短編2
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
一日だけという約束でバラティエを手伝う事になった経緯は単純に従業員数名の体調不良が重なったからだ、屈強な見た目とは違って彼らも季節の変わり目には弱いらしい。こんな忙しい時に、とグチグチと文句を垂らすサンジはこれでもかなり心配しているのだ。その証拠に癖の強い眉毛は吊り上がるどころか下がる一方だ、そんなサンジを横目に私は慣れない制服に身を包み、業務の確認をする。以前、レストランでバイトをしていた経験がここに来て役に立つのは有り難い。それに一日だけでもサンジと同じ職場で働けるのはとても光栄な事だ、仕事をしているサンジの横顔は何度見ても格好いい、上手くは言えないが職人の顔をしている。
以前、サンジに聞いた事がある。好きな物を仕事にして辛くないか、と。今だったら何て馬鹿な質問だと自身でも思うが、その頃の私は就職活動真っ只中で焦っていたのだ。将来への漠然とした不安を抱えながら自身よりも十歩先を歩いているようなサンジが眩しくて、時に腹立たしかった。
「おれにはこれしかねェから」
「消去法って事?」
サンジは静かに首を横に振り、私の言葉を否定する。
「一生続けてェって思えたのが料理だけだった」
料理に出会えた事は幸運な事だったよ、とサンジはへらりと笑い、そして、こう付け加えた。
「君に出会えた事もね」
後半はともかく、その時のサンジは格好良かった。勝手に置いて行かれた気になって腹を立てている私なんかよりもよっぽど大人だった。
初代オーナーからサンジに受け継がれた財産はこの店だった、時々下手な変装をして客として訪れるらしいゼフさんはサンジの親代わりなだけあってサンジに似ている。こういった不器用な優しさだったり、こちらがふわりと笑ってしまうようなお茶目さがよく似ている。
「ナマエちゃん?」
「ん?」
「ぼーっとしてたから、気になって」
何か分からない事があったら聞いてね、そう言ってサンジは私が書いたメモに視線を移す。昨日の時点で仕事の大まかな作業や工程の説明はサンジから受けている為、こうやって抜けが無いように私なりにまとめてきたのがこのメモだ。
「ただ、とっても良い店だなって思ってただけよ」
「……あァ、おれも毎朝来る度に実感するよ」
年季が入った椅子の笠木を指で撫でて、サンジは穏やかな笑みを浮かべる。
「ジジイに感謝だな」
「珍しく素直ね」
ゼフさんの前では幾つになっても反抗期のような態度を取るサンジ、口の悪さは元々だが不器用さに拍車がかかるのだ。だが、表情はいつだって満更でも無さそうでサンジの気持ちはゼフさんには全てバレてしまっている。
「だって、今は君しかいないから」
「あと数分で賑やかになるわよ」
「ゲッ」
「ふふ、そんな顔しないの」
ゼフさんの頃から変わらないバラティエのルールがある。ルールというと語弊があるが、サンジは幼い頃からその光景をきっと見ていたのだろう。誰よりも早く出勤し、愛情や感謝を持ってこの店を掃除するのだ。店内が汚れていなくても、どれだけ天気が荒れていようとサンジは薄暗い時間に家を出て、バラティエを磨く。
「てか、ナマエちゃん眠たくねェの?手伝いって言っても無理しなくていいからね」
「一緒に家を出て出勤出来る事なんて滅多に無い事だからワクワクしてるわ」
「おれはソワソワしてるよ」
おれの城におれの姫が来てくれるだなんて夢みたいだ、とサンジは磨いたばかりのピカピカの床の上でくるりとターンを決める。こんなに浮かれていて仕事は大丈夫なのか、と心配する気持ちは不思議と沸かない。だって、サンジは料理に対しては馬鹿が付くほど真面目で誠実だからだ。そこだけは断言出来る。
「ふふ」
「なぁに?」
「人を幸せにするのよ、あなたの料理は」
「そんな大層なもんじゃねェけどさ」
誰かの忘れられねェ味になれたらいいな、とサンジはエプロンの紐をグッと気合を入れるように結び直す。その横顔は職人でもあり、この城を動かす大きな歯車のようにも見えた。