短編3
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引き出物が入った大きな紙袋を玄関に置き、慣れない高さのパンプスを脱ぎ捨てる。疲れ切った足首をぐるりと一度だけ回して、リビングまで続く廊下を進む。どうやら同居人はお風呂に入っているようだ、風呂場のタイルの上を跳ねる水音をBGMに首や腕についた華奢なアクセサリーをゆっくりと外していく。そして、アクセサリーを外し終えたらサンジに選んで貰った淡い色のドレスを皺にならない間に脱いでハンガーに掛ける。そして、着古したスウェットに着替え、コンタクトを外す。化粧はお風呂で落とせばいいか、と後回しにして顔に掛かる鬱陶しい巻き髪を後ろにひと括りにすれば、やっと一息つける。
座りっぱなしで固まった体を解すように背中の筋をグッと伸ばす。そうすれば、濡れた髪をタオルで拭いたサンジがペタペタと足音を立てながらリビングに入ってくる。ただいま、と声を掛ければ水浴びをした犬のように散らかった前髪の隙間から碧が覗き、驚いた様にこちらを向く。
「おかえり、あれ?二次会も行くって言ってたよね?」
サンジはテーブルの上に置いてあるデジタル時計と私の顔を見比べて、あれ?と首を傾げる。二次会にしては随分と早い時間に帰って来た私が不思議なのだろう。
「はーい、二次会より恋人を優先しました」
おちゃらけるように声を弾ませてそう伝えれば、サンジの口角は上がりっぱなしだ。
「そんなに会いたかった?」
「ノーコメント」
つれない一言を寄越せば、ソファの背にサンジの長い腕が置かれる。そして、もう片方の空いた手で私の顔を固定して落ちかけの口紅をサンジの真っさらな唇が攫っていく。顔に落ちてくる水滴が冷たくて雑にサンジの顔を押し返しても中々、唇は離れてはくれない。
「……バウムクーヘンあげないんだから」
「あはは、引き出物の王道だ」
おれが作るバウムクーヘンとどっちが美味ェかな、と分かりきった事を言うサンジはリビングと繋がっているキッチンに向かうと棚の中で仲良く並んでいるカップを取り出して手慣れた動きで珈琲を淹れていく。
「お茶会でもどうかな、レディ」
「……時計の針を何度が巻き戻さなきゃいけないわね」
「たまの悪ィ事には目を瞑ろうぜ?」
器用に片目を閉じたサンジはそう言って私の手渡した箱の中からバウムクーヘンを取り出す。
「なら、そんな丁寧じゃなくてもいいんじゃない?」
サンジの手から包丁を奪い取ってバウムクーヘンを大雑把に二等分にする。そして、バウムクーヘンの半分を手で掴むとサンジの口に持っていく。
「こっちの方が悪い事してるみたいじゃない?」
「確かに」
「洗い物が増えない事だけが良い事ね」
豪快にバウムクーヘンに齧り付くサンジ。リスのように膨れた二つの頬袋は髭面のくせに愛らしくて堪らない、どこかマスコットキャラクターのようにも見えて私の胸に愛しさが湧き上がる。
「うまっ」
そう言うとサンジは口の水分を取り戻すように珈琲を口に含む。そして、同じくリスのように膨らんだ私の頬をつんつんと指で突いて、可愛い、食べちゃいたい、と甘ったるい一言を口から溢す。
「知ってるわ」
自意識過剰な返事に嫌な顔もせずにサンジはニコニコと笑っている。サンジが放つ「可愛い」を否定すれば数百倍になった褒め言葉が返ってくる事を数年の経験から理解している私は否定をしなくなった、早めに解放されたいという理由もあるがサンジの言葉は嫌味がなく本心だと分かるからだ。
「新郎の友達よりサンジの方が格好良くて帰って来ちゃった」
「……あっちの野郎が格好良かったら行ってた?」
「そうね」
「っ、くく、酷ェ女。おれはこんなに君が好きなのに」
戯れるようにソファに座り込み、サンジは言葉とは裏腹に楽しげな笑みを浮かべている。そんなサンジの左手を手に取り、薬指をなぞる私。
「でも、指輪をはめたいと思うのはあなたの指だけ」
「君がくれるの?」
「私のモノって印になるでしょ」
「ワーオ、大胆なレディだ」
大袈裟なリアクションをするサンジの横で少しばかりの反省会を実施する、反省の対象は自身の余裕の無さだ。今もこの先もずっと一緒にいられるという不思議な安心感がある、それでも絶対と言い切れない不安も同じくらいある。だから、時々こうやって約束という縛りが欲しいと願ってしまうのだ。
「……なぁに、笑ってるの」
「だって、先にプロポーズされちまった。こっちはシチュエーションを数十パターン用意して、指輪すら部屋で寝かせてんのにさ……っ、はは、君はスウェット姿で片手にバウムクーヘン持ちながら私のモノって宣言してくんだぜ?誰が聞いても最高だろ」
「……指輪あるの?」
「半年温めた指輪がね」
サンジは私の薬指をトントンと指でノックする。場所はリビング、装いはスーツとワンピースではなく着古したスウェットとシャツとスラックス、サプライズなんて物は勿論無い。
「まだ空いてるかい?」
「あなたの為に空けてるのよ」
お互い日常を着て抱き合う。この見慣れたリビングが神聖な場所のように感じられて笑ってしまう程だ。格好悪さも馬鹿らしさも愛の前ではそれすらも良い味を出す。バウムクーヘンの幾重にも重なった生地のように甘くて先の長い一生を誓い合うように顔を近付けてキスをする。チャペルで見た誓いのキスをなぞるようにくっつけた唇はもう幸せの味を知っていた。