冗談
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夏も本番に入り、厳しい暑さが続いていた。
そんなある日の昼休憩中、一番暑さにやられている虎が、ぐでっと舌を出しながら、「こうなったら肝から冷やそう」と言出だした。
「肝から冷やすって…もしかして」
「そうだ。我がとっておきの怪談話を聞かせてやる。」
「虎が聞くんじゃなくて?」
「話してて冷える」
「おれのかわいい子豚さんは、怖い話は平気ですか?」
「あんまり得意じゃないけど…まだ明るいから大丈夫でしょ!少しでも涼しくなりたいですお願いします。」
それを聞いた虎は、待ってましたと怪談師になりきって、雑誌に投稿されていたという話から、長く生きてきた怪モノならではの結構ゾッとする話を披露してくれた。
おれのかわいい子豚さんいわく、その語り口は有名な怪談師の稲川淳蔵に似ているそうだ。
「とうだ?これで少しは涼しく…ならんな。うぅ、暑い…たくさん話したら喉が乾いた。」
「ありがとう虎。はい、水。スイカも冷やしてあるから、後で食べよう。」
「おお!スイカ!暑い時に食う冷えたあまぁいスイカはさぞ格別だろう…。我はそれまでなんとか生き延びるから、お前らも無理はするなよ?」
虎の言葉に頷いて、おれのかわいい子豚さんは台所へ、おれは畑へ向かった。
その後も暑さは引くどころか増していき、おやつの時間になる頃にはTシャツを三回着替えた。
虎が言ったように冷えたスイカがひときわおいしく感じ、三人で一玉をあっという間に食べてしまった。
日が沈むといくらか暑さは落ち着いたけど、それでもまだ過ごしやすいとは言えない。たくさん汗をかいて疲れていたせいか、その日の夜は布団に入ってすぐに眠りに落ちた。
しばらくすると夢か現実か、誰かがおれを呼ぶ小さな声が聞こえてきて、それはどんどん大きくなっていった。
「陽太郎」とハッキリ聞こえて目を開けると、おれのかわいい子豚さんがすぐ傍にいた。
これは夢なのか?そう思ったけど、肩を揺すられているうちにだんだんと目が覚めていき、これは夢じゃないことに気づく。
覚めかけの身体をのそりと起こす。頭はまだぼんやりとしている。
「おれのかわいい子豚さん…?どうかしましたか?」
「こんな時間に起こしてごめんなさい。あの……お手洗いに、ついてきてほしくて………」
一気に目が覚めた。
おれのかわいい子豚さんがうちに来てから、こんなお願いをされたのは初めてだった。
一人で歩けないくらい具合が悪くなってしまったのだろうか。でも、それにしてはなんというか……。もじもじして、恥ずかしそうにしている。
昼間に聞いた怪談を思い出して、怖くなってしまったのだと察しがついた。そしてそれは当たっていた。
おれのかわいい子豚さんは布団に入ったものの、虎の話を思い出して眠れなくなり、そのうち天井の木目が顔に見えてきて、そんな時に限ってトイレに行きたくなってしまった。でも後ろに誰か立っていたらと思うと、怖すぎてどうしても一人で行けないと、申し訳なさそうに話してくれた。
普段わがままの一つも言わなければ、迷惑の一つも掛けないおれのかわいい子豚さん。そんな彼女がおれを頼ってくれたのが嬉しくて、内容もなんだか子供みたいでかわいくて、思わず頭を撫でてしまった。
さらさらの髪の毛が、手のひらに心地良い。
いや、まて。こんなことをしている場合じゃない。さっきからずっと、おれのかわいい子豚さんはお手洗いに行きたいのに行けてない。
急いで布団から出て、ランプを取って明かりを点ける。
「さ、行きましょう。」
手を差し伸べると、おれのかわいい子豚さんはその手を遠慮がちに取って立ち上がった。
足取りはしっかりしている。体調は大丈夫そうだ。
「本当にごめんね。せっかく寝てたのに。」
「これくらいお安い御用ですよ。暗いから、足元に気をつけてくださいね?」
緊張からか、冷えて強張っているおれのかわいい子豚さんの手を引いて、なるべく急ぎめでお手洗いに向かう。
風で揺れる夏草が、ざぁざぁとやけに大きな音を鳴らしている。特別怖がりではなくても、なんだか不気味な感じがする。
何事もなくお手洗いの前に着くと、おれのかわいい子豚さんはおれの手から離れて、戸に手を掛けて振り向いた。
「音とか恥ずかしいから離れた所にいてほしいけど、絶対近くにいてね?」
おれのかわいい子豚さんの必死のお願いは、なかなかの難題だった。
離れてるけど近い場所…なぞなぞみたいだな。要するに、音が聞こえなければいい
おれは廊下の曲がり角を指差して
「わかりました。そこで耳を塞いで待ってますから、安心して行ってきてください。」
絶対だよ?ねぇ絶対だよ?と念を押しながら、ようやくおれのかわいい子豚さんがお手洗いに入った。お手洗いの入り口にランプを置いて、約束したとおり少し離れた曲がり角で耳を塞いで待っていると、お手洗いの中から、陽太郎いる?!と、耳を塞いでいても聞こえるくらい大きな声がして、
「はーい!いますよー!」
おれもちゃんと聞こえるように大きい声で返事をした。怖い思いをしているおれのかわいい子豚さんには申し訳ないと思いつつ、新たなかわいい一面を見れて頬を緩ませていると、後からポンポンと肩を叩かれた。人の手だ。おれのかわいい子豚さんはまだお手洗いから出てきていない。
まさか泥棒?それとも…と肝を冷やして後ろを振り返ると、
「うらめしや!!」
「うわぁー!!」
すぐ目の前に顔のない顔があった。お手洗いにいるおれのかわいい子豚さんもおれの声に驚いたのか、ぎゃーー!!!と悲鳴を上げた。それから、えっなに!?やだ!!怖い!陽太郎!?と言いながらだいぶ慌てた様子で飛び出してきた。それを見た瞬間、おれのかわいい子豚さんだけは守らないとと気を持ち直し、急いで駆け寄った。手を引いて抱きとめて、何も見えないように頭を胸に抱え込み、何も聞こえないように腕で耳を塞いだ。怖い怖い何どういうことこれ今どうなってんのと息継ぎもしないで錯乱しているおれのかわいい子豚さんに、
「怖がらせてすみません。大丈夫だから、しばらくこのままじっとしていて?」
できるだけ落ち着いた声で言い聞かせてから振り返ると、
「どうだ、驚いたか?」
ポンッ!と白い煙の中から虎が現れた。
「は…?虎…?」
「大きな声が聞こえて何事かと起きてくれば…二人で肝試しをしてたんだろう?ならば我が一肌脱ぐしかあるまい!夜中に男女二人で肝試し…『きゃっ!こわいわ…』『大丈夫、俺が守ってあげる』そして芽生える恋…!くぅ〜!これぞ夏!!」
「一人で盛り上がってるとこ悪いけど、肝試しじゃないから。それにおれを驚かせてどうするのさ。いやおれのかわいい子豚さんを驚かせるよりはいいんだけど…。はぁ、心臓止まるかと思った…」
すると腕の中のおれのかわいい子豚さんがもぞもぞ動いて、虎?と言った。
「あっすみません。」
抱えたままだったおれのかわいい子豚さんを離すと、虎が足元までやってきて、
「陽太郎お前…!しっかり混乱と暗闇に乗じてやることはやっていたのだな?見直したぞ!」
と、短い腕を組んで頷いた。
「そういうのじゃないから。」
「そう照れるな。おれのかわいい子豚、お前はどうだった?ちゃんとドキドキできたか?」
おれのかわいい子豚さんは、とてもドキドキした。お手洗いを済ませる前だったらと思うとゾッとする。と言った。虎はまた満足そうに、そうかそうかと腕組をして頷いた。虎が求めてるドキドキじゃないと思うけど、嬉しそうなので黙っておくことにした。
「で、この後は勿論一緒に寝るのだろう?」
「寝るわけないだろ!」
「ちぇー、つまらん。では我がおれのかわいい子豚と一緒に寝てやろう。怖がらせてしまった詫びだ。」
「そんなこと言って、本当は虎も怖いんじゃないの?」
「ぎくっ!!そんなこと、あ、あるわけなかろう。我はおれのかわいい子豚が怖くないようにと思って言っているのだ。お前が一緒に寝てやらないなら、我が守ってやるしかあるまい。」
「だそうですが、どうしますか?」
おれのかわいい子豚さんはしゃがんで虎に、是非お願いしますと答えた。「仕方ないな~」と嬉しそうにしている虎を見て、少しうらやましいと思ってしまった。お手洗いの入り口に置いておいたランプを取って、行きと同じようにおれのかわいい子豚さんに手を差し伸べた。
「転ぶと危ないですから。」
おれのかわいい子豚さんはありがとうと言っておれの手を取り、三人で寝室へと向かった。
「陽太郎、お前は怖くないのか?」
「一人だったら怖かったかもな。」
「じゃあ三人で寝るか?」
虎の提案におれのかわいい子豚さんも頷いて、寝起きが怪モノみたいだから驚かせてしまうかもしれないけど、と言うと、虎がははは!と笑った。
「しかし、陽太郎の夏の寝相は最悪といっていい。我も一緒に寝るのを躊躇う程だ。身の安全の為にも、襖を開けるだけにしておいた方がいいやもしれん。」
「確かに…起きたら帯がとんでもない場所に落ちてたり、枕も全然違う場所にあったり…」
「時計の針と同じような動きをしていたぞ。我はそれで布団から押し出された。」
そんな話をしているうちに寝室に着いた。おれのかわいい子豚さんはおれの手から離れ、本当にありがとう、おやすみと言って虎と一緒に自分の布団に入っていった。挨拶を返してランプの明かりを消してから、おれも自分の布団に入った。
いつも閉じている襖が開いていると、なんだか妙にそわそわしてしまう。ちらっと見ると、ちょうど虎がおれのかわいい子豚さんの顔の横に陣取っていた。よかったようなよくないような、なんともいえない気持ちで目を閉じてしばらくすると、二人が何やら話し始めた。おれのかわいい子豚さんは声の大きさをかなり落としているみたいだけど、虎はとにかく声が大きい。本人はこそこそ話しているつもりなんだろうけど、普通に耳に入ってくる。
「ん?さっきか?さっきはのっぺらぼうに化けてみた。我ながら天才的な変身だったぞ?自分で見たら気絶していただろうな。」
確かにあれは驚いたけど、変身した自分の姿を見て気絶するって…
「あの木目?…どう見ても我にはきゅうりの漬物にしか見えん。ぬか漬け?…あぁ、かぶもうまいな。ふむ、たくあんか。悪くないな。」
明日の朝は漬物を多めに用意するか。
「それにしてもおやつに食ったスイカうまかったな~。は?塩?せっかく甘いのにしょっぱくしてどうする。それは邪道というやつだな。」
そう言う人も一定数いるけど、スイカも野菜の一種だから食べ方としては決して間違っていないんだよな。塩をかけると塩分も補えるし、甘さが引き立つ。あ、明日も朝一で冷やしておこう。
「え?甘さが引き立つのか?まぁ…一口だけなら試してみても…ハチミツはどうだ?あまいとあまいでうまいはず……なに?!スイカで?!もがっ!!」
口を塞がれたな。でも何でそんなに驚いたんだろう。
「すまんすまん。それは陽太郎も喜びそうだな。味見係ならいつもどおり我に任せてくれ。」
スイカを使った新しいレシピを思いついたのかな?だったらすごく楽しみだな。
「で…さっきは本当に何もなかったのか?…何がって、陽太郎にしっかり抱かれていたではないか。何とも思わなかったのか?」
またその話か…止めた方がいいかな。でもちょっと気になるような…いや、盗み聞きはよくないよな。
「ほぉ~~~ん(ニヤニヤ)。それはそれは…日頃から肉体労働に励んでいる甲斐があったな。……ふむふむ、かっこよかったか、そうかそうか~(ニヤニヤ)。で、惚れたか?惚れたのか?」
「ごほんっ!!」
「はっ!まずい、起きたか…?」
これ以上は今聞くべきことじゃないので、わざとらしく咳払いをした。今さらずっと起きていたとも言いにくいし、今かなりだらしない顔をしているだろうから、絶対に見られたくない。おれのかわいい子豚さんはおれに優しいね、とは何度も言ってくれるけど、かっこいいと言われたことはない。いや今も別に本人から直接聞いたわけではないんだけど…
「そうだな。それについてはまた詳しく教えてくれ。…おやすみなさい。」
それから少しして、すぅすぅという寝息とぷぅぷぅという寝息が聞こえてきた。おれはというと、かっこよかったという言葉を反芻しながら、あの時必死で抱きしめたおれのかわいい子豚さんの温もりを今さら思い出して、一気に目が冴えてしまった。眠れない夜を過ごしたことがバレたら、虎にからかわれるのが目に見えている。それに、夜中に起こしたからとおれのかわいい子豚さんに罪悪感を持たせてしまう。
そうならない為にもこの胸のドキドキを鎮めなければと、昼間に虎が話した怪談を頭の中で一から再生することにした。けど途中でどうしても「ふむふむ、かっこよかったか」が出てきてしまって、もうどうにもならなかった。
ー完ー
そんなある日の昼休憩中、一番暑さにやられている虎が、ぐでっと舌を出しながら、「こうなったら肝から冷やそう」と言出だした。
「肝から冷やすって…もしかして」
「そうだ。我がとっておきの怪談話を聞かせてやる。」
「虎が聞くんじゃなくて?」
「話してて冷える」
「おれのかわいい子豚さんは、怖い話は平気ですか?」
「あんまり得意じゃないけど…まだ明るいから大丈夫でしょ!少しでも涼しくなりたいですお願いします。」
それを聞いた虎は、待ってましたと怪談師になりきって、雑誌に投稿されていたという話から、長く生きてきた怪モノならではの結構ゾッとする話を披露してくれた。
おれのかわいい子豚さんいわく、その語り口は有名な怪談師の稲川淳蔵に似ているそうだ。
「とうだ?これで少しは涼しく…ならんな。うぅ、暑い…たくさん話したら喉が乾いた。」
「ありがとう虎。はい、水。スイカも冷やしてあるから、後で食べよう。」
「おお!スイカ!暑い時に食う冷えたあまぁいスイカはさぞ格別だろう…。我はそれまでなんとか生き延びるから、お前らも無理はするなよ?」
虎の言葉に頷いて、おれのかわいい子豚さんは台所へ、おれは畑へ向かった。
その後も暑さは引くどころか増していき、おやつの時間になる頃にはTシャツを三回着替えた。
虎が言ったように冷えたスイカがひときわおいしく感じ、三人で一玉をあっという間に食べてしまった。
日が沈むといくらか暑さは落ち着いたけど、それでもまだ過ごしやすいとは言えない。たくさん汗をかいて疲れていたせいか、その日の夜は布団に入ってすぐに眠りに落ちた。
しばらくすると夢か現実か、誰かがおれを呼ぶ小さな声が聞こえてきて、それはどんどん大きくなっていった。
「陽太郎」とハッキリ聞こえて目を開けると、おれのかわいい子豚さんがすぐ傍にいた。
これは夢なのか?そう思ったけど、肩を揺すられているうちにだんだんと目が覚めていき、これは夢じゃないことに気づく。
覚めかけの身体をのそりと起こす。頭はまだぼんやりとしている。
「おれのかわいい子豚さん…?どうかしましたか?」
「こんな時間に起こしてごめんなさい。あの……お手洗いに、ついてきてほしくて………」
一気に目が覚めた。
おれのかわいい子豚さんがうちに来てから、こんなお願いをされたのは初めてだった。
一人で歩けないくらい具合が悪くなってしまったのだろうか。でも、それにしてはなんというか……。もじもじして、恥ずかしそうにしている。
昼間に聞いた怪談を思い出して、怖くなってしまったのだと察しがついた。そしてそれは当たっていた。
おれのかわいい子豚さんは布団に入ったものの、虎の話を思い出して眠れなくなり、そのうち天井の木目が顔に見えてきて、そんな時に限ってトイレに行きたくなってしまった。でも後ろに誰か立っていたらと思うと、怖すぎてどうしても一人で行けないと、申し訳なさそうに話してくれた。
普段わがままの一つも言わなければ、迷惑の一つも掛けないおれのかわいい子豚さん。そんな彼女がおれを頼ってくれたのが嬉しくて、内容もなんだか子供みたいでかわいくて、思わず頭を撫でてしまった。
さらさらの髪の毛が、手のひらに心地良い。
いや、まて。こんなことをしている場合じゃない。さっきからずっと、おれのかわいい子豚さんはお手洗いに行きたいのに行けてない。
急いで布団から出て、ランプを取って明かりを点ける。
「さ、行きましょう。」
手を差し伸べると、おれのかわいい子豚さんはその手を遠慮がちに取って立ち上がった。
足取りはしっかりしている。体調は大丈夫そうだ。
「本当にごめんね。せっかく寝てたのに。」
「これくらいお安い御用ですよ。暗いから、足元に気をつけてくださいね?」
緊張からか、冷えて強張っているおれのかわいい子豚さんの手を引いて、なるべく急ぎめでお手洗いに向かう。
風で揺れる夏草が、ざぁざぁとやけに大きな音を鳴らしている。特別怖がりではなくても、なんだか不気味な感じがする。
何事もなくお手洗いの前に着くと、おれのかわいい子豚さんはおれの手から離れて、戸に手を掛けて振り向いた。
「音とか恥ずかしいから離れた所にいてほしいけど、絶対近くにいてね?」
おれのかわいい子豚さんの必死のお願いは、なかなかの難題だった。
離れてるけど近い場所…なぞなぞみたいだな。要するに、音が聞こえなければいい
おれは廊下の曲がり角を指差して
「わかりました。そこで耳を塞いで待ってますから、安心して行ってきてください。」
絶対だよ?ねぇ絶対だよ?と念を押しながら、ようやくおれのかわいい子豚さんがお手洗いに入った。お手洗いの入り口にランプを置いて、約束したとおり少し離れた曲がり角で耳を塞いで待っていると、お手洗いの中から、陽太郎いる?!と、耳を塞いでいても聞こえるくらい大きな声がして、
「はーい!いますよー!」
おれもちゃんと聞こえるように大きい声で返事をした。怖い思いをしているおれのかわいい子豚さんには申し訳ないと思いつつ、新たなかわいい一面を見れて頬を緩ませていると、後からポンポンと肩を叩かれた。人の手だ。おれのかわいい子豚さんはまだお手洗いから出てきていない。
まさか泥棒?それとも…と肝を冷やして後ろを振り返ると、
「うらめしや!!」
「うわぁー!!」
すぐ目の前に顔のない顔があった。お手洗いにいるおれのかわいい子豚さんもおれの声に驚いたのか、ぎゃーー!!!と悲鳴を上げた。それから、えっなに!?やだ!!怖い!陽太郎!?と言いながらだいぶ慌てた様子で飛び出してきた。それを見た瞬間、おれのかわいい子豚さんだけは守らないとと気を持ち直し、急いで駆け寄った。手を引いて抱きとめて、何も見えないように頭を胸に抱え込み、何も聞こえないように腕で耳を塞いだ。怖い怖い何どういうことこれ今どうなってんのと息継ぎもしないで錯乱しているおれのかわいい子豚さんに、
「怖がらせてすみません。大丈夫だから、しばらくこのままじっとしていて?」
できるだけ落ち着いた声で言い聞かせてから振り返ると、
「どうだ、驚いたか?」
ポンッ!と白い煙の中から虎が現れた。
「は…?虎…?」
「大きな声が聞こえて何事かと起きてくれば…二人で肝試しをしてたんだろう?ならば我が一肌脱ぐしかあるまい!夜中に男女二人で肝試し…『きゃっ!こわいわ…』『大丈夫、俺が守ってあげる』そして芽生える恋…!くぅ〜!これぞ夏!!」
「一人で盛り上がってるとこ悪いけど、肝試しじゃないから。それにおれを驚かせてどうするのさ。いやおれのかわいい子豚さんを驚かせるよりはいいんだけど…。はぁ、心臓止まるかと思った…」
すると腕の中のおれのかわいい子豚さんがもぞもぞ動いて、虎?と言った。
「あっすみません。」
抱えたままだったおれのかわいい子豚さんを離すと、虎が足元までやってきて、
「陽太郎お前…!しっかり混乱と暗闇に乗じてやることはやっていたのだな?見直したぞ!」
と、短い腕を組んで頷いた。
「そういうのじゃないから。」
「そう照れるな。おれのかわいい子豚、お前はどうだった?ちゃんとドキドキできたか?」
おれのかわいい子豚さんは、とてもドキドキした。お手洗いを済ませる前だったらと思うとゾッとする。と言った。虎はまた満足そうに、そうかそうかと腕組をして頷いた。虎が求めてるドキドキじゃないと思うけど、嬉しそうなので黙っておくことにした。
「で、この後は勿論一緒に寝るのだろう?」
「寝るわけないだろ!」
「ちぇー、つまらん。では我がおれのかわいい子豚と一緒に寝てやろう。怖がらせてしまった詫びだ。」
「そんなこと言って、本当は虎も怖いんじゃないの?」
「ぎくっ!!そんなこと、あ、あるわけなかろう。我はおれのかわいい子豚が怖くないようにと思って言っているのだ。お前が一緒に寝てやらないなら、我が守ってやるしかあるまい。」
「だそうですが、どうしますか?」
おれのかわいい子豚さんはしゃがんで虎に、是非お願いしますと答えた。「仕方ないな~」と嬉しそうにしている虎を見て、少しうらやましいと思ってしまった。お手洗いの入り口に置いておいたランプを取って、行きと同じようにおれのかわいい子豚さんに手を差し伸べた。
「転ぶと危ないですから。」
おれのかわいい子豚さんはありがとうと言っておれの手を取り、三人で寝室へと向かった。
「陽太郎、お前は怖くないのか?」
「一人だったら怖かったかもな。」
「じゃあ三人で寝るか?」
虎の提案におれのかわいい子豚さんも頷いて、寝起きが怪モノみたいだから驚かせてしまうかもしれないけど、と言うと、虎がははは!と笑った。
「しかし、陽太郎の夏の寝相は最悪といっていい。我も一緒に寝るのを躊躇う程だ。身の安全の為にも、襖を開けるだけにしておいた方がいいやもしれん。」
「確かに…起きたら帯がとんでもない場所に落ちてたり、枕も全然違う場所にあったり…」
「時計の針と同じような動きをしていたぞ。我はそれで布団から押し出された。」
そんな話をしているうちに寝室に着いた。おれのかわいい子豚さんはおれの手から離れ、本当にありがとう、おやすみと言って虎と一緒に自分の布団に入っていった。挨拶を返してランプの明かりを消してから、おれも自分の布団に入った。
いつも閉じている襖が開いていると、なんだか妙にそわそわしてしまう。ちらっと見ると、ちょうど虎がおれのかわいい子豚さんの顔の横に陣取っていた。よかったようなよくないような、なんともいえない気持ちで目を閉じてしばらくすると、二人が何やら話し始めた。おれのかわいい子豚さんは声の大きさをかなり落としているみたいだけど、虎はとにかく声が大きい。本人はこそこそ話しているつもりなんだろうけど、普通に耳に入ってくる。
「ん?さっきか?さっきはのっぺらぼうに化けてみた。我ながら天才的な変身だったぞ?自分で見たら気絶していただろうな。」
確かにあれは驚いたけど、変身した自分の姿を見て気絶するって…
「あの木目?…どう見ても我にはきゅうりの漬物にしか見えん。ぬか漬け?…あぁ、かぶもうまいな。ふむ、たくあんか。悪くないな。」
明日の朝は漬物を多めに用意するか。
「それにしてもおやつに食ったスイカうまかったな~。は?塩?せっかく甘いのにしょっぱくしてどうする。それは邪道というやつだな。」
そう言う人も一定数いるけど、スイカも野菜の一種だから食べ方としては決して間違っていないんだよな。塩をかけると塩分も補えるし、甘さが引き立つ。あ、明日も朝一で冷やしておこう。
「え?甘さが引き立つのか?まぁ…一口だけなら試してみても…ハチミツはどうだ?あまいとあまいでうまいはず……なに?!スイカで?!もがっ!!」
口を塞がれたな。でも何でそんなに驚いたんだろう。
「すまんすまん。それは陽太郎も喜びそうだな。味見係ならいつもどおり我に任せてくれ。」
スイカを使った新しいレシピを思いついたのかな?だったらすごく楽しみだな。
「で…さっきは本当に何もなかったのか?…何がって、陽太郎にしっかり抱かれていたではないか。何とも思わなかったのか?」
またその話か…止めた方がいいかな。でもちょっと気になるような…いや、盗み聞きはよくないよな。
「ほぉ~~~ん(ニヤニヤ)。それはそれは…日頃から肉体労働に励んでいる甲斐があったな。……ふむふむ、かっこよかったか、そうかそうか~(ニヤニヤ)。で、惚れたか?惚れたのか?」
「ごほんっ!!」
「はっ!まずい、起きたか…?」
これ以上は今聞くべきことじゃないので、わざとらしく咳払いをした。今さらずっと起きていたとも言いにくいし、今かなりだらしない顔をしているだろうから、絶対に見られたくない。おれのかわいい子豚さんはおれに優しいね、とは何度も言ってくれるけど、かっこいいと言われたことはない。いや今も別に本人から直接聞いたわけではないんだけど…
「そうだな。それについてはまた詳しく教えてくれ。…おやすみなさい。」
それから少しして、すぅすぅという寝息とぷぅぷぅという寝息が聞こえてきた。おれはというと、かっこよかったという言葉を反芻しながら、あの時必死で抱きしめたおれのかわいい子豚さんの温もりを今さら思い出して、一気に目が冴えてしまった。眠れない夜を過ごしたことがバレたら、虎にからかわれるのが目に見えている。それに、夜中に起こしたからとおれのかわいい子豚さんに罪悪感を持たせてしまう。
そうならない為にもこの胸のドキドキを鎮めなければと、昼間に虎が話した怪談を頭の中で一から再生することにした。けど途中でどうしても「ふむふむ、かっこよかったか」が出てきてしまって、もうどうにもならなかった。
ー完ー
12/12ページ