短編2
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床を叩くように落ちた真珠は私の目から溢れた涙だ、今まで我慢していた涙はまあるく形を成して床に溢れる。通常の人間なら価値のある真珠に目を奪われて、自身の衣服のポケットに無我夢中で真珠を拾う。だが、目の前の男は焦った顔をして私の赤くなった目尻に手を伸ばす。痛くないかい、と自身が傷を負ったかのような顔で的外れな心配を繰り返す。
「……拾わなくていいの?」
人魚の涙は価値があるものよ、と床を汚す真珠を指差しても男の手は真珠に伸ばされる事なく、私の真珠になる前の涙を一生懸命に拭っている。
「おれには君の笑顔の方が価値があるよ」
「そう言って騙すのが人間のやり方でしょ……?」
一部分だけ剥がれた鱗は直ぐには再生されない、髪と同じようなものだ。数ミリずつ、時間を掛けてやっと元に戻る。
「君を傷付けた人間は誰かな?」
「さぁ、あなたが全員その素敵な足で蹴っちゃったから分からないわ」
「おれは足癖が悪いんだ」
でもね、手癖は悪くねェの、そう言って男は金髪を揺らして私の瞳から溢れた真珠を足で踏み潰す。
「バレたくねェんだろ?レディの秘密」
男の言葉に反射的に頷けば、男は私の答えを知っていたかのようにニヤリと笑い、畏まりました、レディ、と私を抱き上げてステップを踏むように真珠を踏み潰していく。粉状になったそれは風に吹かれた砂のように、宙に流れる。
「……あなたって何者?」
「君が心底嫌いであろう海賊」
「海から出た事がない私でも分かるわ、それが冗談だって」
海賊は野蛮だ、金に目を眩ませて人魚をオークションにかけるような連中しかいない。そういう連中は私が札束にでも見えているのだろうか。
「はは、怖がられるよりマシか」
男は私を抱き上げたまま、半壊してしまったオークション会場から出る。半壊した原因を作ったのはこの男だが、私を抱き上げる腕は先程見た荒々しさからは想像出来ない程に優しい。肩に掛けられたジャケットからは嗅いだ事の無い不思議な香りがして、つい、くんくんと鼻を鳴らしてしまう。
「……もしかして、臭ェ?」
「不思議な匂いがする」
「あ、もしかして煙草かな」
「煙草って何」
外の世界を知りたいという好奇心は昔から消えはしない。ただ、外の世界の怖さを知らずに生きれる程、子供でもない。風に晒される度に痛む鱗を指で撫でて、私は再度、男の顔に視線を移した。
海辺の砂に男の足跡が付く、男の足跡の横に並べる小さな足跡はどんな人なのだろう。私みたいにヒレなんて付いていない二つに別れた足、踵が高い靴の音を鳴らしてこの男と歩ける女性はきっと幸せなのだろう。何故、そんな事を考えたのか自身にも分からない。ただ、一瞬だけ羨ましいと思ってしまったのだ。夢を見る前に海に戻るべきだと頭から信号が送られてくる。なのに、体は海に戻りたくないとでも言うように男の腕の中に収まっている。涙が真珠になるのなら、その碧眼だって海になったらいいのに。男の瞳から溢れた涙の中をスイスイと自慢のヒレで泳いで、また会えたわね、と笑い掛ける自身を想像したら胸が痛んだ。
男は裾が濡れるのも気にせずに海の中に入る、段々と深さは増して男は腰まで海に浸かっている。そして、傷付いた鱗を労るようにゆっくりと私を海に還す。
「もう捕まっちゃ駄目だよ」
「……えぇ、助けてくれてありがとう」
最後は呆気無いものだ。今日出会ったばかりの他人と感動的な別れなんてある筈がないのに何を期待しているんだ、と自嘲が漏れる。それを隠すように口角を綺麗に上げて、さようなら、と泡(あぶく)を立てながら私は海に潜る。碧の境界線は人魚と人間の間に立ち塞がり、もう出会う事の無い二人を引き剥がす。
なのに、視界いっぱいに金色が飛び込んでくる。派手な音を立てて水面が揺らぎ、海の奥底に向かおうとしていた私の体は男の腕の中に戻っていた。
「……っ、もう、何してるの!」
水面から顔を出して声を荒げる私に涼しい顔をして男は濡れた金髪を掻き上げ、そして、くしゃりと笑った。
「海から略奪してもいいかい?」
「は」
「言ったろ、海賊だって」
勿論、欲しいのは真珠じゃなくて君だけど、そう言って男は私の頬に手を伸ばす。
「……捕まっちゃ駄目って言ったくせに」
「おれ以外にはね」
砂の上に跡を付ける足は無い、ダンスでステップを踏む足も無ければ、踵が高いお洒落な靴で駆け寄る事も出来ない。私が逃げられるのは海の中だけだ、なのにヒレは止まったまま逃げる事をやめてしまった。
「やっぱり、海賊なんて嫌いだわ」
男を海に引っ張り込み、その見開いた碧に告げる。
「……泳いであげてもいいわよ、あなたの海の中で」