コッペリア
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太宰は今にも崩れ落ちそうなフラフラとした足取りで、夕闇のヨコハマを歩いていた。
其の顔に笑みは無く、声にならない言葉を発する口が少しヒクついている。
「織田作…」
漸く音になった言葉は、一人の男の名だった。
先刻太宰はとあるバーに行き、其処で探偵社員の織田作之助と云う男と話をした。
彼はポートマフィアの首領である太宰を酷く警戒し、銃を向けた。
此れだけ聞けば当たり前の話に聞こえるが、其れに太宰は酷く傷ついていた。
太宰と織田作之助とは、友人だったのだ。
否、現在は違う。然し、友人だったのだ。
此の世界、無数にある“可能世界”の一つでは無い“本来の世界”で、彼等は友人同士だった。
先刻行ったバーで共にグラスを傾け、他愛もない話をしながら笑い合っていたのだ。
だが、此の世界でその事実を知っているのは太宰だけ。
此の世界の織田作之助は、太宰と友人だったと云う事実を全くもって理解しなかった。
そんな彼に出来るだけ平静を装い、太宰は「さよなら」と別れを告げて今に至る。
「良い…此れで、良いんだ…」
太宰は云い聞かせる様に何度も其の言葉を反芻し、やっとの思いで拠点へと辿り着いた。
侵入者に破壊された第一階層の辛うじて動く昇降機に乗り込み、最上階へと昇る。
「早く澄ちゃんに会いたい…」
昇降機の壁に凭れ、疲弊した様子の太宰はポツリと呟いた。
瞬きをする度にバーでの出来事を思い出し、胸が締め付けられる。
何時もと同じ速度で上っている筈なのに、今日は昇降機の進みが遅い気がした。
「只今」
太宰は体を引き摺る様にして執務室へと帰還した。
部屋は静まり返り、生命の気配が全く感じられない。
憔悴し切った太宰は其れに気付いていないのか、ゆっくりと執務机へと歩を進める。
「……、澄ちゃん?」
出掛ける前は其処に座っていた筈の澄が居なくなっていた。
ふと机を見ると、置いて行ったケヱキが手付かずの侭放置されていた。
フォークすら動いていない其れに、太宰は悪寒がした。
「真逆…」
澄はケヱキが好き。
其れは“本来の世界”の澄がケヱキが好きだと知ったから手懐ける為の道具として使ったに過ぎなかった。
然し、織田は“本来の世界”とは全くの別人だった。澄とてきっと例外では無い。
太宰は全身から血の気が引いて行くのを肌で感じた。
部屋から出ると危ないと教え、好きな物を与えていれば部屋から出ないだろうと云う考えは甘かったのだろうかと。
あれだけ手懐けた筈の澄が、兄が迎えに来たからと此処から自分の足で出て行ってしまったのではないかと。
「澄!!何処だ!!!澄!!!!」
太宰は半狂乱になって澄を探し始めた。
執務机の下、窓の近く、調度品の中、絨毯の裏までひっくり返し忽ち部屋は滅茶苦茶に荒れて行く。
「頼む…嘘だと云ってくれ!!!」
大富豪でも手に出来ない高価な調度品が床に転がり時偶割れる音が響くが、そんな事を気にしている余裕等何処にも無かった。
「澄…澄!!澄!!!」
澄の名を機械の様に連呼し、執務室をひっくり返していく。
「君まで居なくなったら…私は…」
唇を血が出る程噛み締め、其の場に這いつくばる太宰の耳に、一つの音が響いた。
扉の開く音だった。
執務室の奥にある、澄の寝室だった。
其処からゆっくりと、白いドレスが顔を出した。
「…首領?」
「……!!」
太宰は反射的に駆け出し、其の人物をしっかりと腕の中に閉じ込めた。
「澄ちゃん…」
「首領、どうしたの」
「……、ただいま」
「おかえり、首領」
澄は何時もの様に太宰の背中に腕を回し、顔を胸に埋める。
途端に頭上からポタポタと水滴が降って来て、澄はその正体を見ようと顔を上げた。
「首領、ないてるの?」
「…御免、直ぐに収まるから」
顔を見られまいと顔を胸に押し戻される。
何も見えなくなった澄の耳は小さな嗚咽を拾い、澄は先刻の事を思い出した。
硝子に頭をぶつけた自分の頭を、太宰が優しく撫でてくれた事を。
然し自分の身長と今の体勢では太宰の頭に手が届かないと判断した澄は、一番近くにある背中をゆっくりと擦り始めた。
「よし、よし」
「!」
「いたかったね、首領」
次の瞬間、太宰が膝から崩れ落ち、一緒に床に落ちた澄は痛い程抱き締められた。
殆ど叫び声に近い嗚咽が部屋中に響き渡る。
真横にある太宰の目からは白いドレスを変色させる程の大粒の涙が噴き出し、もう澄に見られている事すら気付いていなかった。
「首領、いたかったね」
澄は太宰の涙が止まるまでずっと背中を擦り続けた。
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