短編2
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私の中には二つの記憶がある、この平穏な日々を過ごす私の記憶と海賊として名を知られていたあの頃の記憶。後者の記憶は産声を上げた時点で脳味噌に詰まっていた。だが、この平穏な世界でそれを口にしたら異常者になる。全身がゴムの船長もトナカイの姿をした医者もこの世界では空想の産物にされてしまうのだ。だから、私はもう一つの記憶に鍵を掛けた。誰にも荒らされないように誰にも知られないように口を閉ざし、普通の女の子として成長した。そして、人知れず海賊になった年齢を待ち侘びながらあと二年、あと一年、と私は時が進むのをずっと待っていた。
「サンジに会いたい」
この世に生を受けた時、回らない舌で話し方も分からない幼い口で必死にサンジの名を呼んだ。実際は言葉にならない騒音を立てながら手足をジタバタと跳ねさせただけだが、私はあの日からずっとサンジを探している。だが、海賊になった年齢になってもサンジは現れなかった、あのお伽噺のような眉毛も陽の光を沢山集めたような金髪も私の世界にはいつまで経っても現れなかった。また一年、また二年、諦めきれずに似た背中を探してしまう。青いシャツ、煙草の香り、革靴を鳴らす音、こだわりの髭、歳を重ねて伸ばした髪、目を閉じても浮かぶ過去に苦笑いを溢す。あの、グローブの下に隠れた手が食材を選ぶのが好きだった。私の身体を愛撫する指先に背中が震えた。私に愛を教えたのはサンジだ、生まれ変わっても変わらずに身も心も渡したいと思えたのはサンジだったからだ。
「……もう埋まっちゃったかしら」
見つかってもいない、それにこの世界に存在しているかも分からない相手の恋人の枠を想像して悲しくなるのはもう癖のようなものだ。
レディは運命を信じるかい、と目の前に跪いた男から私は目が離せなくなっている。街中でそんな馬鹿な事をする男なんて私は一人しか知らない。お伽噺のような眉毛に陽の光を集めたような金髪、そして嫌味な程に似合うスーツ。
「……っ、運命だったから出会えたんじゃない?」
「はは、今のグッと来た」
私の濡れた頬を拭うサンジの手は水仕事をしているせいか相変わらずカサついていた。
「……運命にしては、その、おれ……ちょっとばかし歳食っちまってんだけど、まだセーフかな?」
「妻子とかいない?大丈夫?」
初めて会った時はお互い十代だった、二十歳を前にした大人ぶりたい子供だった私達。だが、今は私が二十代、サンジはきっとアラフォーというやつだろう。
「君のこと探してて恋愛なんてまともにしてきてねェんだけど、逆に大丈夫かい?引かねェ?」
「あの女好きのサンジが?」
「……前だって君一筋だったもん」
鼻の下は伸ばしてたでしょ、とその伸びた髪を引っ張れば、サンジは誤魔化すように目を逸らした。
「っ、ふふ、今回は私だけ?」
「今回も!」
サンジが不誠実な真似をしない事なんて誰よりも知っている、サンジはそのチャラついた態度や見た目とは違って愛に夢を見ている。お伽噺のような純愛を信じて、砂糖菓子のような愛し方をする男だ。
「サンジは変わらないわね」
「……君は意地悪になった」
そんな所も可愛い、と相変わらずの可愛い可愛い攻撃を受けながら私はサンジのシャツに顔を埋めるように抱き着いた。
「相変わらず良い身体」
「君専用だよ」
「相変わらず煙草臭い」
「君とのキスが恋しくて本数が増えた」
「私ね、ずっと記憶があるの」
「……おれも産まれた瞬間に思い出して、」
君を呼んだ、大人には泣き声にしか聞こえなかったかもしれねェがおれはずっと君を呼んでたよ、とサンジは私の頭を撫でる。
「ナマエちゃん」
「なぁに」
ただ、呼んだだけ、そう言ったサンジの声は少しだけ震えていた。それに気付かないフリをして私もサンジの名前を呼ぶ。愛しい三文字に愛が産声を上げた、やっとこの世界で息が出来るような気がした。