狂った女の丸出し日記

憧れて駆けていく

2023/07/14 21:48
えんだん絶叫系
陽太郎が煮たかぼちゃが食べたい。ホクホクですか?ねっとりですか?
陽太郎は自分が育てた野菜を使って自ら料理してくれる。それを三食頂くということは、陽太郎によって自分の身体が作り変えられていき、陽太郎に染まっていくということだ。そして陽太郎と同じものを食べているという喜びと共におかずを嚙みしめて、陽太郎のお食事姿と虎があの小さい手で器用にお食事をしている様子を交互に見ながら米を口に運びたい。ここ十年以上も自分で作り出さないと一向にメシが出てこない生活を続けている身としては、陽太郎が食事を用意してくれるという状況にとてもじゃないけど憧れる。でもトマトは冷やさないで欲しい。知覚過敏なので。

何を血迷ったのか、買い物中に突然陽太郎との結婚式を想像して泣き出したことがある。二滴ほどこぼした後なんとか堪えたが、マスク生活で気が緩んでいるせいか、思い出し笑いとオタク泣きを堪えるのが難しくなっているように感じる。
陽太郎との結婚式を想像するにあたって、必ずついてくる光景がある。それは宮崎駿監督の『風立ちぬ』の二郎と菜穂子の結婚式のワンシーンだ。菜穂子が仲人?の奥方に付き添われ、花びらが舞う中で立つ菜穂子がとても儚くて美しく、強さと覚悟を感じる。これから結ばれて幸せに向けて歩き出すはずなのに、私には永遠の別れに向かっているように映って涙が止まらなかった。
この風立ちぬという映画は宮崎駿監督が常々テーマにしている戦争と、二郎の設計者としての情熱を描いたものだが、私はそっちの浪漫よりも、この二人の最後まで自分勝手な恋愛が刺さった。結核の菜穂子の前でも仕事をしながらつい煙草を吸ってしまう二郎に、菜穂子はそのままでいいと言って、二郎は言われた通り煙草の火を消さなかった。これは当時炎上した場面だが、菜穂子はそういう二郎を好きになったのだと思う。自分よりも設計図に夢中で煙草を吸う、そういう二郎の姿を目に焼き付けたかったのだと思う。そして菜穂子が二郎から離れたのも、これから病気でどんどんやつれていく自分を見られるのが嫌だったからではないだろうか。二郎が菜穂子を思い浮かべる時、一番綺麗な姿でいたいと考えて、一生添い遂げるよりも菜穂子はそっちを選んだのではないだろうか。確かそんなようなニュアンスのことを、作中で仲人をした人も言っていた気がする。男と女にはそれぞれ不可侵の領域があって、そこに入り込まずにお互い矜持を選んで受け入れたという切なさと強さに、胸が銅鑼のように打たれた。敬意を込めて、どっちも馬鹿だと感じた。そして西島秀俊の声が最高にかっこよかったし、観た帰りにシベリアを買った。シベリアといえば牛乳だが、私は牛乳で腹を下すので牛乳は諦めた。

えんだんとは全くもってかすりもしない別世界の話ではあるが、どういうわけかリンクしてしまう。得意の記憶喪失と捏造をカマしてるだけかもしれないが、もうそういう生き物として生きていく。陽太郎がくれたヴェールを被り、そのヴェール越しに幸せすぎて泣きそうな顔をした晴れ着姿の陽太郎を見ながら、一歩一歩ゆっくり進んでいく光景を想像すると筆舌に尽くしがたいほど泣けてくるが、それは買い物中にすることではなかった。一緒にいたお財布係が精肉選びに夢中でそんな私の様子に気付いていなかったのが幸いだったが、牛脂を取ってくるのを忘れた。

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