壱頁完結物
充満する血液の臭い。響くは上司の怒鳴り声。
「こんな仕事も出来ねえなんざ云わねえよなァ?あァ!?」
目の死んだ少女は弱々しく返事を返す。
「ちゃんと、やります…」
「なら手ェ止めんな。足手まといはウチには要らねェぞ」
「ごめんなさい…」
床に転がった死体の身元判別。其れが彼女の今日の仕事。
*****
此の人はこの前荷物運びを手伝ってくれた人。
彼の人は書類の漢字を教えてくれた人。
其の人は…。
書類に名前を書き込む度に脳裏に浮かぶ思い出は目から溢れて床を濡らす。
「泣いてる暇なんかねェぞ。後どんだけあると思ってんだ」
「申し訳、ありません…」
乱暴に涙を拭う袖を上司は見て見ぬふりをした。
*****
何とか全ての判別を終え、書類を上司に渡す。
「もう上がれ。此れ以上は使い物になんねぇだろ」
弱々しくお辞儀をする少女に、上司は少し柔らかい声で話し掛ける。
「今まで手前がどんだけ護られた世界に居たか判ったか」
「はい…」
「効率的な暴力社会。此れを造り上げた奴が誰かも、しっかり覚えとけ」
*****
家に帰る気にもなれず、公園のベンチで項垂れていると、自分の上に影が差した。
「妹ちゃんじゃあないか。如何したんだい、こんな処で一人なんて」
自分を心配してくれる、優しい声。
「…太宰さん」
「泣いているのかい?」
眉を下げ近寄ってくる彼に頭であの言葉がよぎる。
“此れを造り上げた奴が誰か”
*****
「誰かに泣かされたのかい?全く酷いねぇ、美少女を泣かせるなんて万死に値するよ」
彼の何気無い一言に身の毛が弥立った。
彼はこうも易々と“死”という言葉を口にするのだと。
『効率的な暴力社会、此れを造ったのは太宰だ。手前が最近怖がりもしなくなった、彼奴なんだよ』
上司の言葉が反響する。
*****
「本当に如何したんだい。顔も真っ青で…」
急に彼の手が伸びてきた。
何時もなら何食わぬ顔で受け入れる其れを反射的に跳ね除けてしまった。
「…妹ちゃん?」
「ぁ、ぁあ…」
驚く彼の手を払い除けた罪悪感と脳裏の言葉の恐怖で正常な思考が出来ない。
「ごっ、ごめんなさい…!」
少女は慌てて立ち去った。
*****
拠点に戻って来た少女は上司の胸に飛び込んだ。
「如何した」
「うぅ…、っ怖いよぉ…」
グスグスと泣きじゃくり、上司の衣類を濡らす。
「漸く思い出したか。もう馴れ合うんじゃねえ、彼奴に近付くとロクな事ねえぞ」
小刻みに頭を縦に振る少女をしっかりと支え、上司は口元に笑みを浮かべた。
*****
「めでたしめでたし」
「待ち給え」
芥川の持つ紙を、太宰はありったけの力で奪い取った。
「このしょうもない作り話は何だ」
「中也さんが妹への注意喚起の為に書いたそうですが」
「いや可笑しいでしょ。何で最後二人抱き合ってるの!?あれ絶対狙ってるじゃん!!」
「僕に云われましても」
*****
「あの帽子置き、嫌がらせだな…此れで本当に妹ちゃんに怖がられたら…」
其処まで云って、太宰の顔は真っ青になった。
折角築き上げて来た信頼を崩されればもう彼女は近寄りもしなくなるだろう。
「龍兄、お迎え来たよー」
第三者の声がして顔を上げると、今まさに考えていた人が目の前に現れた。
*****
無言で見つめられた末妹は不思議に思って太宰に近付く。
「如何したの?顔真っ青だよ。具合悪いの?」
手を握ったり額に手を当てたりと忙しない末妹を、太宰はありったけの力で抱き締めた。
「ぅひぃぁ!?」
「ふふ、何時もの妹ちゃんだ」
「…そうだよ?」
「君は此の侭変わらないでくれ給えよ!」
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