短編2
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いつの間にか日課になっていた寝る前のハグ、ハグ三十秒で三割のストレスが減るというのはどうやら本当らしい。それに気付いたのは彼女と離れて二日目の夜だった、思っていたよりも毎日のハグはサンジにとって特別なものになっていた。彼女が足りないと枕を抱きしても背中に回す腕が生えてくる事は無い、彼女のふわりと香るシャンプーの香りも漂って来ない。この虚しい現状こそがサンジにとっては特大のストレスだ、スマートフォンの小さい画面に写る彼女の写真を抱き締めてもこんなに小さければ自分自身を抱き締めているようで気色が悪い。短くなった煙草を灰皿に押し付けて、また新しい煙草に火をつけるサンジ。ゴミ箱には空のケースが数箱転がり、テーブルの脇には自棄を起こして空けた酒の缶が並んでいる。
ソファに寝そべって両腕で顔を覆うサンジ。今頃、友達と楽しくやっているであろう彼女を想像して勝手に涙が溢れてくる。交友関係の邪魔をしたいわけでも縛り付けたいわけでも無い。ただ、この家はサンジ一人には広過ぎるのだ。脱力した声を出しながらクッションに顔を埋めていればテーブルの上に置いたスマートフォンが震える。タイミングの悪さに顔を顰めたサンジは舌打ちを一つ溢す。
「ったく、野郎だったらオロしてやる」
だが、サンジの予想を裏切るようにスマートフォンの画面に表示されたのは目に入れても痛くない程に可愛い彼女の名前だった。サンジは急いで通話を繋ぐと二日ぶりに彼女の名前を呼ぶ。
「ナマエちゃん……!」
「ふふ、勢いが凄い」
「君から掛かってくると思ってなかったから嬉しくて」
彼女も酒を飲んでいるのか普段よりも口調が甘い、舌っ足らずとまではいかないがフワフワとした口調が可愛くてサンジの顔は簡単に緩んでしまう。
「お友達は?」
「みんな飲むだけ飲んで寝ちゃったわ」
「君も早く休むんだよ?」
「……飲んだら寂しくなっちゃった」
サンジからのハグが欲しくて電話したの、と彼女は言う。ひょんな事から始めたハグという行為はサンジにとっても彼女にとってもいつしか特別なものになっていた。
「エアーハグしちまう?」
「しちまう」
「なぁに、おれの真似かい?」
そうよ、と笑いながら彼女は顔が映るようにスマートフォンをセットしてボタンを押す。そうすれば、お互いの顔が画面に映し出される。
「……二日で可愛くなり過ぎじゃねェか」
頭を抱えるサンジにくすくすと笑いながら彼女はサンジの後ろに映るテーブルに視線を寄越す。元々、綺麗好きのサンジは滅多な事では部屋を汚さない。同棲する前にサンジが住んでいた独り暮らしのマンションは彼女に言わせればまるでモデルルームのような綺麗さだった。なのに、サンジの後ろに映ったテーブルは煙草の箱がタワーを作り、灰皿の上では吸い殻が山を作っている。その横には空き缶が並んで自堕落の極みのような背景が広がっている。
「サンジ」
「ん?」
「後ろが賑やかね」
後ろ?と首を傾げたサンジは振り返った途端、ロボットのようにぎこちない動きでスマートフォンの位置を変える。君は何も見てねェ、と言われたってもう誤魔化しは効かない。
「サンジも寂しかった?」
「……あの悲惨な背景が答えだよ」
サンジはそう言って画面外の汚れたテーブルを顎で指す。口はへの字に曲がり、バツが悪そうだ。
「サンジ、ぎゅーっ」
宿の浴衣を身に纏った彼女が画面越しにサンジをハグする。自分自身を抱き締めているような形で触れる事だって出来ないのにこんなにも愛しい。サンジも彼女の方に腕を伸ばして、強く抱き締める。合わさった視線は甘く、互いを見つめている。
「君の可愛い顔が丸見えだ」
彼女は照れ臭そうに前髪をいじり、視線を逸らす。そんな彼女が愛しくて、またサンジの口元が緩んだ。
「……明日、帰ったらエアじゃないやつして」
「三十秒じゃ済まねェけどいいかい?」
「いつもじゃない」
三十秒で終わった事なんて無い、ハグをしたままダラダラと互いを補給して同じベッドに寝転ぶのだ。そして、彼女の腕だけが離れてそのままサンジは彼女を抱き締めて眠りにつく。
「あんなにくっついてもまだ足んねェよ」
「欲しがりさんめ」
「君に対しては妥協出来ねェの」
そう言ってサンジは彼女代わりのクッションを抱き締める、自身の煙草の匂いが染み付いてしまったカバーは明日の彼女とどこか重なるのだった。