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長谷部

 文字を読む、ということを、この身を得て初めて行った。奇妙な線描の図形たちは、音を持ち、意味を持ち、言葉となった。主、と、俺が呼ぶこの声ですらも、形になるのである。なんと不思議な事象であろうか。
「主、この本はどこにしまいましょうか。」
 年季の入った数冊の線装本を手に尋ねると、書類の内容を検めていた主が顔を上げる。
「歴史書?」
「見たところ、戦術書のようです。」
「じゃあ、棚の左下にお願いしていいかな?」
「かしこまりました。」
 俺と主は今、本丸の蔵書整理をしている。今朝、何気なく今日の予定を尋ねたところ、主が一人で蔵書整理をするつもりだと判明したため、手伝いを名乗り出たのである。本丸にある書物は、資料として政府が用意した古書が主である。そこに主の私物も幾らか加わり、なかなかの冊数となっている。それを主御一人で整理なさるなど、到底見過ごすことなどできはしない。誰かに命じてくださればよいものをと思う反面、自分だけが携わることができる状況となったことに喜びを感じているのも確かだった。
 刀剣関連は上段、歴史書は中ほど、戦術書は左下、書類は右下。判断つきかねるものは主に尋ね、 無造作に積み上げられた書物たちを棚に収めていく。山から一冊を手に取り中を検めれば、それは手書き本のようであった。墨で描かれた美しい文字たちが均等に並んでいる。活字本と比べても遜色無いであろうその美しさに、これを人の手が書いたのだと思うと、これを感嘆というのだろうか、背筋の 冷えるような思いがした。これを書いた者に、今すぐ賛辞を贈りたい。そんな気分になった。しかし、これを書いた者は既にこの世にはいないのだ。俺が作られた頃か、それ以前か以後か。ここにある古書たちを作った人々は、今は亡き者ばかりであろう。短い命をもってして、後世に何かしらを遺して逝った者たちを、幾度も見てきた。しかし、発せられればその場で消え失せてしまうはずの言葉たちが、こうしてその身無き後もそのままの形を持ち残っていることは、とても不思議なことに感じられ た。物言わぬ刀であった我が身が、こうして意思を以て動いていることと、どこか似通った神秘がある ように思われた。書かれた文字たちの中には、書いた者たちの魂とやらが宿っているのだろうか。それがこの生々しい、存在感の正体なのであろうか。
「主、」
「ん?」
「ひとつ、おかしなことをお尋ねしても宜しいですか。」
「いいよ、どうしたの?」
「文字にも、心は宿るのでしょうか。審神者とは、文字に宿るものを呼び起こすことも、可能なのでしょうか。」
  主は、やや驚いたように、目を瞬かせた。やはり、おかしなことを訊いてしまっただろうか。
「うーん、文字、かあ...。考えたこと無かったなあ。」
考え込む素振りを見せる主に、俺は余計な手間をかけさせてしまったと後悔する。
「申し訳ございません、おかしなことを...。」
「ううん、いいのいいの。おかしくないよ。」
笑顔で手を振った主は、そうだねえ、と言葉を続ける。
「文字自体に心があるかどうかはわからないけど、何らかの力はあると思うなあ。それに、書いた人の思いが宿ることはあるんじゃないかな。」
その答えに、この御方が審神者である所以を垣間見た気がした。
「そう、ですか。」
「答えになってる?」
「はい、充分です。有難うございます。」
 主に礼を述べ、作業に戻る。俺の本体にも、何物にも代えがたい文字が刻まれている。俺とあのお方を繋ぐ印、俺を俺たらしめる証。そこに込められた思いがあるとすれば、何であろうか。何であろうと、それが俺にとってかけがえのない宝であることは疑いようがないけれども。物にとって、名づけられるということ、持ち主の名を記されるということは、特別な意味を持つ。それも、文字に宿る力によるところがあるのだろうか。
「主、」
「ん?」
 文字に力が宿るなら、文字に思いが宿るなら。主、俺に、主の名を記してはいただけないでしょうか。俺は主のものであると、貴方が俺の主なのだと。主の手で、主の文字を、心を、魂を、俺の身に 刻んではくださいませんか。貴方が亡くなっても尚、温かく生々しく残るように。
「...いえ、なんでもありません。」
 そんなことを頼んだら貴方は、「国宝にそんな勝手なことできないよ」と、またいつものように笑うのでしょうか。

201508XX
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