コッペリア
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澄と太宰はポートマフィアビルの屋上に居た。
抱えられ、しっかりと首に腕を回した橙のドレスが夕陽を受けてより一層橙を強くしている。
目の前には太宰の部下の敦と、澄の兄の龍之介が居た。
「澄!」
「龍、兄」
「お前を扶けに来た!帰るぞ!!」
「………」
大声で自分を呼ぶ兄を見つめ乍ら、腕に込める力を少しだけ強くした。
其れを受けて、兄は困惑の表情を見せる。
「何故…何故だ、銀も澄も、何故僕の元へ帰って来ない!」
「落ち着き給えよ芥川君」
酷く静かな声で、太宰が呟いた。
ビル風で消えそうな其の声はしっかりと地を這い、芥川の耳まで音を届ける。
隣りの敦も何か云いたげだが、太宰の声に動きを奪われ口も動かない。
「澄ちゃんは私の恋人になってくれたのだよ」
「恋人……?」
「漸くだ、四年半の歳月は長かったよ。なんせ私は彼女を手離すのが怖くて人形にしてしまっていたのだから」
「澄を、人形に…?」
「安心し給え、多少の躾はしたが乱暴はしていない。でなければ彼女が此処まで私に寄り添ってくれる筈が無い」
柔らかな頬に擦り寄ると、澄も嬉しそうに寄り添った。
芥川の眉間に跡が付きそうな程皺が寄り、剥き出しの歯は今にも太宰に噛みつきそうだ。
「然し残念だ。折角恋人同士になれたのに、もうお別れしなければならない」
「そうだ、澄は僕と共に帰る。帰って、先輩等と共に探偵社に…」
「違うよ芥川君。彼女は私と共に死ぬんだ」
「……巫山戯るな、澄が貴様と共に死ぬだと?」
「そう、間違いないよ。ね、澄ちゃん」
「はい、首領」
小さく頷く妹の姿に、芥川は絶句した。
連れ帰る筈の妹が死のうとしている。
しかも、兄妹の間を割いた張本人に寄り添い乍ら。
そんな事、有り得ない。
有ってはならない。
取り返さなくては。
そう思うのに、芥川は先刻の敦との対戦で精神力を擦り減らし、異能はほぼほぼ発動しなくなっていた。
「澄、目を覚ませ!其彼はお前を……」
「首領、銀姉、てあてしてくれた」
「……!」
「おふろ、いれてくれた」
「澄…」
「いっぱい、だきしめてくれた」
芥川はもう言葉を紡げなかった。
澄の口から発せられるのは自分がしてやれなかった事。
怪我をした銀を放っていった事。
温かい湯に入れた事等一度も無い事。
護りこそすれ、ほぼ妹に触れなかった事。
其れを、目の前の男は全て妹に与えた。
今纏っているドレスも、彼が用意した物だろう。
少々やり過ぎだが、妹にとても良く似合っている。
自分では買ってやる事も着せてやる事も出来ないだろう。
芥川は半ば諦めた顔で澄に問い掛ける。
「…澄、一つだけ聞かせてくれ」
「?」
「何故、死なねばならぬ。百歩譲ってお前が望むなら此れからもポートマフィアに居る事を認める。然し、何故死なねばならぬ」
「ないしょ、しったから」
「…内緒?」
「龍兄と、敦が、しること、しっちゃった」
「秘密を知ったとて、ポートマフィアの首領が付いているのだから些末な事では無いのか!」
「ううん、首領も、しななきゃ、だめなの」
「……!」
「だから、いっしょ」
「其の秘密については私から話そう。澄ちゃんでは朝日を拝む事になりそうだからねえ」
ゆったりと口に弧を描き、太宰が芥川と敦をしっかりと視界に入れ、言葉を選ぶ様に何度か口を動かしてから声を発した。
此の世界は無数にある“可能世界”の一つ、“本来の世界”とは似て非なる世界である事。
但し、此の可能世界の話は二人以上知ってはいけない事。
知ってしまえばそれだけで此の世界が崩壊してしまう事。
淡々と語る太宰を、二人は只呆然と見つめる事しか出来なかった。
浮世離れした話に困惑の表情を浮かべ、疲れで回らない頭では全てを理解する事は不可能だった。
上手く思考が纏まらずぼんやりする二人の目の前で、太宰がビルの縁に足を掛けた。
澄は一瞬下を見て怖くなったのか肩口に顔を押し付けしがみ付いている。
「大丈夫だよ澄ちゃん。私がずっと一緒だからね」
「待て…!」
「何だい芥川君」
「死ぬなら僕等が死ぬ。妹は死なせぬ。貴様が残っている方が此の世界は回るのではないのか」
「其れは無理だ。私の異能力では此れから来る脅威を跳ね返す事が出来ない」
「僕達なら…出来ると?」
「そうだ、君達にしか出来ない。此の世界の事は任せたよ」
依然肩口に顔を埋める澄の頬に口付けると、澄がゆっくりと顔を上げた。
優しい顔の太宰に安心したのか頬を緩め、同じ様に頬に口付ける。
「此の世に神様が居るのならば、とても狡い神様だ。織田作と友達になれなかった代わりに、澄ちゃんが恋人になってくれた。私は何方かしか手に入れられない運命なのだろうか」
恍惚な視線を澄に送る。
澄も太宰の瞳を覗き込むように見つめ、気付けば額同士がくっついていた。
「澄ちゃん、愛してるよ」
「首領、だいすき」
此の時を待っていたかの様に、二人は幸せそうに笑いゆっくりと唇を重ねた。
其の儘、太宰の体が後ろに倒れて行く。
「だ、太宰さん…!」
「澄!」
我に返り敦と芥川が声を発した時には、既に屋上に二人の姿は無かった。
猛スピードで落ちている筈なのに、太宰には時が止まった様に感じていた。
横抱きしていた澄を自分の方に向かせ、しっかりと体を包み込む。
「…だざい、さん」
「え?」
「また、いっしょに、ケヱキ、たべようね」
「其れは、来世の約束かい?」
「ん、やくそく」
まるで明日の約束をするかの如く楽しそうな澄に、太宰は指切りの代わりにまた接吻をした。
其処で、二人の意識はプツリと途絶えた。
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