夏の一頁

毎年夏になると、村の男児たちによる虫相撲大会が行われる。
虎はそれを影からこっそり見て楽しんでいた。
しかし、見ているだけでは物足りなくなり、自分も参加してみたいという気持ちが年々膨らんでいた。
そんな時、虎は一匹のオオクワガタに出会った。
気圧されるほどの立派な角に、幾度も死線をくぐり抜けて来た戦国武将のような厳しい面構え。こいつは最強のクワガタ、いや、昆虫の頂点だと確信した。
こいつで闘いたい。そう思った虎は、そのクワガタを捕まえて連れ帰った。そして陽太郎に言った。

「頼む!我の代わりに、こいつで虫相撲大会に出てくれ!」

いくら普段から子どもたちの遊び相手になっているとはいえ、子どもたちの真剣勝負の場に、大の大人の男が本気のクワガタで参加するのはいかがなものか。
陽太郎も昔は、熱心にとまではいかないが参加していた。
引退してからは子どもたちに頼まれて、行司としてなら参加したことはある。見に来てほしいと頼まれれば、村のおじさん数名と一緒に外側から微笑ましく観戦している。それから子どもたちに助言をしたり、強い虫の特徴や育て方を伝授したりと、今はそういう立場だった。
断ろうと思った。しかし、虎があまりにも真剣に頼み込むので、陽太郎はしぶしぶ虫相撲大会に参加することにした。

「出るからには絶対勝つぞ!お前の名前は武蔵丸だ!」

大会は三日後。虎は武蔵丸に稽古を付けた。
鼻を挟まれては陽太郎に取ってもらい、心配する陽太郎に涙目で「見込みがある」とさらに稽古を続けた。
寝食も共にし、虎と武蔵丸の間には、確かな絆が芽生えていた。
そんな虎の姿を見て、皆で楽しくできればそれでいい主義の陽太郎も、武蔵丸の勝利を願い始めていた。

本番当日。
会場にはそれぞれ相棒の虫を持った男児たちが集結している。
陽太郎が参戦することに大変喜んだ男児たちに、あっという間に囲まれた。男児たちは武蔵丸を見て、「ずりー!」「すげー!」「どこで捕まえたの?」と、口々にざわめいた。
虎は木の陰から陽太郎と武蔵丸に健闘を祈り、固唾をのんで虫相撲大会の勝敗の行方を見守った。
カマキリの威嚇に逃げ出したコガネムシ。そのカマキリを投げ飛ばしたバカデカいカブトムシ。そのバカデカいカブトムシはおそろしく強く、自身よりも大きなクワガタを、いとも簡単にひょいと投げ飛ばした。
武蔵丸と同じくらいの体格、いや、それ以上かもしれない。歴戦の猛者のような風格がある。名前はこじろう。名前からしても、おそらくこいつが武蔵丸の宿敵となりそうだと、虎も陽太郎も感じていた。
武蔵丸の初戦の相手は、ちいさなカブトムシだった。
相手の男児は始めまる前から勝利を諦め、肩を落としながら土俵にちいさなカブトムシを置いた。名前は付けていないらしい。
対峙する武蔵丸と小カブト。夢にまで見た初陣。余裕の勝利を確信しているとはいえ、わくわくと同時にはらはらする。怪モノ退治よりも強い高揚と緊張。闘うのは自分ではない。武蔵丸を信じて見守ることしか出来ない。虎は祈るように手を固く結んだ。
先に攻撃を仕掛けたのは武蔵丸だった。
詰め寄って鋭いハサミを開いて立ち上がり、威嚇する。小カブトは気圧されているのか動かない。小カブトに乗り上げ、挟んで投げようとする武蔵丸。

(いいぞ!いけ!武蔵丸!)

次の瞬間――
武蔵丸が消えた。
ざわめきと歓声が沸き起こる。
小カブトが、乗り上げてきた武蔵丸を角でぴょいっと持ち上げて、引き絞られた輪ゴムのように、ぽーんと彼方へふっ飛ばしたのだ。
一瞬の出来事だった。

落ち込んでいないといったら嘘になる。しかし勝負は勝負。
虎は初戦敗退という結果を受け入れて、来年こそはと闘志を燃やす。
泣いて落ち込んで武蔵丸を探しに行くと言い出すと思っていた陽太郎は、そんな虎の強さに感心した。そして、まさかこの年で虫相撲大会に返り咲くことになろうとは思ってもみなかった。
せめて大人の部があればと考えたが、それはそれでガチ勢が集まりそうなので、呼びかけを迷うのであった。



―完―

[ ログインして送信 ]