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キスガス

「別れよう」
 震える唇で紡がれた予想していた言葉に、キースは僅かに目を細めた。
 ガストのスパイ行為発覚に端を発した軍部とHELIOSの衝突が解決し、ガストは処分を受けることにはなったものの、無事ヒーローとして13期研修チームに戻ってきた。
 そんな矢先に誘われた二人きりの飲み会。深刻そうな色を宿す瞳を見たその時に、キースはガストの目的を察していた。
「一応聞くけど、理由は?」
 努めて冷静な声音で問いかける。ガストは何度か言葉に迷ってから、ぽつぽつと話し始めた。
「……俺は、HELIOSを裏切った」
「ああ」
「嘘をついて、皆を傷つけた。キースのことも」
「……ああ」
「こんな俺より、キースを大事にしてくれる相手がいると思うんだ。だから」
「…………」
 はあ、と、思わずため息が漏れる。それをどう解釈したのか、ガストの肩がびくりと大きく揺れた。キースはじとりとした眼差しでガストを見ながら、一息に言い切った。
「よし却下」
「へ?」
 予想外の言葉だったのか、ガストが間の抜けた声を上げた。先ほどまでの深刻な様子が薄れ、きょとりと疑問符を浮かべた表情のガスト。畳み掛けるようにキースが言葉を続ける。
「お前が本気でオレに嫌気が差したっていうなら仕方ねえ。だから話だけは聞くかと思って今回の誘いを受けたんだ」
 だけどなあ。呆れと苛立ちを声に乗せる。
「理由が『オレのため』なんて言うんだったら、絶対別れてなんかやるもんか」
「えっ」
 再びガストが短く声を上げる。キースがすんなり別れ話に乗ってくると思っていたのだろう。その表情からは困惑が見てとれた。
(別れるのを拒否されるなんて思ってなかった、って顔だな)
 そんなに自分は薄情に見えていただろうか。それとも、ガストの自己嫌悪の強さ故か。
(どっちにしろ腹が立つ)
 キースはガストの肩を掴み、揺れる瞳をしっかりと見据える。
「お前がやったことはお前がちゃんと自分でケリをつけた。お前のことを裏切り者だって後ろ指指す連中がいたって、オレには関係ない。それが理由でお前と別れるなんて認めねえ」
「でも」
「『でも』も『だって』もねえんだよ」
 ぐっ、と、衝動のままにガストを抱きしめた。腕の中で逃れようともがくのを、逃すものかと力を強くする。
「そうやって自分を卑下して、騙して、欲しいものを諦めるのばっかり上手くなりやがって」
 本来与えられるべきものを与えられなかったこども。傷つけられ続けてきたその心。守りたい、と強く思う。
「本音を言えよ、ガスト。お前が心の底から望んでることを」
 ガストはしばらくもがいていた。離せ、とか、嫌だ、とか、心にもない拒絶の言葉を吐いて、逃げようとする。独りになろうとする。しかしそれを無視して抱きしめ続けていれば、最後には諦めたのか、ぽろり、と言葉が疲れ果てた口からこぼれ落ちた。
「俺だって、別れたくねえ、けど」
 やっと溢れた本音は涙に濡れていた。泣き出さないように堪えながら、ガストが呟く。
「俺は、目的のためなら平気で嘘をつける人間だ。平気で人を傷つけられる人間なんだよ。そんな俺がキースの側にいたら、また傷つけるかもしれないだろ」
 だから、嫌なんだ。と、ガストは言った。
「もう俺のせいで大切なものが傷つくのは………嫌なんだよ」
 キースの服を握る手が震えている。キースは腕の力を緩めて、ガストの背と頭にそっと手のひらを添えた。緊張で強張った背を撫で、キャラメル色の髪を梳く。長い間手入れができていなかったのだろう。最後に撫でた時よりも少しばかり傷んだ髪がキースの指に絡みついた。それをゆっくりと解しながら、穏やかな声で告げる。
「簡単に傷がつくほど柔じゃねえよ。それに、またお前が誰かを傷つけなきゃならなくなった時はちゃんと止めてやる」
 仲間で、メンターで、恋人だからな。言い聞かせるように囁いて、額に口付けを落とす。
「だから、オレを信じて甘えてこい」
 閉ざされかけた心に届けと、思いを込めて。
「お前がどんなに甘えても、ワガママ言っても、ちゃんとオレが受け止めるから。な?ガスト」
 あいしてる。普段なら気恥ずかしさで形にしない言葉を、今日限りはまっすぐ口にする。それがきっかけだったのか、撫で続けている背が不規則に揺れはじめ、ガストが顔を埋める肩口に、じんわりと濡れた感触が広がっていく。
 キースは震えるガストの身体を抱きながら、ただゆっくりとその背を撫でた。

     ◆◆◆

『ガストの様子はどうですか』
 スマートフォン越しに、落ち着いた声が鼓膜を揺らす。
「泣き疲れて寝てるよ。意地っ張りだから、吐き出させるまでにちょっと手間取ったけどな」
『それは何よりです』
 普段は感情が読み取れないヴィクターの声だが、今は少しばかり安堵が伺える。自分が言えた口ではないが、メンターらしくなったもんだと胸中でひとりごちる。
『私達相手ではまだ遠慮してしまうようですからね。ガストのメンタルケアには貴方が適任です』
「褒めても何も出ねえぞ。あとお前らの方でもフォロー頼むぞ。こういうタイミングならともかく、仕事中に一番こいつを支えられるのはお前らなんだから」
『言われなくてもわかってる』
 不機嫌そうな声が会話に割って入ってきた。横で聞いていたのだろう。マリオンは念を押すように言った。
『今回はガストのためのことだったから仕方ないけど………オマエがもし別の理由でガストを泣かせることになったら、思いっきり鞭打ちしてやるから覚悟しろ』
「へいへい、肝に銘じますよ。それじゃああんまり横で喋ってるとガストが起きちまうから、切るな」
『ええ、おやすみなさい、キース』
 おやすみ、と挨拶を返して電話を切る。ぎい、とベッドを軋ませながら振り返れば、安らかな表情で寝息を立てるガストがそこにいた。悪夢は見ていないようだ。安堵しながら、先ほどの二人との会話を思い返す。
「よかったな。ガスト。お前、大事にされてんぞ」
 本人はまだ認めようとしないだろうが、ノースセクターのメンバーも、他の第13期研修チームの面々も……もちろんキースも、それぞれにガストのことを大切に思っている。
「だから、お前も自分を大事にしていけるように、一緒に考えていこうな」
 告げながら、起こさないようにそっと唇を重ねる。涙に濡れた少し塩辛い味がした。
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