狂った女の丸出し日記

苦しみの先にこそ本当の喜びがある

2024/01/17 00:18
お気持ち
ベートーヴェン(多分)が言っていたという、月森蓮の座右の銘だ(確か)。付き合っていた当時、楽した先に喜びが欲しかった私は共感することができなかった。でも今なら少しだけ分かるような気がするよ月森。

現段階でR18を書くのは、四十八手と初夜と、あと二本くらいが限界だと感じている。R18は極めて至難のジャンルであり、とにかく頭を使う。私の技量では短くしたくても短くできず、長ければ長いほど現在何がどうなっているのか分からなくなる。
何度も読み返しているとゲシュタルト崩壊が起き、パンツを履いてるのか履いてないのか、いつ脱いだのかいつ始まったのか、何をしてるのか何がしたいのか分からなくなる。
そんな自分でもよく分からないものを人様が読んだらどうなるか。漢文の如く嫌がられるだろう。

私は古文漢文大好物だが、現代文だけは点数が取れなかった。現代文の教師に、何故現代文だけが、現代文のどこが分からないのかを尋ねられた際、生理的に受け付けないと答えた。現代文の教師は一人の人間としては合点がいったようだったが、教師としては納得してくれなかった。それはそうだ。趣味ではなく義務なので、じゃあやらなくていいよとはならない。

数学は壊滅的で、生理的に受け付けないを超えて宇宙レベルに理解不能だ。唯一できたジャンルといえば中学で習う合同の証明のみ。高校に入学してから数学がより宇宙になり、このままではまずいと思い数学の教師に、何故これがこうなってこうなるんですか?としつこく質問しまくったところ、「理屈っぽいな!」と言われた。なんとなく自覚していたが、理数系の人間にだけは言われたくなかった。

何の話をしていた?あ、そうそう、R18。初夜を書こうものならおそらくまたしても恐怖の万字超えになるだろう。最初から最後まで流れは浮かんでいるものの、その通りにいかないのが常である。夏の苦しみを知ってしまった私にはまだその覚悟ができていない。
特に句点。句点を間違えたら全てが台無しで、ただでさえアレなのにいつも間違えている気がしてならない。まぁ正しいところに打ってもアレなことには変わらないわけだが、長くなればなるほど、句点の打ち所が悪くなっていく。太宰治レベルになると、句点がとんでもなく刻まれていてもそれは味で芸術となるが、私のようなズブの素人に句点は上手く扱えない。
平仮名と漢字の使い分けもそうだし、極力使いたくない単語に対し、他の表現が浮かんでこないのも辛い。遠回しすぎても興が冷めるし、直接的な単語でこそ盛り上がる場面もある。要はそこの見分けができていない。語彙は努力で身に付けることができるかもしれないが、あとはセンスの問題なので、こればかりはどうしようもない。
みんな凄くない?なんでそんなにいいの書けるの?そのセンス少しでもいいから私にも分けてくれないか?

まさにこういうところが私のイケてないところであり、気にしないでポクポク書けよと自分でも思う。拘りも大事だが、思いきって、振り切ってこその二次創作。書きたいものを、書きたいだけ書きたいように書いたらいい。いいんだけども。

つまるところ、陽太郎が陽太郎らしく、陽太郎として動いているか、読んでいて寸分の違和感も感じないかという点にかなり慎重になり、だいぶ臆病になる。

こうして一つ上げる度にクヨクヨウダウダするのをやめたいが、次の話に取り掛かったら立ち直るので書くしかない。早寝を心掛けていたのにもうこんな時間になってしまったが、陽太郎が淹れてくれたアッツアツのお茶を飲みながら、よしよしが来るまで眠れま天!

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