短編2
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「誰ですか」
抑揚の無い私の声が喧騒に飲まれる。だが、正面にいる男の耳にはしっかりと届いたのだろう。私は掴まれた手を払ってもう一番、その男に言葉を吐き捨てる。
「ナンパなら他所でやったらいかがですか」
「……っ、ちが、おれは」
「あなたとは会った事も無いですけど……」
それにそんな特徴的な眉毛一度見たら忘れないでしょ、と冷たく言い放てば男は寂しそうに笑った。今、会ったばかりだが器用な男だと思う。男は笑っているのに泣いているようにも見えた。
「昔にちゃんと会ってるよ」
「最近はそういう口説き文句が流行ってるの?」
「昔、うんと昔におれは……」
これ以上聞いていたって碌な返答は返って来ないだろう、男の妄言に付き合っている暇は今の私には無い。精神疾患でも持っているのだろう、と失礼ながらも自身の中で答えを出して私はその男に一方的に別れを告げる。
「でも、今は知らない人よ」
それにこれからも交わる事は無いわ、と背を向ける私に男は声を張り上げるわけでもなく柔らかな声で一言こう言った。おれは君を間違わねェよ、と。その声に呼ばれるように後ろを振り返れば男は煙草を持った手を軽く上げて逆方向に歩いて行く、人波に流されて行くその猫背に何故だが泣きたくなった。ただのナンパ野郎か精神疾患の患者だ、と突き放したのは私なのにこんな気持ちになるなんてどうかしている。
幼い頃から煙草の匂いに惹かれた、両親はどちらも喫煙者では無かったし周りの大人は誰も吸っていなかった。なのに、何故か懐かしいと感じてしまうのだ。二十歳になって直ぐに私はヘビースモーカーというものになった、味が好きなわけではない。ただ、安心感を得る為だけに肺を穢した。この匂いは私を護るものだと本気で考えていたのだ。今だって手放す事が出来ずに一日に数箱を消費する、指に馴染んだ煙草を咥えながら帰路を歩く。
数時間前に絡んできた男を脳内に浮かべる。嫌に記憶にこびり付いているのは彼からも同じ匂いがしたからだろうか。一日に数箱は消費しているであろうヤニの匂い。まだ、あのジッポを使っているのだろうか、と考えた所で私は正気に戻る。あのジッポとは何だ、何で私が彼のジッポを知っている、と自問自答を繰り返しても答えは出ない。だって、私と男は初対面だ、見ず知らずの他人。
「……なのに、何で」
私は彼のジッポを知っているのだろう、あの金色を。
数日が経ち、私は未だにあの男の事を考えている。そして、虫が良すぎると分かっていながらも男に会って話したいと思っている。
『おれは君を間違わねェよ』
こびり付いた記憶とこびり付いた言葉、そして私と同じ煙草の香り。もう一度、男に会えば私の何かが変わる気がした。ガードレールに座り込み煙草を消費していく私は通行人の背景だ、誰も私を気にしない。ナマエちゃんと私を呼んだあの声は今日も聞こえない、煙草の煙が滲みたのかツンと目の奥が痛んだ。
「一人で泣いちゃ駄目だよ、ナマエちゃん」
余計に寂しくなるから、そう言って私の前にしゃがみこんだのはあの男だった。
「それにもうこんな冷えちまってる」
遠慮がちに包まれた自身の左手。もう、それを振り払おうだなんて思っていなかった。
「……あなたは私を知ってるの」
「あぁ」
多分、世界で一番君を知ってるのはおれだぜ、なんて自信満々な答えが返ってくる。初対面の時とは違ってリラックスしたようなその素の表情につい笑ってしまう。
「ふふ、私は知らないのに?」
「……これから知ってくれる予定はある?」
「名前ぐらいならいいわよ」
「サンジ、サンジです!」
食い気味に飛んできた威勢の良い自己紹介に頷けば目の前にいる男の顔がへにゃりと安心したように緩んだ。
「サンジさんね」
煙を吐き出しながら冷えて来た身体を擦っていれば肩にサンジさんのジャケットが掛けられる。そして、近くのレストランを指差すサンジさん。
「あそこ、おれの店なんだけどさ。中で話さねェ?勿論、二人きりとは言わねェよ。君と話したい連中が山ほど居る」
「……連中?」
「美女二人とゴムと迷子マリモに長っ鼻、ロボにトナカイに骨に魚人」
長っ鼻まではスルー出来る。いや、ゴムは微妙だが後半はまるでサーカスの団員でも見せられるのだろうかという不安がある。
「トナカイ?骨?ロボ?魚人?」
「っ、くく、もうその姿じゃねェけどね。今はベビーフェイスの医学生にアフロのミュージシャン、変態な大工に空手の師範。みんな人間になっちまった」
喉を鳴らして笑うサンジさんは戸惑う私の腕を引いて歩き出す。何の集まりなの、とその背中に問い掛ければサンジさんは穏やかな笑みを浮かべてこちらを振り向いた。
「海賊で家族かな」
それを妄言だと笑う気にはなれず、私は黙ったままサンジさんの背中に着いて行く。
一軒のレストランの前に立ち止まったサンジさんはドアを開けて、こう口にした。
「オールブルーにようこそ、ナマエちゃん」
店の奥にはサンジさんが言うように沢山の人がいた。緑にオレンジ、水色に長っ鼻。そして、ニシシと無邪気に歯を出して笑う麦わら帽子。あぁ、私はこの人達を知っている。煙草の匂いに安心するのはうんと昔に護られていたからだ、このスーツ姿のコックに。そして、一生分の愛を教わったのだ。
「ナマエちゃん……?」
「サンジ……っ、私、知ってた」
あなたを知ってた、と泣きじゃくる私に釣られたのか目の前のサンジの顔がくしゃりと歪んだ。だが、その感動の場面を壊すように大あくびをしたゾロが放った一言でサンジの涙が引っ込む。
「テメェが忘れられてただけじゃねェか、アホコック」
「あァ!?」
ゾロに向かってメンチを切るサンジの背中に抱き着き、煙草の香りがするシャツに顔を埋めて息を吸い込む。やっと私は自分自身を知った、生きにくい世界で他人の物語の背景になっていた私の物語の一頁が今、開かれたのだった。
『匂いって記憶に残るわよね』
『ん?』
『煙草の匂いがしたら私はサンジを探すもの』
『おれは君がどんな香りを身に纏っていても探し出せるよ』
『ふふ、今の私はどんな香りがする?』
『おれに愛された香りがする』