短編2
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
よーい、ドン、と間抜けな掛け声と共に彼女はサンジをその場に放置して走り出した。は、とサンジは口を半開きにし、少しずつ離れて行く彼女の背中を見つめる。
「は!?」
我に返ったサンジは手に持ったままだった小さな箱をジャケットのポケットに突っ込むとその長い脚を利用して彼女の背中を全力で追い掛ける。彼女の足元にチラリと視線を向け、サンジは心配そうに眉を下げる。あんな高いヒールで全力で走ったりなんかしたら彼女の白魚のような足が傷付いてしまうのでは、とサンジは的外れな心配をしながら彼女の名前を呼ぶ。サンジの声に反応した彼女はもう一段階スピードを上げると人波を掻き分けてサンジから逃れようとする。
右に左に上に下、彼女の逃げ足と隠れる技術に翻弄されながらもサンジはやっと彼女の右手を掴む。よろけた彼女の手を自身の方に引いて、その華奢な体を腕に抱く。
「捕まえた」
何時何分、ナマエちゃんを逮捕、そんな巫山戯た台詞を吐きながらサンジは汗が滲んだ額を手の甲で拭った。
「捕まっちゃった」
「逃げ足が早ェ泥棒だ」
「何も盗んでないわよ」
「おれの心を盗んだくせによく言うよ」
サンジはそう言って未だに息が整っていない彼女の背中を優しく撫でる。あんなに全力で走るからだよ、とド正論をかますサンジは先程の花畑のような台詞を吐いた人間とは同一人物には見えない。
「だって、」
「ん?」
「……今日のあなた、やけに気合いが入っているんだもの」
普段よりも念入りにセットされた髪型にいつかの白スーツ、サングラスはサニーで留守番なのか空の碧さを映したような碧眼が丸出しになり、やけにキラキラと陽の光を反射させている。
「特別な日にするつもりだからね」
彼女は特別な日の意味を理解している、逃げる数分前にサンジは白いスラックスが汚れる事も気にせずにその場に跪いて彼女の前に小さな箱を差し出した。その箱の中身なんて開かなくても分かる、きっと自身の左手の薬指を彩る輪っかが納まっている筈だと彼女は瞬時に理解する。理解した途端に彼女の足はサンジから離れるように走り出していた、嫌だったわけではない。ただ、心の準備をしたかったのだ。このキメキメのサンジに対してかプロポーズに対してか、それとも両方。
「そんな素振りしてなかったじゃない」
「考えてはいたよ」
「いつから?」
「君と出逢って直ぐに確信したんだ。きっと、この子がおれの帰る場所になるって」
サンジは明日の天気を話すようにのほほんと穏やかな笑みを浮かべる、付き合う前から未来を確信しているだなんて如何かしていると彼女は肩を竦めるがその反応だってサンジからしたら想像の範囲内なのだろう。
「それにおれは君の帰る場所になりてェ」
サニーだって帰る場所である事は変わりない。だが、サンジはお互いの元に帰りたいと言う。きっと、サンジなら這ってでも彼女の元に辿り着くだろう。たった一言のおかえりを聞く為に地獄からでも這い上がって来そうだ。サンジはポケットからベルベットの箱を取り出す、中からは陽の光に反射してキラキラと輝きを放つ指輪が一つ出てくる。
「指輪一つで今までの関係が変わるわけでもねェけどさ、虫除け程度にはなると思うよ」
それにこの指輪は君にしか似合わねェ、とサンジは彼女の薬指に指輪を通す。
「ピッタリ……」
「驚いた?」
「今日はずっと驚きっぱなしよ」
彼女は自身の指にはまった指輪に視線を移す、ただのアクセサリーとは呼べないその指輪の重みを確認するように。
「プロポーズの言葉さ、沢山考えたんだ」
「えぇ」
「でも、どれもピンと来ねェの」
サンジはそう言って困ったように笑うと彼女の左手を自身の顔の前に持っていき、祈るようにその手に額を触れさせる。
「一日一日を大切に君と些細な幸せを探したい。道端の花を一本、また一本集めながら最後に大きな花束を抱えて幸せだったねって言えるような人生を君と歩みたい」
今はそう思っているよ、とサンジは彼女の左手に触れるだけのキスを落とす。一日一つの些細な幸せは何でもいい、彼女とする些細なやり取り、先程した結果が見える鬼ごっこ、彼女の一挙一動がサンジに幸せをもたらす。
「きっと、最後には持ち切れないわ」
「幸せ過ぎて?」
「だって、サンジといて不幸せだった事なんてないもの」
「はは、今はどんな気分?」
花畑を見つけた気分よ、そう言って彼女はサンジの首に腕を回す。一日に一つの些細な幸せはもう既に大きな幸せとして二人の間に存在し、満開に花を咲かしているのだった。