短編2
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冷えた身体を自身の頼りない腕で抱く事しか出来無い彼女は、早く帰りたい、と周りにバレないように溜息を落とす。身の丈に合っていない仕事量は彼女の心に重しとなり、ゆっくりと気力を奪っていく。だが、他人に頼るわけにも丸投げするわけにもいかず、決まった時間に家を出て定時を超えた時間に会社を出る日々を送っている。毎日、玄関先で彼女を出迎えているサンジは彼女の糸が切れてしまう日が近い事を察している。心配させまいと彼女が作る下手な笑みやワザとトーンを上げた彼女の疲れた声、それらに触れてしまったら彼女は操る人間がいなくなった人形のように倒れ込んでしまいそうだ。
玄関の扉が開く音がして、次に聞こえるのは愛しい声。通常の彼女の声色とも無理に発した声でも無い低くて暗い音がする。ただいま、と笑った顔にサンジは拳をギュっと握って、おかえり、と努めて優しい声を出した。無理して笑わなくていいよ、と喉元まで上がってきた言葉を我慢して彼女のコートやバッグを受け取るサンジ。
「風呂沸いてるよ」
ちゃんと温まっておいで、と彼女の小さな背中に声を掛ければ先程よりも少しだけ柔らかな声が返ってくる。
「サンジママ、ありがとう」
「髭面のママでいいのかい、レディ?」
くすくすと肩を揺らしながらサンジが用意したタオルと着替えを受け取る彼女にサンジは自身の胸をほっと撫で下ろす。彼女の萎れた顔を見る度に、誰に何を言われた、君にそんな顔をさせる原因は何だ、仕事なんて辞めちまえ、と彼女の肩を掴み、全てを聞き出して元凶である仕事を消してしまいたくなると言えば彼女はどんな顔をするのだろうか。サンジは物騒な考えを振り払うように首を左右に振るとサンジの内心にまったく気付いていない彼女の頭をポンポンと撫で、キッチンに戻る。
冷蔵庫を開けて、じゃがいも、玉ねぎ、人参、ブロッコリー、ウィンナーを取り出してまな板の上で順番に切っていくサンジ。この時のポイントは野菜を大きめに切る事だ、彼女はスープより具材そのものの味を楽しみたい人であるとサンジはこの数年で理解していた。鍋に水とコンソメを入れて、ウィンナーとブロッコリー以外の食材を鍋に加え、十五分程度煮る。その間に自身が焼いたバケットを食べやすいサイズに切り、皿に並べていく。グツグツと煮える鍋の中を確認し、残しておいたウィンナーとブロッコリーを加えて、さらに五分煮る。彼女が風呂から上がってくる頃には野菜達がくったりとして良い具合になる筈だ。彼女は忙しくなってくると食事の進みが悪くなってくる、全く食べられないわけではないがスープやサンドイッチなどの軽食の方が進みが良い。
ポトフの優しい匂いに鼻をクンクンと動かした彼女は髪の毛も乾かさずに脱衣所を飛び出した。そして、キッチンに立って鍋をぐるぐるとかき混ぜるサンジの背中に抱き着いた。
「ナマエちゃん髪の毛」
「乾かしてくださーい」
大人の仮面を疲れと一緒にシャワーで流してしまった彼女はサンジに甘えるようにそう言うと濡れた髪の隙間からサンジを見上げる。
「ナマエちゃん検定一級のおれはそう来ると思ってドライヤーを用意してました。どう?すごい?」
鍋の火を止めたサンジは彼女の手を引いて、リビングに向かうと机に置かれたドライヤーをジャーンと見せびらかす。
「私もサンジくん検定受けたい」
「っ、くく、超難問しか出ねェのに大丈夫かい?」
「どんな?」
「おれの好きな人は誰とか」
彼女は腕を組んでワザと悩む素振りをする。そして、当たってるかは分からないんだけど、と前置きを残して答えを口にする。
「私」
「んふ、正解♡」
ドライヤーの騒音にかき消されないように二人は少しだけ張った声で話す。彼女はバカップルのような会話を交わしながらサンジの大きな骨張った手で髪を撫でるように乾かされるのは嫌いでは無かった。サンジから与えられる安心感のお陰か彼女の口は通常よりもお喋りになる。
「……たまにね、辞めちゃいたいなーって思う時があるの」
仕事、と小さな声で彼女は溢す。忙しさは少しずつ彼女の肩に重しとして乗り掛かり、その身体を潰そうとする。
「君は頑張り屋だから無理してねェか時々、不安になる」
「大人だもん、無理でもやらなくちゃ」
「……ここはそうだねって言わなくちゃいけねェんだろうけどさ、おれは大人の前に君の恋人でママだから無理してる君を見過ごすワケにはいかねェの」
サンジは乾いた彼女の髪にオイルを揉み込み、完成、とその肩をポンと叩く。立ち上がったサンジはドライヤーを片しながら、座ったままの彼女に手を差し出す。
「だけど、君は辞めねェんだろ?」
「……うん」
「なら、おれは頑張り屋な君のサポートに回るよ」
君が明日も立てるように、そう言ってサンジは彼女の手を引いてキッチンに向かう。キッチンで待つ野菜がくたくたになったポトフとバケット。そして、その後はサンジのめいいっぱいの甘やかしが彼女を待っている。
「私を甘やかす検定でもある?」
「そっちは自前だよ」
「自前」
君が大切だから甘くなっちまうの、と穏やかな笑みを浮かべるサンジに彼女の身体に纏わり付く疲れという重しが少しだけ軽くなるのだった。