お手!
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
今日の配達先の最後の一軒。そこには可愛くて賢い犬がいる。名前はまさお。多分雑種。半年前におじいさんが亡くなってから、おばあさんと二人で暮らしているのだと、玄関先で並んでしゃがみ込んで撫でながら、陽太郎がこっそり教えてくれた。
まさおは村の皆からも可愛がられているらしく、とても人懐っこい。くりくりお目々でちょっととぼけたような顔をしている。
首の後ろを撫でると気持ちよさそうに目を細めて耳を下げ、すぐにごろんと転がってお腹を見せてくれた。本当に可愛くて、見ているだけでも癒やされる。
まさおを見る陽太郎の横顔も、虎に本を読んであげているときみたいにやわらかい。
和やかで、なんて幸せなひとときだろう。
「まさおはいろんな芸ができるんですよ。」
「芸?」
「まさお、おすわり。」
陽太郎が言うと、へそを出して寝そべっていた体勢からすっと立ち上がり、おしりを落として姿勢良くおすわりをした。
「わぁ、いい子だね~!」
「お手。」
まさおは褒められて嬉しいのか、しっぽをフリフリしながら、陽太郎が出した手のひらにぽんと右の前足を置いた。
「おかわり。」
今度は左。
「伏せ。」
地べたにお腹をつけて伏せ、陽太郎によくできましたと撫でられてご満悦なまさお。本当に可愛らしい。陽太郎とまさおが戯れている様子がまた大変微笑ましく、ずっと見ていられるし見ていたい。
癒やしと癒やしの相乗効果は半端なく、今見ているこの光景を映像で記録して残しておけるのであれば、絶対に毎晩寝る前に見ると思う。
と同時に、私も陽太郎に命令されて、よくできましたとまさおのように褒められたいとも思った。
それがちょっとえっちなことであれば、なおのこと………
逆だったらどうだろう。
陽太郎に「まて」からの「よし」をして、ちゃんとできたらたっぷり褒めてあげるっていうのは………
朝っぱらから本人の真横で、しかも人様の家の前で、癒やしを見ながらいやらしい妄想をしていると、陽太郎がすっと立ち上がった。
「ちんちん。」
耳を疑った。
今まさに考えていたことを読まれたのかと心臓がドキッと跳ねて、一瞬息が止まった。
すると、まさおがその場で後ろの二本の足で立ち上がった。へっへっへと言いながらちんちんを揺らして、一生懸命立ったままを維持している。
犬に仕込む基本からの応用の芸として、ちんちんはごく一般的だ。でもまさか、陽太郎の口から「ちんちん」が出るとは思わなかった。お手おかわり伏せの次はおまわりくらいかなと、勝手に思って油断していた。
動揺を悟られないように、まさおの見事なちんちんに称賛を送る。
「すごーい!たってる!本当に賢いね!」
これも陽太郎に言うが来るのだろうかと、またそんなことを考えてしまった。私はもうダメかもしれない。
「よくできました。お利口さんにはご褒美をあげないとな。」
陽太郎は籠から茹でたにんじんを取り出して、まさおにあげた。まさおはそれを美味しそうに食べている。
こんな微笑ましい状況で、本当に何を考えているのだろう。どうかこれも怪モノに憑かれている影響であってほしい。
でもできればもう一度、陽太郎の「ちんちん」が聞きたい。
「おれのかわいい子豚さんもやってみますか?」
「えっ?!」
まさおを羨む気持ちやら何やらが顔に出てしまっていたのだろうか。
察しが良くてやさしくて、面倒見のいい陽太郎。いつも先回りして私を気遣ってくれて、私はそれに甘えている。それでいいとされている。今回も、お言葉に甘えていいのだろうか。
「………いいの?」
「もちろん。ちゃんとできたら、たくさん褒めてくださいね?」
今の言い方だと、陽太郎が犬、ということになる。
確かに日頃から、どちらかというと陽太郎は犬っぽいなと思っていた。陽太郎自体は猫を飼うのに適していると思う。距離感というか、なんというか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
陽太郎にちんちんができる。
ちんちんと言われたとして、陽太郎がなにをどうするのかはわからない。わからないけどちんちんができる。でも、いきなりちんちんはさすがにあからさますぎるから、お手からちゃんと順を追っていこう。
突然訪れた夢のような機会に、胸のドキドキが止まらない。
「じゃあ、お言葉に甘えて…いきます。」
「はい、どうぞ。」
浮ついた気持ちを少しでも落ち着かせるため、すぅっと息を吸う。
そして
「お手!」
陽太郎の前に手を出すと、すぐにぽんと大きな手が置かれた。あまりにもためらいのないお手に、喜びに似た感動が湧き上がる。
陽太郎はというと、行動とは裏腹に面を食らっている。
「あの…」
「はい。」
「咄嗟のことでつい手を置いてしまいましたけど……これって、つっこむところでした?」
「え?なんで?」
「なんでって…もしかして、最初からおれにしようと思ってたんですか?」
手を重ねたまま、沈黙が流れる。
私はどうやら勘違いしていたらしい。恥ずかしすぎる。今すぐまさおの小屋に入りたい。
すると、陽太郎の手の甲に、少し遅れてまさおのお手が重なった。へっへっへと舌を出して、なんだか笑っているみたいに見える。
「まさお~!お手できたの?いいこだね~。」
この場をなんとか誤魔化してしのぎたく、何事もなかったかのようにまさおを撫でようとしたけど、その手はお手中の陽太郎の手に捕まってしまった。
「おれのかわいい子豚さん?」
虎の気持ちがよくわかる。笑ってるけど笑ってない。圧がすごい。
「ごめん…ちょっと勘違いしちゃって。」
「一体なにがどうなったらそんな勘違いをするんですか…あ、もしかしておれのこと、普段から犬みたいだと思ってます?」
「思ってないよ!ぽいなって思ったことはあるけど、普段からは思ってない。」
「本当に?」
「本当に!」
陽太郎が私の目をじっと見つめる。
卑猥な妄想をしていたこともあって、気まずいし恥ずかしいけど、嘘ではないから私も逸らさずじっと見つめ返す。
すぐ横ではまさおが撫でられるのを待っているのか、ずっとへっへっへってしている。
それを聞きながら、しばらく目と目で攻防戦を繰り広げていると、陽太郎がふっと吹き出した。
「おれのかわいい子豚さん、叱られてるときのまさおと同じ顔してますよ?」
「はぁ~?犬だと思ってるの、陽太郎じゃん。」
「犬だとは思ってませんけど、かわいいなとは思ってます。」
「ぐぅ……」
なんだか上手く躾されてるみたいで悔しい。でも、悪い気はしない。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか。逃げないように、家に着くまでしっかり離さないでくださいね?」
手を引かれて立ち上がり、まさおに「またね」と言って帰路についた。
道中、陽太郎の大きな手に握られたまま、その手を握り返せずにいた。
ちょっと汗ばんでいるところがなんかもうあれで、心臓がめちゃくちゃな音を立てている。
手を取り合ったり、手を引かれて歩くのは初めてじゃないのに、今日ばかりはとてつもなく恥ずかしく、とんでもなく意識してしまう。
握る手が力強いからだろうか。それとも、「ちんちん」って言ったのを聞いたからだろうか。
陽太郎が、なんとなくだけど、恋人っぽい態度を見せたからだろうか。
顔も見れなければ手元も見れない。
真っ直ぐより少し下、遠くの足元を見てなんとか歩いてるけど、持て余した熱のせいか、前ぼやけて見える。
いつだったかずいぶん前、大丈夫じゃないときは、無理をしないでちゃんと言ってほしい。亡くなった両親もそう言って気丈に振る舞っていたから、言ってくれた方が安心すると、陽太郎に言われたのをふと思い出す。
そのときの私は、確かこう答えた。
心掛けるようにするけど、大丈夫が口癖になってしまっているし、本当に大丈夫だと思っている。自分でも無理なのか無理じゃないのかイマイチわからないから、迷惑を掛けてしまってて申し訳ない、と。
陽太郎は理解を示してくれたけど、困った様子ではあった。
でも今は、はっきりとわかる。
「陽太郎、ちょっとまって。」
「どうかしましたか?」
「私今、大丈夫じゃないかも。」
陽太郎の足が止まる。
「少し休みましょうか。身体のどこが悪いとか、ありますか?」
顔を覗き込もうとする陽太郎から、思いっきり顔を逸らす。
破顔していくのをなんとか食い止めようと、さっきからわけのわからない表情筋の動かし方をしていた。だから今、相当変な顔をしているのが自分でも分かる。
こんな顔は見られたくない。
「心臓が…」
「心臓?!心臓が痛むんですか?!」
「破裂しそう。あと……不整脈。」
「大変だ…!すぐに医者を呼んできます。えっと、どこか座れる場所……」
必死の形相で辺りを見回している陽太郎。大変紛らわしくて申し訳ないことをしてしまった。早く誤解を解かないと。
でも、恥ずかしさが上回ってしまって、上手に伝えられる気がしない。
いや、そんなことを言ってる場合じゃない。早く誤解を解かないと。
「まって、違うの。原因は…」
依然としてしっかりと握られた手を上げて、心臓破裂寸前、不整脈の原因を陽太郎に見せる。陽太郎はそれをじっと見ながら状況把握を始めた。
ポクポクポクと、木魚の音が聞こえてくるようだ。
真っ赤な私の顔。ぎゅっと握られた、汗ばんだ手。
陽太郎の表情から、チーンと閃く音がした。
「そういうことですか…焦った……まったく、心臓に悪いのはこっちですよ。」
「ごめん…大丈夫じゃないときは、ちゃんと言えって言ってたから。」
「……それくらい、ドキドキしてるってことですか?」
陽太郎はどこか嬉しそうで、期待に満ちた目をしている。
「死にそうだから、できれば離してもらえると…」
「そうですか…あなたに死なれたら困ります。」
それなのに、手を離すどころか、さらにぎゅっと握られた。
陽太郎をチラッと見ると、とびきり嬉しそうというか、誇らしげというか、満足げというか。そんな顔をしていた。
また胸がぐちゃぐちゃに熱くなって、本当に不整脈を起こしそう。
「でも、約束は約束ですから。家に着くまではしっかり握ってて?」
握ってるのは陽太郎だとか、約束なんてしたっけとか、何か軽口を叩きたい。そうしないとどうにかなりそうなのに、何も思い浮かばなければぐぅの音しか出ない。
陽太郎の手があまりにも熱いから、もうどうにでもなれって気になってきて、汗で湿った手で思いっきり握り返した。
手のひらがのやわらいところが合わさる。
ドキドキを超えて、嬉しくて幸せで、くすぐったさが身体中を駆けまわる。
普段はおとなしくしている恋心が暴れ出し、私達は今恋仲なのだと強く自覚して、今にも足元から崩れ落ちてしまいそう。
「よくできました。帰ったらご褒美に、あなたの好きなモノを作りますね!」
嬉しいけど、好きだけど。
余裕なのかと思いきや、こっそりはにかんでるのも可愛いけども。
なぜかだんだんむかついてきて、陽太郎の腕に肩を思いっきりぶつけてみる。
「あ…もしかして、抱っこがいいですか?」
「今すぐにでも噛みつきたい。」
はははと笑う陽太郎の横顔が憎たらしいほどかっこよくて、もう犬でもなんでもいいからずっと傍にいてかまってほしい。
でも、陽太郎からおかわりされたいし、いつかはちんちんもしたい。
陽太郎の手の熱にすっかり浮かされた私は、幸せすぎる情緒不安定に陥って、小さな秋を見つける余裕もなく、吹く風の涼しさえも感じなかった。
―完―
【あとがき】
森の仲間たちが日記でそれぞれ犬の話をしておりました。それに便乗して私も日記で犬の話をしてみたところ、勝手に滾って書き上げました。
陽太郎は余裕そうに見せかけて、実は内心めちゃんこドキドキしてるんじゃないかと思います。どちらかというとかわいがりたい方だけど、彼には甘えんぼ要素もある為、かわいがられてみたいとも思ってるんじゃないかと思います。
両想いになりたての時期は、なにかにつけてこうしていちゃいちゃするわけですけども、そういう話をもっと巧く書けるようになりたいものですね。とか言いつつ、ただ単に「ちんちん」と言わせたかっただけなんですけどね。ええ。
まさおは村の皆からも可愛がられているらしく、とても人懐っこい。くりくりお目々でちょっととぼけたような顔をしている。
首の後ろを撫でると気持ちよさそうに目を細めて耳を下げ、すぐにごろんと転がってお腹を見せてくれた。本当に可愛くて、見ているだけでも癒やされる。
まさおを見る陽太郎の横顔も、虎に本を読んであげているときみたいにやわらかい。
和やかで、なんて幸せなひとときだろう。
「まさおはいろんな芸ができるんですよ。」
「芸?」
「まさお、おすわり。」
陽太郎が言うと、へそを出して寝そべっていた体勢からすっと立ち上がり、おしりを落として姿勢良くおすわりをした。
「わぁ、いい子だね~!」
「お手。」
まさおは褒められて嬉しいのか、しっぽをフリフリしながら、陽太郎が出した手のひらにぽんと右の前足を置いた。
「おかわり。」
今度は左。
「伏せ。」
地べたにお腹をつけて伏せ、陽太郎によくできましたと撫でられてご満悦なまさお。本当に可愛らしい。陽太郎とまさおが戯れている様子がまた大変微笑ましく、ずっと見ていられるし見ていたい。
癒やしと癒やしの相乗効果は半端なく、今見ているこの光景を映像で記録して残しておけるのであれば、絶対に毎晩寝る前に見ると思う。
と同時に、私も陽太郎に命令されて、よくできましたとまさおのように褒められたいとも思った。
それがちょっとえっちなことであれば、なおのこと………
逆だったらどうだろう。
陽太郎に「まて」からの「よし」をして、ちゃんとできたらたっぷり褒めてあげるっていうのは………
朝っぱらから本人の真横で、しかも人様の家の前で、癒やしを見ながらいやらしい妄想をしていると、陽太郎がすっと立ち上がった。
「ちんちん。」
耳を疑った。
今まさに考えていたことを読まれたのかと心臓がドキッと跳ねて、一瞬息が止まった。
すると、まさおがその場で後ろの二本の足で立ち上がった。へっへっへと言いながらちんちんを揺らして、一生懸命立ったままを維持している。
犬に仕込む基本からの応用の芸として、ちんちんはごく一般的だ。でもまさか、陽太郎の口から「ちんちん」が出るとは思わなかった。お手おかわり伏せの次はおまわりくらいかなと、勝手に思って油断していた。
動揺を悟られないように、まさおの見事なちんちんに称賛を送る。
「すごーい!たってる!本当に賢いね!」
これも陽太郎に言うが来るのだろうかと、またそんなことを考えてしまった。私はもうダメかもしれない。
「よくできました。お利口さんにはご褒美をあげないとな。」
陽太郎は籠から茹でたにんじんを取り出して、まさおにあげた。まさおはそれを美味しそうに食べている。
こんな微笑ましい状況で、本当に何を考えているのだろう。どうかこれも怪モノに憑かれている影響であってほしい。
でもできればもう一度、陽太郎の「ちんちん」が聞きたい。
「おれのかわいい子豚さんもやってみますか?」
「えっ?!」
まさおを羨む気持ちやら何やらが顔に出てしまっていたのだろうか。
察しが良くてやさしくて、面倒見のいい陽太郎。いつも先回りして私を気遣ってくれて、私はそれに甘えている。それでいいとされている。今回も、お言葉に甘えていいのだろうか。
「………いいの?」
「もちろん。ちゃんとできたら、たくさん褒めてくださいね?」
今の言い方だと、陽太郎が犬、ということになる。
確かに日頃から、どちらかというと陽太郎は犬っぽいなと思っていた。陽太郎自体は猫を飼うのに適していると思う。距離感というか、なんというか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
陽太郎にちんちんができる。
ちんちんと言われたとして、陽太郎がなにをどうするのかはわからない。わからないけどちんちんができる。でも、いきなりちんちんはさすがにあからさますぎるから、お手からちゃんと順を追っていこう。
突然訪れた夢のような機会に、胸のドキドキが止まらない。
「じゃあ、お言葉に甘えて…いきます。」
「はい、どうぞ。」
浮ついた気持ちを少しでも落ち着かせるため、すぅっと息を吸う。
そして
「お手!」
陽太郎の前に手を出すと、すぐにぽんと大きな手が置かれた。あまりにもためらいのないお手に、喜びに似た感動が湧き上がる。
陽太郎はというと、行動とは裏腹に面を食らっている。
「あの…」
「はい。」
「咄嗟のことでつい手を置いてしまいましたけど……これって、つっこむところでした?」
「え?なんで?」
「なんでって…もしかして、最初からおれにしようと思ってたんですか?」
手を重ねたまま、沈黙が流れる。
私はどうやら勘違いしていたらしい。恥ずかしすぎる。今すぐまさおの小屋に入りたい。
すると、陽太郎の手の甲に、少し遅れてまさおのお手が重なった。へっへっへと舌を出して、なんだか笑っているみたいに見える。
「まさお~!お手できたの?いいこだね~。」
この場をなんとか誤魔化してしのぎたく、何事もなかったかのようにまさおを撫でようとしたけど、その手はお手中の陽太郎の手に捕まってしまった。
「おれのかわいい子豚さん?」
虎の気持ちがよくわかる。笑ってるけど笑ってない。圧がすごい。
「ごめん…ちょっと勘違いしちゃって。」
「一体なにがどうなったらそんな勘違いをするんですか…あ、もしかしておれのこと、普段から犬みたいだと思ってます?」
「思ってないよ!ぽいなって思ったことはあるけど、普段からは思ってない。」
「本当に?」
「本当に!」
陽太郎が私の目をじっと見つめる。
卑猥な妄想をしていたこともあって、気まずいし恥ずかしいけど、嘘ではないから私も逸らさずじっと見つめ返す。
すぐ横ではまさおが撫でられるのを待っているのか、ずっとへっへっへってしている。
それを聞きながら、しばらく目と目で攻防戦を繰り広げていると、陽太郎がふっと吹き出した。
「おれのかわいい子豚さん、叱られてるときのまさおと同じ顔してますよ?」
「はぁ~?犬だと思ってるの、陽太郎じゃん。」
「犬だとは思ってませんけど、かわいいなとは思ってます。」
「ぐぅ……」
なんだか上手く躾されてるみたいで悔しい。でも、悪い気はしない。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか。逃げないように、家に着くまでしっかり離さないでくださいね?」
手を引かれて立ち上がり、まさおに「またね」と言って帰路についた。
道中、陽太郎の大きな手に握られたまま、その手を握り返せずにいた。
ちょっと汗ばんでいるところがなんかもうあれで、心臓がめちゃくちゃな音を立てている。
手を取り合ったり、手を引かれて歩くのは初めてじゃないのに、今日ばかりはとてつもなく恥ずかしく、とんでもなく意識してしまう。
握る手が力強いからだろうか。それとも、「ちんちん」って言ったのを聞いたからだろうか。
陽太郎が、なんとなくだけど、恋人っぽい態度を見せたからだろうか。
顔も見れなければ手元も見れない。
真っ直ぐより少し下、遠くの足元を見てなんとか歩いてるけど、持て余した熱のせいか、前ぼやけて見える。
いつだったかずいぶん前、大丈夫じゃないときは、無理をしないでちゃんと言ってほしい。亡くなった両親もそう言って気丈に振る舞っていたから、言ってくれた方が安心すると、陽太郎に言われたのをふと思い出す。
そのときの私は、確かこう答えた。
心掛けるようにするけど、大丈夫が口癖になってしまっているし、本当に大丈夫だと思っている。自分でも無理なのか無理じゃないのかイマイチわからないから、迷惑を掛けてしまってて申し訳ない、と。
陽太郎は理解を示してくれたけど、困った様子ではあった。
でも今は、はっきりとわかる。
「陽太郎、ちょっとまって。」
「どうかしましたか?」
「私今、大丈夫じゃないかも。」
陽太郎の足が止まる。
「少し休みましょうか。身体のどこが悪いとか、ありますか?」
顔を覗き込もうとする陽太郎から、思いっきり顔を逸らす。
破顔していくのをなんとか食い止めようと、さっきからわけのわからない表情筋の動かし方をしていた。だから今、相当変な顔をしているのが自分でも分かる。
こんな顔は見られたくない。
「心臓が…」
「心臓?!心臓が痛むんですか?!」
「破裂しそう。あと……不整脈。」
「大変だ…!すぐに医者を呼んできます。えっと、どこか座れる場所……」
必死の形相で辺りを見回している陽太郎。大変紛らわしくて申し訳ないことをしてしまった。早く誤解を解かないと。
でも、恥ずかしさが上回ってしまって、上手に伝えられる気がしない。
いや、そんなことを言ってる場合じゃない。早く誤解を解かないと。
「まって、違うの。原因は…」
依然としてしっかりと握られた手を上げて、心臓破裂寸前、不整脈の原因を陽太郎に見せる。陽太郎はそれをじっと見ながら状況把握を始めた。
ポクポクポクと、木魚の音が聞こえてくるようだ。
真っ赤な私の顔。ぎゅっと握られた、汗ばんだ手。
陽太郎の表情から、チーンと閃く音がした。
「そういうことですか…焦った……まったく、心臓に悪いのはこっちですよ。」
「ごめん…大丈夫じゃないときは、ちゃんと言えって言ってたから。」
「……それくらい、ドキドキしてるってことですか?」
陽太郎はどこか嬉しそうで、期待に満ちた目をしている。
「死にそうだから、できれば離してもらえると…」
「そうですか…あなたに死なれたら困ります。」
それなのに、手を離すどころか、さらにぎゅっと握られた。
陽太郎をチラッと見ると、とびきり嬉しそうというか、誇らしげというか、満足げというか。そんな顔をしていた。
また胸がぐちゃぐちゃに熱くなって、本当に不整脈を起こしそう。
「でも、約束は約束ですから。家に着くまではしっかり握ってて?」
握ってるのは陽太郎だとか、約束なんてしたっけとか、何か軽口を叩きたい。そうしないとどうにかなりそうなのに、何も思い浮かばなければぐぅの音しか出ない。
陽太郎の手があまりにも熱いから、もうどうにでもなれって気になってきて、汗で湿った手で思いっきり握り返した。
手のひらがのやわらいところが合わさる。
ドキドキを超えて、嬉しくて幸せで、くすぐったさが身体中を駆けまわる。
普段はおとなしくしている恋心が暴れ出し、私達は今恋仲なのだと強く自覚して、今にも足元から崩れ落ちてしまいそう。
「よくできました。帰ったらご褒美に、あなたの好きなモノを作りますね!」
嬉しいけど、好きだけど。
余裕なのかと思いきや、こっそりはにかんでるのも可愛いけども。
なぜかだんだんむかついてきて、陽太郎の腕に肩を思いっきりぶつけてみる。
「あ…もしかして、抱っこがいいですか?」
「今すぐにでも噛みつきたい。」
はははと笑う陽太郎の横顔が憎たらしいほどかっこよくて、もう犬でもなんでもいいからずっと傍にいてかまってほしい。
でも、陽太郎からおかわりされたいし、いつかはちんちんもしたい。
陽太郎の手の熱にすっかり浮かされた私は、幸せすぎる情緒不安定に陥って、小さな秋を見つける余裕もなく、吹く風の涼しさえも感じなかった。
―完―
【あとがき】
森の仲間たちが日記でそれぞれ犬の話をしておりました。それに便乗して私も日記で犬の話をしてみたところ、勝手に滾って書き上げました。
陽太郎は余裕そうに見せかけて、実は内心めちゃんこドキドキしてるんじゃないかと思います。どちらかというとかわいがりたい方だけど、彼には甘えんぼ要素もある為、かわいがられてみたいとも思ってるんじゃないかと思います。
両想いになりたての時期は、なにかにつけてこうしていちゃいちゃするわけですけども、そういう話をもっと巧く書けるようになりたいものですね。とか言いつつ、ただ単に「ちんちん」と言わせたかっただけなんですけどね。ええ。
1/1ページ