短編2
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人間が最初に忘れるのは声だと聞いたが、きっと、あれは嘘だ。数日が経っても一年が経っても記憶の中ではサンジがお喋りを辞めない。何度、頭を振って追い出そうとしてもナマエちゃんと柔らかな声が記憶にしがみつく。そして、最後の台詞がリピート再生されるのだ。
『おれの我儘に付き合わせてごめんね』
どうやらサンジは特大の勘違いをしていたらしい、そして最後までその勘違いを拭えなかった私に落ち度がある。サンジは何も悪くない、あの時にちゃんと手を掴めていたらまたきっと何かが変わっていたのだろう。突然の別れ話に放心したままの私はサンジを引き止める事も出来ずに意識とは別に小さく頷いていた、ただ目の前の泣きそうな表情を見ていられなくて私は二人の問題から逃げ出したのだ。
『……サンジ』
『当分、君を愛したままでいる事を許してね』
おれは器用じゃねェから直ぐに割り切れねェんだ、と金髪をくしゃりと掻いたサンジは安心させるような笑みを残したまま席を立ち、私に背中を向けて歩いて行った。この一年で一生分の涙を流したと言っても過言では無い。泣く度に被害者面をしているようで自分自身が嫌になる、被害者は間違いなくサンジだ。言葉足らずでまったく自身からアクションを起こさない私に不安にならないわけがないのだ。私がそういう人間だと理解していても言葉にされない愛を永遠に信じれる程、サンジの頭はお花畑じゃない。自身をそこに置き換えられないのは言葉でも行動でもサンジは私が安心出来る程の愛をくれていたからだ。サンジの言った「当分」はいつまでなのだろう、それは三日だけかもしれないし今もまだ愛されている可能性だってある。この当分の期間が終わったらサンジはまた私以外と恋を始めるのだろうか、そして私が知らない愛し方でその子を抱くのだろう。
「いった…っ…」
揺れる頭と視界は二日酔いの合図だ、グッと締め付けてくるような痛みが走る頭を押さえながら私は辺りをキョロキョロと見渡す。そこは確かに知っている場所ではあるが自宅では無い。後ろを振り返れば、シーツに見覚えのある金髪が散らばっている。お互いに服は着ているが昨夜の記憶がまったく無い為、この状況の説明が欲しい。だが、説明が出来るのはサンジだけだ。その為にはサンジを起こさなければいけない。
「……サンジ」
サンジ、とその体を控えめに揺すればサンジの重たい瞼が持ち上がり変わらない三白眼が私を映す。
「頭痛くねェ……?大丈夫?」
下を向いたまま首を左右に振って、大丈夫と口にする。シーツにぽつり、ぽつりと雨粒が染み込む。この雨の発生地は私だ、情けない事に止む気配は無い。隣からシーツが擦れる音がする、そして一年前と変わらないサンジの優しい手が私の涙を一生懸命に拭う。だが、そんな事をされてしまうと私の馬鹿な涙腺は余計に雨漏りを起こす。
「……昨日の事、覚えてねェ感じ?」
頷いた私を責める事もせずにゆっくりと昨夜の事を説明してくれるサンジ。
「昨日、ナミさんが君をここに運んだ。君がおれの名前を呼びながら泣いてるから引き取れって言われて遅い時間だったから断るワケにもいかねェからさ」
「……迷惑かけてごめん」
「ってのは建前で、本当は期待した」
そう言ってサンジは昨夜の種明かしをしていく。酔った私に襲われたフリでもして弱みに漬け込んでやろうかと思った事。だが、酔った私が愛おしそうに自身の名前を何度も口にするから結局何も出来ずに此処に居る事。
「……何でおれを呼んだの、レディ」
私はサンジの泣きそうな表情が苦手だった。だって、私ではその涙を止める最善の方法が分からなかったから。
「まだ、吹っ切れてないから」
ここで好きだの愛してるだの甘い言葉を言える程、私は出来た人間じゃない。それでも何もしないままサンジを泣かすのはもう嫌だった。
「……っ、まだ、好きなの」
押し倒す勢いでサンジに飛び付けば、突然の私の行動に目を見開いたサンジがベッドに背中を預ける状態で倒れ込む。
「よ、弱味に漬け込んでいいからもう一度だけチャンスを頂戴」
「……何で戻って来ちまうの」
腕をクロスにして自身の顔を隠してしまうサンジ、表情は分からないが鼻を啜る音だけが聞こえる。
「二度目は君が呆れるくらい縛っちまう自信がある」
「うん」
「……君が得意じゃねェって知ってるのに甘い言葉を強請るかもよ」
「うん」
サンジは顔から片腕を外して私の腕を空いた手で掴む。そして、倒れ込む私を二つの腕で抱き寄せた。
「もう死んでも離してやれねェかも」
「それでもいいよ」
二人一緒なら、と私は久しぶりのサンジのぬくもりに身を沈める。記憶にしがみついた声はやっと新しい声に上書きされた。
「……絶対ェ離してやらねェ」
痛い程の抱擁が嬉しかった。ぴったりとくっつく体はあるべき場所に帰って来た安心感で力が抜けてしまう。
「サンジ」
「なぁに」
一番近くで名前を呼べる幸福に気付くまでに一年が掛かった。随分と遅いな、と我ながら呆れてしまうが訪れたチャンスを棒に振るよりはマシだ。
「サンジ、愛してる」
らしくない言葉を二日酔いのせいにして私はもう一度その名前を呼んだ、一番愛している人の名前を一番近くで。