和感に、キースはどうしたものかとこっそりため息をついた。
 ガストは二人きりの時、どちらかといえば触れられるのを好むタイプであったと、キースは記憶している。にも関わらず、今日のガストは何かと理由をつけて、キースとのスキンシップを躱しつづけているのだ。常とは異なる態度に引っ掛かりを覚えはするが、あれだけのことがあったのだ。まだ触れられたいという気分にはならないのだろうと自分を納得させる。
「じゃあ、俺はソファで寝るから、お前はここ使えよ」
深夜、お互いにシャワーを浴びた後、ガストをベッドルームに案内してキースは言う。客間を用意してやれればよかったのだが、生憎キースの自宅には客人の寝床として貸してやれそうなスペースはなかった。
「えっ、俺だけベッド使うわけにいかねえだろ」
「いーのいーの。遠慮せず使っとけ」
「俺が使わせてもらうにしろ、前みたいに一緒に使えばいいだろ」
 お前が触れられたくなさそうにしているから別々に寝ようとしているんだ、と、素直に伝えてもいいものかキースは迷った。下手な伝え方をすればガストを傷つけるかもしれない。けれど、付け焼き刃の言い訳ではガストを納得させることは出来なさそうだ。考えた末に、キースは素直に考えていることを伝えることにした。
「お前、なんか今日は触って欲しくなさそうだったから。一緒に寝ると否が応でも触ることになっちまうだろ」
 告げると、ガストは酷く傷ついた顔をする。やはり傷つけてしまった。どうフォローしようかと口を開く前に、ガストが意を決したように言った。
「……気を遣わせちまってごめん。ちゃんと説明するから、聞いてくれないか」
 痛々しいほどの切実な眼差しに、キースは頷いた。

 二人でベッドの上に腰を落ち着けた後、ガストは躊躇いながらも、身に纏った部屋着を脱ぎ落とした。その身体を見て、キースは思わず眉根を寄せる。
 程よく鍛えられた身体は、未だ癒えぬ生傷に覆われていた。サブスタンスが停止している間に傷を負ったせいだろうか、いつもなら2、3日経てば消えているだろう痣や擦り傷が、毒々しくその存在を主張している。
「体がこんなんだから、触られるとまだ痛みがあるところもあるんだ。キースに言うと気を遣わせちまいそうだから隠してたけど、逆に嫌な思いさせちまって………ごめんな」
 ガストが自嘲気味に笑う。彼が父親に『回収』された後のことはぼんやりとは聞いていたが、まさかこれほどまでに酷かったとは。キースの拳に知らずに力が籠る。
 その反応をどう受け取ったのか、ガストの肩が揺れ、僅かな怯えが表情に浮かぶ。キースはこれ以上怯えさせないようにと、努めて優しい手つきでガストの頭を撫でた。
「大丈夫だ」
 大丈夫。呟きながら、何度も掌でキャラメル色の髪を撫でる。ガストの身体から力が抜けたのを見計らって、キースはガストに聞いた。
「触ってもいいか」
「………………あ、ああ」
 逡巡の後に、ガストはこくりと頷く。できるだけ痛みを与えぬよう気をつけながら、胸の痣に指を添わせる。痛かっただろう。辛かっただろう。たったひとり、抵抗も出来ずに暴力を振るわれ続けた恋人を想って、激情がキースを支配しそうになる。なんとかそれを振り払って、キースはそっと青黒い傷跡に唇を寄せた。
「……っ!」
「嫌か?」
「い、嫌じゃない、けど」
「そうか。もし嫌だと思ったら言えよ」
 ガストに確認してから、次は別の傷跡にキスを落とす。色を伴ったものではない、ただ労わるための行為。胸から腹、腕、脚、と、全ての傷を上書きするように、丁寧に丁寧に触れていく。身体の傷も、心の傷も、一刻でも早く癒えて欲しいと、願いを込めて。すると、微かな嗚咽が耳を掠めた。顔を上げてガストを見れば、その翠玉の瞳からは隠しきれない涙が溢れていた。慌ててガストの身体から離れ、謝罪の言葉を口にする。
「悪い、もうしねえから」
「や、違、俺………っ」
 ガストは離れようとするキースの掌を引き留め、自分の頬に添える。
「キースが、俺のこと、大事にしてくれてるんだって、実感して、それで……」
 途切れ途切れになりながらも、ガストは自分の想いを吐露していく。言葉と共に流れ続ける涙。キースは我慢出来ずにガストを抱き締めた。
「ガスト……!」
「キース、ありがとう。ありがとうな」
 涙声で言いながら、ガストはキースの背に縋る。離れないでと、言外に伝えてくる仕草に応えようと、キースは抱き締める腕の力を強くした。
「なあ、キース、ひとつだけワガママ言ってもいいか?」
 しばらく寄り添っていると、ガストがぽつりと呟く。
「おう、いいぞ。何でも言ってくれ」
 自分にできることなら何でも叶えてやりたい。キースは一旦身体を離して、真剣な表情でガストを見る。そんなキースに、ガストは少し気恥ずかしそうに告げた。
「その、ここにもキスして欲しいんだけど」
 言いながら指し示すのはまだ触れていない場所。いじらしいその様子に胸を締め付けられながら、キースはガストの唇に自らの唇を重ねた。柔らかく、温かく、少しだけ塩辛い唇に何度もキスを繰り返す。ガストはそれを甘受しながら、幸せそうにとろりと笑った。
(ああ、やっぱりこいつにはこの顔の方が似合う)
 強がって悪人を気取るより、どうにもできない現実に打ちひしがれて涙するより、幸せそうな笑顔が一番似合う。もう二度とこの笑顔を失わせないようにと胸中で誓いながら、キースは再びキスを落とした。
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