壱頁完結物
芥川の三兄妹が肩を寄せ合いヨコハマの街を歩く。
兄と姉の間に挟まれた末妹は二人と手を繋ぎ満足そうに笑っている。
「楽しみだね!ぼ、ぼ…?」
「忘年会だ」
「そう、それ!」
そんなやり取りをしながら向かったのはヨコハマでも一等地のマンションだ。
「蟹食べれるの、楽しみだなぁ!」
*****
「蟹が如何かしたのかい?」
「!」
三人の後ろから急に人の声がして、末妹は驚きの余り姉の手を思いっきり握ってしまった。
「あっ、ごめんね銀姉…」
「大丈夫よ」
「…太宰さん」
「やあ、三人お揃いで何処に行くんだい?」
声の主は太宰だった。
手には先刻購入したであろう酒を持っている。
*****
「今から蟹食べに行くの」
「へぇ、この時期旬だものね。此の近くに料亭でもあるのかい?」
「ううん、ぼ、ぼう…あれ何だっけ」
「忘年会よ。先刻も云ったでしょう」
「そう、忘年会!中也さん家で!」
直後、太宰は眉間に皺を寄せ目の前のマンションを見上げた。
「…そう云うことか」
*****
「お邪魔しまーす!」
「煩ぇな、聞こえてるっつの」
三兄妹は予定通り中也の家に辿り着いた。
蟹が待ちきれないのであろう末妹はソワソワしている。
「んな慌てなくても蟹は逃げねえっての」
「だって、良かったねえ妹ちゃん」
「…は?」
気不味そうな兄姉の後ろには酒瓶を持つ太宰の姿があった。
*****
「下で偶然…」
「…まあ、何だ。手前等は悪くねえよ」
「だって、良かったねえ二人とも」
「手前はサッサと帰って手酌でもしてろ!」
怒る中也など何処吹く風、太宰はニコやかに袋からもう一つ瓶を取り出した。
「っ…!其れは」
「君、前から飲みたいって云ってたよねぇ、此れ」
*****
「入れてくれたら手土産として渡してあげても良いのだけど」
「…要らねえよ、そん位自分で買う」
「そう…でもあの酒屋、近々店仕舞いするらしくてね、最後の一本だって云われたのだよ」
「はぁ!?聞いてねえぞ!」
「流通量も多くない品種だし、もう手に入らないかもね」
「ぐっ…」
「ねえ、蟹まだー?」
*****
「もう食べて良い?」
「ふふ、妹ちゃんは慌てん坊さんだなぁ」
「…何でこんな事に」
頭を抱える中也の背を広津がソッと擦る。
其の向かいでは鍋を凝視する末妹と異様に距離の近い太宰が座っていた。
苦笑を漏らす銀の向かいで立原はまだ状況を理解し切れていない。
「すみませぬ」
「謝んな…」
*****
「中也さんもう寝ちゃったの?」
「弱いのに酒ガバガバ飲むからだよ。仕方の無いチビッ子だねぇ」
宴も酣な頃、心労の捌け口に酒を使った家主はソファで爆睡していた。
外套を毛布代わりに掛けてやる末妹。
「蟹全部食べて良いかな」
「お忘れかお嬢」
日本酒を飲んでいた広津が不意に話し掛ける。
*****
「お待ちかねがまだだと思うが」
「あっ!忘れてた!!」
「今日は浮かれ過ぎて物事をよく忘れる」
兄が窘めるのも聞かず、末妹はソワソワと席に戻る。
「何がお待ちかねなんだい?」
「ふふん」
「教えてくれないの?」
「うん、内緒!」
銀に抱き着く末妹に、太宰はお猪口を傾け乍ら微笑んだ。
*****
すると呼び鈴が来訪者の存在を告げた。
「あっ、もしかして!」
「お前出て来いよ。家主寝てるし」
「うん!」
立原の言葉に玄関へと駆け出す末妹。
「騒がしい奴だな」
「元気なのは良い事じゃないか」
「…つかアンタ何時まで居る気なんすか」
「妹ちゃんが帰るまで」
立原は諦めてお茶を煽った。
*****
「いらっしゃい!」
「うはは、可愛らしいお出迎えだ!」
扉を開けると両手に紙袋を携えた梶井が立っていた。
「中也殿は?」
「もう寝ちゃった」
「早い就寝だ」
そう云う梶井に紙袋を渡され中身を見た末妹は感嘆の声を上げた。
「きゃー!有難う梶井さん!!」
「君の反応は本当に素直で良いな」
*****
「あの声は檸檬爆弾の彼か」
「そっすよ。最近彼奴梶井さんの事がお気に入りらしくて」
其処まで云って立原は後悔した。
其れと同時に悪寒が走る。
「…へぇ?」
「あ、や…何つーか」
弁解を考えている間に扉が開き二人が戻って来た。
「お嬢さん、歩きにくいよ」
「えへへ」
腕を組んで。
*****
其の光景を見た太宰の予想以上の殺気に、広津もお猪口を置き静観を始めた。
「妹ちゃん、何か嬉しいことがあったのかい…?」
「うん!贈呈品もら…太宰さん顔怖い」
末妹も異変を察し梶井の白衣の後ろに隠れてしまった。
「おや、珍しいお客さんだ」
然し梶井は全く察せていなかった。
*****
「元幹部殿にお会い出来るとは光栄です」
「…どうも」
歯痒い思いを酒と共に胃に流し込むと、彼の持つ紙袋に目をやった。
「其の中身が妹ちゃんへの贈呈品かい?」
「ああ、そうそう」
中から出て来たのは透き通った黄色い液体の入った瓶だった。
「檸檬酒ですよ」
「梶井さんの檸檬酒美味しいんだよ!」
*****
「君未成年でしょ」
「今日は良いって云ってくれたもん!忘ね……?だから!」
「全然覚えてないじゃない。忘年会だよ」
許可したであろう兄は我関せずと視線を逸らす。
「太宰さんと一緒に飲みたいなぁ…駄目?」
「よし飲もう」
「決断早っ」
「あれが計算か天然か判らん処がお嬢の強みだな」
*****
「眠くなってきた…」
「少しで止めておけと云っただろう莫迦者」
目を擦る末妹に兄の叱りが飛ぶ。
「まあまあ、勧めた私も悪かったよ。おいで妹ちゃん」
太宰の膝に乗せられ幼子の様に擦り寄る姿は周りの人間の頬を緩める。
「ほっぺたも桃色になって可愛いねえ」
姉が外套を掛けると寝息を立て始めた。
*****
太宰の膝で眠る末妹を見ていた梶井が何かを思い出したのか急に立ち上がった。
「吃驚させるなよ!」
「何だ急に」
「先刻太宰さんが何故僕に殺気を放ったのか漸く理解した!」
「…あ、判ってたの」
末妹が起きないよう背を叩き乍ら怪訝そうな視線を送る太宰。
「して、何を理解したのだね」
*****
「太宰さんは僕と腕を組んで入って来たのに嫉妬したのだろう!もしやお嬢さんに惚れているのでは?」
うははは!と高笑いする梶井の向かいで、幾ら飲んでも変わらなかった太宰の顔が一瞬で赤くなる。
「いやはや、悪い事をしてしまったなぁ!」
「…御愁傷様っす」
赤面は広津の端末に格納された。
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