短編2
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明日、サンジに別れを告げようと思う。今まで秘密裏に計画していた事をついに実行に移す時が来ただけだ。ただ、それだけの話だ。四年、四年付き合った。短くは無いサンジの時間を私は貰ったのだ。もう、それだけで私は一生分の財産を貰った気持ちでいた。女好きが四年も一人の女を一途に愛してくれただけで十分だと私は自分自身に言い聞かせる。
十代最後の年に私はサンジのものになった、サンジは二十一歳。私の二つ上だった、たったの二歳差で何かが変わるわけでも無かったが今のサンジは二十五歳。今が幸せだったらいい、そんな都合の良い言葉が通用する年齢のリミットは確実に近付いていた。海賊の分際で、と言われてしまうかもしれないが今の私はこの関係がサンジの幸せに繋がっている自信が無かった。サンジがオールブルーを見つけ、三十歳、四十歳になった時、隣にいるのは私じゃなくていい。いつか終わりが来る事を知っていた、サンジが未来を見つめる横で私は二人の分岐点を見つめていたのだ。その分岐点がようやく訪れただけ、ただそれだけだ。なのに、何で今更こんなに苦しいのだろうか。キュッと心臓を握られるような感覚に私は顔を顰めた。
「……ここで眠っても?」
「おいで、子守唄ぐれェしかあげられねェけど」
見張り台に上がり、今日の当番であるサンジの隣に持参したブランケットを巻いて座り込む。サンジは少しだけ体温が低い、冬島では寒いとサンジの腕を押し退けた記憶すらある。あの時の私は酷く惜しい事をした、いつか触れられなくなる日が来るのなら後悔しない選択をするべきだった。
「ナマエちゃん」
「なぁに」
「んーん、ただ呼んだだけ」
サンジの手が私の顎を持ち上げて、やがてちゅっという可愛らしい音を立てながら柔らかいものが唇に触れる。啄むような口付けを繰り返してサンジは穏やかな声でもう一度、私の名前を口にした。
「いい夢を」
耳元で囁かれる事もこれが最後になる、キスだってもう二度とされる事は無い。違う誰かにキスをするサンジを遠目に見ながら私は今日を後悔するのだ。もっと味わっておけば良かった、と。
「おやすみ、サンジ」
サンジの顔を見上げて、その横顔を見納める。褒め言葉か貶し言葉か分からない感想を抱き締めながら私は瞼を閉じる。嘘、本当は世界で一番格好良かった。グルグルと巻く眉毛だってサンジにはよく似合っていたし本人が気にしている童顔だって愛おしかった。四年という月日は自身が思っていたよりも色々な思い出を私に残していたらしい。思い出したって明日は変わらないのに二人で見た星空や真夜中のキッチンでの逢瀬だとか他にも沢山、瞼の裏をスライドショーのようにその場面が通り過ぎていく。幸せを滲ませないように、私は涙を堪えてブランケットに顔を埋めた。抱き寄せられた肩に気付かないフリをしてサンジの紡ぐ子守唄に意識をゆっくりと沈ませるのだった。
――――
瞼の隙間から陽の光が差し込んでくる感覚に意識を浮上させる、目を慣らすように瞬きを繰り返せば知らない天井がそこにはあった。見張り台でも女部屋でもない、見知らぬ天井。まだ寝ぼけているのだろうかと目を擦ってみても、やはり目の前の天井は変わらず部屋を見渡しても見知らぬ背景が広がっているだけだった。それに隣に「何か」が寝ているのだ、何かの正体はきっとサンジだ。断定出来ないのは目の前のサンジが私の知っている姿とは違うからだ。三十を優に越した皺が刻まれた顔、カーテンの隙間から覗き込む陽の光が照らす金髪も嫌味な程の天使の輪も何も変わらない。伸ばしているのか今の私と変わらない長さをした髪に触れれば、特徴的な眉毛が変わらずに二つある。その下の重そうな瞼も寝起き特有のボサついた髭もサンジの面影が至る所に感じられる、大人になったサンジ、それが一番しっくりと来る表現だろうか。この年齢のサンジの横にはきっと私はいない、私の計画通りに進んでいれば私はサンジの前から上手く消える事が出来た筈だ。感傷的になりそうな気持ちを抑え込んでその金髪をゆったりと撫でていれば、微動だにしなかったサンジの瞼がゆったりと開く。サンジと同じ碧眼が碧をくすませる事なく顔を出した、歳を重ねても美しい碧に私の視界が揺れる。
「朝よ、サンジ」
「……は?」
とろんと垂れていた瞳を全開に開いたサンジは数回瞬きを繰り返し、半開きの口から情けない一音を溢した。
「……ッ、女神が天使になってる」
相変わらずなサンジに笑いが込み上げる、どの時代のサンジも私を笑わせる天才なのだ。これに幾度と私は助けられてきた。
サンジが淹れた紅茶を飲みながらお互いの認識を整理していく、そうしている内に様々な事が浮き彫りになる。ここが二十年後の未来で目の前のサンジは四十五歳だという事。そして、この家はサンジの職場兼自宅らしい。一階はレストランで二階は自宅、今は海賊ではないらしい。大きな怪我で引退したわけでも仲違いをしたわけでもないと笑うサンジに私はホッと胸を撫で下ろした。だが、先程からチラチラと覗くシルバーが私の息を詰まらせる。控えめな輝きが視界を焼くように光を放つ。
「結婚、したんだ」
震えないように指先に意識を集中してカップを持つ、自身の傷に塩を塗るような行為に何の意味も無いと知りながら私の口は余計な事を聞き出そうとする。
「あぁ、もう随分と昔にね」
「幸せそうな顔しちゃって」
かつて愛した男が永遠を手に入れたというのに私は上手く笑えずにいる。ナマエちゃん、と呼ばれて前を向けばサンジの愛に溢れた瞳と視線が重なる。
「分岐点なんておれ達には必要ねェよ」
「へ」
「一本道を今の彼と信じて歩いてやってくれねェかな?」
そしたら、また此処に辿り着く、とサンジは頬を濡らす私の無意識の涙を指で掬った。恥や外聞なんて今の私にはどうでも良かった。
「……私でいいの」
「十年以上言い続けてもう口癖の域さ」
おれはナマエちゃんじゃなきゃ幸せになれねェんだ、とサンジは蹲った私を抱き締めると背中を優しく擦ってくれる。
「っ、ひっく……ばか……」
「馬鹿でいいよ、君に対して利口に振る舞えた事なんてねェもん」
そう言ってサンジは私を抱き上げて子供をあやすように身体を揺らす。降ってきたキスを避ける事なく受け入れて相変わらずの苦いのか甘いのか分からないキスに酔う。見張り台でしたキスにはどうやら長編の続きが待っているらしい。じんわりと心に熱が戻っていく、ここに来る前に感じた静けさも感傷も今の私には無かった。
「未来は明るいよ」
目の前にあったサンジの顔が瞼によって遮られる、急に感じた強烈な眠気は私を元の場所に戻そうとしているのか瞼のカーテンを無理矢理閉じようとしている。うっすらと微笑むサンジの顔が瞼の向こうに消えて、私は意識を沈ませる。最後に香った煙草の香りは暗闇に堕ちていく私の背中をそっと押した。
ナマエちゃん、ナマエちゃん、と鼓膜を揺らす控えめな声に重たい瞼を開ければ見慣れたサンジがこちらを見て安心したように笑う。
「ねぇ、サンジ」
「どうかしたかい?」
未来は悪くないみたい、とサンジのネクタイを自身の方に引っ張りラブストーリーの続きを書き出す。キスをして、抱き合って、皺を数え合って、明るい未来に続く一本道を二人並んで歩んで行くのだった。