短編3
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正直、期待していなかったと言えば嘘になる。彼女の豊かな胸が自身の右手に窮屈そうに押し付けられる妄想だって何十回とした。そして、頼りになる恋人を演出する為に台詞だって一通りは考えてきた。
『君にはおれがついてる』
『もし、幽霊が出ても君を守るよ』
『幽霊だって君の美しさの前じゃ、形無しさ』
何パターンと台詞を考え、澄ましたキメ顔で彼女を救う準備は万全だった。なのに、結局は台詞も差し出した腕も全てが無駄になった。
「あまり怖くなかったわね」
彼女はサンジが淹れてくれたココアに口を付けながら、あっけらかんとした様子で感想を語る。ホラー映画を見ている最中だって彼女は叫び声の一つも上げずに、あら、バレバレね、と幽霊の脅かしポイントを暴き、サンジの期待を華麗にスルーしていった。ホラー映画はカップルの仲を深めるというが、深まったのは彼女のホラー耐性が高いという認識だけだ。
バスタオルや化粧水を抱えて風呂場に向かう彼女、その華奢な背中を見送りながらサンジは一つ溜息を溢す。一緒に風呂に入るなんて夢は呆気なく崩れ去り、リビングにはサンジと空になったマグカップだけが取り残されている。
「……このままにしとくわけにもいかねェか」
サンジはテレビに繋いだままの映画のサブスクリプションアプリを切ると空になったマグカップを持ってキッチンに向かう。流し台にマグカップを置いて、慣れた手付きで底にこびり付いたココアの汚れを落としていくサンジ。普段よりも強めに出した流水は自身の穢(よご)れとも呼べる下心も一緒に洗い流してくれればいいのに、とサンジはまた溜息を溢した。
「サンジ」
流しに叩き付けるように流れる水の音に紛れた自身を呼ぶ声。他人が聞けば都合のいい幻聴と流してしまうような小さな声だ。だが、サンジは女性、それが愛しい恋人である女性なら尚更だ。掻き消されてしまうような小さな呼び声でもサンジの耳はその声を拾う。
「ナマエちゃん……っ……!」
手に付いた泡を洗い流す事も忘れて、サンジはキッチンを飛び出した。あんなに弱々しい声で自身を呼ぶという事は何かが起こったに違いないとサンジは風呂場に続く廊下を急ぎ足で進む。
サンジはこういう場面でも勢いに任せて扉を開けるような男ではない。彼女を怖がらせないように脱衣場の扉をノックして彼女の気配が無い事を確認してから扉を横に引く。そして、折り戸になったもう一つの曇り硝子をコンコンと二回ノックして、中にいる彼女に声を掛ける。
「ナマエちゃん?」
「……サンジ?」
中からチャプとお湯の揺れる音がする。湯船に入っているのなら冷えている心配は無いと頭の中にある彼女に関する心配事リストにチェックマークを入れていくサンジ。
「そう、君のサンジくんだよ。さっき、君に呼ばれた気がして来ちまったんだけど……何かあった?」
数秒の沈黙が二人の間に流れる。そんなに言い辛い事が起きたのだろうか、とサンジは頭に数個の可能性をポンポンと浮かべながら彼女の返事を待つ。
「何かあったわけじゃなくて……その、」
「うん」
「……映画の内容を思い出して怖くなっちゃったの」
へ、とサンジが漏らした気の抜けるような声に彼女は風呂の中で顔を覆う。その顔が赤いのは熱いからではなく、恥ずかしさのせいだ。サンジはこの機会を逃すわけには、と先程までのマナーや紳士さをかなぐり捨てて折り戸に手を伸ばす。シャツなどの衣服はそのままで靴下は裏返しのまま脱衣場の床に転がっている。
「おれがいるからもう大丈夫」
濁った白い湯の中で膝を抱える彼女の頭をポンポンと叩いて、サンジは目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「……濡れちゃうわよ」
「いいよ、別に」
おいで、と腕を広げたサンジに彼女はぎゅっと抱きつく。シャツ越しに触れた女体の柔らかさにサンジは思わずだらしのない顔になる。
「ふふ、酷い顔」
「え!?そこから見えてねェよな!?」
「カマをかけただけなんだけど」
彼女は顔を上げて情けない顔をしているサンジの鼻の下を指でなぞる。伸び過ぎよ、と笑う彼女の可愛らしい顔の下には見事な谷間が覗く。
「っ、やべ」
彼女の指を汚さないように仰け反ったサンジの鼻からは血が垂れる。刺激的な白肌がサンジの目を焼くように輝く、風呂場の暖かみがあるオレンジライトの下で見る彼女の体は普段と違った色気がある。
「さっきの映画ぐらい惨事ね」
タイルに垂れた鼻血を見つめながら彼女は肩を竦める。だが、彼女から恐怖を忘れさせるには十分の光景だった。