陽太郎生誕祭2024
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
陽太郎の誕生日を始めて知ったのが当日を過ぎてからで、後から無難な贈り物だけ渡した一昨年。今年こそはと趣向を凝らしてお座敷遊びを開いた去年。陽太郎にとって私はまだ、ただの保護対象でありただの居候だった。
それでも生活を共にする中で、大なり小なりいろんな出来事を共有してきた分、手や顔や髪などの、服で隠れていない部分をお互いに躊躇なく触り合えるくらいには仲良くなった。
しかしそれ以上でも以下でもなく、それよりもなによりも、私はずっと怪モノに憑かれていたし、陽太郎も憑かれたし、その甚大な被害は村全体にまで及んでいた。
そんな特殊な環境下にあった為、関係性もその深まり方もまた、特殊だったように思う。
そしてここへ来て三年目の今日この日。二人のおかげで無事健康体を取り戻し、壊滅的だった怪モノ被害もなんとか落ち着いて、晴れて気持ちが通じ合ってから初めて迎えた陽太郎の誕生日。今年は去年とは一味違う、もう一歩踏み込んだ贈り物を用意することにした。
祝いたいのは私たちだけではなく、朝から村人たちが代わる代わるやって来て、陽太郎にとお祝いの品を置いて行った。
午前中いっぱい陽太郎と共にその対応に追われ、午後になって陽太郎が畑に出ている間、私は自室で虎と一緒に贈り物の準備に取り掛かっていた。私の分はもう終わっているので、あとは虎を待つばかり。
小さい手を一生懸命動かしているのを視界の端で見守りながら、今日の夕飯の献立の最終確認をしていると、筆が置かれる音がした。
「おれのかわいい子豚、書けたぞ!」
「どれどれ…?うん、いいねいいね!陽太郎喜びそう!」
「お前は何にしたんだ?」
「私はこれ。」
「どれどれ…ほほぅ、これはこれは……陽太郎の反応が楽しみだな。(ニヤニヤ)」
今年私たちが用意したもう一歩踏み込んだ贈り物。それは手作り券。
適当な大きさに切った色紙にこちらが提供できる奉仕を書き、それを渡すと実行されるというもの。内容によってはごみになりかねないけど、今回は初めての試みなので、ふざけずにちゃんと陽太郎に喜んでもらえるようなものにしようと虎と決めた。
各自陽太郎の歳の分だけ枚数を用意して、その中で虎が三種類、私は五種類の券と、もちろん手紙もしたためた。
「して、渡すタイミングはどうする?」
「夕飯食べて、怪モノ退治に行って帰ってきて…ケーキ食べたらにする?」
「けえき…じゅるっ。そうだな。怪モノ退治は村の周辺だけにして、今日くらいは早めに切り上げてもいいだろう。」
「うん、そうしよっか!…もうこんな時間か。夕飯の準備手伝ってくれる?」
「勿論だ!今日は味見以外も我に任せてくれ!はぁ~ごちそうごちそう♪楽しみだな~!」
綺麗な和紙の封筒二枚にそれぞれの手作り券を入れ、引き出しにしまって虎と台所に向かった。今夜は張り切って懐石料理っぽく仕上げるつもりだ。
陽太郎の喜ぶ顔を思い浮かべながら、二人で真心を込めて調理に取り掛かった。
「わぁ…!すごい!全部あなたが作ったんですか?」
食卓に並んだ料理を見て、陽太郎は目を輝かせて感嘆の声を上げた。それだけで頑張った甲斐があったというもの。
「虎も手伝ってくれたよ。このお吸い物は虎が出汁から全部やってくれたし、茶わん蒸しも虎がほとんど作ったんだよ。」
「そうなんですね……虎、すごいじゃないか。本当にどれもおいしそうですね。」
もちろん食材は陽太郎が丹精込めて育てた野菜を中心に今朝もらった食材も使って、食前酒、先付けの湯葉と山菜の煮物、前菜に胡麻豆腐、海老と鴨の燻製、きんぴらごぼう。村長から秘密裏に仕入れたイカと勘八と鮪でお造りを。焼き物は白身魚に野菜たっぷりの餡を掛け、揚げ物は野菜の天ぷら、蒸し物は茶わん蒸し、香の物はかぶとキャベツと沢庵の三種類。汁物は鰯のつみれ汁、ご飯は輝夜タケノコの炊き込みご飯で、料亭を意識した内容にしてみた。味も虎板長のお墨付きを頂いている。
「食べるのがもったいないな…二人とも、ありがとう。」
「我らの自信作だ!遠慮せずたくさん食ってくれ!」
虎と一安心の笑顔を交わし合い、陽太郎に続いて私たちも所定の位置へ座って、三人揃って食卓を囲んでいただきますをした。幸 喜び溢れる陽太郎の「うん、おいしい!」を聞きながら、注文していたサカモトで一番いい日本酒をお酌しつつ、私たちも一緒においしく頂いた。
お酌をする時には必ず「誕生日おめでとう!」と言いいながらしようと話していたので、陽太郎は私たちから何度もお祝いの言葉を受けて、そのたびにお礼を言って楽しそうに笑って、おいしそうに飲んでいた。
食事が終わり、主役なのに手伝うと言ってきかない陽太郎と一緒に後片付けをして、予定通り怪モノ退治を早々に終えて帰った後は、陽太郎と虎を縁側に残してお待ちかねのケーキを焼いた。
形が崩れていたり、小さすぎるいちごを陽太郎からもらってお砂糖と煮詰めて作ったジャムを添えて、カフェー風にしてみた。これは虎にも言っていない、味見も頼んでいない秘密のパンケーキだ。
バターを乗せて、ハチミツは別皿に用意して、縁側で待つ二人の元へ運んだ。懐には手作り券を忍ばせてある。
「おまたせ~!」
「きたー!けえきー!!」
「いい匂いですね。これは…今朝渡したいちごですか?」
「そう、陽太郎がよく山ぶどうを煮詰めたの乗せてくれるでしょ?それのいちご版!こっちの方がちょっと甘めかも。」
「なるほど…あのいちご達はこれに使う用だったんですね。言ってくれれば大きないちごも渡したのに。」
「言ったら内緒じゃなくなって、お楽しみにならないじゃん。」
「確かに。」
「なぁなぁ!はやく食べよう!」
「今取り分けるからちょっと待ってね。あ、ハチミツはこれね。」
大好物を前にそわそわ体を揺らす虎に微笑ましく急かされながら、こんなもんでしょうと三等分に切り分けてお皿に移す。行き渡ったところで両手を合わせ
「せーの、「陽太郎、お誕生日おめでとう!」」
いただきますの代わりにまたおめでとうを贈り、三人でケーキを食べ始めた。
“せーの”の後に、陽太郎だけちゃんと「いただきます」と言っていたのにじわじわきながら一口食べると、山ぶどうとはまた違った甘酸っぱさが広がって、それがまたバターとよく合う。
「ん~~~~!んまい!!みずみずしい香りにいちごの果肉と砂糖の甘み…ほのかな酸味が全体を引き締めて、けえきとよく合う…!山ぶどうが青春の味なら、これは甘い初恋の味だな!!」
「うん、すごくおいしいです!ホットケーキの生地もしっとりしてて、控えめだけとほんのり甘いような…」
「気付いた?お砂糖減らして生地にハチミツ入れてみたんだ。さっき思いついて、ぶっつけ本番でやってみたからどうかなって思ったんだけど、おいしくできてよかった。」
「あなたって、本当にすごいですよね。おれがやったら失敗してただろうな…それにこの甘さなら、何枚でも食べられそう。」
「我はもっと甘くてもいいけどな。恋もけえきも甘ければ甘いほどいい。」
「甘い恋か…前はよくわからなかったけど、今ならわかる気がするな。」
二人の会話を流し聞きながらバターを塗り広げるのに集中していると、いつの間にか会話が途切れていて、顔を上げた先では、陽太郎が乙女のような顔で私を見ていた。
「おれのかわいい子豚さんは、甘い恋がどんなものかわかりますか?」
教えてくれた本人にいきなりそんなことを聞かれ、手元が狂って溶けかけのバターがケーキから滑り落ちてしまった。上に戻そうにも、溶けてやわらかくなりすぎてしまって無理そうだ。
バターは諦めて、照れる気持ちを噛みながら
「…分かるよ。毎日してるもん。」
ぼそっと言って視線をまたお皿に戻し、もくもくと続きを食べ始める。
もはや味なんてよく分からないし、これ以上は恥ずか死ぬ。
「ほほぅ、どろどろした地獄みたいな愛憎劇ばかり読んでいたおれのかわいい子豚が、ついに甘い恋の良さに気付いたか…」
「ね、それって…誰と?」
「内緒!」
「そんなこと言わないで、教えて?」
「………野菜育ててる人。」
「うーん、野菜を育ててる人は村にたくさんいるけど…誰のことだろう?」
陽太郎はわざとらしく首を傾げてみせ、反対側からは虎が肘でくいくい私を押している。
いつもならここで適当なおじさんの名前を出して反撃するところだけど、今日くらいは素直になろうと、照れる気持ちを再びぐっと飲みこんだ。
「……陽太郎、です。」
「おれのかわいい子豚、もっと声を張れ!」
「くっ……!私は!陽太郎と!!毎日甘い恋をしてます!!!」
思ったより声を大にして主張してしまった。恥ずかしくて顔から火が出そうだけど、心はどこかすっきりしている。いっそ屋根に登って上から叫べばよかったかもしれない。
「よかった…そう思ってるのは、おれだけじゃなかったんですね。」
「陽太郎も?」
「はい。あなたがうちに帰って来てくれた日から、毎日が甘い恋です。初めての恋の相手があなたでよかった。」
「そして流れるこの空気……これぞまさしく甘い初恋!!くぅ~!けえきが倍うまい!」
突然の虎の大声も気にならないほど恥ずかしすぎて、でも陽太郎がゆるゆるの頬でとても幸せそうに笑うから、好きすぎて情緒がおかしくなりそうになる。
これ以上腑抜けて使い物にならなくなる前に、今日の一番の目玉である贈り物を渡さなければと、気を取り直しておもむろに懐に手を入れた。
「えっ、ちょ、ちょっとまってください!いきなり何を…!」
「え?何をって…はいこれ、私と虎から誕生日の贈り物!」
「あっ、贈り物か…びっくりした……」
「なんだ?やけに残念そうではないか。確かに見た目に派手さは無いが…」
「いや、違うんだ。すごくうれしいよ。今のはごめん…本当におれが悪かった。二人ともありがとう。開けてもいい?」
陽太郎が動揺した理由をなんとなく察しながらも、深く追求せずに開封を促した。
「これは…」
「手作り券っていって、その券を渡すと私たちが書いてあることをします!えっと、こっちが虎、こっちが私。で、これとこれはお手紙だから、あとでゆっくり読んでね。」
「せっかくだから、今日一枚ずつ使ってみてくれ!」
「へぇ…こういうの、すごくうれしいです!どれどれ?」
陽太郎が最初に広げたのは虎の券。いつの間にか膝の上にいた虎と一緒に、固唾をのんで反応を伺う。
「“かたたたたきけん”…あ、肩たたきか。」
「“た”が多かったか…なぜ教えてくれなかった。」
「そのままの方が面白いかなって思って。あ、券にも種類があるから全部見てみて?」
「何枚あるんですか?」
「枚数は陽太郎の歳の数で、券種は虎が三、私が五。」
「そんなにあるのか…贅沢だな…。」
少年のように目を輝かせている陽太郎を見て、私と虎はまた笑顔を合わせた。
「えっと…“なんでもおてつだいけん”?何でも手伝ってくれるってこと?」
「そうだぞ!」
「これは使いどころを考えないとな。次は…“ふたりきりけん”?」
「五枚しかないからな。それも使いどころを考えろよ?(ニヤニヤ)」
「……使用期限は?」
「来年の今日までだな。」
「なるほど…。ねぇ虎、ふたりきりにしてくれるのはいいけど、危険な場所だったり、あんまり遠くへは行かないでよ?」
「わかっておる!あぁ、報告は忘れるなよ!」
「しっかり報告義務付きなのか…けどありがとう。全部大事に使わせてもらうよ。」
「うむ!肩たたきはおれのかわいい子豚で練習して合格をもらったから楽しみにしててくれ!」
最初は力加減がわからず思いっきりいかれて肩が砕け散ったかと思ったけど、虎は意外と物覚えがいいので、すぐに強さも速度も五段階まで調節できるようになった。お金を取れるくらいに仕上がったので、かたたたたき券、もとい肩たたき券は一番多い枚数を用意するよう勧めたところ、自信をもって半数以上それにしていた。
「じゃあさっそくあとで使わせてもらおうかな。えっと、こっちはおれのかわいい子豚さんの券でしたね。」
いざ手に渡って見られるとなると緊張感が走り、何を書いたっけと心配になりながら、券を封筒から出す様子をドキドキしながらただ見守る。またしても深夜の勢いに任せて手紙同様変なことを書いたような気がして、少しの後悔を感じていると
「“全身指圧券”!しかもこんなにたくさん…いいんですか?」
まともなのが一番先でよかったとほっとした。
「もちろん!陽太郎が寝落ちするまで、誠心誠意やらせていただきます!」
「逆に眠れなくなったりしてな?」
「……否定できない。」
「え~!なんで?!絶対寝かせてみせるんだから!」
とは言ったものの、陽太郎が困ったように笑うので、嬉しくなかったのかと心配になった。
けど
「はい。楽しみにしてますね。」
さっきの私よりも恥ずかしそうな顔をしてるのを見て、いけない気持ちがちょっとだけむくっとした。
そんな邪な目で見られているとは少しも思っていない陽太郎は、連なった全身指圧券を丁寧に畳んで除け、次の券を取り出した。
「“膝枕券”?膝枕って、あの膝枕ですか?」
「ただの膝枕じゃないよ?暑かったら湯上りにうちわで扇いだり、ご要望とあらば耳かきもします。」
すると、陽太郎がなにやら思案を始めたので、ケーキの続きを食べ進めつつ待っていると、三口くらい食べたあたりで陽太郎がおずおずと口を開いた。
「あの…」
「はい?」
「それは、逆もありですか?」
「逆?」
「はい。おれがあなたに膝枕をして、うちわで扇いだり、ご要望とあらば耳かきもしたいです。」
まだ咀嚼しきれていない甘いケーキをごくんと飲み込んで、まさかそう来るとは思わなかったと動揺した。いや、陽太郎の性格を考えればそっちの方が喜ぶことくらい、少し考えれば分かったはずだ。
しかしこれは陽太郎への贈り物であって、それなのに“おれのかわいい子豚に膝枕する券”などという罰ゲームじみた券を、誰が厚かましく用意できるだろうか。
でも、他ならぬ主役の陽太郎がそれを望んでいる。
「じゃあ、五枚あるはずだから、二枚だけなら…」
「おれのかわいい子豚さんありがとう!すぐにでも使いたいくらいです!あ、誤解しないでほしいんですけど、あなたに膝枕してもらうのが嫌とかではなくて、ただ……」
「ただ?」
「心臓が、もたない気がして…少し想像しただけでも破裂しそうだったので……。」
「確かに心配になるくらいうるさいな。しかし、恋人の膝の上で死ねるなら本望ではないか?」
「本望だけど、これからって時にまだ死ぬわけにはいかないだろ?」
「それもそうだな。甘い恋は始まったばかりだというのに、こんなところで死んだら死んでも死にきれん。それに、欲を言えば陽太郎には我より長生きしてもらいたいからな。おれのかわいい子豚、我からも頼む。殺さない程度に甘やかしてやってくれ!」
「そんなに長生きできるかなぁ。」
「しろ!おれのかわいい子豚もだぞ!」
「そうだね。健康に気を付けて、あと百回は陽太郎の誕生日お祝いしないとね。私も、今まで何度も陽太郎に心臓破裂させられそうになってるけど、なんとか生き延びてみせるからね。」
「おれのかわいい子豚さん…」
「ほら、まだあと三種類あるから見てみて?」
「はい。」
つっこみたいことはいくつかあったけどあえて触れず、感動的な雰囲気の中、陽太郎は封筒から次の券を取り出した。
「どれどれ…“夜這い券”……え?!夜這い?!よばっ、よ、よよよ夜這いですか?!しかも三枚も!」
「うん、夜這い!私が夜這います!」
「あぁ、あなたがするんですね……ってそうじゃなくて!おれのかわいい子豚さん、夜這いの意味、ちゃんとかわかってますか?おれがするならまだしも、いやそれも違うな。だからその、本音を言えばしたいしされるのも大歓迎ですけど、あぁ、何言ってるんだおれは…えっと、つまり夜這いはまだ早というか、そういうことはゆっくり大事にしっかり段階を踏んで、ちゃんとけじめをつけてから夜這うべきだと…………ごめんなさい、ちょっと一回落ち着きますね。」
深呼吸する陽太郎を虎と一緒に見守りながら、今からでも心が落ち着く例の芳香スムージーを用意した方がいいかな?と考えていると、何度目かの深呼吸を終えてようやく落ち着きを取り戻したと思われる陽太郎が
「ちなみに使用期限は…」
至って真面目な様子で聞いてきた。
「来年の今日まで!」
本当は決めてなかったけど、取り乱す陽太郎が面白くて、虎と同じ期限を言ってみたら
「そうですか…。それならなんとかなりそうだな。」
まぁ陽太郎だし?夜這いなんて書いたところで軽く受け流されちゃうだろうけどね~なんて、軽い気持ちでいたのが急に真実味を帯びて、今度は私が取り乱しそうになる。
なんとかなりそうということは、夜這いをしても誰にも咎められない状況にできそうということで、それはつまりもしかしてもしかするし、しかも夜這うということはそういうことで、それも年内に、年内といってもあと約半年しかないけどその間に三回……
そこまで考えて叫び出しそうになり、これ以上考えるのは危険だと、咄嗟に白虎隊のことを思い浮かべて気持ちを落ち着かせた。落ち着くを通り越して落ち込んできたけど、なんとか平静を装って陽太郎に次を促した。
「あと二種類でしたね。……ん?一枚だけのがありますね。」
「あっ、それは」
「“お背中流し券”……あの、なんだか刺激的な内容が多い気が…」
「せっかく両想いになれたから、今までできなかったことをって思ったんだけど…下心ばっかりで、あまりのはしたなさに幻滅したよね。本当にごめん…気持ち悪かったら破り捨てていいからね。」
「ん?急にどうした?腹でも痛くなったのか?」
情緒の落差が気になったのか、今までご機嫌ににこにこしていた虎が、心配そうに私を見上げた。
興奮を抑える為に白虎隊を思い出したとは言い出せず、曖昧に笑って大丈夫と返した。
「幻滅なんて…するわけないじゃないですか。恥ずかしがりやなところもあって、そうかと思えば妙に大胆で…あなたにはずっと、ドキドキさせられっぱなしです。これ以上あなたに夢中になりすぎてどうしようもなくなったら…その時は責任、取ってくださいね?」
大好きな大きい手が私の頭を撫で、意味深な発言とはちぐはぐなその優しい手つきに、声にならない声が喉で塊となってもどもどと暴れている。今口を開いたらきっと、獣の唸り声みたいな変な音が出るはずだ。
「この券の使用期限はいつまでですか?」
「ぐぅ…「本日限りだ!端に小さく書いてあるぞ!」
開口唸った私はもはや使い物にならないと感じたのか、代わりに虎が答えてくれた。
「えっ?!さすがに今日はまずいです!心の準備と諸々の対策が…」
「案ずるな!おれのかわいい子豚は服を着たままだ!な?」
大きく頷きながら喉の塊を飲み込んで、ふぅ、と呼吸を整える。
「そう、そこはちゃんとわきまえてるし、陽太郎にこんな残念なもの見せる度胸はないから安心して!」
「残念ではないと思いますけど…まぁ服を着てるのであれば大丈夫……かな?」
「ん?残念そうに見えるが、残念ではないのか?」
「まぁ、残念な気持ちも少しはあるけど………」
陽太郎の視線がゆっくりと虎から私に移動してきて、目が合うとまた伏せてしまった。
「すみません、なんでもないです。今のは忘れてください。」
「大丈夫?」
「今のところはなんとか…ていうか、あなたは平気なんですか?」
「なにが?」
「なにがって…」
「あぁ、陽太郎の裸?背中だけだったら見慣れてるから、たぶん大丈夫。」
「それもそれでなんだかな…」
「薄々気付いてはいたが、男心もフクザツだな。」
「わかってもらえてうれしいよ。」
見るのは背後だけとはいえ全裸は全裸。本当は大丈夫じゃないかもしれないけど、努めて涼しい顔で二人のやり取りを聞いていた。
しかし内心では、残念の混乱渋滞が起きていたことを指摘できなかったほど動揺していた。
この“お背中流し券”を作るに至ったのは、距離を縮めるには裸の付き合いが一番だと、道端で知らないおじさんたちが話していたのを思い出したからだった。まぁ私は裸じゃないけど距離は間違いなく縮まるよねと思って書いてみたものの、さっきの夜這いの件もあり、いずれ本当の裸の付き合いをすることになるという事実によりによって今たどり着いてしまい、喉でまた強めの獣が唸り始めた。
「次で最後ですね。……ん?“券”としか書かれてませんけど、これは…」
「ぅぐぅ……っふぅ。あ、それは陽太郎が私にしてもらいたいことを自由に書いて渡してくれたら、そこに書かれたことをやります!」
「なんでもいいんですか?」
「うん、もちろん。」
「本当に?」
虫を食うとか虫と遊ぶとかそんなことを書かれたら無理だけど、陽太郎はそんな意地悪なことを書く人ではないと分かっているので、信頼の証として白紙の券を用意した。
結局のところ、今の私では陽太郎の本当の望みが私には分からないので、それを知るためにもこの“なんでも券”は我ながらいい考えだと思う。
「なんでもいいよ!」
「そんなことを言って大丈夫ですか?もしかしたら、へんなことをお願いするかもしれませんよ?」
「陽太郎はむっつりだからな。」
「おれはむっつりじゃない!」
「むっつりじゃない陽太郎の、へんなお願いってなんだろう?楽しみだな~。」
「服を脱げ、だったりしてな?(ニヤニヤ)」
「え~、自分で脱がせなくてもいいの~?」
「二人とも、そのへんにしておかないと…」
「はっ!すまん!我が悪かった!もう言わないからアレは勘弁してくれ…!」
「私も!もう言わないから!あ、生まれたてのひよこの話でもする?」
「それはまたあとでするとして」
するんだ、と思った次には怒れる陽太郎がゆっくりと近づいて来て、これは問答無用で変顔の刑に処されるやつだと固く目を閉じると、しばらくしてから何かが唇にちょんと触れた。
ん?と思って目を開けると、満面の笑みの陽太郎が、私の口元にケーキを差し出していた。
「はい、あーんして?」
思ってもみなかった突然のあーんに、頭の中で“?”がいくつか浮かびながらも、大人しく口を開けて差し出されたケーキを食べた。甘さにほっとしながら陽太郎のお皿を見ると、最後に見た時と変わらず一口分残っていた。手元の皿に目をやると空になっていたので、どうやらこれが私の最後の一口だったらしい。
「はい、虎もあーん。」
「あーん!むぐっ…変顔の刑では…もぐっ…なかったのか?」
「二人とも、同じ顔してて面白かったよ?あ、ほら、今も同じ顔してる。」
虎と顔を見合わせ、幸せそうに笑う陽太郎につられて私たちも、そうかな?なんて言いながら笑った。
「では陽太郎の最後の一口は、我とおれのかわいい子豚であーんしてやろう!」
「そうだね、そうしよう。」
陽太郎のお皿からケーキを取り、虎と一緒にフォークを持って
「はい、「あーん」」
ちょっと照れくさそうに開かれた陽太郎のお口にゆっくりケーキを押し込むと、今度は三人揃って同じ顔になった。
贈り物を渡し終えてケーキも食べ終わり、いよいよ本日限り有効の“お背中流し券”を使ってもらう時が来た。
おいしかったね~と空いたお皿を重ねている間、陽太郎がどこか落ち着かない様子でいるのが分かる。
「陽太郎先入るでしょ?洗い物終わったらお背中流しに行くね。」
「あ、それなんですけど…おれのかわいい子豚さん先に入ってもらってもいいですか?皿はおれが洗いますから。」
心の準備をしたいのだと察し
「分かった。でもお皿は洗わなくていいから、ゆっくりしててね?」
と言っても洗うんだろうなと思いつつお皿を台所まで運び、かくいう私もそわそわしながら入浴を済ませた。
陽太郎を呼びに行く前に台所に寄ると、やっぱりお皿は綺麗に洗われていた。
「おまたせ。お皿ありがとう。」
「おれのかわいい子豚さん…こちらこそ、今年も手の込んだ料理と素敵な贈り物をありがとう。虎とあなたがうちに来てから、本当に毎日楽しくて…一人でいた時のことが思い出せないくらいです。本当にありがとう。」
「ぐすっ…!我も陽太郎とおれのかわいい子豚に会えて、本当に良かったと思ってるぞ!絶対に、ぐすっ…二人のことは我が守ってみせるからなぁ~あ~~~!」
おいおい泣き出す虎の頭を撫でて、陽太郎と笑顔を交わし合う。
世界中のありがとうを集めても足りないほど感謝してるのは私の方。そう言いたいのに、喉に詰まって言葉が出て来ない。
「ひっ…ひっ…ぐすん。……はぁ~すまんすまん。これからお楽しみという時に、我としたことが水を差してしまったな。」
「お楽しみ…」
「お楽しみって…なんかちょっとアレだね。」
何の気なしにそう言うと、陽太郎は月明かりの下でも分かるほど頬を染めて目を伏せて、頭を小さく左右に振った。
「はぁ、せっかく気持ちを切り替えたのに…」
「じゃあ、そろそろお楽しみしちゃう?」
虎が鼻をすする音を聞きながら、俯く陽太郎の顔を覗き込むと、照れ困り顔でしばらく私を見つめたあと、ぐぅっ…と何かを飲み込んだ。その手には“お背中流し券”があり、この期に及んで出すのを躊躇しているようだ。
そんな陽太郎に手を差し出し、笑顔で“お背中流し券”を渡すよう促すと
「確認なんですけど…」
「はい。」
「あなたはその…服を着たまま、なんですよね?」
至って真剣な眼差しで聞いてきた。
「うん。あ、脱いだ方がいい?」
そんな気はさらさらないけど、陽太郎の反応がかわいくて、ついからかいたくなる。
きっとまた照れ散らかして、初心な反応を見せてくれるかと思いきや
「お願いできますか?」
「えっ」
「上がったばかりなのにすみません。でも、おれだけ裸なのは恥ずかしいから…」
予想外の返答に驚いて、今ケーキでお腹がぱんぱんなのにどうしよう、そうでなくてもとてもじゃないけど見せられないのに、絶対に振り向かないことを固く誓ってもらえば大丈夫かな?いや無理でしょと混乱気味に戸惑って、でも他でもない陽太郎が望むなら……覚悟、するしか!
「わ「……なんて。冗談です。びっくりした?」
“わかった”と言いかけたところで、“呼んだだけ”の時と同じに屈託なくにっこりと笑う陽太郎の、ただのお戯れだったことが判明した。
「もーーーー!なんなの?!」
「あなたがあまりにも平気そうにしてるから、ドキドキさせたくて。ごめんなさい…意地悪でしたよね。」
「おかげ様でめちゃくちゃドキドキした…はぁ~、せっかく覚悟決めたのに!もういいからとっとと券ちょうだい!」
「あっ、はい、お願いします。覚悟決めてたのか…」
「陽太郎、今からでも冗談ではないと言ったらどうだ?(ニヤニヤ)」
「虎~?」
「じょ、冗談だ冗談!おれのかわいい子豚もしびれを切らしてることだし、早いとこ風呂に入ろう!」
逃げるようにお風呂場へ向かった虎に続いて、「まったくもう」と言いながら陽太郎も腰を上げた。
「虎も一緒に入るの?」
「はい。その方がなにかと助かるので。」
「じゃあ、十分経ったら背中流しに行くね。」
「わかりました。」
お風呂場に向かう陽太郎の後姿を見送って、ふぅーと長い息を吐いた。
陽太郎こそ、奥手で恥ずかしがりやだと思いきや、突然素早く心臓を掴みに来る。一緒にいて穏やかな気持ちになれるし、ほっとするところがまた、まさに魔性といった感じだ。
私はとんでもない人を好きになってしまったのかもしれないと思いながら、部屋に戻ってとっておきの石鹸を取り出し、背中を流す準備をして落ち着かない十分間を過ごした。
時間が来たのでお風呂場の前まで行くと、いつもは賑やかな声が今日は聞こえて来ない。
入口のわきに置いてある籠の中で、自分の着物の上に陽太郎の脱いだシャツが重なっているのを見て、思わずハッと息を飲んだ。今まで全然気にしたことのなかった、ただの日常の当たり前の光景なのに、なんだか妙にやらしく見えて意識してしまう。
緊張感と高揚感が躍る中、自分を落ち着かせるために深呼吸をして
「開けてもいい?」
戸に向かって声を掛けると
「いいぞ!」
虎から返事が来た。陽太郎が虎と一緒に入ってくれていて、自分が招いたことながら助かったと思った。
戸に手を掛けてゆっくり開けると、薄い湯煙が流れ出てきて、晴れた先には陽太郎の背中があった。その向こう側では、虎が陽太郎にお湯を掛けられていた。
一人分しか空いていない狭い空間に足を踏み入れて、後ろ手で戸を閉めてからその場にしゃがんでみると、肌のきめの細かさが分かるほど近い。
見慣れていると思っていたけど、一糸纏わぬ陽太郎の背中の破壊力は凄まじく、弾かれた水滴が伝う様子に心臓が雄叫びを上げた。腰には当然のように手ぬぐいが巻かれているけど、肌に張り付いて透けている。これはやばい。自分を落ち着かせようと、鉄板である白虎隊のことを思い浮かべようと試みるも、手の届く場所にある、手ぬぐいの下に隠された陽太郎の青龍に気を取られ、興奮が上回って全然話が出てこない。
親睦を深めるせっかくのまたとない機会なのに、このままではまた使い物にならなくなってしまう。これは介助、いや、介護の練習だと言い聞かせ、狂いそうな呼吸をなんとか整える。
「ふぅ…ふぅ…」
「大丈夫ですか?暑かったら戸を少し開けてくださいね?」
介護にしては健康そのものの体つきだけど、これは介護。
これは介護。これは介護。
うなじがとても綺麗だけど、これは介護。
「ふぅ…………よしっ、大丈夫。」
風呂桶のお湯を手に取って、持参したとっておきの石鹸を泡立てるとお風呂場にいちごの香りがふわっと広がった。
「いい匂い…いちごの香りの石鹸なんてあるんですね。」
「いい匂いでしょ?」
「もしかして貴重なモノなんじゃ…使ってよかったんですか?」
「もちろん。わりとすぐ買えるから気にしないで!これ、匂いだけじゃなくて、肌もしっとりするんだよ。」
「本物とまではいかないが、うまそうなニオイだな!」
「いくらなんでも石鹸は食べられないよ。」
「わかっておるわ。さっきのけえきが甘い初恋の味なら、これは乙女の甘い初恋のニオイだな!我、ときめいちゃう。」
「虎も使う?」
「いいのか?!」
「うん!ちょっと待ってね。ではでは陽太郎さん、お背中流しまーす。」
「はい。よろしくお願いします。」
虎の天真爛漫さのおかげで邪な気持ちが少し落ち着いたところで、腕を回して陽太郎に石鹸を渡し、手に付けた石鹸を陽太郎の広い背中に塗り広げていく。
「てっ、手で洗うんですか?!」
「いたた!陽太郎!毛を握るな!!」
大きな肩甲骨、がっしりとした肩。重い籠を軽々背負えるだけのことはある。
「あ、陽太郎肩にほくろあるんだね。」
「あー…あったような、なかったような……」
「おい陽太郎、まだ洗わぬのか?もうずっと濡れたままなのだが…」
「あっごめん!おれのかわいい子豚さん、石鹸お返ししますね。」
肩越しに石鹸を受け取り、再び石鹸を手で泡立てる。
一切の無駄の無いしなやかな背中に、深く綺麗に通る背筋。その両側は硬く隆起していてものすごく男らしく、思わず頼りたくなる。
「おいまて!そこは鼻の穴…ふごっふオ˝エッ!…ッツブシュン!」
それなのに肌はすべすべでなめらかで、腰も引き締まっていて
「うらやましすぎる…」
「あっ…!おれのかわいい子豚さん、あの、脇腹だけは…」
おしりへと続く線も左右対称で、絵に描いたような美しさにため息が出る。
「あ、またほくろみーっけ。知ってた?腰のここ。」
「っ、そこは…知りませんでした……」
「ちょっ!なぜ突然我を押す?!あっおい!我で壁を洗うな!!」
「ほんとにイイ身体…いいなぁ……」
「あっ、あの!もう十分です!これ以上は本当に…!」
嫉妬のあまり危うくおしりの方まで洗いそうになったところで、陽太郎に手を止められた。
我に返って陽太郎の背中に広がる石鹸泡に浮く自分の手の跡を見て、洗いながら夢中で撫でまわしていたことに気付いた。もはやただの痴女。
「あ、ごめん!今泡流すね!」
「大丈夫です。あとは自分でできますから、何も聞かずにご退室いただけると…」
前を向いたまま決して振り向かず、背中を丸めて耳まで真っ赤な陽太郎を見てなんとなく事情を察し、急いで手についた泡をすすいで
「石鹸と桶、ここに置いておくね!失礼しました!」
早々に退散した。
縁側に戻って火照った頬を冷ましていると、
「えらいめにあった…」
げっそりした虎が、乙女の甘い初恋の香りを振りまきながらやってきた。
「陽太郎は?」
「まだ湯に浸かってる。ゆっくり浸かりたいから先に寝てろと言われた。」
「そうなんだ。肩たたきしなくていいのかな。」
「それどころではなさそうだったぞ。もしかしたら、陽太郎は今夜眠れんかもしれんな。」
「お香、焚いておこうか。」
「そうだな。」
虎から手ぬぐいを受け取って毛が乾くまで拭き、歯磨きを終えても陽太郎は出てこなかった。
心配になって外から声を掛けたら、「もう少ししたら上がりますから、寝先にちゃってください」と返ってきたので、お言葉に甘えて先に寝ることにした。
布団に入って目をつむると、まず陽太郎の背面の造形美が脳裏に浮かんだ。それから、おそらく触りすぎて反応してしまったのだろうと改めて思い、それこそ介助が必要だったのではと考えて、いずれそうする時が来るのかと思うと黄色い声が出そうになって布団を頭まで被った。
しかし、思い返したうっとりするような体つきにドキドキしながらも、自分と比べてしまってどうしようもなく危機感が渦巻く。
来たるべき時に備えて、明日からご飯とおやつの量を減らそうと固く誓い、まだ日付けも変わっていないのに、来年の陽太郎の誕生日の計画をぼんやり立てながら眠りについた。
翌朝目覚めると、枕元に手作り券が置かれていた。眠い目をこすって見てみると、そこには陽太郎の字で“朝摘みいちごの味見券”と書かれている。
嬉しくて飛び起きて、急いで身支度を済ませて縁側に出てみたけど、陽太郎の姿が見当たらない。畑にもいない。
まさかと思って陽太郎の部屋を覗くと、布団からはみ出して気持ちよさそうにぐっすりと眠っていた。起きる気配は一切ない。昨夜寝たのがだいぶ遅かったのかもしれない。
責任を感じて起こそうかどしようか迷っていると、枕元に置かれた虎のお香が目に入った。全ての元凶はやはりこの私。
やらかしついでに陽太郎にそーっと近づいて、甘くて瑞々しい無防備な寝顔を朝摘みしようと、ゆっくりと顔を寄せた。
—完—
【あとがき】
陽太郎お誕生日おめでとう!!楽しくてハッピーなバースデーを過ごして欲しくて一生懸命書きましたところ、途中から雲行きが怪しくなり、最終的になんだコレミステリー珍味の出来上がり、というわけです。
当初の予定では3,000字~5,000字を予定していたので、余裕で書き終わって誕生日までに通常の夢小説も二つくらいあげちゃお!と思っていたのですが、話を膨らませ過ぎてそんな余裕は全くありませんでした。
“口づけ券”もあったのですが、ボツにして全て書き直しました。なぜならそれを見せた際、「券がないと、してくれないんですか?」に繋がってしまい、そこから膨らませてみたところ、収集するまでに文字数がどえらいことになった為、切り取ってボツフォルダへ。せっかく書いたので、また別の形でお見せできたらいいなと思っております。
ところで、陽太郎は自由入力手作り券に何を書くのでしょうか。邪な内容がチラついた陽太郎も見てみたいし、“激辛料理作る券”とか“一緒に早朝お散歩券”といった、券使わなくたってやりますがなみたいな、純粋ハートフルな内容で攻めてくるのも彼らしくていいですね。
ここまでお付き合い下さってありがとうございます。陽太郎と素敵なバースデーをお過ごし下さいね!
それでも生活を共にする中で、大なり小なりいろんな出来事を共有してきた分、手や顔や髪などの、服で隠れていない部分をお互いに躊躇なく触り合えるくらいには仲良くなった。
しかしそれ以上でも以下でもなく、それよりもなによりも、私はずっと怪モノに憑かれていたし、陽太郎も憑かれたし、その甚大な被害は村全体にまで及んでいた。
そんな特殊な環境下にあった為、関係性もその深まり方もまた、特殊だったように思う。
そしてここへ来て三年目の今日この日。二人のおかげで無事健康体を取り戻し、壊滅的だった怪モノ被害もなんとか落ち着いて、晴れて気持ちが通じ合ってから初めて迎えた陽太郎の誕生日。今年は去年とは一味違う、もう一歩踏み込んだ贈り物を用意することにした。
祝いたいのは私たちだけではなく、朝から村人たちが代わる代わるやって来て、陽太郎にとお祝いの品を置いて行った。
午前中いっぱい陽太郎と共にその対応に追われ、午後になって陽太郎が畑に出ている間、私は自室で虎と一緒に贈り物の準備に取り掛かっていた。私の分はもう終わっているので、あとは虎を待つばかり。
小さい手を一生懸命動かしているのを視界の端で見守りながら、今日の夕飯の献立の最終確認をしていると、筆が置かれる音がした。
「おれのかわいい子豚、書けたぞ!」
「どれどれ…?うん、いいねいいね!陽太郎喜びそう!」
「お前は何にしたんだ?」
「私はこれ。」
「どれどれ…ほほぅ、これはこれは……陽太郎の反応が楽しみだな。(ニヤニヤ)」
今年私たちが用意したもう一歩踏み込んだ贈り物。それは手作り券。
適当な大きさに切った色紙にこちらが提供できる奉仕を書き、それを渡すと実行されるというもの。内容によってはごみになりかねないけど、今回は初めての試みなので、ふざけずにちゃんと陽太郎に喜んでもらえるようなものにしようと虎と決めた。
各自陽太郎の歳の分だけ枚数を用意して、その中で虎が三種類、私は五種類の券と、もちろん手紙もしたためた。
「して、渡すタイミングはどうする?」
「夕飯食べて、怪モノ退治に行って帰ってきて…ケーキ食べたらにする?」
「けえき…じゅるっ。そうだな。怪モノ退治は村の周辺だけにして、今日くらいは早めに切り上げてもいいだろう。」
「うん、そうしよっか!…もうこんな時間か。夕飯の準備手伝ってくれる?」
「勿論だ!今日は味見以外も我に任せてくれ!はぁ~ごちそうごちそう♪楽しみだな~!」
綺麗な和紙の封筒二枚にそれぞれの手作り券を入れ、引き出しにしまって虎と台所に向かった。今夜は張り切って懐石料理っぽく仕上げるつもりだ。
陽太郎の喜ぶ顔を思い浮かべながら、二人で真心を込めて調理に取り掛かった。
「わぁ…!すごい!全部あなたが作ったんですか?」
食卓に並んだ料理を見て、陽太郎は目を輝かせて感嘆の声を上げた。それだけで頑張った甲斐があったというもの。
「虎も手伝ってくれたよ。このお吸い物は虎が出汁から全部やってくれたし、茶わん蒸しも虎がほとんど作ったんだよ。」
「そうなんですね……虎、すごいじゃないか。本当にどれもおいしそうですね。」
もちろん食材は陽太郎が丹精込めて育てた野菜を中心に今朝もらった食材も使って、食前酒、先付けの湯葉と山菜の煮物、前菜に胡麻豆腐、海老と鴨の燻製、きんぴらごぼう。村長から秘密裏に仕入れたイカと勘八と鮪でお造りを。焼き物は白身魚に野菜たっぷりの餡を掛け、揚げ物は野菜の天ぷら、蒸し物は茶わん蒸し、香の物はかぶとキャベツと沢庵の三種類。汁物は鰯のつみれ汁、ご飯は輝夜タケノコの炊き込みご飯で、料亭を意識した内容にしてみた。味も虎板長のお墨付きを頂いている。
「食べるのがもったいないな…二人とも、ありがとう。」
「我らの自信作だ!遠慮せずたくさん食ってくれ!」
虎と一安心の笑顔を交わし合い、陽太郎に続いて私たちも所定の位置へ座って、三人揃って食卓を囲んでいただきますをした。
お酌をする時には必ず「誕生日おめでとう!」と言いいながらしようと話していたので、陽太郎は私たちから何度もお祝いの言葉を受けて、そのたびにお礼を言って楽しそうに笑って、おいしそうに飲んでいた。
食事が終わり、主役なのに手伝うと言ってきかない陽太郎と一緒に後片付けをして、予定通り怪モノ退治を早々に終えて帰った後は、陽太郎と虎を縁側に残してお待ちかねのケーキを焼いた。
形が崩れていたり、小さすぎるいちごを陽太郎からもらってお砂糖と煮詰めて作ったジャムを添えて、カフェー風にしてみた。これは虎にも言っていない、味見も頼んでいない秘密のパンケーキだ。
バターを乗せて、ハチミツは別皿に用意して、縁側で待つ二人の元へ運んだ。懐には手作り券を忍ばせてある。
「おまたせ~!」
「きたー!けえきー!!」
「いい匂いですね。これは…今朝渡したいちごですか?」
「そう、陽太郎がよく山ぶどうを煮詰めたの乗せてくれるでしょ?それのいちご版!こっちの方がちょっと甘めかも。」
「なるほど…あのいちご達はこれに使う用だったんですね。言ってくれれば大きないちごも渡したのに。」
「言ったら内緒じゃなくなって、お楽しみにならないじゃん。」
「確かに。」
「なぁなぁ!はやく食べよう!」
「今取り分けるからちょっと待ってね。あ、ハチミツはこれね。」
大好物を前にそわそわ体を揺らす虎に微笑ましく急かされながら、こんなもんでしょうと三等分に切り分けてお皿に移す。行き渡ったところで両手を合わせ
「せーの、「陽太郎、お誕生日おめでとう!」」
いただきますの代わりにまたおめでとうを贈り、三人でケーキを食べ始めた。
“せーの”の後に、陽太郎だけちゃんと「いただきます」と言っていたのにじわじわきながら一口食べると、山ぶどうとはまた違った甘酸っぱさが広がって、それがまたバターとよく合う。
「ん~~~~!んまい!!みずみずしい香りにいちごの果肉と砂糖の甘み…ほのかな酸味が全体を引き締めて、けえきとよく合う…!山ぶどうが青春の味なら、これは甘い初恋の味だな!!」
「うん、すごくおいしいです!ホットケーキの生地もしっとりしてて、控えめだけとほんのり甘いような…」
「気付いた?お砂糖減らして生地にハチミツ入れてみたんだ。さっき思いついて、ぶっつけ本番でやってみたからどうかなって思ったんだけど、おいしくできてよかった。」
「あなたって、本当にすごいですよね。おれがやったら失敗してただろうな…それにこの甘さなら、何枚でも食べられそう。」
「我はもっと甘くてもいいけどな。恋もけえきも甘ければ甘いほどいい。」
「甘い恋か…前はよくわからなかったけど、今ならわかる気がするな。」
二人の会話を流し聞きながらバターを塗り広げるのに集中していると、いつの間にか会話が途切れていて、顔を上げた先では、陽太郎が乙女のような顔で私を見ていた。
「おれのかわいい子豚さんは、甘い恋がどんなものかわかりますか?」
教えてくれた本人にいきなりそんなことを聞かれ、手元が狂って溶けかけのバターがケーキから滑り落ちてしまった。上に戻そうにも、溶けてやわらかくなりすぎてしまって無理そうだ。
バターは諦めて、照れる気持ちを噛みながら
「…分かるよ。毎日してるもん。」
ぼそっと言って視線をまたお皿に戻し、もくもくと続きを食べ始める。
もはや味なんてよく分からないし、これ以上は恥ずか死ぬ。
「ほほぅ、どろどろした地獄みたいな愛憎劇ばかり読んでいたおれのかわいい子豚が、ついに甘い恋の良さに気付いたか…」
「ね、それって…誰と?」
「内緒!」
「そんなこと言わないで、教えて?」
「………野菜育ててる人。」
「うーん、野菜を育ててる人は村にたくさんいるけど…誰のことだろう?」
陽太郎はわざとらしく首を傾げてみせ、反対側からは虎が肘でくいくい私を押している。
いつもならここで適当なおじさんの名前を出して反撃するところだけど、今日くらいは素直になろうと、照れる気持ちを再びぐっと飲みこんだ。
「……陽太郎、です。」
「おれのかわいい子豚、もっと声を張れ!」
「くっ……!私は!陽太郎と!!毎日甘い恋をしてます!!!」
思ったより声を大にして主張してしまった。恥ずかしくて顔から火が出そうだけど、心はどこかすっきりしている。いっそ屋根に登って上から叫べばよかったかもしれない。
「よかった…そう思ってるのは、おれだけじゃなかったんですね。」
「陽太郎も?」
「はい。あなたがうちに帰って来てくれた日から、毎日が甘い恋です。初めての恋の相手があなたでよかった。」
「そして流れるこの空気……これぞまさしく甘い初恋!!くぅ~!けえきが倍うまい!」
突然の虎の大声も気にならないほど恥ずかしすぎて、でも陽太郎がゆるゆるの頬でとても幸せそうに笑うから、好きすぎて情緒がおかしくなりそうになる。
これ以上腑抜けて使い物にならなくなる前に、今日の一番の目玉である贈り物を渡さなければと、気を取り直しておもむろに懐に手を入れた。
「えっ、ちょ、ちょっとまってください!いきなり何を…!」
「え?何をって…はいこれ、私と虎から誕生日の贈り物!」
「あっ、贈り物か…びっくりした……」
「なんだ?やけに残念そうではないか。確かに見た目に派手さは無いが…」
「いや、違うんだ。すごくうれしいよ。今のはごめん…本当におれが悪かった。二人ともありがとう。開けてもいい?」
陽太郎が動揺した理由をなんとなく察しながらも、深く追求せずに開封を促した。
「これは…」
「手作り券っていって、その券を渡すと私たちが書いてあることをします!えっと、こっちが虎、こっちが私。で、これとこれはお手紙だから、あとでゆっくり読んでね。」
「せっかくだから、今日一枚ずつ使ってみてくれ!」
「へぇ…こういうの、すごくうれしいです!どれどれ?」
陽太郎が最初に広げたのは虎の券。いつの間にか膝の上にいた虎と一緒に、固唾をのんで反応を伺う。
「“かたたたたきけん”…あ、肩たたきか。」
「“た”が多かったか…なぜ教えてくれなかった。」
「そのままの方が面白いかなって思って。あ、券にも種類があるから全部見てみて?」
「何枚あるんですか?」
「枚数は陽太郎の歳の数で、券種は虎が三、私が五。」
「そんなにあるのか…贅沢だな…。」
少年のように目を輝かせている陽太郎を見て、私と虎はまた笑顔を合わせた。
「えっと…“なんでもおてつだいけん”?何でも手伝ってくれるってこと?」
「そうだぞ!」
「これは使いどころを考えないとな。次は…“ふたりきりけん”?」
「五枚しかないからな。それも使いどころを考えろよ?(ニヤニヤ)」
「……使用期限は?」
「来年の今日までだな。」
「なるほど…。ねぇ虎、ふたりきりにしてくれるのはいいけど、危険な場所だったり、あんまり遠くへは行かないでよ?」
「わかっておる!あぁ、報告は忘れるなよ!」
「しっかり報告義務付きなのか…けどありがとう。全部大事に使わせてもらうよ。」
「うむ!肩たたきはおれのかわいい子豚で練習して合格をもらったから楽しみにしててくれ!」
最初は力加減がわからず思いっきりいかれて肩が砕け散ったかと思ったけど、虎は意外と物覚えがいいので、すぐに強さも速度も五段階まで調節できるようになった。お金を取れるくらいに仕上がったので、かたたたたき券、もとい肩たたき券は一番多い枚数を用意するよう勧めたところ、自信をもって半数以上それにしていた。
「じゃあさっそくあとで使わせてもらおうかな。えっと、こっちはおれのかわいい子豚さんの券でしたね。」
いざ手に渡って見られるとなると緊張感が走り、何を書いたっけと心配になりながら、券を封筒から出す様子をドキドキしながらただ見守る。またしても深夜の勢いに任せて手紙同様変なことを書いたような気がして、少しの後悔を感じていると
「“全身指圧券”!しかもこんなにたくさん…いいんですか?」
まともなのが一番先でよかったとほっとした。
「もちろん!陽太郎が寝落ちするまで、誠心誠意やらせていただきます!」
「逆に眠れなくなったりしてな?」
「……否定できない。」
「え~!なんで?!絶対寝かせてみせるんだから!」
とは言ったものの、陽太郎が困ったように笑うので、嬉しくなかったのかと心配になった。
けど
「はい。楽しみにしてますね。」
さっきの私よりも恥ずかしそうな顔をしてるのを見て、いけない気持ちがちょっとだけむくっとした。
そんな邪な目で見られているとは少しも思っていない陽太郎は、連なった全身指圧券を丁寧に畳んで除け、次の券を取り出した。
「“膝枕券”?膝枕って、あの膝枕ですか?」
「ただの膝枕じゃないよ?暑かったら湯上りにうちわで扇いだり、ご要望とあらば耳かきもします。」
すると、陽太郎がなにやら思案を始めたので、ケーキの続きを食べ進めつつ待っていると、三口くらい食べたあたりで陽太郎がおずおずと口を開いた。
「あの…」
「はい?」
「それは、逆もありですか?」
「逆?」
「はい。おれがあなたに膝枕をして、うちわで扇いだり、ご要望とあらば耳かきもしたいです。」
まだ咀嚼しきれていない甘いケーキをごくんと飲み込んで、まさかそう来るとは思わなかったと動揺した。いや、陽太郎の性格を考えればそっちの方が喜ぶことくらい、少し考えれば分かったはずだ。
しかしこれは陽太郎への贈り物であって、それなのに“おれのかわいい子豚に膝枕する券”などという罰ゲームじみた券を、誰が厚かましく用意できるだろうか。
でも、他ならぬ主役の陽太郎がそれを望んでいる。
「じゃあ、五枚あるはずだから、二枚だけなら…」
「おれのかわいい子豚さんありがとう!すぐにでも使いたいくらいです!あ、誤解しないでほしいんですけど、あなたに膝枕してもらうのが嫌とかではなくて、ただ……」
「ただ?」
「心臓が、もたない気がして…少し想像しただけでも破裂しそうだったので……。」
「確かに心配になるくらいうるさいな。しかし、恋人の膝の上で死ねるなら本望ではないか?」
「本望だけど、これからって時にまだ死ぬわけにはいかないだろ?」
「それもそうだな。甘い恋は始まったばかりだというのに、こんなところで死んだら死んでも死にきれん。それに、欲を言えば陽太郎には我より長生きしてもらいたいからな。おれのかわいい子豚、我からも頼む。殺さない程度に甘やかしてやってくれ!」
「そんなに長生きできるかなぁ。」
「しろ!おれのかわいい子豚もだぞ!」
「そうだね。健康に気を付けて、あと百回は陽太郎の誕生日お祝いしないとね。私も、今まで何度も陽太郎に心臓破裂させられそうになってるけど、なんとか生き延びてみせるからね。」
「おれのかわいい子豚さん…」
「ほら、まだあと三種類あるから見てみて?」
「はい。」
つっこみたいことはいくつかあったけどあえて触れず、感動的な雰囲気の中、陽太郎は封筒から次の券を取り出した。
「どれどれ…“夜這い券”……え?!夜這い?!よばっ、よ、よよよ夜這いですか?!しかも三枚も!」
「うん、夜這い!私が夜這います!」
「あぁ、あなたがするんですね……ってそうじゃなくて!おれのかわいい子豚さん、夜這いの意味、ちゃんとかわかってますか?おれがするならまだしも、いやそれも違うな。だからその、本音を言えばしたいしされるのも大歓迎ですけど、あぁ、何言ってるんだおれは…えっと、つまり夜這いはまだ早というか、そういうことはゆっくり大事にしっかり段階を踏んで、ちゃんとけじめをつけてから夜這うべきだと…………ごめんなさい、ちょっと一回落ち着きますね。」
深呼吸する陽太郎を虎と一緒に見守りながら、今からでも心が落ち着く例の芳香スムージーを用意した方がいいかな?と考えていると、何度目かの深呼吸を終えてようやく落ち着きを取り戻したと思われる陽太郎が
「ちなみに使用期限は…」
至って真面目な様子で聞いてきた。
「来年の今日まで!」
本当は決めてなかったけど、取り乱す陽太郎が面白くて、虎と同じ期限を言ってみたら
「そうですか…。それならなんとかなりそうだな。」
まぁ陽太郎だし?夜這いなんて書いたところで軽く受け流されちゃうだろうけどね~なんて、軽い気持ちでいたのが急に真実味を帯びて、今度は私が取り乱しそうになる。
なんとかなりそうということは、夜這いをしても誰にも咎められない状況にできそうということで、それはつまりもしかしてもしかするし、しかも夜這うということはそういうことで、それも年内に、年内といってもあと約半年しかないけどその間に三回……
そこまで考えて叫び出しそうになり、これ以上考えるのは危険だと、咄嗟に白虎隊のことを思い浮かべて気持ちを落ち着かせた。落ち着くを通り越して落ち込んできたけど、なんとか平静を装って陽太郎に次を促した。
「あと二種類でしたね。……ん?一枚だけのがありますね。」
「あっ、それは」
「“お背中流し券”……あの、なんだか刺激的な内容が多い気が…」
「せっかく両想いになれたから、今までできなかったことをって思ったんだけど…下心ばっかりで、あまりのはしたなさに幻滅したよね。本当にごめん…気持ち悪かったら破り捨てていいからね。」
「ん?急にどうした?腹でも痛くなったのか?」
情緒の落差が気になったのか、今までご機嫌ににこにこしていた虎が、心配そうに私を見上げた。
興奮を抑える為に白虎隊を思い出したとは言い出せず、曖昧に笑って大丈夫と返した。
「幻滅なんて…するわけないじゃないですか。恥ずかしがりやなところもあって、そうかと思えば妙に大胆で…あなたにはずっと、ドキドキさせられっぱなしです。これ以上あなたに夢中になりすぎてどうしようもなくなったら…その時は責任、取ってくださいね?」
大好きな大きい手が私の頭を撫で、意味深な発言とはちぐはぐなその優しい手つきに、声にならない声が喉で塊となってもどもどと暴れている。今口を開いたらきっと、獣の唸り声みたいな変な音が出るはずだ。
「この券の使用期限はいつまでですか?」
「ぐぅ…「本日限りだ!端に小さく書いてあるぞ!」
開口唸った私はもはや使い物にならないと感じたのか、代わりに虎が答えてくれた。
「えっ?!さすがに今日はまずいです!心の準備と諸々の対策が…」
「案ずるな!おれのかわいい子豚は服を着たままだ!な?」
大きく頷きながら喉の塊を飲み込んで、ふぅ、と呼吸を整える。
「そう、そこはちゃんとわきまえてるし、陽太郎にこんな残念なもの見せる度胸はないから安心して!」
「残念ではないと思いますけど…まぁ服を着てるのであれば大丈夫……かな?」
「ん?残念そうに見えるが、残念ではないのか?」
「まぁ、残念な気持ちも少しはあるけど………」
陽太郎の視線がゆっくりと虎から私に移動してきて、目が合うとまた伏せてしまった。
「すみません、なんでもないです。今のは忘れてください。」
「大丈夫?」
「今のところはなんとか…ていうか、あなたは平気なんですか?」
「なにが?」
「なにがって…」
「あぁ、陽太郎の裸?背中だけだったら見慣れてるから、たぶん大丈夫。」
「それもそれでなんだかな…」
「薄々気付いてはいたが、男心もフクザツだな。」
「わかってもらえてうれしいよ。」
見るのは背後だけとはいえ全裸は全裸。本当は大丈夫じゃないかもしれないけど、努めて涼しい顔で二人のやり取りを聞いていた。
しかし内心では、残念の混乱渋滞が起きていたことを指摘できなかったほど動揺していた。
この“お背中流し券”を作るに至ったのは、距離を縮めるには裸の付き合いが一番だと、道端で知らないおじさんたちが話していたのを思い出したからだった。まぁ私は裸じゃないけど距離は間違いなく縮まるよねと思って書いてみたものの、さっきの夜這いの件もあり、いずれ本当の裸の付き合いをすることになるという事実によりによって今たどり着いてしまい、喉でまた強めの獣が唸り始めた。
「次で最後ですね。……ん?“券”としか書かれてませんけど、これは…」
「ぅぐぅ……っふぅ。あ、それは陽太郎が私にしてもらいたいことを自由に書いて渡してくれたら、そこに書かれたことをやります!」
「なんでもいいんですか?」
「うん、もちろん。」
「本当に?」
虫を食うとか虫と遊ぶとかそんなことを書かれたら無理だけど、陽太郎はそんな意地悪なことを書く人ではないと分かっているので、信頼の証として白紙の券を用意した。
結局のところ、今の私では陽太郎の本当の望みが私には分からないので、それを知るためにもこの“なんでも券”は我ながらいい考えだと思う。
「なんでもいいよ!」
「そんなことを言って大丈夫ですか?もしかしたら、へんなことをお願いするかもしれませんよ?」
「陽太郎はむっつりだからな。」
「おれはむっつりじゃない!」
「むっつりじゃない陽太郎の、へんなお願いってなんだろう?楽しみだな~。」
「服を脱げ、だったりしてな?(ニヤニヤ)」
「え~、自分で脱がせなくてもいいの~?」
「二人とも、そのへんにしておかないと…」
「はっ!すまん!我が悪かった!もう言わないからアレは勘弁してくれ…!」
「私も!もう言わないから!あ、生まれたてのひよこの話でもする?」
「それはまたあとでするとして」
するんだ、と思った次には怒れる陽太郎がゆっくりと近づいて来て、これは問答無用で変顔の刑に処されるやつだと固く目を閉じると、しばらくしてから何かが唇にちょんと触れた。
ん?と思って目を開けると、満面の笑みの陽太郎が、私の口元にケーキを差し出していた。
「はい、あーんして?」
思ってもみなかった突然のあーんに、頭の中で“?”がいくつか浮かびながらも、大人しく口を開けて差し出されたケーキを食べた。甘さにほっとしながら陽太郎のお皿を見ると、最後に見た時と変わらず一口分残っていた。手元の皿に目をやると空になっていたので、どうやらこれが私の最後の一口だったらしい。
「はい、虎もあーん。」
「あーん!むぐっ…変顔の刑では…もぐっ…なかったのか?」
「二人とも、同じ顔してて面白かったよ?あ、ほら、今も同じ顔してる。」
虎と顔を見合わせ、幸せそうに笑う陽太郎につられて私たちも、そうかな?なんて言いながら笑った。
「では陽太郎の最後の一口は、我とおれのかわいい子豚であーんしてやろう!」
「そうだね、そうしよう。」
陽太郎のお皿からケーキを取り、虎と一緒にフォークを持って
「はい、「あーん」」
ちょっと照れくさそうに開かれた陽太郎のお口にゆっくりケーキを押し込むと、今度は三人揃って同じ顔になった。
贈り物を渡し終えてケーキも食べ終わり、いよいよ本日限り有効の“お背中流し券”を使ってもらう時が来た。
おいしかったね~と空いたお皿を重ねている間、陽太郎がどこか落ち着かない様子でいるのが分かる。
「陽太郎先入るでしょ?洗い物終わったらお背中流しに行くね。」
「あ、それなんですけど…おれのかわいい子豚さん先に入ってもらってもいいですか?皿はおれが洗いますから。」
心の準備をしたいのだと察し
「分かった。でもお皿は洗わなくていいから、ゆっくりしててね?」
と言っても洗うんだろうなと思いつつお皿を台所まで運び、かくいう私もそわそわしながら入浴を済ませた。
陽太郎を呼びに行く前に台所に寄ると、やっぱりお皿は綺麗に洗われていた。
「おまたせ。お皿ありがとう。」
「おれのかわいい子豚さん…こちらこそ、今年も手の込んだ料理と素敵な贈り物をありがとう。虎とあなたがうちに来てから、本当に毎日楽しくて…一人でいた時のことが思い出せないくらいです。本当にありがとう。」
「ぐすっ…!我も陽太郎とおれのかわいい子豚に会えて、本当に良かったと思ってるぞ!絶対に、ぐすっ…二人のことは我が守ってみせるからなぁ~あ~~~!」
おいおい泣き出す虎の頭を撫でて、陽太郎と笑顔を交わし合う。
世界中のありがとうを集めても足りないほど感謝してるのは私の方。そう言いたいのに、喉に詰まって言葉が出て来ない。
「ひっ…ひっ…ぐすん。……はぁ~すまんすまん。これからお楽しみという時に、我としたことが水を差してしまったな。」
「お楽しみ…」
「お楽しみって…なんかちょっとアレだね。」
何の気なしにそう言うと、陽太郎は月明かりの下でも分かるほど頬を染めて目を伏せて、頭を小さく左右に振った。
「はぁ、せっかく気持ちを切り替えたのに…」
「じゃあ、そろそろお楽しみしちゃう?」
虎が鼻をすする音を聞きながら、俯く陽太郎の顔を覗き込むと、照れ困り顔でしばらく私を見つめたあと、ぐぅっ…と何かを飲み込んだ。その手には“お背中流し券”があり、この期に及んで出すのを躊躇しているようだ。
そんな陽太郎に手を差し出し、笑顔で“お背中流し券”を渡すよう促すと
「確認なんですけど…」
「はい。」
「あなたはその…服を着たまま、なんですよね?」
至って真剣な眼差しで聞いてきた。
「うん。あ、脱いだ方がいい?」
そんな気はさらさらないけど、陽太郎の反応がかわいくて、ついからかいたくなる。
きっとまた照れ散らかして、初心な反応を見せてくれるかと思いきや
「お願いできますか?」
「えっ」
「上がったばかりなのにすみません。でも、おれだけ裸なのは恥ずかしいから…」
予想外の返答に驚いて、今ケーキでお腹がぱんぱんなのにどうしよう、そうでなくてもとてもじゃないけど見せられないのに、絶対に振り向かないことを固く誓ってもらえば大丈夫かな?いや無理でしょと混乱気味に戸惑って、でも他でもない陽太郎が望むなら……覚悟、するしか!
「わ「……なんて。冗談です。びっくりした?」
“わかった”と言いかけたところで、“呼んだだけ”の時と同じに屈託なくにっこりと笑う陽太郎の、ただのお戯れだったことが判明した。
「もーーーー!なんなの?!」
「あなたがあまりにも平気そうにしてるから、ドキドキさせたくて。ごめんなさい…意地悪でしたよね。」
「おかげ様でめちゃくちゃドキドキした…はぁ~、せっかく覚悟決めたのに!もういいからとっとと券ちょうだい!」
「あっ、はい、お願いします。覚悟決めてたのか…」
「陽太郎、今からでも冗談ではないと言ったらどうだ?(ニヤニヤ)」
「虎~?」
「じょ、冗談だ冗談!おれのかわいい子豚もしびれを切らしてることだし、早いとこ風呂に入ろう!」
逃げるようにお風呂場へ向かった虎に続いて、「まったくもう」と言いながら陽太郎も腰を上げた。
「虎も一緒に入るの?」
「はい。その方がなにかと助かるので。」
「じゃあ、十分経ったら背中流しに行くね。」
「わかりました。」
お風呂場に向かう陽太郎の後姿を見送って、ふぅーと長い息を吐いた。
陽太郎こそ、奥手で恥ずかしがりやだと思いきや、突然素早く心臓を掴みに来る。一緒にいて穏やかな気持ちになれるし、ほっとするところがまた、まさに魔性といった感じだ。
私はとんでもない人を好きになってしまったのかもしれないと思いながら、部屋に戻ってとっておきの石鹸を取り出し、背中を流す準備をして落ち着かない十分間を過ごした。
時間が来たのでお風呂場の前まで行くと、いつもは賑やかな声が今日は聞こえて来ない。
入口のわきに置いてある籠の中で、自分の着物の上に陽太郎の脱いだシャツが重なっているのを見て、思わずハッと息を飲んだ。今まで全然気にしたことのなかった、ただの日常の当たり前の光景なのに、なんだか妙にやらしく見えて意識してしまう。
緊張感と高揚感が躍る中、自分を落ち着かせるために深呼吸をして
「開けてもいい?」
戸に向かって声を掛けると
「いいぞ!」
虎から返事が来た。陽太郎が虎と一緒に入ってくれていて、自分が招いたことながら助かったと思った。
戸に手を掛けてゆっくり開けると、薄い湯煙が流れ出てきて、晴れた先には陽太郎の背中があった。その向こう側では、虎が陽太郎にお湯を掛けられていた。
一人分しか空いていない狭い空間に足を踏み入れて、後ろ手で戸を閉めてからその場にしゃがんでみると、肌のきめの細かさが分かるほど近い。
見慣れていると思っていたけど、一糸纏わぬ陽太郎の背中の破壊力は凄まじく、弾かれた水滴が伝う様子に心臓が雄叫びを上げた。腰には当然のように手ぬぐいが巻かれているけど、肌に張り付いて透けている。これはやばい。自分を落ち着かせようと、鉄板である白虎隊のことを思い浮かべようと試みるも、手の届く場所にある、手ぬぐいの下に隠された陽太郎の青龍に気を取られ、興奮が上回って全然話が出てこない。
親睦を深めるせっかくのまたとない機会なのに、このままではまた使い物にならなくなってしまう。これは介助、いや、介護の練習だと言い聞かせ、狂いそうな呼吸をなんとか整える。
「ふぅ…ふぅ…」
「大丈夫ですか?暑かったら戸を少し開けてくださいね?」
介護にしては健康そのものの体つきだけど、これは介護。
これは介護。これは介護。
うなじがとても綺麗だけど、これは介護。
「ふぅ…………よしっ、大丈夫。」
風呂桶のお湯を手に取って、持参したとっておきの石鹸を泡立てるとお風呂場にいちごの香りがふわっと広がった。
「いい匂い…いちごの香りの石鹸なんてあるんですね。」
「いい匂いでしょ?」
「もしかして貴重なモノなんじゃ…使ってよかったんですか?」
「もちろん。わりとすぐ買えるから気にしないで!これ、匂いだけじゃなくて、肌もしっとりするんだよ。」
「本物とまではいかないが、うまそうなニオイだな!」
「いくらなんでも石鹸は食べられないよ。」
「わかっておるわ。さっきのけえきが甘い初恋の味なら、これは乙女の甘い初恋のニオイだな!我、ときめいちゃう。」
「虎も使う?」
「いいのか?!」
「うん!ちょっと待ってね。ではでは陽太郎さん、お背中流しまーす。」
「はい。よろしくお願いします。」
虎の天真爛漫さのおかげで邪な気持ちが少し落ち着いたところで、腕を回して陽太郎に石鹸を渡し、手に付けた石鹸を陽太郎の広い背中に塗り広げていく。
「てっ、手で洗うんですか?!」
「いたた!陽太郎!毛を握るな!!」
大きな肩甲骨、がっしりとした肩。重い籠を軽々背負えるだけのことはある。
「あ、陽太郎肩にほくろあるんだね。」
「あー…あったような、なかったような……」
「おい陽太郎、まだ洗わぬのか?もうずっと濡れたままなのだが…」
「あっごめん!おれのかわいい子豚さん、石鹸お返ししますね。」
肩越しに石鹸を受け取り、再び石鹸を手で泡立てる。
一切の無駄の無いしなやかな背中に、深く綺麗に通る背筋。その両側は硬く隆起していてものすごく男らしく、思わず頼りたくなる。
「おいまて!そこは鼻の穴…ふごっふオ˝エッ!…ッツブシュン!」
それなのに肌はすべすべでなめらかで、腰も引き締まっていて
「うらやましすぎる…」
「あっ…!おれのかわいい子豚さん、あの、脇腹だけは…」
おしりへと続く線も左右対称で、絵に描いたような美しさにため息が出る。
「あ、またほくろみーっけ。知ってた?腰のここ。」
「っ、そこは…知りませんでした……」
「ちょっ!なぜ突然我を押す?!あっおい!我で壁を洗うな!!」
「ほんとにイイ身体…いいなぁ……」
「あっ、あの!もう十分です!これ以上は本当に…!」
嫉妬のあまり危うくおしりの方まで洗いそうになったところで、陽太郎に手を止められた。
我に返って陽太郎の背中に広がる石鹸泡に浮く自分の手の跡を見て、洗いながら夢中で撫でまわしていたことに気付いた。もはやただの痴女。
「あ、ごめん!今泡流すね!」
「大丈夫です。あとは自分でできますから、何も聞かずにご退室いただけると…」
前を向いたまま決して振り向かず、背中を丸めて耳まで真っ赤な陽太郎を見てなんとなく事情を察し、急いで手についた泡をすすいで
「石鹸と桶、ここに置いておくね!失礼しました!」
早々に退散した。
縁側に戻って火照った頬を冷ましていると、
「えらいめにあった…」
げっそりした虎が、乙女の甘い初恋の香りを振りまきながらやってきた。
「陽太郎は?」
「まだ湯に浸かってる。ゆっくり浸かりたいから先に寝てろと言われた。」
「そうなんだ。肩たたきしなくていいのかな。」
「それどころではなさそうだったぞ。もしかしたら、陽太郎は今夜眠れんかもしれんな。」
「お香、焚いておこうか。」
「そうだな。」
虎から手ぬぐいを受け取って毛が乾くまで拭き、歯磨きを終えても陽太郎は出てこなかった。
心配になって外から声を掛けたら、「もう少ししたら上がりますから、寝先にちゃってください」と返ってきたので、お言葉に甘えて先に寝ることにした。
布団に入って目をつむると、まず陽太郎の背面の造形美が脳裏に浮かんだ。それから、おそらく触りすぎて反応してしまったのだろうと改めて思い、それこそ介助が必要だったのではと考えて、いずれそうする時が来るのかと思うと黄色い声が出そうになって布団を頭まで被った。
しかし、思い返したうっとりするような体つきにドキドキしながらも、自分と比べてしまってどうしようもなく危機感が渦巻く。
来たるべき時に備えて、明日からご飯とおやつの量を減らそうと固く誓い、まだ日付けも変わっていないのに、来年の陽太郎の誕生日の計画をぼんやり立てながら眠りについた。
翌朝目覚めると、枕元に手作り券が置かれていた。眠い目をこすって見てみると、そこには陽太郎の字で“朝摘みいちごの味見券”と書かれている。
嬉しくて飛び起きて、急いで身支度を済ませて縁側に出てみたけど、陽太郎の姿が見当たらない。畑にもいない。
まさかと思って陽太郎の部屋を覗くと、布団からはみ出して気持ちよさそうにぐっすりと眠っていた。起きる気配は一切ない。昨夜寝たのがだいぶ遅かったのかもしれない。
責任を感じて起こそうかどしようか迷っていると、枕元に置かれた虎のお香が目に入った。全ての元凶はやはりこの私。
やらかしついでに陽太郎にそーっと近づいて、甘くて瑞々しい無防備な寝顔を朝摘みしようと、ゆっくりと顔を寄せた。
—完—
【あとがき】
陽太郎お誕生日おめでとう!!楽しくてハッピーなバースデーを過ごして欲しくて一生懸命書きましたところ、途中から雲行きが怪しくなり、最終的になんだコレミステリー珍味の出来上がり、というわけです。
当初の予定では3,000字~5,000字を予定していたので、余裕で書き終わって誕生日までに通常の夢小説も二つくらいあげちゃお!と思っていたのですが、話を膨らませ過ぎてそんな余裕は全くありませんでした。
“口づけ券”もあったのですが、ボツにして全て書き直しました。なぜならそれを見せた際、「券がないと、してくれないんですか?」に繋がってしまい、そこから膨らませてみたところ、収集するまでに文字数がどえらいことになった為、切り取ってボツフォルダへ。せっかく書いたので、また別の形でお見せできたらいいなと思っております。
ところで、陽太郎は自由入力手作り券に何を書くのでしょうか。邪な内容がチラついた陽太郎も見てみたいし、“激辛料理作る券”とか“一緒に早朝お散歩券”といった、券使わなくたってやりますがなみたいな、純粋ハートフルな内容で攻めてくるのも彼らしくていいですね。
ここまでお付き合い下さってありがとうございます。陽太郎と素敵なバースデーをお過ごし下さいね!
1/1ページ