短編2
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「帰る方法が分かったの」
固まるサンジを無視して彼女はボストンバッグに少ない私物を入れていく。迷いのない手付きは別れを惜しんでいるようには見えない、彼女にとっての半年はサンジが思っているよりも価値が無いものだったのかもしれない。
「だから、お別れね。サンジ」
随分と一方的だ、普段の彼女らしくない物言いにサンジは疑問を抱くが元の世界に帰れるとなれば今の態度だって間違いではない。慣れ親しんだ平和な世界と彼女にとっては恐怖でしかないこの世界、天秤に掛けたところで答えは一目瞭然だ。どれだけ善良ぶったってサンジ達は海賊だ、賞金が掛かった輩でしかないのだ。
「……そっか」
帰っちまうのか、とサンジの口から静かな声が溢れる。床に寝そべって嫌だ、嫌だ、と騒げたらどんなに良かっただろうか。成人男性が駄々をこねる姿を見て、彼女の気持ちが変わるとは思っていないが少しの時間稼ぎにはなったかもしれない。
「ルフィには言ったのかい」
「……えぇ」
「あいつ嫌がっただろう?」
「行くなですって、私は元々あっちの人間なのにおかしな事を言うわ」
それぐらい皆、君が好きだったんだよ、そう言って彼女の荷造りを手伝うサンジ。
「(……勿論、おれが一番だけど)」
サンジはそれ以上、口を開く事は無かった。口にしてしまえば未練がましく彼女を引き止めてしまう自信があったからだ。
「明日には海賊卒業よ」
平凡な女に戻るわ、そう言って長い髪を掻き上げる彼女は魚人島で出会ったマーメイドのように美しい。戻るのが海と言われたってサンジはきっと信じてしまうだろう、その脚がヒレになったって何もおかしくはない。違う世界で生きていくより海の泡になってくれた方が何倍もマシだ。海で生きている限り、彼女と共に生きていけるから。
「……体には気を付けて」
「あなたも煙草の本数を減らしてね」
彼女の可愛らしい小言は今日で最後だ、隠れて吸う必要も無い。
『あ、また吸ってる!』
『さっきのは食後の一服で今はおやつみてェなもんだよ、レディ』
『一日何箱空にすれば気が済むの』
『君がキスしてくれたら二箱ぐれェは減るんじゃねェかな』
そう言って目を瞑ってサンジが屈めば、彼女の不器用な唇がサンジの唇からちょっとズレた場所に着地する。
『っ、くく、おれの唇はもっと右だよ』
サンジは場所を修正するように彼女の唇に自身の唇を押し付けた。自身の唇とは違って柔らかい唇、煙草の苦味が得意じゃないのか最後まで彼女のキス顔はしかめっ面だった。
『苦くて最低』
『そのうち、最高になるよ』
キスは変わらず最低のままだ、そのうちなんて悠長にしている場合では無かったとサンジは新しい煙草に火を付ける。
「言ってる傍から吸わないで」
「君も吸う?最後だし」
「遠慮するわ、あなたを忘れられなくなる」
「……あぁ、そうだね」
おれを未練にして欲しい、と言えない代わりにサンジは嫌がらせのように彼女の顔に煙草の煙を吹き掛けた。ケホ、と噎せる彼女に心の篭っていない謝罪を一つ寄越してサンジは普段よりも味気無い一本を味わう。
「最低」
「……そのうち最高になるよ」
君は惜しい事をしたね、最高なおれを見逃すんだから、と冗談めかして本音を溢せば、荷造りをしていた手を止めて彼女は鋭い目付きでサンジを睨む。そして、あろうことか手元のボストンバッグをサンジの顔めがけて投げ付けてきた。反射的に煙草を持った手を上に掲げて、顔でボストンバッグを受け止めるサンジ。
「そんな顔するなら行くなって言いなさいよ!」
ちゃんと止めてよ、と彼女はサンジのジャケットの襟を勢いよく掴むと声を張り上げる。
「……言えるわけねェだろ」
サンジは襟を掴む彼女の手の上に自身の手を乗せ、彼女の怒りを沈めるように手をポンポンと叩く。
「平和な世界で笑ってて欲しい、傷なんて知らなくていい。海賊なんて君には似合わねェよ、ナマエちゃん」
頭を自身の方に引き寄せ、サンジは彼女の唇の端に口付けを落とす。
「……私の唇はもっと右よ」
あの時と違うのは彼女のしかめっ面が解け、互いの頬が濡れている事だけだろうか。唇の隙間にぽつり、ぽつりと落ちてくる涙には目を瞑って口付けを続行する二人。
「最低だ、君を忘れられなくなっちまう」
彼女の肩に顔を埋めてサンジは湿っぽい声を出す、綺麗事を言っておきながら結局は我慢出来ずに情けない姿を晒してしまう。
「……君のボストンバッグにおれを詰めて行って」
「重いからパス」
「ちゃんと自分で歩くよ」
「なら、いいわよ」
「…………嘘だ、本当は君に行って欲しくねェ。君がいなくなったら間違いなく煙草の本数は増えるし君の幻覚と幻聴に悩まされて船を降ろされるかもね」
可哀想だと思うならおれとここにいて、と暴君のような言葉で彼女を引き留めようとするサンジ。
「さっきの言葉は強がりかしら?」
「……そうだよ、本音はこっち」
ボストンバッグの中身は飛び散り、サンジの周りに広がっている。サンジのぐちゃぐちゃに散らかった本音を形にしたような散らかり様だ。
「帰る方法が見つかったのは本当よ」
「……うん」
「でもね、あなたが止めてくれたら帰らないつもりだった。なのに、サンジったら死にそうな顔で最後の別れみたいな事ばかり言うんだもの、嫌になっちゃうわ」
「……試したのかい?」
彼女はサンジの涙を拭って首を左右に降る。
「賭けたのよ、二人の未来を」
「たまに大胆な賭けに出るのは君の悪癖だ」
「だって、海賊だもの」
そう言って彼女はサンジの知らない顔をして笑う。平凡な女でも泡になるマーメイドでもなく、その顔は間違いなくこの世界を生きる海賊の顔だった。