マギ 短編
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**
なまえから手渡された、小さなガラス瓶。満たすのは薄い緑色の液体だった。
ヤムライハから警告を受けていた品だろう。
「疲労回復のお薬だそうです。ヤムライハさまに作っていただきました」
「そうですか」
受け取って、礼を言いつつ蓋を開ける。目の前で空にしてみせると、なまえはやきもきした顔を消した。ぎこちない渡し方で、ちゃんと飲んでもらえるかひやひやだったのだろう。
そんなにわかりやすい反応をされると、笑いそうになります。
―なまえから服従魔法の薬を作って欲しいと頼まれました。
あの子が悪い使い方をするとは思えないけれど、作るフリをしてただの色水を渡したので、判断はジャーファルさまにお任せします。
先日ヤムライハの手紙にそうあった。
さてこれからどうしようか。一度床に倒れでもしたほうがそれらしいだろうか。
目を閉じてその場に立ったまま、部屋にある気配に意識を集中した。
「ジャーファルさま?お薬、効いたのかしら……」
ヤムライハにお願いして作ってもらった、飲んでしまったらなんでも言うことを聞いてしまう薬。いまいち効果のほどがうかがえない。魔法実験でよく失敗はしている彼女だが、未完成だったりいい加減なものを人に渡すとは思えないので信頼してはいるが。
薬を飲みほして以降立ちっぱなしのジャーファルの顔色を確かめる。
具合が悪くなったようには見えない。
「目を開けてください」
瞳を覗くことはできたが、どこか空洞で、返事すらしない。
「気分は悪くありませんか?」
「……いいえ……」
ようやく返ってきた穏やかな声に安心する。
「とりあえず、お仕事は終わったんですからクーフィーヤと前掛けはとってしまいましょう」
断りを入れて、なまえがそれぞれ体から外して畳み、机の上に置いた。
「お外に行きませんか?……じゃなくて、ついてきてください」
相手に判断をゆだねるのではなく、こちらが先導しなけければいけないと努めた。
宮殿の外に出て、ここからは完全にプライベートだ。一応城の中で人目につく場所では恋人らしい振る舞いは控えてきた。
「手を、繋ぎましょう」
ジャーファルの指に自身を絡ませると、外れない程度には引っかかってくれた。
明るいうちからジャーファルさまとおでかけ。
二人きりで会うことはもちろんあれど、デートらしいデートなどした覚えがあるような、ないような。
人が肩をぶつけあうのも道理、賑わしい店が立ち並ぶ通りを流れに逆らわずゆったりと進んでゆく。人と人の隙間から色とりどりの商品が見え隠れする。
一角に吸い寄せられるようになまえは服屋へ入っていった。
品定めする彼女のそばで、無言を貫く。男性ものの服ばかりを手に取って、ジャーファルの体に当てては別の物と交換して悩む。
「こちら、試着してみてください」
着替えには手間どらなかった。サイズもちょうどいいし、動きやすい。袖に余裕があるものを選んだのは、腕に絡める武器を隠せるための配慮か。
よもや、私服を買わせるのが目的で薬を飲ませた?たった、それだけの理由で?
「ジャーファルさま、終わりましたか?」
「はい」
簡易のカーテンをめくった彼女は満足そうに頷いた。
「お似合いです」
支払いを済ませて政務服を紙袋に包んでもらい、買ったばかりの一揃いで店の外へでる。
人通りの多い道へ出てしばらく歩き、露店のひとつに足を止めた。
「ここのコーヒーが有名らしいんです。いま注文してくるので、座って待っていてください」
ふたつ椅子の向かい合ったテーブル席にジャーファルを座らせて、なまえはカウンターへ向かった。
「どうぞ。美味しいといいんですけど」
湯気の立つコーヒーカップが置かれた。挽きたて豆のしっかりした香りが立つ。
「私はフルーツジュースにしました。その場で絞ってくれたんですよ」
なまえが口をつけたのを見届けて、ジャーファルも一口含む。
「…………」
なまえがグラスを引き寄せる度、ジャーファルも真似するようにコーヒーを飲む。
周囲の喧騒があるので、お互い会話がなくともさして気まずくはならない。
ひとりの男がテーブルに手をついて、ジャーファルの顔を覗き込んだ。知らない通りすがりだ。
「なにか」
物言わぬジャーファルの代わりに、こちらから声をかけた。
じろじろとなんて不躾な人。
「いや、この男カワイイ女の子といるのにずっとだんまりだし、動かないから人形?って思って」
へら、と笑う。
「ケンカ中?ね、」
「ほっといてください」
「それとも頭イっちゃってんの?こんな奴ほっといてオレと遊ぼ?」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、思いっきり顔をしかめて男を見据える。
「……ひぇっ……」
ぎょっとして喉を鳴らし、数秒かけて、尻餅をついた。
男の目が映すのはなまえではなく、その奥の怒りに眼を光らせるジャーファルだった。殺気立ち、それが次に指一本でも彼女に触れたら首を掻ききるつもりで。いや、彼の意識の中ではもうこと切れている。
……私の睨みって怯えるほど怖かったのかしら。
そんなやりとりに気づかぬまま、
「ここを出ましょう」
なまえは再び無骨な手をとる。
なまえの柔らかい手に意識を傾けるだけで、一気に頭に上った血が正常に戻っていく。
いまのところ特別に変なことをされているわけではないが、魔法に頼ってまでジャーファルにさせたいこととはなんだろう。服だけでは終わらないようだ。
歩いてほどなくして着いたのは浜辺だった。町中は暑かったが、ここいらは人もまばらで風がよく通る。
白い雲の浮かぶ青空に、あたりを包む潮騒。
「疲れてませんか?少し座りましょう」
隣どうしに腰を落とす。
波間を見つめて、空を見上げて、ジャーファルに微笑む。微笑みは一方通行に終わった。その横顔は前ばかりを見据えて、瞬きをすることを除けば人間らしいところがなかった。感情を根こそぎ取り払った、昨日となにも変わらないはずの凛とした瞳。
もし、ジャーファルさまが私のことをどうとも思わない日が来たとしたら、きっとこんな顔をされるのだろう。私が笑いかけても、返してくれるどころか存在を認識することすらない。
この風景に似つかわしくない沈んだ気持ちになって、ジャーファルの手をすり抜ける。
「少し歩いてきますね。ここで待っていてください」
脱いだ靴を片手に持って、湿った砂の上を歩く。水は冷たいが、心地いいくらいだ。
「お人形連れてるみたい……たしかに」
嫌味な男の言葉を借りて、口元をゆがめる。
ずっと無表情だし、話しかけても相槌すらない。かろうじて、返答が必要なときにはいかいいえで答えるだけ。それも気持ちがみえない。
手を繋いでお店を周ってカフェでお茶して、海辺で夕暮れを眺める。
王道のデートコースを、自分が楽しみたかったことは否定しない。
コーヒー好きなジャーファルのために評判のお店を調べ、彼がほんとうに美味しいと思えるコーヒーを味わってもらいたかった。
いつもなまえが淹れるコーヒーを笑顔で飲む彼。湯の温度を高くしたり低くしたり、ときには冷たい水でだしたり。豆を変えたり割合を調節して抽出時間を長くしたり短くしたりしても、必ず美味しいです、と言ってくれるがそれが真実なのかわからない。
それからたまには仕事でもなくてのんびりすることも覚えてほしかった。
立ち止まって、波がつま先を洗うのをなされるがまま。
「私の押し付けなのかな」
下向きの視界に、素足が入ってきた。日に焼けた肌の中で、歯だけが白い。
「……泣いてるかと思った。ひとりでどったの?」
顔を背けて、避けるようにして左へ向かう。直後に人にぶつかった。
「すみませ、」
男たちが見合わせて同時にニヤリとした。
二人組だったか。慌てて後ずさって、駆けだそうとするも道を塞がれてしまう。
怖くなって、目が勝手にジャーファルを探す。いまは、どうにもできないのに。真っ先に頼ることを考えた自分に羞恥を覚えた。
「どいてください。私はお相手できませんので、他を当たってください」
「なんで?暇してたんでしょ?わざわざ一人で海来てさぁ」
「あなた方には関係ありません」
波が、足のまわりから、指の隙間から砂をひっかいて足場を崩していく。なまえのかろうじて張っている意地や尊厳すらも一緒に浚っていっているみたいだ。
「ちょっとくらいいイイじゃん」
「嫌だと言っているんです」
「ぅ、わっ!」
背後の男が突然悲鳴を上げた。転んで海の中に横たわっている。代わりにそこに立つのは、薄い色をした見慣れた男性。
驚いたと同時に安心感が胸に広がって、泣きそうになる。
「ジャーファルさま、あっちにいたのに…どうやって」
私が指示をしない限り、動いたりできないはずじゃ……。
とにかく奴らがひるんでいる今が逃げ時だ、とジャーファルの腕を掴む。
背を向けたなまえの一瞬の間に、ジャーファルが突き立てた親指を水平に首の前を滑らせた後、くるりと上下を変えて突き落とす。
― 地 獄 へ 落 ち ろ。 ゲ ス 野 郎 が。
音を発していないのに、はっきりと台詞が読み取れる。
残された男は、己の首が飛んだ幻を脳裏に見た。首の上にちゃんと頭が乗っていることを手で確かめて、へたりこむ。
どうやら男らが追ってくる様子はない。砂を落として靴を履きなおした。ジャーファルを残していた場所にあった紙袋を抱える。制服も無事だ。
なまえは前髪を整えるふりをして目尻を撫でる。泣いてなんかない。大丈夫。笑顔を作って、ジャーファルに向かい合う。
「ごめんなさい。もう遅くなりますし宮殿に戻りましょう」
なんだか、うまくいかない。きっといい思い出をつくれると期待していたのに。
カフェのときも邪魔が入るし、さっきの海も台無しになるし。これもそれも全て、自業自得。自分で計画して、薬を使って騙したジャーファルに飲ませて、引きずりまわした結果だ。己のことしか考えておらず、都合よく事を進めようとしたから。
おかげで自分の食欲は引いていたが、ジャーファルには何か食べてもらわないといけない。
「お腹は空いていませんか?」
「いえ……」
「ちょっとでも食べたほうがいいですよね」
道すがら、また露店の集まる道に寄って、なまえは何かを注文した。
「いい匂いがしてたのでこれにしました」
薄いパン生地にまとめられた、肉と野菜、豆の詰まったブリトーを分けて食べた。
そこからはいささか速足で、路を急いだ。宮殿に入れば、やはり手を離してしまう。とりあえずは彼の部屋まで送らないと、と責任感だけで歩いた。私服で過ごすジャーファルにみな気づかず、声をかけてくる者はいなかったので事情を話さずに済み助かった。
扉を閉める音が静寂に響く。
「今日は、いろいろ連れだしてすみません。変なこともありましたけど……。
お付き合いくださり、ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げてゆっくり上げる。
まだ、薬の効果は続いている。彼の目は宙を浮かぶ。
「最期に、……ひとつだけ、許してください」
なまえが前へ進み、ジャーファルが後ろへ引く。ジャーファルの足がベッドの縁へ当たったとき、なまえは体全体で前へ倒れた。
「ふふ。一度、ジャーファルさまを押し倒してみたかったんです」
恋人には力で敵ったことがない。たとえ無防備に見えるときでも、ジャーファルはいつも周囲に気を配って警戒を怠らない。なまえが転びそうになっても受け止めてくれるし、不注意でぶつかってもよろけたりしない。
馬乗りになって、なんだか現実味がないままジャーファルの片手を掴み、自身の頬に押し当てる。
「今日は私がしてあげたいことばっかりしました。私がリードする側にならなきゃって……最初は楽しかった」
うんともすんとも言わないから、ジャーファルがここにちゃんといるのに寂しくて。
だんだんと悲しくなってしまった。
突飛な命令をするつもりは毛頭なかったが、薬でどうこうしようとするなど浅はかだった。
「ごめんなさい。ジャーファルさま、私にしてほしいことはないですか?教えてください」
新しい服を着たときも、気に入らないのか意識がないからなのか。
コーヒーを飲んだときも、全く動じないし。
虚空を見つめ続ける顔が寂しくて寂しくて。
「いつも、なにもありません、しか言ってくださらないので本音を話してほしいんです」
やっと、彼女の目的が見えた。
頬にあった手を下ろし薄い肩を掴んだ。体を起こして、たやすくなまえをベッドに押し付ける。
「それが、あなたのやりたかったことですか」
突然意思を持ってしゃべりだしたジャーファルに、目を見開く。
「薬が切れたんですか……?」
「すぐバレるんじゃないかと思いましたが、心配なかったようですね」
「え?え?薬が切れたのいつですかー?!」
「ちなみに、ちょっかいをかけたきた男たちには消えろこのゴミカスども、ぐらいには思ってましたよ」
もっと酷い罵倒を心の中では叫んでいたのだが、彼女にはとてもじゃないが聞かせられない。
「あっ……それで海にいたとき、来てくれたんですね」
薬の効能があの時には切れかけていたのか。
自分を抑えて見ているだけ、というのはやってもやっても終わらない仕事以上にしんどかった。
いつも護衛しているシンドバッド王は迷宮の覇者だし、そこらへんで野垂れ死ぬタマじゃない。己の願望を叶えるまでは殺しても死なないだろう。放蕩癖やら心配の種はあるが、ある程度は放置しても大丈夫。
けれど、なまえは戦うことなど知らない。少し目を離したらあっけなくさらわれてしまいそうで。
ジャーファルにしてみたらなんでもないことで簡単に傷つくのだ。心も体も。
仕事を趣味と公言しているような男に、恋仲になろうなどという女性も、なくはなかった。しかしそれも長くは続かない。そう言えば、恋人がいたのではないかと思い出したときには関係は自然消滅していた。
だから、いまだに好きだと言ってくれるなまえが貴重すぎて。
いつか、己の失態でなまえを失ってしまうのではと恐ろしくて、できうる限り思いつく限り優しく大事にした。
「ほんとうに……そばにいてくれるだけで、それ以上は望むべくもない」
「私、なんにもできなくて……」
なにかを言いだそうとしたジャーファルの口を押えて、問いただす。
「あのお店のコーヒー、美味しかったですか?」
「美味しかったです。が、なまえが淹れてくれるコーヒーのほうが好きです」
「ちょこちょこ変えてるんですけど、どの味が好きですか?」
「なまえが淹れてくれるものはぜんぶ」
「私はジャーファルさまの好みが知りたいんです!」
語気を強めても、にこにこするだけ。
「なまえが私のためにとこの手で作ったもの、触れたものすべてが好みです」
口元にあったなまえの手を取り上げて、その指先に口づけた。
「あなたがくれるものなら毒でも飲みます。実際、飲んだでしょう?」
手渡した瓶を躊躇なく傾けて口にした。それが体を害するものでもかまわなかった。
「薬のことなら、騙すつもりはなかったんですけど……すみません」
「いいんですよ。なまえが私に毒を盛るはずないってわかってますし。多少の毒なら私は死にません」
暗殺業がてら毒についても学んだので、特に生き死にを分けるような劇薬には見識がある。万が一毒を飲んだとしても、処置も解毒法も頭に叩き込んでいた。
「……さすがジャーファルさま、としか言えません……」
お強い。その一言に尽きる。
ではヤムライハが用意してくれた薬瓶はいったい何からできていたのだろう。失敗作だったのか。
ううん、墓穴を掘るのはやめておこう。
ジャーファルが額に目尻に頬に口づけていく。
「それで、具体的には教えてもらえないんですか?ジャーファルさまのしたいこと」
「……言葉にしないといけませんか」
これからあなたを抱きます、と。
「無理にすることもないですけど……やっぱり知りたいので、後からでも教えてもらえませんか」
「今もこれから先もあなたに求めることは変わりませんよ」
先ほどの、そばにいてくれということだろうか。
「まぁ……こんなことでいいなら」
「こんなこと、ですか。ではどこまで耐えられるかみせてください」
押してはいけないスイッチを踏んづけてしまったようで、ジャーファルは不敵に微笑んだ。
「あ、や、いまじゃなくて、しょうら」
言い切らないうちにキスで塞がれた。
**
読んでくださりありがとうございます。
以前は台詞の前後に改行していましたが、今回無くしてみました。
どちらが読みやすいのでしょうね。
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なまえから手渡された、小さなガラス瓶。満たすのは薄い緑色の液体だった。
ヤムライハから警告を受けていた品だろう。
「疲労回復のお薬だそうです。ヤムライハさまに作っていただきました」
「そうですか」
受け取って、礼を言いつつ蓋を開ける。目の前で空にしてみせると、なまえはやきもきした顔を消した。ぎこちない渡し方で、ちゃんと飲んでもらえるかひやひやだったのだろう。
そんなにわかりやすい反応をされると、笑いそうになります。
―なまえから服従魔法の薬を作って欲しいと頼まれました。
あの子が悪い使い方をするとは思えないけれど、作るフリをしてただの色水を渡したので、判断はジャーファルさまにお任せします。
先日ヤムライハの手紙にそうあった。
さてこれからどうしようか。一度床に倒れでもしたほうがそれらしいだろうか。
目を閉じてその場に立ったまま、部屋にある気配に意識を集中した。
「ジャーファルさま?お薬、効いたのかしら……」
ヤムライハにお願いして作ってもらった、飲んでしまったらなんでも言うことを聞いてしまう薬。いまいち効果のほどがうかがえない。魔法実験でよく失敗はしている彼女だが、未完成だったりいい加減なものを人に渡すとは思えないので信頼してはいるが。
薬を飲みほして以降立ちっぱなしのジャーファルの顔色を確かめる。
具合が悪くなったようには見えない。
「目を開けてください」
瞳を覗くことはできたが、どこか空洞で、返事すらしない。
「気分は悪くありませんか?」
「……いいえ……」
ようやく返ってきた穏やかな声に安心する。
「とりあえず、お仕事は終わったんですからクーフィーヤと前掛けはとってしまいましょう」
断りを入れて、なまえがそれぞれ体から外して畳み、机の上に置いた。
「お外に行きませんか?……じゃなくて、ついてきてください」
相手に判断をゆだねるのではなく、こちらが先導しなけければいけないと努めた。
宮殿の外に出て、ここからは完全にプライベートだ。一応城の中で人目につく場所では恋人らしい振る舞いは控えてきた。
「手を、繋ぎましょう」
ジャーファルの指に自身を絡ませると、外れない程度には引っかかってくれた。
明るいうちからジャーファルさまとおでかけ。
二人きりで会うことはもちろんあれど、デートらしいデートなどした覚えがあるような、ないような。
人が肩をぶつけあうのも道理、賑わしい店が立ち並ぶ通りを流れに逆らわずゆったりと進んでゆく。人と人の隙間から色とりどりの商品が見え隠れする。
一角に吸い寄せられるようになまえは服屋へ入っていった。
品定めする彼女のそばで、無言を貫く。男性ものの服ばかりを手に取って、ジャーファルの体に当てては別の物と交換して悩む。
「こちら、試着してみてください」
着替えには手間どらなかった。サイズもちょうどいいし、動きやすい。袖に余裕があるものを選んだのは、腕に絡める武器を隠せるための配慮か。
よもや、私服を買わせるのが目的で薬を飲ませた?たった、それだけの理由で?
「ジャーファルさま、終わりましたか?」
「はい」
簡易のカーテンをめくった彼女は満足そうに頷いた。
「お似合いです」
支払いを済ませて政務服を紙袋に包んでもらい、買ったばかりの一揃いで店の外へでる。
人通りの多い道へ出てしばらく歩き、露店のひとつに足を止めた。
「ここのコーヒーが有名らしいんです。いま注文してくるので、座って待っていてください」
ふたつ椅子の向かい合ったテーブル席にジャーファルを座らせて、なまえはカウンターへ向かった。
「どうぞ。美味しいといいんですけど」
湯気の立つコーヒーカップが置かれた。挽きたて豆のしっかりした香りが立つ。
「私はフルーツジュースにしました。その場で絞ってくれたんですよ」
なまえが口をつけたのを見届けて、ジャーファルも一口含む。
「…………」
なまえがグラスを引き寄せる度、ジャーファルも真似するようにコーヒーを飲む。
周囲の喧騒があるので、お互い会話がなくともさして気まずくはならない。
ひとりの男がテーブルに手をついて、ジャーファルの顔を覗き込んだ。知らない通りすがりだ。
「なにか」
物言わぬジャーファルの代わりに、こちらから声をかけた。
じろじろとなんて不躾な人。
「いや、この男カワイイ女の子といるのにずっとだんまりだし、動かないから人形?って思って」
へら、と笑う。
「ケンカ中?ね、」
「ほっといてください」
「それとも頭イっちゃってんの?こんな奴ほっといてオレと遊ぼ?」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、思いっきり顔をしかめて男を見据える。
「……ひぇっ……」
ぎょっとして喉を鳴らし、数秒かけて、尻餅をついた。
男の目が映すのはなまえではなく、その奥の怒りに眼を光らせるジャーファルだった。殺気立ち、それが次に指一本でも彼女に触れたら首を掻ききるつもりで。いや、彼の意識の中ではもうこと切れている。
……私の睨みって怯えるほど怖かったのかしら。
そんなやりとりに気づかぬまま、
「ここを出ましょう」
なまえは再び無骨な手をとる。
なまえの柔らかい手に意識を傾けるだけで、一気に頭に上った血が正常に戻っていく。
いまのところ特別に変なことをされているわけではないが、魔法に頼ってまでジャーファルにさせたいこととはなんだろう。服だけでは終わらないようだ。
歩いてほどなくして着いたのは浜辺だった。町中は暑かったが、ここいらは人もまばらで風がよく通る。
白い雲の浮かぶ青空に、あたりを包む潮騒。
「疲れてませんか?少し座りましょう」
隣どうしに腰を落とす。
波間を見つめて、空を見上げて、ジャーファルに微笑む。微笑みは一方通行に終わった。その横顔は前ばかりを見据えて、瞬きをすることを除けば人間らしいところがなかった。感情を根こそぎ取り払った、昨日となにも変わらないはずの凛とした瞳。
もし、ジャーファルさまが私のことをどうとも思わない日が来たとしたら、きっとこんな顔をされるのだろう。私が笑いかけても、返してくれるどころか存在を認識することすらない。
この風景に似つかわしくない沈んだ気持ちになって、ジャーファルの手をすり抜ける。
「少し歩いてきますね。ここで待っていてください」
脱いだ靴を片手に持って、湿った砂の上を歩く。水は冷たいが、心地いいくらいだ。
「お人形連れてるみたい……たしかに」
嫌味な男の言葉を借りて、口元をゆがめる。
ずっと無表情だし、話しかけても相槌すらない。かろうじて、返答が必要なときにはいかいいえで答えるだけ。それも気持ちがみえない。
手を繋いでお店を周ってカフェでお茶して、海辺で夕暮れを眺める。
王道のデートコースを、自分が楽しみたかったことは否定しない。
コーヒー好きなジャーファルのために評判のお店を調べ、彼がほんとうに美味しいと思えるコーヒーを味わってもらいたかった。
いつもなまえが淹れるコーヒーを笑顔で飲む彼。湯の温度を高くしたり低くしたり、ときには冷たい水でだしたり。豆を変えたり割合を調節して抽出時間を長くしたり短くしたりしても、必ず美味しいです、と言ってくれるがそれが真実なのかわからない。
それからたまには仕事でもなくてのんびりすることも覚えてほしかった。
立ち止まって、波がつま先を洗うのをなされるがまま。
「私の押し付けなのかな」
下向きの視界に、素足が入ってきた。日に焼けた肌の中で、歯だけが白い。
「……泣いてるかと思った。ひとりでどったの?」
顔を背けて、避けるようにして左へ向かう。直後に人にぶつかった。
「すみませ、」
男たちが見合わせて同時にニヤリとした。
二人組だったか。慌てて後ずさって、駆けだそうとするも道を塞がれてしまう。
怖くなって、目が勝手にジャーファルを探す。いまは、どうにもできないのに。真っ先に頼ることを考えた自分に羞恥を覚えた。
「どいてください。私はお相手できませんので、他を当たってください」
「なんで?暇してたんでしょ?わざわざ一人で海来てさぁ」
「あなた方には関係ありません」
波が、足のまわりから、指の隙間から砂をひっかいて足場を崩していく。なまえのかろうじて張っている意地や尊厳すらも一緒に浚っていっているみたいだ。
「ちょっとくらいいイイじゃん」
「嫌だと言っているんです」
「ぅ、わっ!」
背後の男が突然悲鳴を上げた。転んで海の中に横たわっている。代わりにそこに立つのは、薄い色をした見慣れた男性。
驚いたと同時に安心感が胸に広がって、泣きそうになる。
「ジャーファルさま、あっちにいたのに…どうやって」
私が指示をしない限り、動いたりできないはずじゃ……。
とにかく奴らがひるんでいる今が逃げ時だ、とジャーファルの腕を掴む。
背を向けたなまえの一瞬の間に、ジャーファルが突き立てた親指を水平に首の前を滑らせた後、くるりと上下を変えて突き落とす。
― 地 獄 へ 落 ち ろ。 ゲ ス 野 郎 が。
音を発していないのに、はっきりと台詞が読み取れる。
残された男は、己の首が飛んだ幻を脳裏に見た。首の上にちゃんと頭が乗っていることを手で確かめて、へたりこむ。
どうやら男らが追ってくる様子はない。砂を落として靴を履きなおした。ジャーファルを残していた場所にあった紙袋を抱える。制服も無事だ。
なまえは前髪を整えるふりをして目尻を撫でる。泣いてなんかない。大丈夫。笑顔を作って、ジャーファルに向かい合う。
「ごめんなさい。もう遅くなりますし宮殿に戻りましょう」
なんだか、うまくいかない。きっといい思い出をつくれると期待していたのに。
カフェのときも邪魔が入るし、さっきの海も台無しになるし。これもそれも全て、自業自得。自分で計画して、薬を使って騙したジャーファルに飲ませて、引きずりまわした結果だ。己のことしか考えておらず、都合よく事を進めようとしたから。
おかげで自分の食欲は引いていたが、ジャーファルには何か食べてもらわないといけない。
「お腹は空いていませんか?」
「いえ……」
「ちょっとでも食べたほうがいいですよね」
道すがら、また露店の集まる道に寄って、なまえは何かを注文した。
「いい匂いがしてたのでこれにしました」
薄いパン生地にまとめられた、肉と野菜、豆の詰まったブリトーを分けて食べた。
そこからはいささか速足で、路を急いだ。宮殿に入れば、やはり手を離してしまう。とりあえずは彼の部屋まで送らないと、と責任感だけで歩いた。私服で過ごすジャーファルにみな気づかず、声をかけてくる者はいなかったので事情を話さずに済み助かった。
扉を閉める音が静寂に響く。
「今日は、いろいろ連れだしてすみません。変なこともありましたけど……。
お付き合いくださり、ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げてゆっくり上げる。
まだ、薬の効果は続いている。彼の目は宙を浮かぶ。
「最期に、……ひとつだけ、許してください」
なまえが前へ進み、ジャーファルが後ろへ引く。ジャーファルの足がベッドの縁へ当たったとき、なまえは体全体で前へ倒れた。
「ふふ。一度、ジャーファルさまを押し倒してみたかったんです」
恋人には力で敵ったことがない。たとえ無防備に見えるときでも、ジャーファルはいつも周囲に気を配って警戒を怠らない。なまえが転びそうになっても受け止めてくれるし、不注意でぶつかってもよろけたりしない。
馬乗りになって、なんだか現実味がないままジャーファルの片手を掴み、自身の頬に押し当てる。
「今日は私がしてあげたいことばっかりしました。私がリードする側にならなきゃって……最初は楽しかった」
うんともすんとも言わないから、ジャーファルがここにちゃんといるのに寂しくて。
だんだんと悲しくなってしまった。
突飛な命令をするつもりは毛頭なかったが、薬でどうこうしようとするなど浅はかだった。
「ごめんなさい。ジャーファルさま、私にしてほしいことはないですか?教えてください」
新しい服を着たときも、気に入らないのか意識がないからなのか。
コーヒーを飲んだときも、全く動じないし。
虚空を見つめ続ける顔が寂しくて寂しくて。
「いつも、なにもありません、しか言ってくださらないので本音を話してほしいんです」
やっと、彼女の目的が見えた。
頬にあった手を下ろし薄い肩を掴んだ。体を起こして、たやすくなまえをベッドに押し付ける。
「それが、あなたのやりたかったことですか」
突然意思を持ってしゃべりだしたジャーファルに、目を見開く。
「薬が切れたんですか……?」
「すぐバレるんじゃないかと思いましたが、心配なかったようですね」
「え?え?薬が切れたのいつですかー?!」
「ちなみに、ちょっかいをかけたきた男たちには消えろこのゴミカスども、ぐらいには思ってましたよ」
もっと酷い罵倒を心の中では叫んでいたのだが、彼女にはとてもじゃないが聞かせられない。
「あっ……それで海にいたとき、来てくれたんですね」
薬の効能があの時には切れかけていたのか。
自分を抑えて見ているだけ、というのはやってもやっても終わらない仕事以上にしんどかった。
いつも護衛しているシンドバッド王は迷宮の覇者だし、そこらへんで野垂れ死ぬタマじゃない。己の願望を叶えるまでは殺しても死なないだろう。放蕩癖やら心配の種はあるが、ある程度は放置しても大丈夫。
けれど、なまえは戦うことなど知らない。少し目を離したらあっけなくさらわれてしまいそうで。
ジャーファルにしてみたらなんでもないことで簡単に傷つくのだ。心も体も。
仕事を趣味と公言しているような男に、恋仲になろうなどという女性も、なくはなかった。しかしそれも長くは続かない。そう言えば、恋人がいたのではないかと思い出したときには関係は自然消滅していた。
だから、いまだに好きだと言ってくれるなまえが貴重すぎて。
いつか、己の失態でなまえを失ってしまうのではと恐ろしくて、できうる限り思いつく限り優しく大事にした。
「ほんとうに……そばにいてくれるだけで、それ以上は望むべくもない」
「私、なんにもできなくて……」
なにかを言いだそうとしたジャーファルの口を押えて、問いただす。
「あのお店のコーヒー、美味しかったですか?」
「美味しかったです。が、なまえが淹れてくれるコーヒーのほうが好きです」
「ちょこちょこ変えてるんですけど、どの味が好きですか?」
「なまえが淹れてくれるものはぜんぶ」
「私はジャーファルさまの好みが知りたいんです!」
語気を強めても、にこにこするだけ。
「なまえが私のためにとこの手で作ったもの、触れたものすべてが好みです」
口元にあったなまえの手を取り上げて、その指先に口づけた。
「あなたがくれるものなら毒でも飲みます。実際、飲んだでしょう?」
手渡した瓶を躊躇なく傾けて口にした。それが体を害するものでもかまわなかった。
「薬のことなら、騙すつもりはなかったんですけど……すみません」
「いいんですよ。なまえが私に毒を盛るはずないってわかってますし。多少の毒なら私は死にません」
暗殺業がてら毒についても学んだので、特に生き死にを分けるような劇薬には見識がある。万が一毒を飲んだとしても、処置も解毒法も頭に叩き込んでいた。
「……さすがジャーファルさま、としか言えません……」
お強い。その一言に尽きる。
ではヤムライハが用意してくれた薬瓶はいったい何からできていたのだろう。失敗作だったのか。
ううん、墓穴を掘るのはやめておこう。
ジャーファルが額に目尻に頬に口づけていく。
「それで、具体的には教えてもらえないんですか?ジャーファルさまのしたいこと」
「……言葉にしないといけませんか」
これからあなたを抱きます、と。
「無理にすることもないですけど……やっぱり知りたいので、後からでも教えてもらえませんか」
「今もこれから先もあなたに求めることは変わりませんよ」
先ほどの、そばにいてくれということだろうか。
「まぁ……こんなことでいいなら」
「こんなこと、ですか。ではどこまで耐えられるかみせてください」
押してはいけないスイッチを踏んづけてしまったようで、ジャーファルは不敵に微笑んだ。
「あ、や、いまじゃなくて、しょうら」
言い切らないうちにキスで塞がれた。
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読んでくださりありがとうございます。
以前は台詞の前後に改行していましたが、今回無くしてみました。
どちらが読みやすいのでしょうね。
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マギ 短編
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