短編3
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「魅力的な呼び方だけど上に睨まれたらレディ達といられなくなっちまうからサンジ先生って呼んでくれたら嬉しいな」
その発言は大丈夫なのかと以前から常々思ってはいるが未だにクビを切られていない時点でこの発言は許容範囲内なのだろう。軟派な見た目にお洒落なスーツ、そして煙草と薄い香水の香り。野郎には厳しく、レディには甘いと噂されるこの男は結局、男子にも女子にも甘い人気の教師であった。そして、私が身分不相応な恋心を向けている相手でもあった。今だってサンジ先生、サンジ先生と女子に囲まれている先生の背中を窓際の席から頬杖をついて眺めては馬鹿みたいに心臓を煩くさせている。残念ながらあの中に混じる事も割って入る事も今の私には出来ない。教室の喧騒に紛れるような音量で、サンジくん、と名前を呼んでみた。ここならきっと聞こえる筈も無いから怒られる事も無いだろうと窓から丸っこい金髪を見つめていれば、惹き付けられるような碧がこちらを見上げてくる。そして、くしゃりと笑って口パクで私の名前を呼ぶ先生。
『サンジくん聞いてるー?』
「おれはレディの声を聞き逃したりしねェよ」
先程よりもボリュームを上げたのは私に聞かせる為だと思ってもいいのだろうか。熱くなってきた頬を冷やすように机に頬を預けて私は顔を腕で覆った。不良教師め、と心で悪態をつきながら先程の無邪気な笑みを何度も脳内で再生する。
「サンジくん」
「サンジ先生だよ、レディ」
「……先生のことが好き」
年の差、ましてや教師と生徒、それは恋ではなく憧れだ、と幼い恋心を拒絶するのがきっと模範解答であり教師として在るべき姿だ。なのに、先生は戯言のような私の告白に教師としては許容範囲外であろう約束を取り付けてきた。
「君が卒業して世間を知っておれとは違う男と付き合って、それでもおれがいいと思ったら取り返しにおいで。それまでこれは預かっておくね」
西日が差し込む人気の無い教室で先生は頬を濡らした私の頭をポンポンと叩き、君の恋心とここで待ってるね、と笑った。
「世間を知って男を知っておれの事を綺麗な青春の思い出にするならそれでもいいよ。だけど、無理に君の感情を殺したりするのは駄目だ」
自分の心を大切に、と先生は最後に私の肩に手を置いて教室から出て行った。その時の私は暫く動けずにいた、先生の言葉を何度も繰り返しては自身にまだチャンスがある事に言葉にならない喜びを感じていた。
――――
あの告白から私と先生は何も変わらなかった。廊下で会えば挨拶を交わして、卒業式の後は無難に写真を撮ってお世話になりましたと一言だけを残して別れた。私は先生の言った通りのシナリオを歩むように社会に出て、先生以外の男を知ってまたスタート地点に戻って来た。学生時代の友人の一人に強請って先生の連絡先をゲットした私は数年ぶりに先生と会う約束を取り付けた。
私が指定した場所は個室の居酒屋だった。あの日の続きを誰かに聞かせる気は無かったからだ、他人にも知り合いにもあの青春の美しい一頁に触れて欲しく無かった。先に席に着いていた先生はグラスを傾けながら煙草を燻らせていた、煙草を持った手を軽く上げて変わらない甘い笑みで私を迎え入れた先生。お互いの近況を交換しながら私はあの話を切り出す機会を伺う。だが、話を先に切り出したのは先生からだった。先生はグラスの中身を一気に飲み干すと、私の手の甲に触れた。
「先生……?」
「もう、おれは君の思い出になっちまった?」
数年越しに会って変わる事が怖かった、思い出のまま綺麗に自身の胸だけに保管しておく事だって出来た筈だ。
「私ね、ちゃんと他の人と付き合ったよ。あの頃よりも広い世界に出て、一人で生きていく方法だって分かった」
「ん、流石ナマエちゃん」
花丸だ、と先生の長い指が宙に花丸を描く。
「……先生の花丸、好きだったなぁ」
「花丸?」
「先生の眉毛みたいで可愛い」
金髪の隙間から覗く先生の特徴的な眉毛の上を指でぐるぐるとなぞる。おれの眉毛は花丸じゃありません、と先生は私の指をぎゅっと握ったままそのままテーブルに自身の手を乗せた。
「……先生って誰にでもこういう事するの?」
「こういう事って?」
「手を握ったり、思わせぶりな事を言ってみたり色々」
先生の場合、キスが挨拶と言われたって信じてしまいそうだ。その口も手も声帯もレディの為だけについていると豪語していた姿を見た事がある。あの時は皆、サンジくんらしいと笑っていたが私だけはその土俵に上がりたくて仕方が無かった。
「……大人は厄介なんだ、逃げ道を作らねェと前に進めねェの」
実際はさ、難しい事なんていらねェのにな、と先生は私の手を解放してグラスに口付ける。
「おれは何年掛かっても君の恋心と待ってるよ」
今、君が思い出にしてェっていうならこの預けた恋心だけおれに頂戴、そう言って先生はあの時と同じ表情で笑った。個室の居酒屋が西日の差し込む教室に見えるのは自身の思い出補正か瞳から流れる熱い物のせいだろうか。揺れる視界の中で先生を見つめれば、先生の腕がこちらに伸びてくる。
「すき、です。先生」
「魅力的な呼び方だけど上に睨まれたら君といられなくなっちまうからサンジくんって呼んでくれたら嬉しいな、ナマエちゃん」