冗談
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
今日は陽太郎の誕生日。この日の為に数ヶ月前から村長に紹介してもらった割のいい内職で資金を稼ぎ、陽太郎にばれないよう細心の注意を払って着々と準備を進めてきた。
夕飯は秘密裏に仕入れたとても良い肉と、村の人たちがあれもこれもとたくさん持ってきてくれた食材と酒、それから陽太郎の健康野菜をふんだんに使って、張り切って豪華な食事を作った。
内職も食事内容の考案・試作も虎にだいぶ手伝ってもらい、おかげで夕飯の場は大成功。陽太郎は何度も感謝の気持ちを述べながら、残さず美味しそうに食べてくれた。
しかし本番はこれから。夜廻りには二人で行ってもらって、私は家に残って準備に取り掛かる。
洗い物を怒涛の速さで終わらせ、部屋の飾り付けをすべく、途中何度か滑りながらも走って移動し、私の部屋の押し入れに隠しておいた小道具一式を引っ張り出した。
空間概念はお座敷遊び。虎が考案した、虎から陽太郎への贈り物だ。
これがしたいと相談された時、何故お座敷遊びなのか聞いたら「朝から晩まで働き詰めで、大の男がオトナの遊びの一つも知らないとは情けないからな。」と言っていた。
きっとまた雑誌かなんかで得た情報なんだろうけど、おもてなしとしてはすごくいい案だと思った。
お座敷遊びの内容もほとんど虎が考えたもので、オトナの遊びという名に相応しい内容だ。
そこには邪な気持ちも含まれているけど、喜ばせたい気持ちは同じだし、あれだけ内職に付き合ってもらったんだから協力は惜しまない。
何往復かして道具を居間へ移動させ、気合を入れて飾りつけに取り掛かる。
まずは雰囲気ばっちりの和紙照明を設置し、そこに金屏風を立てた。
この金屏風は村長が快く貸してくれたものだ。陽太郎の留守を見計らって、内緒で私の部屋に搬入までしてくれた。
あまり大きいと準備の時に一人で運ぶのは大変だからと、小さめのものを蔵から探し出してきて、なんと小太鼓まで付けてくれた。
村長に深く感謝しつつ、立てた金屏風の正面に回り、遠目から見てずれていないか入念に確認した。
見映えの良さそうな場所に陽太郎の座布団を置いて、そこに座ってこうして見てみると、簡易的ではあるけどなかなかにそれっぽい。やはり金屏風を借りてきて正解だった。在るのと無いのとでは全然違っていただろう。
次にお膳とお酒の準備をして、帰ってくるまでに自分の身支度も済ませておきたい。
陽太郎の驚く顔に想いを馳せつつ、急いで居間を後にした。
****
おれのかわいい子豚さんと虎が用意してくれたご馳走を食べた後、虎に急かされてほんの少しの食休みをしてから怪モノ退治に出た。
おれの野菜を活かして、あんなに手の込んだ料理を作ってもらえて、農家冥利に尽きる。
ちょうどいい火加減で焼かれたあの肉も、相当良い肉だったと思う。
おれのかわいい子豚さんの手料理はいつもおいしいけど、今日は一段と美味しく感じた。
二人には本当に感謝しかない。村のみんなにもちゃんとお礼がしたい。
探索中なのに感動の余韻が抜けず、このままではまずいと頭を切り替える。
でも、虎が鬼気迫る速さで怪モノを喰らっていき、あっという間に退治を終え、帰り道は背中に乗せてくれた。
「陽太郎、お楽しみはこれからだぞ。」
「どういうこと?」
「家に着いたら我からの贈り物をくれてやる。」
「もうくれたじゃないか。」
「お前への祝いがあれだけで済むと思うな。今頃おれのかわいい子豚が張り切って準備をしてくれてるはずだ。」
胸がじんと熱くなる。こんなに祝ってもらえるなんて、思ってもみなかった。一人で暮らし始めてからは、誰かに言われるまで自分の誕生日を忘れてたなんてこともよくある。
傍にいてくれて、おめでとうの言葉だけでも十分うれしいのに…本当に、身に余る。
「急ぐぞ。振り落とされるなよ!」
「……ありがとう、虎。」
勢いよく駆け出した虎にしがみつき、夜風を切って家路に向かう。
山をかき分けて、流れていく景色が新鮮で。自分では絶対に出せない疾さに、内心子供みたいに喜んだ。
心地よい夜風を浴びながら家に戻ると、虎はおれを縁側で下ろした。
「呼びに来るまでここでおとなしく待っていろ!いいか?絶対にここを動くなよ!」
そう念を押して、狸の姿になって走って行ってしまった。
明かりの消えた暗い居間へと続く障子戸は閉まっていて、その代わりに置かれた行灯が縁側をぼんやりと照らしている。
ぽつんと置かれた桶の中にはたくさんの氷と、汗をかいた瓶ビール。その横にはコップと栓抜きが添えられていて、グラスの下に敷かれた紙には、虎の字で「のめ!」と書かれている。
二人がどれだけこの日の為に頑張ってくれたかを考えると、あまりの嬉しさに胸がいっぱいで、涙が出そうになる。
ずいぶん前から二人が夜な夜な何かしていることは知っていたけど、まさか自分の為だとは思っていなかった。
ビールの栓を抜き、コップに注いでありがたく頂くと、苦味と炭酸の刺激が熱くなった喉に沁みた。こんなに美味しい酒を飲んだのは、生まれて初めてかもしれない。
飲み終えてしまうのが惜しくて、噛みしめながら少しずつ味わって飲んでいると、障子戸の向こうから「お入りになって~」と、虎の変な声が聞こえた。
コップを置いて、恐る恐る障子戸を開く。パッと明かりが点いて、目の前には見慣れた居間ではなく、きらびやかな空間が広がっていた。
外とは正反対の明るさに目を眩ませていると、ズボンの裾を引かれた。
足元を見ると、白塗りに真っ赤な頬紅と真っ赤な口紅、髪飾りまで付けた虎がいた。
片目を閉じておれに目配せをした後、手を引いて座布団に座らせた。
「虎子どす!ここでもうしばし待っていろ!」
そう言って、奥に引っ込んでいった。
部屋の中を見渡すと、正面にはどうやって用意したのか、金屏風が立てられてる。奇麗な和紙の間接照明が金屏風に反射していて、豪華な空間を演出している。
置かれている御膳には、塩辛と漬物といった、晩酌にちょうどいい肴が乗っている。
でも、これって、もしかして……
「いらっしゃいませ~」
裏声の虎と一緒に、お盆を持ったおれのかわいい子豚さんが入ってきて、その瞬間目を奪われた。
おれの隣に静かに座ると、「おれのかわいい子豚どす」と言ってにこっと笑った。竜ここが竜宮城だと言われても納得してしまう。
美しい所作で徳利を勧めてきたので、慌ててお猪口を持つと、とくとくとお酒を注いでくれた。
おれのかわいい子豚さんから甘いお花みたいないい香りがして、なんだかちょっと緊張する。
「これは我が人間用に作った特別な酒だ。自信作だから安心して飲めどす!」
「ありがとう。いただきます。」
口に含むとまろやかで、桜の香りが鼻に抜けていく。本当に美味しい。キレもあって爽やかな呑み口で、いくらでも飲めそうだ。
「うん、これ、すごくおいしいよ!」
「そうだろうそうだろう?今から踊りを披露するから、ゆっくり飲みながら楽しんでくれ!おれのかわいい子豚、行くぞ。」
虎が金屏風の前に移動し始めると、呼ばれたおれのかわいい子豚さんは縁側に置きっぱなしにしてしまっていたビールとコップを持ってきて、残りを注いでくれた。
虎は何度か深呼吸をしてから姿勢を正して、おれのかわいい子豚さんが金屏風から少し離れたところに置いてある小太鼓の前に座ると、二人は目配せをした。
おれのかわいい子豚さんがバチを構える。ふぅと息を吐いてから、拍子を取るように太鼓を数回叩いた。
“月がぁ~♪あ出た出ぇ~たぁ~♪ン月が~あ出たぁ~あよいよい♪”(ドンドン!)
おれのかわいい子豚さんの太鼓に合わせて、虎が歌って踊っている。
これも今日の為に練習してくれたんだと思うと、微笑ましくてうれしくて、あったかい気持ちになる。同時に、白塗り顔で短い手を一生懸命動かして踊る姿は、どうにも笑いを誘う。
手拍子をしながらおれのかわいい子豚さんを見ると、今にも笑い出しそうな顔をしていた。
無理もない。小節がきき過ぎているというか、歌い方のクセが強い。
聴けば聴くほど笑いを誘う。
虎の渾身の踊りと歌が終わり、大きな拍手を送ると、二人は一礼してから金屏風の裏に入った。それから後ろ手に何かを隠しながら小走りでやってきて、おれの前に並んで座った。
うれしそうな二人の顔をこうして正面から見ると、あぁ、幸せだなと思う。
最初に隠していた手を出したのは虎だった。
「陽太郎、改めて誕生日おめでとう!」
手紙だ。市松模様が描かれている封筒いっぱいに、一番太いペンでおれの名前が大きく書いてある。
「ふふっ、今読んでもいいか?」
「え~?しかたがないな~…いいぞ!」
照れてもじもじする虎の頭を撫でてから、封筒を開けて手紙を開いた。
陽太郎へ
たんじょうびおめでとう。
おまえといるとまいにちたのしくて
しあわせというものを
たくさんしることができた。
やさしすぎるのがしんぱいだが
それはおまえのつよさでもある。
これからもおれのかわいい子豚といっしょに
ずっとおまえのそばにいる。
うまれてきてくれてありがとう。
虎より
「虎……ありがとう。すごくうれしいよ。」
「へへへ~♪」
涙で目の前が少しぼやけてきて、手紙に落ちてしまわないよう慌てて上を向く。前からも鼻をすする音がした。おれのかわいい子豚さんも上を向いて。目尻を指で拭っていた。
「次はおれのかわいい子豚の番だぞ?」
おれのかわいい子豚さんは頷くと、おめでとうと言って大きめの包みをおれに差し出した。
「ありがとうございます。開けてもいいですか?」
涙目で頷くおれのかわいい子豚さんの手を握ってから丁寧に包みを開けると、麦わら帽子が入っていた。
「わぁ…すごく嬉しいです!これからの時期にぴったりだ。」
手に取ってみるとしっかりとした作りで、触り心地もいい。さっそく被ってみたらとてもしっくりきて、長時間被っていても全く苦にならなさそうだ。
「似合ってますか?」
「うん!すごく似合ってる!」
「あぁ、よく似合っているぞ!」
幸せすぎて、本当に夢みたいだ。
おれのかわいい子豚さんにも同じ麦わら帽子を贈って、お揃いで被れたらいいな。
そんなことを考えながら、汚してしまわないよう、ひとまず手紙と帽子を箱にしまう。
「さて…贈り物も無事渡せたことだし、これより先はオトナの遊びの時間だ。なんとお触りもあるぞ?しばし待つどす!」
虎とおれのかわいい子豚さんは頷き合って、二人でいそいそと部屋を出て行った。
「オトナの遊び」「お触り」という言葉に、やっぱりな思ったけど、もらった感動が大きすぎて追求できなかった。
贈り物を見て、また目頭が熱くなる。お猪口の中の酒を、一気に飲み干した。
****
「ふふふっ。陽太郎、嬉しそうだったな!」
「うん。準備頑張ってよかったね。」
ご機嫌の虎子の顔に、化粧直しのおしろいを惜しげもなくバフバフはたく。陽太郎の誕生日会が成功している手応えに、私の気分も高揚していた。次に虎子の口に口紅を塗り直しながら、次に控える“オトナの遊び”を思うと、一気に緊張してきた。
深夜に二人で内職中、虎から是非やってほしいとお願いされたこの遊び。深夜特有の脳内麻薬みたいなものが分泌されていたせいか、「いいね、やろやろ!」と二つ返事で安請け合いしたはいいものの、いざ本番を前にすると怖気づく。
「ねぇ、本当にやるの?あれ。」
「もちろんだ。これが今日の目玉と言っても過言ではないからな。」
虎子の手紙に感動して、泣いて崩れた化粧を直しながら、頭の中で流れを確認していく。本物の芸子さん相手ならまだしも、相手がコレでは全然嬉しくない気がする。私にとっては最高の内容なんだけど…。
「本当に大丈夫かな?」
「そう心配するな。今日一喜ぶ。我が保証する!で、あわよくば…わかってるな?」
あわよくば。
そう、お座敷遊びをいいことに、あわよくばうっかり陽太郎の唇を奪いにいこうという魂胆だ。
確かに、せっかくこうして着飾ってるのに、弱気になってはいられない。お触りだってできている。ここまで来たからには、徹底的にやってやろうと覚悟を決めて、虎子の目を見て力強く頷いた。
「いい目だ……よし、行くぞ!」
用意していた小道具を持って、私たちは颯爽と居間へ向かった。
「おまたせしました~」
虎子の後に続いて部屋に入り、金屏風の裏に小道具を置いてから、打ち合せ通り虎子は小太鼓の前に、私は陽太郎の隣に座った。
空になったお猪口にお酒を注ぐ。緊張しているせいか、少し手が震える。
大丈夫、しっかり。今の私は花魁…じゃなかった。舞子?芸姑?とにかくそれ。
そう言い聞かせて気持ちを作り、陽太郎の膝の上に手をそっと乗せて、小首を傾げる。
「旦那様?今から一緒に、お座敷遊びをしませんか?」
陽太郎は注がれたお酒を一口飲んで、しばらく私の顔を眺めてから
「おれ今、起きてますよね?」
ずいぶんお酒が進んでいるようだし、さすがに酔いが回ってきたのだろうか。
それならばと、ここぞとばかりに膝陽太郎の膝をさする。
「ばっちり起きてますよ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです。旦那様だなんて……夢でも見てるのかなって。」
ふにゃっと笑う陽太郎に、胸をずきゅんと射抜かれた。
今のは反則級に可愛かった。
これがいつもの縁側だったら、間違いなくその場で倒れていたと思う。
でも今は倒れている場合じゃない。これからあわよくば…なのだから、倒れるのはその後だ。
「さぁ、こちらへどうぞ。」
陽太郎の大きな熱い手を引いて立ち上がると、普通にすっと立った。足にはきてなさそうだ。
そのまま現場まで連れていき、金屏風を横に見る方向で座布団の上に座ってもらった。
虎子がドンと合図の太鼓を叩く。金屏風の裏に隠していた小道具のうちの一つ、厚紙で作った箱を取って陽太郎の前に置いた。
この箱は拳が余裕で入るくらいの穴が空いていて、中には遊びの名称が書かれた紙が五枚入っている。陽太郎に一枚引いてもらって、そこに書いてある遊びをしましょうということだ。
説明を聞いた陽太郎は、ぱぁっと明るく笑った。多分結構酔っている気がする。
「わぁ、面白そうですね!」
そう言って、躊躇なく箱に手を入れた。
「何が出るんだろう……」
何が出るのかは、もう分かっている。
「はい、取れました。どれどれ……棒状野菜遊戯?」
そう書かれている紙しか、箱には入っていないのだから。
虎子がドンと太鼓を叩く。金屏風の裏から二つ目の小道具を取り出して、陽太郎と向かい合って座る。
私が手にしているのは、棒状に切ってさっと茹でた人参と、同じく棒状に切ったきゅうりを立てたコップ。
今からする遊びは、虎が太鼓を叩くたびに、この棒状の野菜を両端から二人で食べていって、先に野菜を折ったら負けという遊びだ。
その説明を聞いた陽太郎は
「なるほど…それってつまり、度胸試しみたいなものですか?」
「まぁそんな感じ!相手が私で申し訳ないんだど…あ、嫌だったら他の遊びにする?」
「嫌などころかむしろ…でも、こんな形で本当にいいんですか?もしどちらも折らなかったら……ついちゃうんですよ?」
それが狙いなので、ただ一言、「私は負けないどす!」と力強く宣言した。
すると陽太郎は顔を赤くして
「さっき言ってたオトナの遊びって、そういうことだったのか…」
はぁ~、と長い溜息をつきながら
****
いくら遊びで少し酔っているとはいえ、間違って唇が触れてしまってはいけない。遊びで触れていいものじゃない。
でもおれのかわいい子豚さんは、「私は負けない!」って言ってるし…それって唇が触れても構わないということか?…いや違うだろ。勘違いするな。あくまでこれは、お座敷遊びの再現に徹底しているだけだ。
そうだ、途中でおれが折ればいい。それならうっかり唇を奪ってしまうようなこともない。
初めての口づけは、然るべき手順を踏んでから良い雰囲気の中でしたい。といっても、まだ気持ちを伝えてもないし、おれのかわいい子豚さんがおれをどう思っているのかすらわからない。
嫌われてはいないと思うし、どちらかといえば好意的な感じはするけど、なんとなく男として見てもらえていないような気がする。
気を許してもらえているのはすごくうれしいけど、それはそれで色々と困る。
そんなことを考えていると、ドン!と太鼓が鳴った。
「先に折った方は罰としてほっぺにちゅうだ!」
「は?!」
それは罰になってないような気が……
「案ずるな、するのは我だ!」
しっかり罰だな。
「行くぞ!」
虎がもう一度ドン!と太鼓を叩くと、おれのかわいい子豚さんは間に置いてある箱をどけて、膝を突き合わせた。表情からは、緊張と好奇心が伺える。
かわいい。食べてしまいたい。
本当に、するのか…?
棒状の人参が、口元に近付いてくる。
「はい、あーん。」
小さく口を開けたおれのかわいい子豚さんにつられて口を開くと、そっと人参が差し込まれた。手が離れると落ちそうになって反射的に咥えてえてしまい、図らずも準備が出来てしまった。
覚悟が決まらないうちに腕を掴まれて、おれのかわいい子豚さんが端を口に咥えた。
刺激的な光景に、頭と顔が一気に熱くなる。
思った以上に近くて、自分の鼓動が太鼓に負けないくらい鳴ってる。
伏し目が色っぽくて、甘い香りがして、近すぎて、汗が止まらない。
おれのかわいい子豚さんが手を挙げると、ドンと太鼓が鳴って、顔がもっと近付いた。
目のやり場に困って目を伏せていると、催促するように腕をポンポンと叩かれた。太鼓の音が食べ進める合図だと気づき、ほんの少しだけ齧って口を進めた。
ドン!ドン!と太鼓が鳴るたびに両端から食べ進めて、一口ごとに着実に近づいていく。唇と唇が本当についてしまうかもしれない緊張感に、身体中に響いているのが太鼓の音なのか、それとも自分の心臓の音なのか分からなくなる。
いよいよ鼻の先と先がつきそうなところで、誘惑に負けて取り返しのつかないことをしてしまう前に、自分から人参を折った。
口の中にある人参を、まともに噛み終わらないまま飲み込んだ。
「この遊びは、ちょと刺激が強すぎると思います。」
そう訴えると、おれのかわいい子豚さんは片手で顔をパタパタと扇ぎ、もう片方の手で口元隠して人参をもぐもぐしながら「おとなの遊びってすごいね」と恥ずかしそうに笑った。かわいすぎてどうにかなりそうだ。
酔っているせいか、いつもより気が大きくなっているのかもしれない。無性に抱きしめたくなって、手を伸ばしかけたその時だった。
「陽太郎の負けだな!」
いつの間にか横にいた虎がおれの腕を引いて、頬に口を強く押しつけた。
口よりも、濡れた鼻の方が気になる。
「おえっ」
そして、気分悪そうに小太鼓の前へ戻っていった。
まったく、失礼な奴だな。おえってなんだよ。
納得いかない気持ちで座り直すと、おれのかわいい子豚さんは下を向いて吹き出して、肩を震わせて笑っていた。
また太鼓がドンと鳴り、おれのかわいい子豚さんはきゅうりを取った。笑いを堪えているせいか、口元に差し出す手が震えている。手の震えがきゅうりに伝わって、きゅうりが小刻みに古いている。開けた口に中々入ってこない。しばらくの間、きゅうりの先で唇を小刻みに撫でられる時間が続いた。
見兼ねた虎がまた太鼓を叩いたので、おれのかわいい子豚さんの手を持ってきゅうりを口に咥えた。
「ごめん、真面目にやるね。」
おれのかわいい子豚さんは、失礼しましたと深呼吸をしてから、緩んだ頬を引き締めて端を口にした。真剣な眼差しは、きゅうりに向けられている。
こっちを見てほしくて、抱きしめたい気持ちをぐっと堪えて、代わりに肩に手を置く。
おれのかわいい子豚さんは驚いたように目を大きくしながらも、準備ができた合図をする為にスッと手を挙げた。それからその手をおれの膝に置いた。
まるで恋人同士みたいな親密な距離感に、どんどん冷静さを欠いていく。
ドン!と太鼓が鳴った。少し多めに一口を進めると、おれのかわいい子豚さんの瞳におれが映った。少しでも意識してほしくて、肩を持つ手にほんの少し力を込める。
細い肩が、手にすっぽりと収まる。腕はとてもやわらかい。
太鼓が鳴るたびに、きらきら輝く夜空みたいな瞳の中に吸い込まれていく。ずっとおれだけを見ててほしいと、願ってしまう。
鼻先が触れそうになったとき、おれのかわいい子豚さんが目をぎゅっと閉じた。
ドン!と鳴って、おれのかわいい子豚さんの顔がまた一つ近づく。鼻先が、かすめる程度に触れている。
このまま待っていればおれのかわいい子豚さんからしてもらえるのかな、なんてぼんやり考えていると、自然と顔が傾いた。
瀬戸際の太鼓がドン!と鳴った。おれのかわいい子豚さんが少し齧った。
唇を掠めるか掠めないかのところで、食べ進めようとしたとき。
「ひぃっきし!!!」(ドン!)
虎のでかいくしゃみで我に返り、慌てて折って顔を離した。
危なかった。雰囲気にのまれて、そのまま唇に触れてしまうところだった。ギリギリ触れてない、はず。
念の為触れてないか聞こうとしたら
「ちょっとしちゃったかな?」
おれのかわいい子豚さんがはにかみながら首を傾げた。
身体の奥から熱いものが一気にこみ上げてくる。
このままでは襲ってしまいかねないと思い、この場を一度離れようと立ち上がろうとした。
しかし、それは虎によって阻まれた。
「またお前の負けか。情けない奴め!」
さっきと反対側の腕を引かれ、頬に口を強く押しつけられる。
「おえっ」
不本意だけど、虎のおかげで少し落ち着いた。座り直したところで、おれのかわいい子豚さんがふっと吹き出して、おれの顔を見ながら笑い出した。
「顔、すごいことになってるよ。鏡見てきて?」
「すごいこと…?ちょっと見てきますね。」
頭を冷すのにちょうどいい。ついでに酔いも覚ましてこよう。
「虎、なんでおえってしたの?」
「なんでって、汗で湿った男の頬だぞ?おえっとなるだろうが。」
「怪モノでもそういうの気にするんだ…。」
二人の会話を背に部屋を出て、洗面所に向かう。
鏡を見ると
「うわぁ…。」
両頬におしろいが少しと、真っ赤な口紅がべっとりついていた。
「確かにこれは酷いな…」
落ちるのかなと鏡に頬を近づけて見ると、上唇の真ん中に、ほんの少しだけ、うっすらと口紅がついているのを見つけてしまった。
一瞬すぎて、もしかしたら掠めたかもしれない程度の記憶しかないけど、こうして痕が残っている。一生懸命その時の感触を思い出そうとしても、どうしても思い出せない。
でも、口紅がこうしてここに付いているということは………
頭を冷やしにきたつもりが、余計に熱くなってしまった。
最後の最後に貰ったとんでもない贈り物。落とすに落とせない。
虎が呼びに来るまで、洗面所から動けずにいた。
****
全然戻ってこない陽太郎の様子を見に行った虎子が、陽太郎を連れて戻ってきた。
顔を洗った様子もない。今まで一体何をしていたのだろう。
「心配するな。少々拗らせていただけだ。な?」
「はい、遅くなってすみません。」
いまいち要領を得ないけど、そのまま陽太郎をお膳の席に誘導し、私も虎子も隣に座った。
顔を洗わなかったということは、虎子のあの熱烈な“ほっぺにちゅう”がよほど嬉しかったのかもしれない。
思い出し笑いを噛み殺しながらお酌をすると、お猪口が口につく手前で陽太郎の動きが止まった。
「大丈夫?お水にしておく?」
心配になって顔を覗き込むと、煽るようにくいっと飲み干した。
「まだ全然大丈夫です。」
「陽太郎ならこれくらい量のうちに入らんだろう。どれ、我も頂くとするか。」
「おれが注ぐよ。おれのかわいい子豚さんも一緒に飲みませんか?ずっと動きっぱなしで疲れたでしょう?」
「じゃあ、お言葉に甘えて、ご一緒させてもらおうかな。飲み物取ってくるね。」
ついでに新しいお酒も持ってこよう。
陽太郎にお酌してもらったお酒を飲んだ虎子の「くぅ~っ!」を聞きながら、立ち上がって部屋を出た。
台所に入ってから、さっきの棒状野菜遊戯中の陽太郎を思い出していた。虎子とのやり取りには笑ってしまったけど、私の手を掴んできゅうりを咥えたときの、なんとも色っぽい陽太郎の顔が頭から離れない。
最初は照れてたのに、二回目から急に雰囲気が変わった。いきなり肩をお触りされてびっくりしたし、あんな、男を意識せざるを得ないような陽太郎を初めて見た気がする。
その上至近距離で熱っぽく見つめられて、恥ずかしさのあまり目を閉じてしまった。ものずごくドキドキした。
ほんの微かだけど多分唇が触れたし、もうあれは実質口づけだったといっていい。思い切って棒状野菜遊戯をやってよかったと、心の底から虎に感謝した。
ついでに簡単な追加のおつまみを用意して、自分の飲み物を乗せたお盆と一升瓶を片手に居間に戻ると
「とらこぉーありあとなぁ…おれは~…しあわせものだ~…」
陽太郎が出来上がっていた。
虎子がお触りどころかもみくちゃにされている。
「いきなりすごい酔ってるけど、これくらい量のうちじゃないんじゃなかったの?」
「うまく調整できてると思ったんだが…。」
「あ~!…おれのかわいい子豚さんら…ねぇ…こっち、きて…?」
困ったねーとか思ってもないことを言いながら、いそいそと陽太郎の隣に座る。私ももみくちゃにしてもらえるかもしれない。
「きょうは…ほんとうに…ありあとうございました……」
両頬に真っ赤な口紅を付けて頭をゆらゆらさせながら、それでも律儀にお礼を言う陽太郎がかわいらしくて、胸を死ぬほどきゅんきゅんさせてると、虎が私に耳打ちした。
「おい、おれのかわいい子豚。今が好機ではないか?」
「好機?」
「さっきは仕損じただろう。今度はしっかり唇を奪え。」
「そんな…いいのかな?まぁ、さっき実質したようなもんだし、明日になったらきっと覚えてないだろうし…ちょっとくらい…いいよね?一瞬
ちゅってするだけなら、いいよね?」
「あぁ、派手にぶちゅっとかませ!」
虎子と顔を見合わせ、お互いに力強く頷く。
まだお互いの気持ちを確かめ合ってないけど、陽太郎にとって私はそういう対象じゃないのかもしれないけど、誠に勝手ながら、どこぞの女に陽太郎の初めての口づけを渡すつもりはない。
陽太郎には申し訳ないけど……人助けで人工呼吸をしたとでも思って、私に思い出をください!
「きょうはずーっと、うれしくて…たのしくて………あ、ぎゅーってしても……いいれすか…?」
相変わらずゆらゆら揺れてる陽太郎の肩を掴んで、唇に狙いを定める。覚悟を決めたとはいえ、いざ目の前にするとやっぱり緊張する。
さっきみたいに熱く見つめられていたら、間違いなく怖気づいて何もできなかっただろう。幸いなことに、私を見ている陽太郎の目は今、ぽやぽやとしている。
それでは失礼してと、ドキドキしながらゆっくり顔を近づけていく。
鼻が当たらないよう顔を傾け、あと少し、太鼓一回分のところまできたとき。
陽太郎の顔面が私の頬とすれ違い、気づけば腕の中にいた。熱い身体に、ぎゅっと抱きしめられている。
「いいにおい……おれのかあいい、おひめさま………」
頭がずるずると下がってきて、陽太郎の全体重が私に乗ってくる。そしてそのまますぅすぅと寝息を立てて眠ってしまった。
「くっ…!ダメだったか…!あと一歩のところでなんと間の悪い!いや、今回は我の責任でもあるな。すまなかった。」
「いや、実質したみたいなものだし、ちょっとお酒くさいけど、こうして抱きしめられて幸せです。」
そう言うと、虎子は「そうか。ならばよしとするか!」と歯を見せて笑った。
「我の計画に付き合ってくれてありがとう。片付けは我がやっておくから、お前は陽太郎に膝枕でもしてやってくれ。」
「こちらこそ、色々手伝ってくれてありがとう。虎がいなかったら、こんなに凝った誕生日会できなかったよ。それに、こうして一緒にお祝いできて楽しかった。」
虎子の頭を撫でると、留めた髪飾りが少しだけ浮いた。
「ふふふ♪我も楽しかったぞ!」
機嫌良く食器を下げに行った虎子を陽太郎の肩越し見送りながら、陽太郎の背中に手を回して抱きついた。
この抱擁を忘れないように、ぬくもりを刻み込む。
結構重い陽太郎の頭をなんとか支えながら、自分も足を伸ばして楽な体勢で座り直し、膝の上に頭をそっと下ろす。
気持ちよさそうに眠る陽太郎の顔を見ていると、安心して気が抜けたせいか、心地良い疲れが一気に降りてきた。
陽太郎は楽しんでくれただろうか。
いつも色々気にかけてくれて、寄り添ってくれて、気付いたら私の中でかけがえのない、大きな存在になっていた。この世に生まれてきてくれて、本当に感謝しかない。
私も陽太郎の支えになりたい。これからもずっと一緒にいて、毎年誕生日を一番近くで祝いたい。
それにしても、寝顔はこんなにあどけないのに、きゅうりを咥えたときのあの顔はなんだったの?オトナの遊び、たまにでいいから定期的にやってくれないかな。でも、ずっとここにいられるとは限らないんだよね……
ぼんやりとした頭の中でとりとめなく巡らせながら、子どもを寝かしつけるみたいに、陽太郎の胸をとん、とん、となんとなく叩き始める。
片付けをする音を聞きながらそうしているうちに、私もだんだん眠くなってきて……
陽太郎の寝顔に、お誕生日おめでとうと最後まで言えたか定かじゃないまま、眠りに落ちてしまった。
「ん?おれのかわいい子豚も寝てしまったのか。まったく…誰がどう見ても想い合っているというのに、なんともじれったい……どれ、最後にひと肌脱ぐとするか。」
足のしびれで起きたとき、陽太郎の手と私の手が重なっていて、陽太郎のお腹の上では虎子が白目をむいて幸せそうに寝ていたのだった。
―祝―
【あとがき】
加筆に加筆を重ねました。陽太郎の誕生日のお話は、つい気合が入ってしまいますね。大昔の日本において、一般家庭で誕生日を祝う習慣は無かったとされていますが、祝いたすぎてこのように宴を開いた次第でございます。本当は他にも色々お座敷遊をしたかったのですが、怪モノ退治した後でそんな時間あるか?となったので割愛。メインも野球拳と迷いました。
陽太郎ハッピーバースデー!
4/12ページ