Genius10

【好物】


合宿に参加する少し前、ひょんなことから彼女に野菜天丼を振る舞ったことがある。
下拵えの時点から俺の周りを物珍しそうにウロウロし、出来上がった野菜天丼を見て目を輝かせ、口に含んだときの満面の笑みと「美味しい!」の言葉は今でも脳裏に焼き付いている。

俺が合宿に行ってから「先輩の野菜天丼が食べたい」と何度かチャットが来ていたし、彼女も縁有って合宿所に来たからまた作ってやろうと思っていたとある日のこと。



「あれ、この合宿所ってキッチンがあるんですか?」

「あるで。料理好きが何人かおるから気分転換に料理してることもあるわ」

「毛利先輩も?」

「ここ来てからはまだ何も作ってへんな。食堂の飯旨いし」

「…そうですか」



キッチンを見つけちょっとテンションが上がったのに、俺が料理してないと聞いて心なしかしょんぼりしている。
「作って!」っておねだりしてくれたら爆速で作ったるのに。
人に甘えるのがヘタクソなのもこの子の可愛いとこなので無理にとは言わんけど。
当の本人はキッチンが気になるのか一歩、また一歩と中に入っていく。



「先輩、あれ何ですか?」

「あ、それは…!」



彼女が不思議そうにカウンターを指差した。
そこには、この世の食物でどうやって出すのか分からない蛍光色を纏った握り飯が。



「おや、あくと飯に興味があるのかい?」

「あくと飯?」

「……三津谷さん」



見てはいけないものを見せてしまった。
それに今会ってはいけない人にも出会ってしまった。
何で今なのか…早くここから離れなければ彼女が危ない。



「これはただのおにぎりじゃないんだ。栄養価を考えて作った完全栄養食なんだよ」

「完全栄養食ですか。少ない容量で効率的に栄養が取れるのは良いことですね」

「ほう、そこが分かるとはお目が高い。これは今出来た試作品でね、良かったら味見してくれるかい」

「あ!アカン!!」

「!?」



反射的に彼女の前に飛び出してしまった。
でもこのままじゃあくと飯の餌食になってしまう。
それだけは阻止しないと罪悪感と後悔でしばらく眠れなくなる。絶対に嫌だ。



「おや毛利。お前が味見してくれるのかい?」

「いや、そもそも三津谷さんは味見したんですか?」

「そういえばまだだ。うっかりしていたよ」



絶対そうやと思った!
うっかりなんていうのも正直胡散臭い。



「ちょうど三つあるし三人で味見しようか」

「いやいやいや、作った人がまず味見するのが料理の基本でしょ!」

「あの、私だいじょ…」

「ちょっと黙っとって」

「え、はい…」



言葉キツくなって悪いとは思ってるけど今それどころじゃない。
何気ない一言で下手したら彼女が死んでしまう。



「おい、こんな狭いとこで何やってんだ」



鶴の一声、蜘蛛の糸とはまさにこのこと。
俺たちの押し問答が聞こえたのか鬼さんが来てくれた。
最悪巻き込んでしまうが彼女を守るためなら犠牲になってもらいます。



「あくと飯の試食を拒否されてしまって」

「今回もまたスゲエ色だな…おいアンタ、食ってねえだろうな」

「はい、まだ」



彼女の返答に鬼さんがうんうんと頷くのを見て、彼女自身ようやく不穏な空気を感じ取ったらしい。
蛍光色の握り飯から一歩遠ざかってくれた。



「そんなもん食うくらいなら好きなもん食え」

「そういえば君の好物のデータがまだ取れていなかったな。好きな食べ物はあるかい」

「好きな食べ物…」



チラリとこっちを見た彼女とバッチリ視線が合った瞬間、普段からは想像もつかないほど気の抜けた笑顔になった。
へへ、なんて口から漏れた声がちょっと甘えてる気がして心臓がギュッとなる。



「毛利先輩が作った野菜天丼が好きです」

「へ……」



…今!?それ言うん!!??
ていうか一回しか食べてない俺の料理を好物って言った!?
待って嬉しい!いや、俺からかわれてる…?
でもからかってる様子じゃなさそうなのは顔見たら分かるし…。
嬉しい!嬉しいけどちょっと待って!!
そんな可愛い顔で「好き」とか言わんといて…こんな不意打ちズルすぎるわ。



「ふふ、俺たちはお邪魔なようですね」

「そうみてえだな。毛利、旨いの作ってやれよ」

「………はい」



顔どころか全身から湯気が出そうなほど真っ赤な俺を見て、三津谷さんと鬼さんは微笑ましそうな顔をして去っていった。
これ、三津谷さんのノートに書かれるんかな…。その部分だけ破って燃やしたい。



「…野菜ないし、買い出し行こか」

「え、作ってくれるんですか!?」

「いらん?」

「いります!やったぁ!!」



でもまあ死亡フラグは回避したし、珍しく本気で嬉しそうな彼女が見れたからええか。



「胃袋を掴んでるなんてなかなかやりますね」

「あの幸せそうな顔、いつか本人に向くと良いんだが」
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