汗・涙・聖水
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
【せいすいのこうかは ばつぐんだ!】
家事の合間にお手洗いに行ったら先客がいた。といっても心当たりは一人しかいない。
中からは威勢のいい音が聞こえてきて、なんだかいけない音を聞いているようで妙にドキドキする。
膀胱が逼迫 しているわけでもないし、近くで待つのも失礼なので、また時間を空けてからにしようとトイレの前から立ち去った。
その足で新しいレシピ帳を取りに部屋へ行き、そこから台所へと向かう道中、先程いい音を奏でていた陽太郎の後ろ姿と鉢合わせた。
私の足音に気付いて振り返った陽太郎は、満面の笑みで
「あっ、おれのかわいい子豚さん!ちょうどよかった。」
透明の一升瓶を抱えていて、その中には、少し泡立った黄色い液体がたっぷりと入っている。
「えっそれおしっ」
慌てて口を噤み、“こ“を引っ込めた。
いやいやそんなはずはないと思いながらも、見れば見るほどどう見てもそれでしかない。
「おし?」
陽太郎が先程お手洗いで勢いよく音を立てていたのはこれだったのか。
しかしなぜ一升瓶に?ちょうどよかったということは、私を探してたってこと?おしっこを抱えて?
ざわめきと混乱が渦巻いて、触れていいのかそうでないのか分からず
「おっ、押入れってどこだっけ?」
動揺するあまり、ワケの分からない質問をしてしまった。
「押入れはいくつかありますけど…何が必要ですか?」
明らかに不審であるのに、陽太郎は疑いもせず、真面目に親身になってくれている。
陽太郎の人柄の素晴らしさを考えたら、おしっこを瓶に入れて持ち歩いてるくらい多目に見たっていいじゃない。ていうかそもそもおしっこじゃないかもしれない。陽太郎がわざわざおしっこを瓶に入れて持ち歩くわけがない。
いや、もしかしたらまだ私が知らない村の風習みたいなのがあって、ここではおしっこを瓶に入れて何かする儀式みたいなのがあるのかもしれない。それがこの村の当たり前で、気にするのは余所者だけなのかもしれない。
「あ、やっぱり大丈夫!何でもないから気にしないで!」
「………そうですか?そうだ、これ。よかったら今から飲みませんか?」
「飲む…?今から、それを??」
陽太郎は屈託のない笑顔で、おしっこかもしれない液体がなみなみ入った瓶を掲げた。
いくら愛しているとはいえ、おしっこを飲めるかどうかと聞かれたら、快く二つ返事で「はい」と答えられない。もしこれがこの村のしきたりであり、真の夫婦の契りだというなら飲めなくもないかもしれないけど、想像しただけで嗚咽しそうだ。
「陽太郎も飲むの?」
「はい。新鮮なうちに、三人で一緒に飲みたくて。」
「新鮮なうちに…」
鮮度が落ちたらもっとキツくなるのだろうか。逆にマイルドになりそうな気もするけどどうなんだろう。
そういえば
「虎も飲んだことあるの?」
「さぁ…うちに来てからは初めてですけど、もしかしたらどこかで飲んだことがあるかもしれませんね。後で聞いてみましょう。」
陽太郎が歩き出したので、私も後に続いたけど、これはもしかしなくても飲む流れになっている。長く生きている怪モノなら、確かにそんな機会があったとしてもおかしくはない。ましてや虎は食べることと人間に興味津々。人間は食べなくても人間から出るものを味見していてもおかしくはない。
となると、問題はやはり私だけ。一度飲んでしまえば、最初の一杯さえ飲んでしまえば、あれ?大丈夫かもってなって、次からは余裕で飲めるようになるのかもしれない。しかしその最初の一杯をいく覚悟が全然決まりそうにない。
私は飲めるのか?
陽太郎の
おしっ、お小水を…!
「ところでそれ、どうしたの?」
動揺から来る激しい動悸を鼓膜に響かせながら、なんてことない風を装って核心に迫ると
「これですか?さっき村長にもらったんです。今朝採れたばかりだそうですよ。」
「おっ…え?!村長の?!陽太郎のじゃなくて??」
「はい。今さっき村長が届けてくれました。おれを驚かせる為に、わざわざ直接畑の方に来たんですよ?たまにやるんですよね…まぁ今回はすぐ見つけましたど。あ、おれのかわいい子豚さんによろしくって言ってましたよ!」
私は村長に一体何をよろしくされたのだろう。本当の意味で陽太郎の妻になるなら、村のしきたりに従いなさいということか。そのしきたりとは夫ではなく村の長のおしっこを飲むことによって、初めて村の一員として認められるということだろうか。
しかしそうなると話は別だ。この地に骨を埋めると決めたとはいえ、自分のはおろか陽太郎のおしっこですら無理かもしれないのに、あの村長の、しかも朝一のなんて絶対に無理だ。あぁ、そうこうしているうちに台所まで来てしまった。
激しい動悸がして、思わず胸を抑える。
「陽太郎も飲むの?」
「はい。こんなに上等なモノはなかなか手に入らないので、すごく楽しみです!」
「上等…」
確かにおじさんのとは思えないほど澄んではいるけど、朝一とあって色が濃い。それが上等である条件なのかもしれない。しかし、上等だろうが並だろうがやっぱり私には飲めそうもない。
食器棚から器を取り出している陽太郎の横顔と、台所に置かれた一升瓶を交互に見ながら、やっぱり私は飲めませんと言う勇気を振り絞っていた時。
「ふっ…ふふっ……ははは!」
器を持った陽太郎が、突然笑い出した。
村長の朝一おしっこを飲むのが笑い出すほど嬉しいのかと、信じられない思いで陽太郎を見つめながら、もしかしたら目の前のこの人は私が知っている陽太郎じゃないのかもしれない、何かに化かされているのではと、恐ろしさと悲しさが入り混じったような気持ちでいると
「笑ったりしてごめんなさい。あなたの表情が分かりやすくころころ変わるのがかわいくて、なかなか本当のことを言い出せませんでした。騙すような真似をしてしまって、本当にごめんなさい。でも安心して?これはりんごのジュースです。」
りんごの、ジュース…?
りんごジュース!
「やだもう!!!早く言ってよ!りんごジュース!!りんごジュースね!!!あーよかったぁ~~~!おしっこかと思った!」
「薄々そんな誤解をしているような気はしてましたけど、さすがにそれは飲めないし、ましてや勧めません。まぁ、中には健康法だとかで飲む人もいるみたいですけど…おれが知る限りでは、サカモトにはいないかな。」
「そっか~あーびっくりした…」
「どんな考えを巡らせてたんですか?」
「村の風習で、夫のを飲まないと本当の夫婦になれないとか、村長のを飲まないと本当の意味で一員として認められない、とか?」
「なんだか怪奇小説に出てくる村みたいですね。まぁこの村には怪モノがいるから、怪奇といえば怪奇なんですけど。」
「本当に無いの?そういう変わった風習。」
「そんな過激な風習はないのでご安心を。」
「そっか、ごめんごめん。」
「ちなみにこれは、村長の家に送られてきたモノです。毎年この時期になると、りんご農家の知り合いからたくさん送られてくるんですよ。それのお裾分けです。」
「そうだったんだ。確かに今が旬だもんね。」
そんな話をしつつ、怪奇なのは私の頭だけだったことが分かったところで、お盆に乗せた紛らわしい色のりんごジュースとコップを囲炉裏まで運んだ。
火にあたりながら黄色く輝く液体がコップに注がれるのを見ていると、甘いりんごの蜜の香りが広がった。
よかった…これがおしっこじゃなくて、本当によかった。
動悸も治まり、安心したせいかなんだかどっと疲れたような気がしていると、部屋の奥から、二度寝して今起きましたといった感じの虎がやってきた。
「ん?何やら甘い匂い…これは…りんごか?」
「そうだよ。りんごジュース、虎も飲まない?」
「飲む!ハチミツも入れてくれ!」
「りんごにハチミツか…おいしそうだな。おれも入れてみようかな?おれのかわいい子豚さんは?ハチミツ、入れてみますか?」
「うん!入れてみる!でもせっかくだから二杯目からにする。」
「我もそうする!まずは素材の味を楽しんでから、ハチミツとのはあもにぃを楽しむとしよう。」
最初の一杯はそのままで頂き、芳醇なりんごの香りと爽やかで甘い蜜の味を三人で楽しんだ。二杯目からはハチミツを入れて、全然溶けないけど見事なハーモニーを味わっていると、陽太郎が匙でりんごジュースを一生懸命混ぜながら
「知ってますか?苦いモノや辛いモノを食べても、その後にりんごを食べるとその味が消えて、口の中はりんごの味だけになるそうです。」
「へぇー!ジュースも同じなのかな。」
「ジュースでもりんごはりんごなので……試してみます?」
「試してみたい!」
「ふむ、面白そうだな!やってみよう!」
「そうだな…じゃあ、魚のはらわたとニラ漬け、どっちがいい?」
「えぇ…どっちも嫌だなぁ。」
「我は魚のはらわたならなんとか…ニラだけは勘弁してくれ。」
苦いモノと辛いモノの究極の選択に虎と顔をしかめていると、陽太郎はう~んと考えながら、器の中に小さな渦巻きができるほどぐるぐると匙を回し
「あ!いいモノがあります!ちょっとまってて!」
その器を置いていそいそと台所に行って、小皿を持って戻って来た。
「おまたせ!これならどう?」
その小皿には一口大に切られた明太子が三つ乗っていた。
「……これだけで食うのか?」
「白米と食べたい。」
「後でおにぎりにしますから。今はりんごジュースが味を上書きするかどうか、試してみましょう?」
陽太郎もこの説に興味津々なのか、真っ先にノリノリで明太子をつまんだ。
「せーのでいきます?」
「いや、まずは陽太郎がいくのを見てからにしたい。」
「やけに慎重だな。我はいくぞ!」
「えっ!虎も?!」
「もし辛味が口の中から消えなかったら、一週間水代わりにハチミツを飲んで過ごす。」
「やば」
虎も明太子をつまみ、ほぼ二人同時に明太子を口に入れた。
陽太郎が美味しそうに明太子を味わっている横で、虎は目を見開いたり手をパタパタさせたりと、対照的な反応を見せた。
笑いながらその様子を見ていると、虎がまず明太子を飲み込んで、そのすぐ後に陽太郎も明太子を飲み込んだ。その順番でりんごジュースを手に取って、ほぼ同時に口を付けた。
「どう?明太子消えた?」
飲み終わるのも待てずに、二人を交互に見ながら尋ねると
「うぉほっ!本当だ…辛くない!辛くないぞ!口の中がりんごの味でいっぱいだ!」
虎が聞いたこともない変な声を上げて喜び
「うん、辛味もそうですけど、魚卵の生臭さも綺麗さっぱり消えました。不思議だな…りんごは味が強いのかもな。」
新発見に目を輝かせる二人に続いて、私も明太子を口に入れた。やっぱりこれだけだとピリピリとした辛さを強く感じ、塩気が濃いし生臭さも感じる。陽太郎はお酒のおつまみにしてる時もあるけど、個人的に明太子は単体ではなく米と食べるに限ると改めて思う。
「おれのかわいい子豚、お前今すごい顔をしているぞ。とてもじゃないけど惚れた男に見せていい顔ではないな。」
「そう?さっきも同じような顔をしてたけど、素直でかわいらしいじゃないか。おれのかわいい子豚さん、あんまり辛かったら無理しなくてもいいですからね?」
「まぁ、陽太郎がいいなら我は何も言うまい。」
そんなやり取りを聞きながら明太子を飲み込み、おそるおそる半分わくわく半分でりんごジュースを口に流し込んだ。
りんごジュースが口の中に広がって舌を覆い、鼻からりんごの爽やかな香りが抜けていく。ごくりと飲み込んだ頃にはもう、口の中にはりんごジュースの味しか残っていなかった。
「すごい…!明太子が跡形もなく消えた!」
「魔法みたいですよね。これなら虎もニラが食べられるんじゃない?」
「そう来ることは分かっていた。だがそれは違うぞ陽太郎。確かに最終的な味わいはりんごだが、その前にニラを味わうことには変わりない。我は一秒たりともニラを味わいたくないのだ。」
「すごい説得力…まぁ、りんごジュース自体時期のモノだし、また別の方法を考えるか。」
「…勘弁してくれ。」
こうして三人で旬の恵みの新鮮なりんごジュースを和気あいあいと飲んだ、その日の夜。
家事の合間にお手洗いに行ったら先客がいた。といっても心当たりは一人しかいない。
中からは威勢のいい音が聞こえてきて、なんだかいけない音を聞いているようで妙にドキドキする。
膀胱が
その足で新しいレシピ帳を取りに部屋へ行き、そこから台所へと向かう道中、先程いい音を奏でていた陽太郎の後ろ姿と鉢合わせた。
私の足音に気付いて振り返った陽太郎は、満面の笑みで
「あっ、おれのかわいい子豚さん!ちょうどよかった。」
透明の一升瓶を抱えていて、その中には、少し泡立った黄色い液体がたっぷりと入っている。
「えっそれおしっ」
慌てて口を噤み、“こ“を引っ込めた。
いやいやそんなはずはないと思いながらも、見れば見るほどどう見てもそれでしかない。
「おし?」
陽太郎が先程お手洗いで勢いよく音を立てていたのはこれだったのか。
しかしなぜ一升瓶に?ちょうどよかったということは、私を探してたってこと?おしっこを抱えて?
ざわめきと混乱が渦巻いて、触れていいのかそうでないのか分からず
「おっ、押入れってどこだっけ?」
動揺するあまり、ワケの分からない質問をしてしまった。
「押入れはいくつかありますけど…何が必要ですか?」
明らかに不審であるのに、陽太郎は疑いもせず、真面目に親身になってくれている。
陽太郎の人柄の素晴らしさを考えたら、おしっこを瓶に入れて持ち歩いてるくらい多目に見たっていいじゃない。ていうかそもそもおしっこじゃないかもしれない。陽太郎がわざわざおしっこを瓶に入れて持ち歩くわけがない。
いや、もしかしたらまだ私が知らない村の風習みたいなのがあって、ここではおしっこを瓶に入れて何かする儀式みたいなのがあるのかもしれない。それがこの村の当たり前で、気にするのは余所者だけなのかもしれない。
「あ、やっぱり大丈夫!何でもないから気にしないで!」
「………そうですか?そうだ、これ。よかったら今から飲みませんか?」
「飲む…?今から、それを??」
陽太郎は屈託のない笑顔で、おしっこかもしれない液体がなみなみ入った瓶を掲げた。
いくら愛しているとはいえ、おしっこを飲めるかどうかと聞かれたら、快く二つ返事で「はい」と答えられない。もしこれがこの村のしきたりであり、真の夫婦の契りだというなら飲めなくもないかもしれないけど、想像しただけで嗚咽しそうだ。
「陽太郎も飲むの?」
「はい。新鮮なうちに、三人で一緒に飲みたくて。」
「新鮮なうちに…」
鮮度が落ちたらもっとキツくなるのだろうか。逆にマイルドになりそうな気もするけどどうなんだろう。
そういえば
「虎も飲んだことあるの?」
「さぁ…うちに来てからは初めてですけど、もしかしたらどこかで飲んだことがあるかもしれませんね。後で聞いてみましょう。」
陽太郎が歩き出したので、私も後に続いたけど、これはもしかしなくても飲む流れになっている。長く生きている怪モノなら、確かにそんな機会があったとしてもおかしくはない。ましてや虎は食べることと人間に興味津々。人間は食べなくても人間から出るものを味見していてもおかしくはない。
となると、問題はやはり私だけ。一度飲んでしまえば、最初の一杯さえ飲んでしまえば、あれ?大丈夫かもってなって、次からは余裕で飲めるようになるのかもしれない。しかしその最初の一杯をいく覚悟が全然決まりそうにない。
私は飲めるのか?
陽太郎の
おしっ、お小水を…!
「ところでそれ、どうしたの?」
動揺から来る激しい動悸を鼓膜に響かせながら、なんてことない風を装って核心に迫ると
「これですか?さっき村長にもらったんです。今朝採れたばかりだそうですよ。」
「おっ…え?!村長の?!陽太郎のじゃなくて??」
「はい。今さっき村長が届けてくれました。おれを驚かせる為に、わざわざ直接畑の方に来たんですよ?たまにやるんですよね…まぁ今回はすぐ見つけましたど。あ、おれのかわいい子豚さんによろしくって言ってましたよ!」
私は村長に一体何をよろしくされたのだろう。本当の意味で陽太郎の妻になるなら、村のしきたりに従いなさいということか。そのしきたりとは夫ではなく村の長のおしっこを飲むことによって、初めて村の一員として認められるということだろうか。
しかしそうなると話は別だ。この地に骨を埋めると決めたとはいえ、自分のはおろか陽太郎のおしっこですら無理かもしれないのに、あの村長の、しかも朝一のなんて絶対に無理だ。あぁ、そうこうしているうちに台所まで来てしまった。
激しい動悸がして、思わず胸を抑える。
「陽太郎も飲むの?」
「はい。こんなに上等なモノはなかなか手に入らないので、すごく楽しみです!」
「上等…」
確かにおじさんのとは思えないほど澄んではいるけど、朝一とあって色が濃い。それが上等である条件なのかもしれない。しかし、上等だろうが並だろうがやっぱり私には飲めそうもない。
食器棚から器を取り出している陽太郎の横顔と、台所に置かれた一升瓶を交互に見ながら、やっぱり私は飲めませんと言う勇気を振り絞っていた時。
「ふっ…ふふっ……ははは!」
器を持った陽太郎が、突然笑い出した。
村長の朝一おしっこを飲むのが笑い出すほど嬉しいのかと、信じられない思いで陽太郎を見つめながら、もしかしたら目の前のこの人は私が知っている陽太郎じゃないのかもしれない、何かに化かされているのではと、恐ろしさと悲しさが入り混じったような気持ちでいると
「笑ったりしてごめんなさい。あなたの表情が分かりやすくころころ変わるのがかわいくて、なかなか本当のことを言い出せませんでした。騙すような真似をしてしまって、本当にごめんなさい。でも安心して?これはりんごのジュースです。」
りんごの、ジュース…?
りんごジュース!
「やだもう!!!早く言ってよ!りんごジュース!!りんごジュースね!!!あーよかったぁ~~~!おしっこかと思った!」
「薄々そんな誤解をしているような気はしてましたけど、さすがにそれは飲めないし、ましてや勧めません。まぁ、中には健康法だとかで飲む人もいるみたいですけど…おれが知る限りでは、サカモトにはいないかな。」
「そっか~あーびっくりした…」
「どんな考えを巡らせてたんですか?」
「村の風習で、夫のを飲まないと本当の夫婦になれないとか、村長のを飲まないと本当の意味で一員として認められない、とか?」
「なんだか怪奇小説に出てくる村みたいですね。まぁこの村には怪モノがいるから、怪奇といえば怪奇なんですけど。」
「本当に無いの?そういう変わった風習。」
「そんな過激な風習はないのでご安心を。」
「そっか、ごめんごめん。」
「ちなみにこれは、村長の家に送られてきたモノです。毎年この時期になると、りんご農家の知り合いからたくさん送られてくるんですよ。それのお裾分けです。」
「そうだったんだ。確かに今が旬だもんね。」
そんな話をしつつ、怪奇なのは私の頭だけだったことが分かったところで、お盆に乗せた紛らわしい色のりんごジュースとコップを囲炉裏まで運んだ。
火にあたりながら黄色く輝く液体がコップに注がれるのを見ていると、甘いりんごの蜜の香りが広がった。
よかった…これがおしっこじゃなくて、本当によかった。
動悸も治まり、安心したせいかなんだかどっと疲れたような気がしていると、部屋の奥から、二度寝して今起きましたといった感じの虎がやってきた。
「ん?何やら甘い匂い…これは…りんごか?」
「そうだよ。りんごジュース、虎も飲まない?」
「飲む!ハチミツも入れてくれ!」
「りんごにハチミツか…おいしそうだな。おれも入れてみようかな?おれのかわいい子豚さんは?ハチミツ、入れてみますか?」
「うん!入れてみる!でもせっかくだから二杯目からにする。」
「我もそうする!まずは素材の味を楽しんでから、ハチミツとのはあもにぃを楽しむとしよう。」
最初の一杯はそのままで頂き、芳醇なりんごの香りと爽やかで甘い蜜の味を三人で楽しんだ。二杯目からはハチミツを入れて、全然溶けないけど見事なハーモニーを味わっていると、陽太郎が匙でりんごジュースを一生懸命混ぜながら
「知ってますか?苦いモノや辛いモノを食べても、その後にりんごを食べるとその味が消えて、口の中はりんごの味だけになるそうです。」
「へぇー!ジュースも同じなのかな。」
「ジュースでもりんごはりんごなので……試してみます?」
「試してみたい!」
「ふむ、面白そうだな!やってみよう!」
「そうだな…じゃあ、魚のはらわたとニラ漬け、どっちがいい?」
「えぇ…どっちも嫌だなぁ。」
「我は魚のはらわたならなんとか…ニラだけは勘弁してくれ。」
苦いモノと辛いモノの究極の選択に虎と顔をしかめていると、陽太郎はう~んと考えながら、器の中に小さな渦巻きができるほどぐるぐると匙を回し
「あ!いいモノがあります!ちょっとまってて!」
その器を置いていそいそと台所に行って、小皿を持って戻って来た。
「おまたせ!これならどう?」
その小皿には一口大に切られた明太子が三つ乗っていた。
「……これだけで食うのか?」
「白米と食べたい。」
「後でおにぎりにしますから。今はりんごジュースが味を上書きするかどうか、試してみましょう?」
陽太郎もこの説に興味津々なのか、真っ先にノリノリで明太子をつまんだ。
「せーのでいきます?」
「いや、まずは陽太郎がいくのを見てからにしたい。」
「やけに慎重だな。我はいくぞ!」
「えっ!虎も?!」
「もし辛味が口の中から消えなかったら、一週間水代わりにハチミツを飲んで過ごす。」
「やば」
虎も明太子をつまみ、ほぼ二人同時に明太子を口に入れた。
陽太郎が美味しそうに明太子を味わっている横で、虎は目を見開いたり手をパタパタさせたりと、対照的な反応を見せた。
笑いながらその様子を見ていると、虎がまず明太子を飲み込んで、そのすぐ後に陽太郎も明太子を飲み込んだ。その順番でりんごジュースを手に取って、ほぼ同時に口を付けた。
「どう?明太子消えた?」
飲み終わるのも待てずに、二人を交互に見ながら尋ねると
「うぉほっ!本当だ…辛くない!辛くないぞ!口の中がりんごの味でいっぱいだ!」
虎が聞いたこともない変な声を上げて喜び
「うん、辛味もそうですけど、魚卵の生臭さも綺麗さっぱり消えました。不思議だな…りんごは味が強いのかもな。」
新発見に目を輝かせる二人に続いて、私も明太子を口に入れた。やっぱりこれだけだとピリピリとした辛さを強く感じ、塩気が濃いし生臭さも感じる。陽太郎はお酒のおつまみにしてる時もあるけど、個人的に明太子は単体ではなく米と食べるに限ると改めて思う。
「おれのかわいい子豚、お前今すごい顔をしているぞ。とてもじゃないけど惚れた男に見せていい顔ではないな。」
「そう?さっきも同じような顔をしてたけど、素直でかわいらしいじゃないか。おれのかわいい子豚さん、あんまり辛かったら無理しなくてもいいですからね?」
「まぁ、陽太郎がいいなら我は何も言うまい。」
そんなやり取りを聞きながら明太子を飲み込み、おそるおそる半分わくわく半分でりんごジュースを口に流し込んだ。
りんごジュースが口の中に広がって舌を覆い、鼻からりんごの爽やかな香りが抜けていく。ごくりと飲み込んだ頃にはもう、口の中にはりんごジュースの味しか残っていなかった。
「すごい…!明太子が跡形もなく消えた!」
「魔法みたいですよね。これなら虎もニラが食べられるんじゃない?」
「そう来ることは分かっていた。だがそれは違うぞ陽太郎。確かに最終的な味わいはりんごだが、その前にニラを味わうことには変わりない。我は一秒たりともニラを味わいたくないのだ。」
「すごい説得力…まぁ、りんごジュース自体時期のモノだし、また別の方法を考えるか。」
「…勘弁してくれ。」
こうして三人で旬の恵みの新鮮なりんごジュースを和気あいあいと飲んだ、その日の夜。
1/1ページ