マギ 短編
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**
なまえの目の前に躍り出た白く輝くもの。それを鳥だと思った。けれど尾もなくくちばしもない。左右にわかれた羽、らしきものを動かして浮遊するそれは、なまえの手に収まるほど小柄で、どこまでも白い。それらが光を放っていているおかげで、建物の内部とは思えないほど清涼な雰囲気がつくられていた。
ああ、これが―と納得した。
噂に聞くルフ、または魂、または世界の血潮。
迷宮を取り巻くうっすら黄色く光る膜に触れたと思った次の瞬間、八芳星の上に立ちすくんでいた。そこからの風景は自然とも人工物ともとれぬ、不思議なものだった。洞窟と建物をまぜこぜにしたような内装。
ではやはりこここそが迷宮内部なのだ。魔法を扱うものなら視認できるが、平凡な人間ならば見ることも感じることもない。それをいま、生涯で初めて目にすることができた。
腰に帯びた剣を抜いて、軽く構えながら道を進む。外とは明らかに異空間だ、なにが起きてもおかしくない。
どれくらいの広さなのだろう。宝物庫まで、あとどのくらいかかるだろうか。
できるだけ身軽になるようにと用意した少ない食料や薬はじゅうぶんとはいえないかもしれない。
**
迷宮の場所を特定するのはいともたやすかった。
街の人々にきけばみな知っていたから。あとは身支度をして、飛び込むだけだった。
ただ人には礼儀のように留意するよう勧められた。命を落とすぞ、と半ば脅しのような響きを持って。なまえは自身の命など構いやしなかった。その覚悟と代償に得られるものがあるのなら、それに賭ける。
シンドリアで数年を過ごし、一兵士として過ごすうちにひょんなことから文官長ジャーファルとお近づきになり、あろうことか想いを寄せるようになってしまった。
それが、国王シンドバッドが玉座を譲り新たに商会を立ち上げると表明があり、喜ばしいよりも失望した。七海の覇王が作った国を離れるというのなら従者のジャーファルはどうする。もちろんあの人ならば十中八九、シンドバッドについていくだろう。
それでは、私は。
もしやこれからジャーファルの姿を宮中で見かけることができないなどと、想像しただけで膝がくずれてしまいそうだった。
あの人についていきたい、そのためには強くあらねば。八人将の方々のように、選ばれる者でなければ。選抜があるにしろいまのままでは歯牙にもかけられないだろう。
それしか考えつかなくて、同僚が止められるのもきかずに迷宮を求めてシンドリアを飛び出してきてしまった。
迷宮を攻略しジンを従えるなど、並のものならとうてい無理だ。
現に迷宮に飲み込まれ、そのまま帰ってこなかった挑戦者など星の数ほどいる。
だが私は叶わぬ夢を見てしまった。己の身近に複数の迷宮を攻略した傑物がいたものだから。彼の人に遠く及ばないのは百も承知、だが、それでも、あの人に追いつけないのなら、それはなまえにとって死にも等しい。
たまに石板をみかけるが、トラン語など解読できないので、内容はわからない。ただ、見覚えのある八芳星の模様を辿ってひたすら道を進んだ。行き止まりにぶちあたる度に引き返して、右へ曲がり左へ曲がり。意味のありそうな壁画なども発見した。
スライムに襲われたこともあった。斬りごたえはないが、執拗に追ってくるので体力を奪われる。
一日目を生き延びた。実際はいまが昼か夜かもわからないが、疲れたから休む。怪しい気配のない平たい岩場を見つけて、腰につけた剣を置いて、毛布など当然ないから、ただ横になったらそれだけで意識が落ちた。
二日目も似たような内容を繰り返し、三日目には見つけた扉の数を数えることを止めた。
昨日でいくつ、扉を開けただろう。その先で血を流したのはそんなに多くはない。ここに住まい侵入者を襲ってくる生態に慣れ、だんだん行動が読めるようになり、攻撃を防いだり避けたりするのは上手くなったと思う。
今日何番目かに出会った乳白色の扉に手をかけると、隙間からルフが漏れた。ピィピィ、と鳴き声が聞こえる。
自国の王の言うとおり、目指してきた。
迷宮のどこかに隠されているという八芳星の刻まれた石器。
これがジンを宿す金属器に間違いないだろう。
伸ばした手に迷いなどなかった。
ひんやりとした表面から、光が放たれた。
煙とともに現れたのは見上げても足りないくらいの巨体。
「なんと、」
しわがれた声は、明らかに失望した様子だった。嘲笑ともとれる。
「よくぞその身で迷宮に挑戦したものよ。迷宮を攻略するは王の気質を備えた者というが…」
ジンの見下ろす卑小な人間は、姿勢こそただされてはいるが、とてもじゃないが王となりえるにはあらゆるものに欠けていた。ここまできたからには腕は経つのだろうが、世界を変える素質はみえない。
この宝物庫にたどり着き、ジンをゆり起こしたものを攻略者と認める手はずになってはいたが、かのものを王と呼ぶにはあまりにも資質が欠如していた。
「あなたがジンか」
「第47迷宮を司るウヴァルだ」
「私は迷宮を攻略したのだろうか」
「はて、どうだか……。力か名誉か財宝か。なにが望みだ」
どこかいやらしい口元に、ざわつく心を抑える。
「私は夢が見たかった……あの人のそばに生涯をもって仕える夢をかなえたかった」
なるほど、いずれかの従者としてならば、この者はふさわしい。
主人に忠実で主人にとっての最善を選び、生涯を尽くすであろう。
「私が男であれば、強ければ、あの人は私を連れていってくれたでしょうか」
それはジンにすべき質問ではない。けれども誰かに尋ねずにはいられなかった。ウヴァルはどうでもいい、といった態度で彼女の望みを端的に略する。
「男になりたいか」
「それで強くなれるのなら」
ウヴァルが手を振ると、ルフがなまえにまとわりついてきた。白が視界をいっせいに遮った。皮膚をなぞる感触がくすぐったい。思わず剣を握る手に力を込める。
「挑め、おまえが求める夢のために」
いまとなれば小振りの、軽くなった剣を振りかざす。空気を割く音が、まず違う。景色の見え方も変わった。
だが一振り目はかわされてしまう。
「筋は悪くない」
余裕を持ってそう言い切る声は、どこか笑い含みだった。心臓あたりを狙ってとびかかり、突き刺した。仕留めた、と思った次の瞬間に、それは消え失せて、剣は壁に刺さってひび割れを作っていた。目の前にあったはずの気配は右に移っている。壁から剣を引き抜きざまに右へ空を切った。―空を切った、だけだった。あんなに大きな的なのに、刺しても刺しても手ごたえを感じることができない。
「どうして……!私は、強くなったのではなかったのか」
これだけ筋肉をつけても、体格が変わっても、間合いだって伸びたのに。立ち向かえるものも、倒せるものも増えたはずなのに、敵わない。
「いやだ……私はジャーファルさまのおそばにいたい。ジンを倒さなければ。迷宮を攻略して……」
これがそのための解決法ではなかったのか。
「おまえは、その男に仕えるのではなく、ただ単にそばにいたいだけなのではないか」
「……え……?」
その指摘に愕然として、己の身体を見下ろす。武力しか持たないなまえが、八人将の一人と数えられる彼のそばにいるためには、強さを求めるしかないと思い込んでいた。そして真実、それは間違いではない。
「……いや。もう……遅い」
剣を握る無骨な手に力をこめる。一回りもふたまわりも大きくなった手は、女の身では少々大振りだった剣の柄を覆ってあまりある。ずしりと感じていた重みも、いくぶん軽い。
腰に構えて、息を整える。次に剣をふるったときには、ルフが自身に覆いかぶさっていた。
**
まぶたを開けた先にあったのは投げ出された、見慣れた細腕。迷宮に翻弄されてしばらく湯浴みもできず泥の詰まった爪先。開いた手のひらに剣の柄が乗っている。
「……今まで見ていたものは、幻だったと」
「本心を見定めるために魔法をかけたのだ。よくもまぁ見事にかかったものだったが。久しぶりに楽しませてもらった」
立つ気力すら失くしてただその場に座り込んだ。
なんだ、いまのはただの幻、己が妄想だったのか。でも、納得できる。けれど、自分の夢の中でさえ思い通りにできないなんて。くやしさよりも馬鹿らしくて、口元が歪んだ。
「金や名声めあてにやってきたものは数多くあったが、恋慕の情をもって挑んできたのはおまえが初めてだな」
何を気に入ったのかのどを鳴らすように、機嫌良く嗤う。
「その意気や美 し。お前を王の気質と認めることはできぬが、ここで屍とするにも惜しい」
シュン、と背中を何かが一瞬で通り過ぎた。起こった風圧でなびくと思われた髪は、自分の手も届かぬ場所まで離れていった。―髪、が。私の髪。両手を耳の後ろへ回して、手のひらで掴むと、いつもなら腰をも覆うそれが途中でばっさり無くなっている。
ウヴァルが、艶めく束を無骨な拳に収めた。
床に捨てたように転がっていたはずの剣も、その拳の横に浮いている。
「これらは代わりにいただこう。お前を見逃してやる」
想いを寄せる人からもらった髪留めは、無残にも地面に散り散りになっていた。髪を切られたショックより、そちらのほうが大きかった。
「待っ……、!」
静止の声は届かなかった。
久方ぶりの日の光が体をあたためる。気づけば迷宮の外に押しやられていた。
腰につけた鞘だけは無事だったが、中身は見当たらなかった。盗られてしまった。では私は実際に迷宮にいたのだ。
迷宮に入るということは、攻略するか命を落とすかの二択だという。
それが、髪を切られたものの命は助かった。
**
周囲にルフがまだ見える気がする。異世界の余韻を残したまま、現実は降りかかる。視界に入り込んだ、シンドリアの礼服に身を包んだ男性たちは、よく見知っているものだ。
「ジャーファルさま、私は女ですか?」
「あなたはとんでもない愚か者です」
質問にも答えず、冷たい声を浴びせた。必要もないのに鉄砲玉のように命を落とすかもしれない場所へ揚々乗りこんで。軽蔑の色さえ浮かぶその目に、微笑む。もう一度、この人に逢えた。それだけが嬉しくて。
ジャーファルは片膝をついた。なまえの頬に手を添えて、のぞき込む。ジャーファルを見上げる澄んだ双眼、それを縁取る睫毛も、なにもかも以前のまま。その手に触れたすべらかな肌は体温を持って生きている。
それを実感してジャーファルの瞳が切なげに揺れた。肩よりも短く、耳をやっと隠せるか隠せないかの長さの髪を梳いて、寂しそうにする。
「事情はききました。だからといって、あなたがこんな無茶をするなんて」
「確かに私は大変な過ちを犯しました。けれど、最悪ではない」
己の胸に手を当て、さらしを押し上げる膨らみを確認して、息を吐く。
「心配しなくとも、なまえには特別枠を用意してあったのに」
端正な顔を肘で支えた手のひらに乗せ、シンドリアの王はおかしそうにした。他の兵士からなまえが出奔したと口伝えにきき、人形のように放心したジャーファルを引っ張ってきたのは彼だ。大方の事情を把握したシンドバッドはつい先ほどまで、なまえが無事に帰ってくることは予想していなかった。だから安心して笑えた。
「ちょっとシン、それは後で……」
「私に務まる役目など、あるのでしょうか」
すがりつくような目線が、シンドバッドとジャーファルを行き来する。シンドバッドがにぃっこりと歯を見せて、
「ジャーファルのよ」
「あんたはちょっと黙っててください」
瞬時に移動し爪を立てた手で顔の下半分を掴まれ、国王は口を閉ざさざるをえなかった。
「ご存じの通り、シンは王の座を辞して商会を立ち上げます。私も彼を支えるために島を離れますが、なまえは私についてきてくれますね?」
ほぼ確認に近い問い方をされて、なまえは耳を疑った。
「こんなに役立たずなのに、いいんですか?」
「あなたを置いていきたくありません。だから、私の……」
「ジャーファル様の……?」
たっぷり間を持って、なまえが続きを促しても、まだためらっていた。
「嫁になってくれませんか」
この上ない申し出に、口が開いた。
「いますぐでなくていいんです。はじめは、シンドリア商会での私の補佐なり、警備なり貴女に適切な肩書きを見繕います。いずれあなたが納得したときに、正式に夫婦になりましょう。」
「私、がさつですし……いままで武術しかまともにできなくて、それも八人将の方々の足元にも及ばないのですが、家庭のことがちゃんとできますかどうか。その、嫌とかじゃなくてむしろ嬉しいんですけれど不安で」
「家族を持ったことがないのでわかりませんが、なまえと二人で手探りで家庭を築くのも楽しいと思うのです。私が持ち得る時間の全てを家庭に充てられるとは約束できません。それであなたが家にいるのが窮屈だというのなら、外で仕事をするのもいいでしょう。でも不自由は決してさせませんから」
「はい……!」
「好きってちゃんと言えよ」
「言いますよ。好きですって伝えるのも二人きりにしてもらえませんかね……って、あ、」
やってしまった、と恨めしそうな目をするジャーファルを、シンドバッドがしたり顔で受け止める。
こうなってしまったら場所も誰がいようが関係ない。
「……好きですよ、なまえ」
「はい。好きです、ジャーファル様」
**
読んでくださりありがとうございました。
トンデモ設定なのでもうちょっとなんとかならないかなと思ってましたが、今の私にはここまでのようです。
というわけで習作行きでした。
なまえの目の前に躍り出た白く輝くもの。それを鳥だと思った。けれど尾もなくくちばしもない。左右にわかれた羽、らしきものを動かして浮遊するそれは、なまえの手に収まるほど小柄で、どこまでも白い。それらが光を放っていているおかげで、建物の内部とは思えないほど清涼な雰囲気がつくられていた。
ああ、これが―と納得した。
噂に聞くルフ、または魂、または世界の血潮。
迷宮を取り巻くうっすら黄色く光る膜に触れたと思った次の瞬間、八芳星の上に立ちすくんでいた。そこからの風景は自然とも人工物ともとれぬ、不思議なものだった。洞窟と建物をまぜこぜにしたような内装。
ではやはりこここそが迷宮内部なのだ。魔法を扱うものなら視認できるが、平凡な人間ならば見ることも感じることもない。それをいま、生涯で初めて目にすることができた。
腰に帯びた剣を抜いて、軽く構えながら道を進む。外とは明らかに異空間だ、なにが起きてもおかしくない。
どれくらいの広さなのだろう。宝物庫まで、あとどのくらいかかるだろうか。
できるだけ身軽になるようにと用意した少ない食料や薬はじゅうぶんとはいえないかもしれない。
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迷宮の場所を特定するのはいともたやすかった。
街の人々にきけばみな知っていたから。あとは身支度をして、飛び込むだけだった。
ただ人には礼儀のように留意するよう勧められた。命を落とすぞ、と半ば脅しのような響きを持って。なまえは自身の命など構いやしなかった。その覚悟と代償に得られるものがあるのなら、それに賭ける。
シンドリアで数年を過ごし、一兵士として過ごすうちにひょんなことから文官長ジャーファルとお近づきになり、あろうことか想いを寄せるようになってしまった。
それが、国王シンドバッドが玉座を譲り新たに商会を立ち上げると表明があり、喜ばしいよりも失望した。七海の覇王が作った国を離れるというのなら従者のジャーファルはどうする。もちろんあの人ならば十中八九、シンドバッドについていくだろう。
それでは、私は。
もしやこれからジャーファルの姿を宮中で見かけることができないなどと、想像しただけで膝がくずれてしまいそうだった。
あの人についていきたい、そのためには強くあらねば。八人将の方々のように、選ばれる者でなければ。選抜があるにしろいまのままでは歯牙にもかけられないだろう。
それしか考えつかなくて、同僚が止められるのもきかずに迷宮を求めてシンドリアを飛び出してきてしまった。
迷宮を攻略しジンを従えるなど、並のものならとうてい無理だ。
現に迷宮に飲み込まれ、そのまま帰ってこなかった挑戦者など星の数ほどいる。
だが私は叶わぬ夢を見てしまった。己の身近に複数の迷宮を攻略した傑物がいたものだから。彼の人に遠く及ばないのは百も承知、だが、それでも、あの人に追いつけないのなら、それはなまえにとって死にも等しい。
たまに石板をみかけるが、トラン語など解読できないので、内容はわからない。ただ、見覚えのある八芳星の模様を辿ってひたすら道を進んだ。行き止まりにぶちあたる度に引き返して、右へ曲がり左へ曲がり。意味のありそうな壁画なども発見した。
スライムに襲われたこともあった。斬りごたえはないが、執拗に追ってくるので体力を奪われる。
一日目を生き延びた。実際はいまが昼か夜かもわからないが、疲れたから休む。怪しい気配のない平たい岩場を見つけて、腰につけた剣を置いて、毛布など当然ないから、ただ横になったらそれだけで意識が落ちた。
二日目も似たような内容を繰り返し、三日目には見つけた扉の数を数えることを止めた。
昨日でいくつ、扉を開けただろう。その先で血を流したのはそんなに多くはない。ここに住まい侵入者を襲ってくる生態に慣れ、だんだん行動が読めるようになり、攻撃を防いだり避けたりするのは上手くなったと思う。
今日何番目かに出会った乳白色の扉に手をかけると、隙間からルフが漏れた。ピィピィ、と鳴き声が聞こえる。
自国の王の言うとおり、目指してきた。
迷宮のどこかに隠されているという八芳星の刻まれた石器。
これがジンを宿す金属器に間違いないだろう。
伸ばした手に迷いなどなかった。
ひんやりとした表面から、光が放たれた。
煙とともに現れたのは見上げても足りないくらいの巨体。
「なんと、」
しわがれた声は、明らかに失望した様子だった。嘲笑ともとれる。
「よくぞその身で迷宮に挑戦したものよ。迷宮を攻略するは王の気質を備えた者というが…」
ジンの見下ろす卑小な人間は、姿勢こそただされてはいるが、とてもじゃないが王となりえるにはあらゆるものに欠けていた。ここまできたからには腕は経つのだろうが、世界を変える素質はみえない。
この宝物庫にたどり着き、ジンをゆり起こしたものを攻略者と認める手はずになってはいたが、かのものを王と呼ぶにはあまりにも資質が欠如していた。
「あなたがジンか」
「第47迷宮を司るウヴァルだ」
「私は迷宮を攻略したのだろうか」
「はて、どうだか……。力か名誉か財宝か。なにが望みだ」
どこかいやらしい口元に、ざわつく心を抑える。
「私は夢が見たかった……あの人のそばに生涯をもって仕える夢をかなえたかった」
なるほど、いずれかの従者としてならば、この者はふさわしい。
主人に忠実で主人にとっての最善を選び、生涯を尽くすであろう。
「私が男であれば、強ければ、あの人は私を連れていってくれたでしょうか」
それはジンにすべき質問ではない。けれども誰かに尋ねずにはいられなかった。ウヴァルはどうでもいい、といった態度で彼女の望みを端的に略する。
「男になりたいか」
「それで強くなれるのなら」
ウヴァルが手を振ると、ルフがなまえにまとわりついてきた。白が視界をいっせいに遮った。皮膚をなぞる感触がくすぐったい。思わず剣を握る手に力を込める。
「挑め、おまえが求める夢のために」
いまとなれば小振りの、軽くなった剣を振りかざす。空気を割く音が、まず違う。景色の見え方も変わった。
だが一振り目はかわされてしまう。
「筋は悪くない」
余裕を持ってそう言い切る声は、どこか笑い含みだった。心臓あたりを狙ってとびかかり、突き刺した。仕留めた、と思った次の瞬間に、それは消え失せて、剣は壁に刺さってひび割れを作っていた。目の前にあったはずの気配は右に移っている。壁から剣を引き抜きざまに右へ空を切った。―空を切った、だけだった。あんなに大きな的なのに、刺しても刺しても手ごたえを感じることができない。
「どうして……!私は、強くなったのではなかったのか」
これだけ筋肉をつけても、体格が変わっても、間合いだって伸びたのに。立ち向かえるものも、倒せるものも増えたはずなのに、敵わない。
「いやだ……私はジャーファルさまのおそばにいたい。ジンを倒さなければ。迷宮を攻略して……」
これがそのための解決法ではなかったのか。
「おまえは、その男に仕えるのではなく、ただ単にそばにいたいだけなのではないか」
「……え……?」
その指摘に愕然として、己の身体を見下ろす。武力しか持たないなまえが、八人将の一人と数えられる彼のそばにいるためには、強さを求めるしかないと思い込んでいた。そして真実、それは間違いではない。
「……いや。もう……遅い」
剣を握る無骨な手に力をこめる。一回りもふたまわりも大きくなった手は、女の身では少々大振りだった剣の柄を覆ってあまりある。ずしりと感じていた重みも、いくぶん軽い。
腰に構えて、息を整える。次に剣をふるったときには、ルフが自身に覆いかぶさっていた。
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まぶたを開けた先にあったのは投げ出された、見慣れた細腕。迷宮に翻弄されてしばらく湯浴みもできず泥の詰まった爪先。開いた手のひらに剣の柄が乗っている。
「……今まで見ていたものは、幻だったと」
「本心を見定めるために魔法をかけたのだ。よくもまぁ見事にかかったものだったが。久しぶりに楽しませてもらった」
立つ気力すら失くしてただその場に座り込んだ。
なんだ、いまのはただの幻、己が妄想だったのか。でも、納得できる。けれど、自分の夢の中でさえ思い通りにできないなんて。くやしさよりも馬鹿らしくて、口元が歪んだ。
「金や名声めあてにやってきたものは数多くあったが、恋慕の情をもって挑んできたのはおまえが初めてだな」
何を気に入ったのかのどを鳴らすように、機嫌良く嗤う。
「その意気や
シュン、と背中を何かが一瞬で通り過ぎた。起こった風圧でなびくと思われた髪は、自分の手も届かぬ場所まで離れていった。―髪、が。私の髪。両手を耳の後ろへ回して、手のひらで掴むと、いつもなら腰をも覆うそれが途中でばっさり無くなっている。
ウヴァルが、艶めく束を無骨な拳に収めた。
床に捨てたように転がっていたはずの剣も、その拳の横に浮いている。
「これらは代わりにいただこう。お前を見逃してやる」
想いを寄せる人からもらった髪留めは、無残にも地面に散り散りになっていた。髪を切られたショックより、そちらのほうが大きかった。
「待っ……、!」
静止の声は届かなかった。
久方ぶりの日の光が体をあたためる。気づけば迷宮の外に押しやられていた。
腰につけた鞘だけは無事だったが、中身は見当たらなかった。盗られてしまった。では私は実際に迷宮にいたのだ。
迷宮に入るということは、攻略するか命を落とすかの二択だという。
それが、髪を切られたものの命は助かった。
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周囲にルフがまだ見える気がする。異世界の余韻を残したまま、現実は降りかかる。視界に入り込んだ、シンドリアの礼服に身を包んだ男性たちは、よく見知っているものだ。
「ジャーファルさま、私は女ですか?」
「あなたはとんでもない愚か者です」
質問にも答えず、冷たい声を浴びせた。必要もないのに鉄砲玉のように命を落とすかもしれない場所へ揚々乗りこんで。軽蔑の色さえ浮かぶその目に、微笑む。もう一度、この人に逢えた。それだけが嬉しくて。
ジャーファルは片膝をついた。なまえの頬に手を添えて、のぞき込む。ジャーファルを見上げる澄んだ双眼、それを縁取る睫毛も、なにもかも以前のまま。その手に触れたすべらかな肌は体温を持って生きている。
それを実感してジャーファルの瞳が切なげに揺れた。肩よりも短く、耳をやっと隠せるか隠せないかの長さの髪を梳いて、寂しそうにする。
「事情はききました。だからといって、あなたがこんな無茶をするなんて」
「確かに私は大変な過ちを犯しました。けれど、最悪ではない」
己の胸に手を当て、さらしを押し上げる膨らみを確認して、息を吐く。
「心配しなくとも、なまえには特別枠を用意してあったのに」
端正な顔を肘で支えた手のひらに乗せ、シンドリアの王はおかしそうにした。他の兵士からなまえが出奔したと口伝えにきき、人形のように放心したジャーファルを引っ張ってきたのは彼だ。大方の事情を把握したシンドバッドはつい先ほどまで、なまえが無事に帰ってくることは予想していなかった。だから安心して笑えた。
「ちょっとシン、それは後で……」
「私に務まる役目など、あるのでしょうか」
すがりつくような目線が、シンドバッドとジャーファルを行き来する。シンドバッドがにぃっこりと歯を見せて、
「ジャーファルのよ」
「あんたはちょっと黙っててください」
瞬時に移動し爪を立てた手で顔の下半分を掴まれ、国王は口を閉ざさざるをえなかった。
「ご存じの通り、シンは王の座を辞して商会を立ち上げます。私も彼を支えるために島を離れますが、なまえは私についてきてくれますね?」
ほぼ確認に近い問い方をされて、なまえは耳を疑った。
「こんなに役立たずなのに、いいんですか?」
「あなたを置いていきたくありません。だから、私の……」
「ジャーファル様の……?」
たっぷり間を持って、なまえが続きを促しても、まだためらっていた。
「嫁になってくれませんか」
この上ない申し出に、口が開いた。
「いますぐでなくていいんです。はじめは、シンドリア商会での私の補佐なり、警備なり貴女に適切な肩書きを見繕います。いずれあなたが納得したときに、正式に夫婦になりましょう。」
「私、がさつですし……いままで武術しかまともにできなくて、それも八人将の方々の足元にも及ばないのですが、家庭のことがちゃんとできますかどうか。その、嫌とかじゃなくてむしろ嬉しいんですけれど不安で」
「家族を持ったことがないのでわかりませんが、なまえと二人で手探りで家庭を築くのも楽しいと思うのです。私が持ち得る時間の全てを家庭に充てられるとは約束できません。それであなたが家にいるのが窮屈だというのなら、外で仕事をするのもいいでしょう。でも不自由は決してさせませんから」
「はい……!」
「好きってちゃんと言えよ」
「言いますよ。好きですって伝えるのも二人きりにしてもらえませんかね……って、あ、」
やってしまった、と恨めしそうな目をするジャーファルを、シンドバッドがしたり顔で受け止める。
こうなってしまったら場所も誰がいようが関係ない。
「……好きですよ、なまえ」
「はい。好きです、ジャーファル様」
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トンデモ設定なのでもうちょっとなんとかならないかなと思ってましたが、今の私にはここまでのようです。
というわけで習作行きでした。
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