短編2
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遠距離恋愛とは恋人同士の居住地の物理的距離が離れた状態での恋愛関係を指す、どの程度の距離が遠距離と呼ばれるかは具体的な定義は無いらしい。
「まだ遠距離恋愛の真っ只中だよ」
私達も、そう言って右ばかりが埋まったメッセージアプリのトーク画面を見つめる。
『やばい、忘れ物した』
『今日はキャベツが安かった』
『迎えに来てよ、サンジ』
『……会いたい、ばか』
一日一通、寂しさに呑み込まれる前に一行日記のようなメッセージを送る。それに既読が付く事も無ければ、メッセージに返信が返ってくる事も無い。そもそも、サンジがいる場所には電波があるのだろうか。サンジが此処にいる間に聞いておけば良かった事が山程ある、電波の有無に料理のレシピ、そして、サンジがいる次元に飛ぶ方法。二次元と三次元の遠距離恋愛、ここだけ見れば心配されてしまいそうだ。だが、数週間前までサンジは確かにこの場所で息をしていた。知名度抜群の某海賊漫画の世界から落ちて来たサンジ、何で私の所に、という疑問は未だに消えないがきっとサンジに答えを聞けばこう返ってくる筈だ。運命だよ、と。
『これ、連絡出来ないと不便だから』
『電伝虫みたいなものかな?』
『そうそう』
サンジは興味深そうに薄っぺらい端末を覗き込みながら、こっちの方が電伝虫よりクールだね、と小さな笑みを溢した。
『これで日中も君とやり取り出来る?』
『……うわ』
何で嫌そうなの、とぶすくれる成人男性が可愛い事なんてサンジが来るまで知らなかった。私の肩を左右に揺らしながら鬼のような量のメッセージを送ろうとしているサンジの頭を力加減した手で叩く。
『仕事で返せない時もあるの』
『それは十分承知してるよ。おれが君に会えねェのが寂しいから送るのも、駄目……?』
計画なのか、それとも天然なのか。サンジという人間は漫画で描かれているよりも可愛らしく一途な人間だった。確かに目をハートにしてテレビ画面に映る女優に愛を叫んでいる日も無いわけでは無い。だが、作中で書かれている見境が無い女好きの一面とはまだ出会っていない。
『好きにして』
パァ、と花が咲くように顔を輝かせたサンジは何度も頷くと両手で文字を打ち込んで私に初めてのメッセージを送ってきた。
『だいすき』
『……はいはい』
未だに私がこのメッセージをスクリーンショットして持っていると言ったらサンジは笑ってくれるだろうか。言うのが遅ェよ、ナマエちゃん、と顔を赤らめてその口から直接だいすきが聞ける可能性だってある。
サンジに用件を送れば、数秒で既読が付き、長ったらしい愛の言葉と申し訳程度の用件への返事が返ってきた。
『洗濯取り込んで欲しかっただけなんだけど』
『なぁに、帰りたくなっちゃった?』
『そうだよ、サンジのせいだ』
雨のせいにでもすれば良かったのにあの時の私はらしくない文章を打ち込み、悩む過程すら吹っ飛ばして送信ボタンを押していた。
『迎えに行くから帰りの時間だけ教えて』
サンジのメッセージからは声が聞こえる。穏やかで包み込むような優しいザラついた低音。
『十九時に駅』
『おめかしして行くね』
『スーパーなら行ってあげる、コンビニでも可』
『君となら何処でも構わねェよ』
私が右を埋めたらサンジが左を埋める、そんな当たり前がただ幸せだった。照れた私が返事を放棄すれば左がラブソングのような言葉で埋まっていく。作詞家にでもなればいいのに、と独り言を漏らした私はこの時間の終わりに気付いていなかった。
『サンジ着いてる?』
『どこ』
『もしかして迷ってる?』
『そういうのはゾロの仕事じゃない?』
『ねぇ、サンジ』
『何で既読付けてくれないの』
右ばかりが埋まったトーク画面を開きながら私は最寄り駅を彷徨った。可能性には初めから気付いていたがサンジに甘やかされた心がそれを拒否する、浮かんだ可能性を頭の隅に追いやって私は金髪頭を探した。
『遅くなって悪ィ』
『来る途中でレディが困ってて』
そんなサンジの言い訳を期待していた。だが、数時間経ってもサンジは来なかった。人も疎らになった駅の構内で泣き腫らしたような顔をした私だけが異質だった。
『わたしがまいごだよ』
その日から私は迷子のまま、左が埋まるのを待っている。
『サンジ』
『返事しろ、馬鹿』
『ねぇ』
『だいすき』
もうサンジの愛の言葉は暗記してしまった、ラブソングの一文を当てろと言われたらきっと私が優勝だ。それに遠距離恋愛の遠距離さで言ったって私を越える女はいない。
軽快な音がベッドに放ったスマートフォンから鳴る。サンジがいた頃は頻繁に鳴っていた音だ、私は体を起こすと枕元のスマートフォンに手を伸ばす。メッセージアプリを開けば、そこには通知の数を上回るサンジの言葉が溢れていた。
『やばい、忘れ物した』
『おれが届けてやりてェ、君が困ってませんように』
『今日はキャベツが安かった』
『千切りはメシじゃねェからね』
『迎えに来てよ、サンジ』
『どこに行けばいいかな』
『……会いたい、ばか』
『おれも』
『返事しろ、馬鹿』
『いつもしてたよ』
『だいすき』
『スクショ?した』
空白だった左側が埋まっていく、相変わらず声が聞こえてくる文章だ。スマートフォンの液晶にぽとりと滴が落ち、自身が泣いている事に気付いた。
『泣かねェで』
『何で分かるの』
『君の恋人だから』
二次元と三次元の遠距離恋愛はどうやら私の妄想でもイタイ現実逃避でも無かった。私は意を決して、キーボードを押す。今を逃したらもうサンジとの繋がりは消えてしまう気がした。
『連れてって』
今までサンジに貰ってきた愛のメッセージに一つ、一つ返事を返している時間は無い。
『後悔はしねェ?』
『戦力になれるかだけ不安』
液晶の向こう側でサンジはどんな表情でこれを読んでいるのだろう。ナマエちゃんらしい、と泣き笑いの表情で私の楽観的な文章を読んでくれていたらいい。サンジが自分自身のせいでと思い悩まないように私は我儘を発信する。
窓際に飾ったサンジの分身を撫でる、数十センチサイズのフィギュアは私が寂しさのあまり手に入れたものだ。
「……会いたいってちゃんと言ってよ」
その整った小さな顔を指で弾いて文句を溢せば、景色が変わった。サンジのフィギュアではなく目を見開いたサンジの上に馬乗りになっていた。
「っ、くく、大胆だね、ナマエちゃん」
「あー、もう、こんな筈じゃなかったんだけど」
分厚い胸板に顔を埋めて誤魔化すように早口でまくし立てる。自身の耳の下でトクン、トクンと息をする心臓の音。背中に回った大きな手、煙草と香水が混じったサンジの香り。
「ナマエちゃん」
「何?」
「直接聞いて」
サンジの長い腕に仕舞われて聞こえてきた言葉は私を支えていた四文字だった。あの日スクリーンショットした「だいすき」は今、私の左側の耳に飛び込んで来た。