短編
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サンジと暮らし始めて一年と少し、時間の動きがよく分かるようになった。どの野菜が旬だとか細やかな祝日に込められた意味だとか今まで忙しさにかまけて通り過ぎて来た日々の存在に目を向けられるようになった。息をしているだけでは生きているとは言わないらしい、サンジと暮らすようになってから人間らしい生き方というものを少しずつ理解していってる最中だ。
駅近くのスーパーよりも少しだけ歩くスーパーの方が安くて、商店街の肉屋のコロッケが大きくて食べ歩きに向かない事も、ベランダでビール片手に見る花火は絶景な事も彼女はサンジと過ごすようになってから知った事だ。サンジが入れるドリンクが冷たいドリンクになったら夏の訪れを感じて、そしてマンションまでの道すがらでサンジが立ち止まって、金木犀の匂いがするね、と振り返って笑うから彼女はこれが秋か、と秋の訪れを感じる事が出来る。寒いからおでんにしよっか、とサンジがやけに楽しそうに鍋の準備をするから冬の寒さを初めて理解出来た気がした。
世界中の人間が当たり前だと知っている事柄も特別な色に見えてくるのだ、サンジと出逢って、サンジが触れる世界を知って、サンジが見ている世界を見て、そうしたらこの世界が少しだけ愛しくなった。
「君は自分に対して無頓着過ぎないかい?」
以前にサンジに言われた言葉だ、あの当時は自覚が無かったが今思えば自分自身に興味が無かったのだ。それよりも仕事に明け暮れて結果を出す方が有意義で性に合っていた。今だって根本的には変わっていない。人間ここまで来ると性格や価値観を変える事は中々難しいのだ、だけど少しだけ自分自身を大切に出来るようになったのはサンジが彼女を大事にするからだ。表面上だけの取り繕った大丈夫に気付いて息をするように彼女の支えになろうとする。
「サンジの方が私に詳しいなんて変なの」
「はは、愛の力ってすげェだろ」
「……愛の力」
引かないで、ナマエちゃんと彼女の大して肉がついていない頬を親指と人差し指でつまむサンジ。随分と力加減されたそれにまた彼女はむず痒そうな顔をする。慣れないな、と思いながらもサンジの手を振り解かないのはサンジの言う愛の力を信じたいからかもしれない。
途切れそうな意識にこくり、こくり、と頭を揺らす彼女。そんな彼女を後ろからホールドして自身の部屋着のパーカーの中にしまいこむサンジ、伸びるわよ、と制止した声は随分と前にサンジ自身にスルーされ、逆に腹に回された長い腕によって彼女の制止は拒否された。抵抗する気の無くなった彼女はサンジのパーカーの中でカンガルーの子供みたいだと、どうでもいい事を考え出す。
「人をだめにするソファみたい……」
ふにゃふにゃと眠気が回ってくるせいで呂律が怪しくなってきた彼女は座椅子のようにサンジの胸板にストンと頭を預ける。
「ダメになってよ」
しみじみと言われた台詞に楽しそうに笑いながらサンジは彼女にダメになれと言う。こくり、と揺れる眠そうな彼女の頭を撫でてやれば、ん、だめになる、と可愛らしい返事が返ってくるから堪らない。ぬくい体温にこのままずっとこうしててやろうか、と思うが根っこが仕事人間の彼女はきっとダメになんてならないだろう。だから、こうやって今みたいに仕事に振り回された時に優しく彼女を包み込む存在でサンジはありたかった。
「仕事も君にしか出来ない事だよ、だけど、おれの彼女も君にしか出来ない事だから大事にしてやってくれ」
ナマエちゃん自身を、そう言ってサンジはぎゅっと彼女に回した腕に少しだけ力を入れた。そうすれば、撫で慣れていない少しだけぶっきらぼうな手がサンジの頭にぽんと乗せられる。
「さんじがだいじにして」
ふひ、と彼女は幼い笑みを浮かべてそう言った。
「あぁ、仰せの通りに」
そうサンジが口にすれば、わたしもだいじだよ、さんじが、と普段は聞けないような素直な台詞が腕の中から聞こえてきてサンジは泣きたくなった。知ってるよ、と返した返事は揺れていなかっただろうか、サンジはそれだけが気掛かりだ。
居心地がいいから、大事にされているから、一緒に暮らす理由はそれだけで十分だが彼女がここに帰って来たいと思ったのはサンジの存在があるからだ。居心地がいいのはサンジがいるから、大事にしたいのは彼女自身がサンジが言う愛の力を知ってしまったから、そしてサンジの横で今まで見逃していた季節に触れたいと感じたからだ。でも察しがいいサンジはそれに対してだけ馬鹿になるのだ、彼女の中にいる自身の存在の大きさも価値にも気付かない。
「名前がつくと安心する、か」
彼女にだけ馬鹿になるサンジ、サンジと生きていたいと願う彼女、その関係に名前を付けたなら「愛」と人は呼ぶのだろう。