マギ 短編
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いつも拙い作品をお読みくださり、ありがとうございます。
こちらは前置きです。
今回は少し性表現に近いものが文章中にありますので、苦手な方や(目安として)15歳以下の方の閲覧はお控えくださいますようお願いいたします。
そんなに大したこともありませんが、念のため。
問題ない方はどうぞお進みください。
**
「やだ……かわいい。襲って良いですか?」
なまえと顔なじみになったのはいつだったか。ジャーファルのどこにどう惚れこんだのかいまだに不明だが、とにかく公序良俗に反するようなことを、こうして出会い頭に恥ずかしげもなく他人と当人の前で発言するのだからいただけない。
「いけません。良いはずないでしょう」
そう真面目にいちいち答えを返してくれるので調子に乗り、また同じことをくり返してしまうのだ。
「あの手はシカトですよ、シカト!きいちゃいけませんって」
「そうです。相手が女性とあれど毅然とした態度できっぱりとNOと断りましょう」
どこぞの薬物撲滅ポスターの決まり文句のようなことを言ってくれる。
部下たちもなにかと助言してくれるが、首を重そうに振る。
「わかってはいるんですが、どうも無視できなくて。ああいう女性は初めてでどう対応していいやら」
もともとどちらかというとボケよりもツッコミや国王に対してのお叱り担当を勤めているジャーファルとしては身にしみた本能からの反射というか。それにしてもああいったオブラートというものを知らない物言いと内容に圧倒されていた。
「だってあの腰とかたまにみえる腕とかたまらないじゃないですか!」
口を手で覆ってうふふ、と目を細める。
「そんな挑発的なことを言って、私がほんとうに押し倒しでもしたらどうするんです」
「え……」
すこし脅したつもりだった。思ってもみない返答に、なまえはショックを受けたようにまばたいた。
「ジャーファルさまのほうから襲ってくださるんですか?!」
これで引くだろうと踏んでいたが、それに反して至極嬉しそうに周りの空気が華やいだ。脱力する。まったくもって大歓迎らしい。
「バララーク・セイで縛ってくださってもいいんですよ?」
「襲いませんしこの武器を戦闘目的以外でつかうつもりはありませんので」
「赤色なんて情熱的ですよね」
……今度黒に染め直してみましょうか。
ジャーファルはうんざりしてそんなことを真剣に考え出した。
「いい加減になさい」
顔に陰を落として眼孔だけが鋭く光る。
「あ……なんだかゾクゾクします」
頬を染めてうっとり恍惚と見上げるその表情に、いくらも効果がなかったのだと知る。
救いようのない人だ、と気が滅入った。棒のようになったなまえを尻目にそこから立ち去る。
武器を持ったことすらない女性にかすかであれ、殺気を向けたのはやりすぎだったかと軽く反省しつつ、いやしかし本人があれを危害のある気配だと理解していたかどうかもわからないし。
その場に一人きりになり、腰から垂直に落ちた。正確には腰が抜けて座り込んだ。自分でもよくあのジャーファルの眼に耐えたと思う。震えるからだをさすり、肩を抱く。まばたきをすれば、目じりに涙が溜まっていたことにきづき、指先でぬぐう。その指先でさえも極寒のなかにいたかのように冷え切っていて、びっくりした。
ジャーファルが立ち去ったのと入れ違いにシンドバッドがやってきた。床に張り付いたように放心しているなまえに気づき、手を差し伸べる。
「さてはジャーファルに灸を据えられたな」
「はぁ……」
ぼうっとして、そこにあるがっしりと骨太の手をまじまじと見つめれば、腕をつかまれて立ちあがらせられた。やっとで立ってはいるが、壁に寄りかかっているのがせいいっぱいだ。
「歩けるか?」
「少しここで休みます。ありがとうございます」
「あの目に当てられたんだろう。まったくジャーファルのやつ」
その場にジャーファルの残した殺気と、なまえの様子から何があったかだいたい想像がついた。
「怖かったですが……鋭くて、きらきらしてました。きれいでした」
「きれいか?
ふつうにしていればふつうなのに。変態的な発言のせいですっかり男は近づかないぞ」
「好都合です」
王からの嫌味にまったく精神的被害はない。なまえはジャーファルについて明け透けな思いをつつみ隠さず公言しているので宮中が知るところとなり、変な輩どころかまず男が寄ってこない。むしろ彼女自身こそが変な輩として通っているのだから。
移動できる程度まで足が回復したなまえが仕事に戻るのを見送って、シンは面白いことになりそうだとふたりの静観を決め込んだ。
****
「ジャーファルさま、今日もイイ腰してますね!」
慣れたものは無視するからいい、だが近くにいた数人が噴き出したり、目を点にさせたりするので頭をかかえ、にこにこしている発言元を睨む。
「ちょっとこちらに」
人通りの少ないところへ手招きして、いいですか、とジャーファルが説教モードに入る。
「いくら相手を好きだからといって、ちゃんと付き合って相手を知らないうちにああいった挑発をするのはいけませんよ。あとで傷ついて泣くのはあなたなんです」
「ここまできて、説教ですか……」
苦笑いをすると、ぴしりと返された。
「あなたが何を言っても自分を大事にしようとしないので」
「わかりました。ジャーファルさまがお嫌なのならもうやめます」
「素直でよろしい」
「これでも挑発する相手はちゃんと選んでるんですが」
「……正直に言ってください、何があるというんです」
「え?」
「どうにもあなたの好きと言う言葉が本気だと思えないので。何か考えがあっての行動なのではと感じていました」
深読みしすぎです、と笑い飛ばしてみせるべきだった。もしくは純真な女心をそんな風に思っていたのですか、などと涙を一滴落としてみせればいい。けれど思いつくまえに、頭が止まってしまった。
「どうして、そうお思いに……?」
「私のことが好きだなんて、人前でしか言ったことないでしょう」
「・・・・・・」
自覚がなかったのか、首をかしげてぱちぱちと瞬く。
「何かで悩んでいるのならききますよ」
「お優しいんですね。本気で惚れたらどうなさいますか」
「そのときはこちらも真剣に対応するまでですよ」
「では真剣になってくださいますね」
「いえ、だから」
「だって私、いままで嘘偽りは言いませんでしたもの」
晴れ晴れしい笑顔とともに、さらりと告白した。
「ほんとうに、裏はないと?」
「あったほうが良かったですか?シンドバッドさまに近づくためにまずはジャーファルさまを好きな素振りを見せて振られたところをシンドバッドさまになぐさめてもらおう、とか」
「あの色ボケでしたらそのように遠回りせずとも寝室に直接行けばお相手しますよ……ってそういうんじゃなくてですね。どうして私にこだわるんです」
「人に惹かれるって、常にきっかけがあるとは限らないものですよ。理性で制御できない、数式で解明できないのが感情で恋っていうものでしょう。ただどうしようもなく、この胸にあるんです」
ときに仄かにともる、ときに燃え上がるような想い。言葉であらわしきれないものが気持ちというもの。
「人前でしか好きだと言わなかったのは・・・きっと私は、二択を迫りたくなかったんです。拒絶されるか、関係を持つか。直接気持ちを告げてしまえば、答えを強要するのと同じだと思いません?
そのまま人前で公言しているうちは、冗談ともとれるでしょう。それで良かったんです。私は気持ちを押し付けたくはなかったんです。ジャーファルさまが困るってわかっていましたから」
これでは自分で自分を追い詰めたようなものだ、とジャーファルは感じていた。彼女にはきっと裏があって、それを解明すべく二人きりになって話をすれば真面目に答えてくれるだろうと踏んで。しかしなまえの恋心は本物で、ジャーファルの性格を知ったうえで行動していた。こうして付き合うか二度と顔を合わせないか問いかけることはしたくなかったのだと。
「ほら、困ってる。……すみません、全て冗談です。ということで納得してくださいません?嫌な思いをさせるつもりはなかったんです。これからは控えますね」
**
自身の発言に忠実に、なまえは感情を言葉にすることはしなくなった。それでもやっぱり、ピンク色のハートが見えそうな視線はほかの誰もが見てもそれだとわかったし、セクハラめいた褒め言葉は繰り返していた。
二人の関係に何か変化があったことを嗅ぎとった八人将のひとり、「恋の悩みはお任せあれ」とはりきってなまえにぶつかっていったピスティ。唯一の女性の友人であるヤムライハとはできぬ恋バナにうきうきと期待しつつ、まどろっこしいことは省きはっきりと問う。
「どうしてジャーファルさん?」
「好みだからですわ。小さなお尻、袖からみえる実は筋肉質な腕、ちらちら見える骨ばった足首、」
「それはいいから真面目に。優しい紳士的なところ?」
「紳士?ジャーファルさまが?」
虚をつかれたようにくり返す姿に、こちらが驚いた。
「違うの?」
「どうして、ってきかれると……いつでしたっけ。煌帝国のお姫様がいらしてシンさま絡みでひと悶着あったでしょう?あのときのお姫様の従者に対する態度みてからかしら。強いて言えば」
そのときといえば、夏黄文が画策して紅玉姫とシンドバッドにあたかも肉体的な関係があるようにみせかけ、一国の姫に手出しした責任を取れと結婚を迫ったときのことだろう。ジャーファルはといえばはじめはシンドバッドを疑っていたが、王の無罪が晴れるとみるとかの来客を見下してつばを吐きかけ、その後は見向きもしなかった。あの行動のことだとすれば、とてもじゃないが紳士的とはいえない。
「素敵だったわ。ジャーファルさまのあの目にさげずまれてみたい」
台詞とまったくそぐわない乙女然とした顔がまぶしい。
「いや、恋だったらかっこいいとか、たくましいとか優しいからとかって……あるじゃない?」
異性となれば好きなタイプも嫌いなタイプも存在せず気になればちょっかいをかけ関係を何股でも持つピスティとしては、人間それぞれ好みは自由だということは認めているが、なまえのジャーファルに対するまっすぐなように見えてひねた好意を恋と定義するにはそれは珍妙すぎた。
好きな人にさげずまれてみたい、などと。己をさけずむ漢へ恋慕を寄せるとは。
「私、ジャーファルさまのことかっこいいだなんて思ってませんよ。たくましくも優しくもらっしゃいますけど、それが一番って方ではありませんし。そりゃあ、八人将でもあらせられる方ですし賢者でも有名ですが」
「えー!じゃあなんで……」
「好きだって思ってるんです」
「好き、なの?」
「だって言うこと為すことことごとく私のツボなんです」
一時期ピスティの嘘泣きに騙されていたところとか、子供は積極的に甘やかしてしまうところ、普段は落ち着いているのにシンドバッド王に対するときはたまに顔と言葉がくずれるところ。なまえからすればじゅうぶんだといえるそれを、周囲に並ぶものが特に高身長なためか、自身の体が伸びなかったことを不満に思っていたりすること。なんだかんだ文句言いつつ忠誠を誓った王をぜったい見捨てない姿勢すら。
上目づかいが似合いそうなあのやや丸っこい瞳が貫くように鋭利になる瞬間。
陶酔して目を閉じて妄想するなまえを放っておくことにした。
「そう……がんばってね」
「ありがとうございます」
その笑顔だけ見れば、純真な乙女といっても誰も間違いだといわないのに。ピスティは私にできるのはここまで、と見切りをつけてさっさと退いた。
****
シンドバッド王は宴が好きだ。
正確には騒がしいことも酒も女も好きだ。英雄色を好むとはいうが、まったくもってその通り。それをかなえられるだけの美貌も実力も持ち合わせているのだから仕方ない。限度なく羽目を外しすぎて己を失うのはいかがなものかと現に率直な腹心に幾度となく咎められているが。
しかし今回はその厳しいはずの文官長どのまで酒に浸っているのだから周囲も何も言うまい。
宴もたけなわとなったところで、だいたいの人間がひとりまたひとりと帰路についていく。なまえは人が掃けたのを見計らってジャーファルの傍へよる。肩に手を置いて、そっと笑顔で申し出た。
「だいぶお楽しみでしたね。お部屋まで私が付き添いいたしますわ」
「そうしてくださいますか」
この騒ぎでその会話を聞いて止める者もおらず、酒の回りきった頭で深く考えもせずにそう頼んだ。ジャーファルが寄り添っているのか、なまえがひっついているのかどちらやら。
部屋に着くなり彼はベッドへ一直線、上掛けをめくる間もなく大の字になってしまった。
「ジャーファルさま、お休みになる前に一杯お水をどうぞ」
杯に注いで渡すも、それを求める手はからぶる。空中で揺れる手首を握って、杯に添えた。かろうじて上半身だけ起き上がってそれに口をつけるが、うまく飲み込めずにせきこんだ。
「ジャーファルさまがこんなに呑まれるだなんて。よっぽど今日が楽しかったのですね」
返された杯をすぐ横のテーブルに置いて、せめてと思って靴を脱がす。その間に頭巾はすでに頭から外れ、床に投げ出されていた。それを拾い畳んで枕元に添えてうぅ、としかめっつらでうめく彼を上から横切って、かけ布をかぶせた。
「ではごゆっくりおやすみくださいませ」
ささやくように声をかけると、ジャーファルが目を開いた。身を引こうとしたのも無駄、体勢を崩されまばたきの間に彼を見上げる姿勢になっていた。両手は頭の上で固定され、下半身にはずっしりと重しがのっかっている。
「何をのこのこと男の部屋に入って、もう帰るつもりでいるんですか」
ふっと腰が楽になった、と気づいたら一瞬のうちに帯が解かれていた。
「望んでいたんだろう」
袂を開かれ、喉から胸の谷間、左腰へとななめ横へ線を味わうように手がすべる。思わずのけぞった。こちらからはどこに目線を置いているのか真っ暗闇でわからないが、その分触れ合う皮膚で楽しんでいるように感じられる。恥ずかしさから前を隠したくて肩から体をひっくり返そうと試みたが、腕も下半身も押さえつけられているため無駄に終わった。
「おとなしくなさい」
反対も同じようにして服をめくられ、上手にはがされる。それもまたばさりとベッドの外へ放る。すぐに腕に包まれて寒さを感じることはなかったが、鳥肌がとまらない。心臓が飛び出そうとしているかのように胸のなかで鼓動を打つ。なまえは宴で給仕をしていただけで酒の一滴も体に入れていないのに、ジャーファルの手から熱が移ったのか顔まで温度が上がってきた。
「介抱すると言い出したのだから添い寝ぐらいいいでしょう」
そこに脱がす必要性はあるんですか、と問いたかったが、息がもれただけだった。
「怖いですか?いつも何を言っても嬉しそうなのに、どうしたんです。大丈夫、今日は」
かっくりと首が折れて、喉もとにジャーファルの頭が落ちてきた。鎖骨に息がかかり、酒の匂いがかすかにかいでとれた。ごろんと横になったかと思えば、抱き寄せられる。どうしてかすがられているように感じた。ぎゅう、と力まかせに抱きしめられ、んっ、と声が漏れると、締め付けがゆるんだ。腕が自由になり、万歳状態だったそれをジャーファルと自分の体の隙間に納めた。
今日は、の続きはなんだろうか。尋常でない心拍数をこの数分で消費してしまい、きっと寿命は縮まったことだろう。
「かわいい人だ……。絹みたいな肌。すごく気持ち……い」
背中がわから腰に手を当てられ、もう片腕はなまえの髪をくしゃくしゃとからめとる。呼吸が静かに落ち着いて、なまえの前髪にふりかかってくる。酒もあってかすぐに眠りに落ちたようだ。がっかりしたというべきか、安心したというべきか、この状況。
「ジャーファルさま?寝てしまわれました?」
「なまえ……」
「はい?」
寝言なのだとわかっていても、つい返事をしてしまう。
束縛がゆるんだこのすきに逃げることもできそうだった。
けれどその遊びつかれた子供のように目を閉じる姿をみているとどうしても放って置けなくて、そのぬくもりにとけこんでいることを選んでしまった。
「ずっと……あなたの笑顔がみれなくて、物足りなかった……」
そんなことを言われるのは初めてで、少し安定していたはずの心音がまた激しくなる。調子にのってばかなことをきいてみたくなるのも許してほしい。こんなジャーファルはめったにみえられない。
「私がそばにいなくて、さみしかったですか?」
「うん……」
きれいな声だと知ってはいたがこんなに近くで聴くと、なんと甘い声だろうか。頭に残る声が、へだたりなく直に触れる手のひらのぬくもりが、なまえのすべてを支配していた。
****
頭を動かすと二日酔い特有の症状がジャーファルをおそった。
あぁ呑みすぎたのだと自覚するのと同時に、腕の中に普段はないやわらかいぬくもりをがあることに違和感を覚えた。
そして気づく、枕や毛布などではない、一糸まとわぬ女性を抱きしめていることに。実際このように裸体を見たことはないがこの髪の色と長さ、鼻の形、肩幅および体格からして、思い至るのは。
「……なまえ?」
「はい。おはようございます、ジャーファルさま」
かすれた声。まぶたを重そうにして、顔色がやや優れない。名前を読んですぐ返事をしたところからみると、ずいぶん前から起きていたようだ。胸元から薄い布を抑えて、慎重に体を起こした。
この状況からして一線を越えてしまったのだろうか。もちろんお互いそのことに対しての知識はあるはずだし、年齢的に問題はないはずだ。だがもし、万が一に枕を交わしたとして、ちゃんと彼女の同意を得た上だったのかが記憶にない。それはなまえからねじまがっているとはいえ以前より好意を見せていたものの、いざこういったことになったとなれば責任も生じてくるし。
「昨夜、私は……なまえ、あなたと……?」
顔を青くさせて尋ねるジャーファルに、きわめて冷静に返事をした。
「ジャーファルさまがお望みでしたことをしたまでですよ」
「いやでも私服着てますし、その……」
下世話だが着衣のまま事を済まそうと思えばできなくもない。記憶をとばすまで酔った上での狼藉なんて手酷かっただろうに、かくしているのか平気そうにしている。毛布をまとう前に一瞬見えた全身はまっしろだった。
最中に跡を残すような失態はしていなかったのか、真実ことに及ばなかったのか。
「……なにもございません。ジャーファルさまが覚えていらっしゃらないのであれば、それ以上のことはなにも」
まさかまさかまさか。ジャーファルは考え込む。
「服を着てもよろしいでしょうか」
「も、もちろんです」
ジャーファルは慌てて背を向けて、自室の寝床の上だというのに正座して俯いた。さらさらと衣擦れの音だけがやけに響く。靴を履いたのか硬い音が床を叩いた。
「それでは失礼します」
「あっ、なまえ……」
振り向いて止めるのもむなしく扉は閉められた。浮いた手をどこに置けばいいやら、ふらふらとさせた後に頭をかきむしった。
ベッドに再び横たわり、記憶を辿る。
まず、素面のときから。昨夜は宴があって、みなで心置きなく飲んで食べて騒いでいた。スパルトスはおとなしくしていたので問題ない。いつも通りシンドバッドは平気な顔で杯、どころか樽を幾度空にしたことか。マスルールはつまらなそうに食べることに集中していた。みなの酔いが回ってきたころ、男あさりを始めるピスティを咎めているときにヤムライハとシャルルカンが口論をはじめ、戦闘になりそうだったのを引き離し、二人の喧嘩を助長していたドラコーンやヒナホホを叱責して、それをごまかすかのように酒の席だから、とさらに飲まされたのだ。酒を。
楽しい夜だった。
そういえば飲んでる間めずらしくなまえが姿を現さなかった。いや、宴の席の合間あいまを縫うようにして酒を補充したり、料理を運んだり汚れた皿や杯を回収して忙しそうにくるくると動き回っていたのは見た。たまに酔っ払った男に頼まれたのか、そちらこちらで酌をしていたり。やれ飲めほれ飲め、宴だぞと叫ぶ輩に杯を押し付けられて、乾杯して口をつけるふりをして汚れ物を入れる籠にそのまま回収しているのも。重そうに籠を抱える、まくられた袖から見える二の腕がやわらかそうだ、とか。
酒はジャーファル同様好きでないのだろうか。仕事中だと遠慮していたのか。がやがやと周囲が盛り上がっているなか、よく働くものだ。せっかくの料理は食べたのだろうか。ぜんぜん座ろうとしないで疲れてやしないか、明日は休みなのだろうか。
自分を見つめていないなまえの姿を目で追いかけ、そんなことを考えつつ杯を空ける。
埋まっていた席もまばらになり、夜も更けたころ、すっとよりそった親しみなれた香り。
「だいぶお楽しみでしたね。お部屋まで私が付き添いいたしますわ」
頭が回らない。
「そうしてくださいますか」
あぁようやく、笑顔が自分だけに向けられた。それで部屋まで帰り、ベッドに寝転がって、なまえが水を飲ませてくれて。
「うわぁ……」
送り狼ならぬ送られ狼というべきか。シンでもあるまいしこんなことぜったいありえないという自負もあった。
それが離れてしまう、と思ったら体が勝手に動いていた。彼女といえば始終驚きに目を見開いていて、体ぜんたいをを羞恥で真っ赤にして、でも抵抗はされなくて。あまりにもあたたかくてやわらかくて、とにかく手放したくなかった。それがなにかわからないが、足りなかった欠片をぴったり埋められたような。あんなに平穏な気持ちで眠りにつくなど、どれくらいぶりか。
おそらく、事には及んでいない。たぶん。良かった。大丈夫だ。とにかく触れたくて、服をとっぱらったのは覚えている。そこからがぷっつりと闇の中だから寝てしまったのだ。・・・いやこれは大丈夫なのか?
彼女の肌のなめらかさだとか、腕をくすぐる髪の感触はいまだに染み付いたように残っているのに、あの夜自分がなんと言ったのかまでは思い出せない。
あぁダメだ、ひとまず謝ろう。
****
重い体をひきずって自室に戻ると、同室の子が出勤の身支度をしていた。
「あら帰ってきた。あんた今日休みとはいえ朝帰りなんてねぇ」
色めいた情事を想像しているのか、にやにやとしている。
「違うの。その……酔っ払ったジャーファルさまを介抱してて」
「あら、良かったじゃない」
「うーん。良かったようなそうでないような。私が悔しかったのは、ジャーファルさまの裸が見れなかったことよ!私のは見られたのに。不公平じゃない?」
「なによ、うまくいったくせに」
「それがねー、ほんとに睡眠をとってただけなのよ。ジャーファルさまぱったり眠りに落ちちゃって」
「はぁ?……その、聞いちゃ悪いけど裸で?」
「うん。私だけ脱がされて。ただ寝顔はこの上ないくらいかわいかった……寝息がきこえるのよ、すぐ上からすーすーって!」
「あんたってほんと……」
「でもおかげで緊張してちっとも眠れなくて、いまになってどっと眠気が……」
「あぁ、それで顔色悪いのね。それじゃ、私は今日が当番だからもう出るけど、あとで詳しいこと教えなさいよ。ちゃんと寝なさい」
「んー、ありがと」
ごそごそと自分のベッドにもぐりこむと、もう体が動かなかった。
****
さらに翌日のこと。
ジャーファルなりにまる一日心の葛藤を繰り返したのだが、いざ面と向かうとなまえは至っていつも通りに挨拶をした。そのまま人払いをした個室に誘うことには成功した。余計なことを口走るより先に前置きもせず謝る。
「思い出しました、あの夜のこと。……すみませんでした」
「わかりません。何に対しての謝罪でしょう」
落ち着いた声で静かに問われた。声音と雰囲気からして怒っているだとか悲壮にしているのではない。動揺すらもしていない。純粋な疑問。
「それはその、あなたの衣服に手をかけたこと、とか。むりにベッドにいてもらったり」
「なにも……」
ぽつりと落ちた言葉は、気のせいだろうか、どこかさびしそうに聞こえた。無表情に見つめる瞳は、ちっとも責めていないのに。
「はい?」
「結局なにもなかったんですから、謝っていただかずともけっこうです。でも」
否定語に続くもの、おそらくは何かしらの要求をきくのはおそろしかったが、ここはきかねばなるまい。ごくりと喉を鳴らした。
「でも?」
「あぁいうことはよくなさるんですか?」
「真実、初めてです。酒に飲まれていたとはいえ、不覚でした」
「でしたら。そうですね、もしおさびしいようでしたら私をお呼びつけください。添い寝してさしあげますわ」
謝罪をもとめるでもなく、提案された。
まだ責められたほうがいくぶんマシだったか。彼女の考えがわからない。もちろんあの事実が起こったことに対して申しわけない気持ちもさいなむ思いもあるため謝った。だから責任をとれやらあの晩のことはお互い忘れて今までどおりに、だとか今後一切関わるなといわれればそれなりに対処できるのにこれでは身の振りようもない。まったくどうとでもなかったような態度は拍子抜けというよりこちらが傷つく。ほんとうに気にしていないのであればジャーファルに関心などなかったということだし、ジャーファルをおもんばかって自分の心を抑えてわざと茶化して発したのならその言葉を鵜呑みにして陰で泣かせるわけにはいかない。
「いったい何を言っているんですあなたは!」
「夜伽でしたらいつなりと申しつけください、と」
「添い寝と夜伽では意味が違いますよ」
「男女がする場合は結局、同じことでは?」
「今は言葉のあやとりをしているのではありません」
「どういった意味であれ、私にとってはどちらでもかまいませんもの」
「そうではなくて!……あの夜で懲りていないんですか?」
「……お言葉ですが懲りるのはジャーファルさまでは?」
「それはその、そうですけど。どれだけ呑んでようが放っておいても私は男なんですから、外で寝ていたって大丈夫なんです。自ら危険に身を投げるようなことはおよしなさいと」
「私は、ジャーファルさまがお相手ならなんだって受け入れます」
「なっ、だっ、」
意味を成さない音しか口からでてこない。額を片手で押さえて、ため息をついた。確かにあのベッドの上でいっさい抵抗はされなかった。ジャーファルが抑えつけていたのだから、したくてもできなかったのか。
「ご自身がなんておっしゃっていたか、覚えてます?」
「情けないですが、そこまではどうしても思い出せなくて」
「そうですか。残念です。私、嬉しかったんですよ」
だからこそ、身も心も許しているのだとは明言しなかった。この人ならだいじょうぶだと決定付けることができたから。
悪戯っ気を含んだ笑みに、ジャーファルはそばかすの浮かぶ頬を赤くする。
「いったい私は何て言ったんです?!」
「教えられません。誰にも言わず、私だけの宝物にします。ですからあの言葉、私にくださいね」
「あげるもなにも私覚えてないんですが」
「それでいいんです」
当たり前だ、もうあのときジャーファルは夢の中だったのだから。あの寝言だけで、じゅうぶんすぎるほど報われた。
どうにも真向から謝った気分ではないが、被害者であるなまえが幸せそうにしているので、これで決着がついたといっていいものか。
「このことはこれで終わりにしましょう。もう弁解も謝罪もなしです。」
音を立てないようにしずかに戸は閉じられた。
一人残された部屋の中で、これで終わったのか、と独り言がひびいた。
だがしかしこれは始まりでしかない。
軟派に声をかける女中に手厳しかった政務官の態度が軟化したのは外部から見ても明らかで、なにか弱みを握られているのではないかと少し噂になった。
軟化どころでなく、ジャーファルがなまえの顔を見る度ハッと固まり、なまえが手を振ったり微笑んだりすれば頬を赤くし、さらに会話をすれば青くしたりなど表情のレパートリーが増えた。
妙な薬を盛られたのだと言うものもいた。
一筋縄ではいかない恋の成就に、当の本人たちも気づいていないのに、誰が指摘することができるだろう。
**
Let's harass him!
後日談↓
**
「お願いごとをきいてください!」
常日頃から変態発言をしている彼女のことだからきっと服を脱げだとか縛ってくれだとかともすると一晩を共に……なんていずれにせよいかがわしいことを口にするものなのだと予想していた。それらの返事はすでに用意してある。
「頭なでなでしてください」
とはなんと、ささやかで可愛らしく無害なことであろうか。一瞬拒否しかけ、ききなおした。
「いやで、……え?頭をなでる?」
「はい。ダメですか?」
詳しく言うと、そっと手のひらをその頭に置いて、すべらせるだけだ。なんといじらしいお願い事だろうか。真実その文字通りならば。
「なでるだけですよね?」
「もちろんです」
指を髪に絡める。注意深く彼女を観察するが、ほかにたくらんでいることはなさそうだった。
「なでるだけですよ?こんなふうに」
するりと腕が伸びて、ジャーファルの顔に細く影を落とす。
ふわふわとくすぐったい感覚。不思議と温もりが感じられる。なんだろうかいままでに感じたことのないこの安堵感は。その身に危機を迎えたときも、シンがそばにいれば心配はなにも要らなかった。そのときはどうにでもなると、してやるという意気込みもあったし、思い通りにならずこの体が壊れようが覚悟もしていた。だがしかしこれはその種の落ち着きとは違う。
ジャーファルだけに注がれる、ただ純粋に慈しむように細められた目。やわらかい光をまとってきらきらとしている。
考えるでもなく、それが当然のことのように覆いかぶさるようにそこにある肢体に腕を回した。
ジャーファルが抱きしめているはずなのに、こちらこそが包まれている気分だ。まるで予期していたみたいに抵抗もなく再び明るい髪にしなやかな指がまとった。はねる毛先を整えているのか。はたまたその行為に何か大きな意味があるのか。間違いなくあるのだとおもう。現にこうして、ジャーファルの心を突き動かしているのだから。
あぁ、私はもう、なまえから離れられないのだ。
**
おわり
さらに続編へ
Let's harass her!
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