マギ 短編
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武術を習っていたせいか男と接する機会が多く、その性格は竹を割ったようにおおざっぱ、細かな作業は苦手だった。
人形を着飾らせるよりも木の棒を握って外で走り回るのが性に合っていて。
幼いころから女の子にあこがれていた。というと誤解を招く言い方だろうが、自分にないものをまぶしく感じていた。
ようは男勝りだったのだ。敬愛する師匠も兄弟子もいたけれど、決して惚れたはれたの間柄に発展することはなかった。まわりの女の子はかわいくて清潔感があってきらきらきれい。丁寧に櫛を通された髪やら、ふんわりとした肉付きの丸い肩、花びらが揺れるような細やかな足運び。見ていると守ってあげなければ、と保護欲をかきたてられる。
女友達は年を経るごとに華やかになっていく。身を飾ることを覚え、家事をこなすようになって。一部の友人は家庭に縛られず仕事に専念するものもあったが、それでもなまえのように剣や槍を振り回すものではない。毛織物を生産したり魚を卸売りしたり、そういった芸術や商売に向いていたのだ。ただ自分は闘いの才能を持ちそれを伸ばしてきただけのこと。
そんな自分に疑問を持つこともなく少女時代をとうに過ぎるまで育ってしまった。それに大して不満もなく。
だったのに。
あの人に出会ってから、なにかがおかしい。
年齢にしては幼く、男性にしては丸みを帯びた顔立ち。細い眉、なお愛らしさを増す浮いたそばかす。最大にまで露出を控えた政務服がまた似合うのだ。そうした隙を見せない姿勢もまた良い。しかし笑うときりっとした雰囲気がくずれる。
ああ、かわいらしいひとだな。
そう思った瞬間に、どきりと心臓がいままでにない動きをした。
この国を率いる頭の切れる政務官と評されるが、それに飽き足らず武術にも通じている。なにしろ八人将のひとりだ。きゃしゃそうにみえてその身に秘めた実力は計り知れない。
すばやく相手を分析しねじふせる。
その戦いぶりを見てまず憧れを抱いた。だから、この胸のうちにあるものが尊敬からくるものなのだと思い込んでいた。
**
初めて言葉をかわしたのは、王宮の練習場だった。訓練中に、周囲よりひときわ小柄な自分が目にとまったらしい。
隊長から呼びつけられて、すぐさま剣を鞘に収めて走った。
ぴしりと両足をつけて起立すると、気を楽にしてください、と優しい言葉をいただいた。
「いえ、訓練の邪魔をするつもりはなかったのですが。少し気にかかったものですから」
「文官長殿がお前について問いただしたいことがあるとのことだ」
「はっ。なんなりと」
そこにいるのがかの政務官であることを確認すると、きびきびとした動作で礼をする。明瞭ではあるが男には似つかわしくない声をきいて、彼はその丸い目を軽く見開いた。
「あなたは……女性でしたか」
「はい。なにかありましたでしょうか」
女だてらにこういった職業についていると、よく驚かれる。体を張って戦う女が他にまったくいないというわけではないが、珍しいだろう。髪をあげているとそれだけで顔つきも引き締まるうえ、サラシも巻いて胸もつぶしているので
ちょっと見ただけでは女顔の優男だ、などと判別つきにくいはずなのだが、わかるものにはすぐわかる。それでたまにからかわれたり意地の悪いことを言われたりもするが、黙って堂々としていればつまらなそうにしてたいていはすぐ相手にしなくなる。しつこい相手も一度腕を見せればとたんに黙る。つまりこういった反応が茶飯事なので心を乱すことはない。そして彼が見せたのは嫌悪の類ではなく感嘆のようだったので、こちらも気が楽だった。
「それでは、ここまでくるのも険しい道だったでしょう」
「そのようなことは。私にはこれしか才能がなかったので他に道もなく、天命と思っております」
「あなたのような方がいるとなると頼もしいものですね。わざわざ呼び立ててしまってすみませんでした。そうだ、名前は?」
「なまえ、と」
「なまえ、どうぞシンドリアのため、これからも励んでください」
「はっ!」
王宮への入隊試験なみに緊張した。これからの人生をかけたあのときのように。剣を必要以上に握りこむと、少し落ち着く。サラシの下で長い息を吐いた。
それからというもの、よく目をかけてもらっているようだった。名前をきかれただけでも光栄なのに、親しく話しかけられると身に余る。もちろんうれしいのだ。憧れていたのだから。ただいつになっても緊張は解けない。
「髪をいつも結っていますね。長いのですか?」
言われてそっと頭に手を伸ばす。きっちりとひっつめておだんご型にまとめあげている。さらに後れ毛も押さえるように、鉢巻のように長い布を生え際に沿わせ、首の後ろで結んでいる。これが首まわりもすっきりして一番楽なのだ。
「これは……不精で伸ばしているのです。短いよりまとめやすいので。闘いになるとどうにも邪魔ですし」
長い髪は嫌ではなかったから、ずっとそのままにしていた。つい手入れを怠るために滑らかで美しいとはいいがたいが、親からもやんわりとひとつくらい女性らしい部分を持ちなさい、と言われていたし。武術の上達は喜ばれたが、体のどこかしらに傷を増やすことには不安そうな顔をされていたものだ。
「きれいな色をしています」
「えっ?!」
「なにをそんなに驚きますか」
「……その、そんなこと言われないもので。お褒めいただきありがとう、ございます。私にしたらジャーファルさまのように明るくやわらかい色は少しうらやましくあります」
「これは味気ない色ですよ。あなたの深みのある髪は美しいです」
「は、はぁ……」
しどろもどろになる彼女を、かわいいものだとジャーファルは優しい表情で見ていた。
そうして稽古を終えたその足で、アロマやマッサージなどを営んでいる友人のもとを訪ねた。
彼女はもじもじとした、らしくないなまえを笑顔で迎え入れた。
「いらっしゃーい!今日もマッサージ?」
「あの、今日は……違うんだ。その、クリームとか……」
「ん?かすり傷でも作った?」
「怪我じゃなくて。トリートメントとか・・・髪に使えるの、ある?」
「あぁ、ヘアトリートメント?あるけど……どうしたの急に」
「その、最近ちょっと気になってきて」
自分でもどうしてあのたった一言で、もしかしたらただのお世辞だったのかもしれないのに、きれいな色だといわれて、それを真実にしたいと思うようになってしまった。こんなぱさぱさの艶のないほったらかしなどではなく。
「ほぉー、いままで自分のケアなんてぜんぜんそっちのけだったくせに」
言われてはっとする。他の友人へのプレゼントとでも言っておけば、あやしまれずに済んだものを。もうごまかしようもない。
「いいんだ、これからは手入れすることにしたんだ」
体のだいぶぶんは仕方ない。筋肉質でしなやかではあるが丸みというには物足りない。これは必要なものだし、どうしようもないので、ほかのできる部分から変えていきたかった。
「私としてはお客さんが増えるのは嬉しいから歓迎よ。そっか、とうとう女として目覚めたか」
「どっ、どういう意味だ」
「ま、座って。まずは筋肉ほぐしてあげる」
促されるまま椅子に腰を落ち着ける。繊細な指が髪留めを解いて、軽く髪を梳かす。櫛を通すしぐさが丁寧で優しい。髪を前へ流し、首筋からマッサージが始まった。
「確かに毛先は痛んでるわね。でも、良い心境の変化だって言ってるのよ。トリートメントはタダにするから詳しくきかせなさいよ。何かあったの?」
「話すことなんてなにもないっ、よ」
うわずる声をどうしたのだときかれたら、マッサージのせいだと言おう。
「んーじゃ、まぁ良いわ。ていうか聞いてよ、この前会った男なんだけど!」
付き合いの長い彼女のことだ、無理にききだそうとするとなおさら口を閉じる癖を知っているから、素早く話題を切り替えた。というよりこちらを本当に話したかったのだと思う。
しつこくつっこまれなかったことに胸をなでおろして、いつも通り耳を傾ける。
「またデートうまくいかなかったのか?」
「失礼ね、まただなんて。ちょっと一緒にでかけただけで、あんなのデートでもないし」
しばらく愚痴に付き合った後、帰りには香油をいくつか分けてもらって、使い方も教え込まれた。
王宮の自室へ着いてからも、いままでになく艶やかで指どおりのよいそれを、なんども手櫛で漉いた。ちょっとしたことでこんなにも違うものなのか、と女としての喜びを欠片だけ理解できた気がする。
教わったとおり、髪の手入れを毎晩心がけていると、だんぜん髪が扱いやすくなった。まとめるにも櫛を通すにもひっかからない。友人に報告と感謝を告げると喜ばれ、さらに肌の手入れをしろと試供品を数種類押し付けられた。そういうつもりではなかった、と弁解するもとにかくやりなさいと押し切られ、最初は面倒でしぶしぶだったが試してみると確かに手触りが滑らかに心地よく、最近ではその変化を楽しむようにまでなっていた。
そしてそれは主に女友達だが、他からも気づかれるようになりあるときジャーファルが。
「……なにか変わりましたか?」
「違うように見えますか?」
「どことなく空気が……さらにやわらかくなったといいますか」
「あぁ、いえ、柄でもないんですけれど、私もそれなりに女らしくしようと最近友達からいろいろ勉強しているんです」
「そんなことなどせずとも、じゅうぶん女性らしいですよ」
「私がですか?」
「ええ。」
「失礼ですが、ジャーファルさまはじめ、私を男だと思いませんでしたか?」
「あれはその、剣を扱う男性にしてはずいぶん細身でしたし遠めからだとずいぶんと若い、もしくは少年かなと思いましたね。けれど近くで見ればやはり顔立ちはごまかせませんし、なにより表情が華やかです」
「はなやか……そんなこと言われたの初めてです」
そりゃあ幾多の修羅場をくぐってきた戦闘の玄人からすれば自分などはまだまだ経験の足りない半人前で、まとう雰囲気から違うのだろうが。毎日の修行だけではまだ気合が足りないのかもしれない。
「顔がゆるんでますか?もっと修行して引き締めないとだめでしょうか……」
褒めたのにけなされたと受け取っている。説明しても納得はしてくれないだろうと判断して、首を振った。
「……私が変なことを言いました。どうぞそのままでいてください。私の言葉は気にしないで。あなたは十分努力していますし強いですよ」
「ありがとうございます。ジャーファルさまにそう言われると照れますね」
スキップしてしまいたいくらい浮かれているのだが、政務官の手前ぐっと気持ちをこらえる。
それでも顔がにやけてしまう。
細い眉毛、丸い目、自然に色づく唇から、うっすら筋肉があるとはいえそれでも薄い撫で肩も、ジャーファルからは最初から女性にしか見えていないのに、当の本人は見守るような視線の意味に気づかず、こちらを魅了するような笑みを浮かべている。
**
日も刺すように照りつけるなか、刃物を打ち合う高い音が連続的に響く。定期的に行われる剣術の訓練だ。上級者も新参者も混合で二人一組で剣を競う。右から左から、ときにはじかれた刃がきらめきながら宙を舞う。
必死に柄を握り締め、じんじんと刃を受けるたびにしびれる痛みに耐えつつ、なんとか剣だけは落とすまいとそれだけで、とても攻撃にまでは回れない。基礎である力はもちろん、素早さも技術もなにもかも上の敵にあしらわれ、これはもしや準備運動にすらなっていないのではないかと感じはじめたころ。
「やめっ」
鋭い声が短く響いた。対戦相手と向き合って、手を合わせて礼をした。こちらが額に汗を浮かべて息をあらげているというのに、かの指導者は涼しい顔で剣を収める。
「ご指導ありがとうございました、シャルルカン様」
「あーいや、すまん。最後ちょっと深く刃入れすぎたかも」
「え?」
ぴりり、と耳の後ろで布が引き裂かれる音がした。
「よろしい、今日は休めなまえ」
「はっ、ありがとうございました」
声を張り上げると、髪がばさりと前に下りてきた。
「わっ……失礼します」
下げていた頭を勢いよく上げて、さっときびすを返した。身なりを乱したまま師匠の前にたつなど無礼なまねはできない。
練習場を離れて皆から見えないところまで届くと歩調を緩め、歩きながら鉢巻も外してしまい、自室のある塔に向かう。目を閉じて深く息を吐くと頭蓋の圧迫感が消え、顔の筋肉がゆるむ。
ぱっと前をみると見慣れた姿が反対側から歩いてくるので、控えめに手を上げた。
「あ……ジャーファルさま」
いつものように名前を呼ぶと、相手が立ち止まった。数秒間じっとりとまばたきもせずにみつめられる。
「……、なまえ?」
「はい。どうかなさいました?」
首を傾げると、耳にかけていたものが視界を狭めた。指で梳いて、違和感に思い至る。いま、初めて髪を下ろした姿を彼に見せているのだ。
「あぁ、……」
「すみません、ずいぶん印象が変わってらしたので、その……」
「みっともないところをお見せしました。シャルルカン様にお手合わせしていただいたのですけれど、やはり敵いませんでした。髪留めだけで済んでよかったです。いま整えに戻るところでした」
きつく縛っていたものだから、跡が残ってしまい首の辺りからくるくると好き勝手に波を描いている。手でまとめて、右肩に流す。
髪型一つでこんなにも雰囲気を変えてしまうのか。
普段まとめあげている影響から細い眉と目がきゅっと上がっていて中性的にみせていたが、ひとたびゆるめると丸みを帯びてなんとやわらかくなるものか。
「ちょっと良いですか」
すっと首元からひと房をつかんだ指が、ゆっくり毛先までおりた。軽くつっぱる髪が、光を弾く。こんなに彼が近くにいることが信じられず、体がこわばる。こんなに、背の高い人だっただろうか。細身だと思い込んでいたのに肩幅はなまえのものよりずいぶんと広く、袖から伸びた手首は想像よりも太い。
「ああ、やっぱりきれいだ」
それに対する返答をさがして、魚のように口を動かした。
「みんながあなたのこの姿を知らないなんてもったいないな」
そういいつつその顔には優越感の笑み。ジャーファルだけがなまえの素顔を知っているのだと。自慢したいような、大事に秘密にしておきたいような。
「そそそそそんな見せられたものじゃありませんから!」
ただ髪を眺められているだけなのに、裸になったような気分だ。恥ずかしさで泣きそうになる。幾度剣の勝負で負けても、悔しくても泣かないのに、いまは自分の感情をコントロールできない。
「おや。そんなことありませんよ」
あっけなく指は離れた。触れられたのは髪なのに、胸がいたむ。
もっと近くにきてほしい、なんて一瞬浮かんだ考えに戸惑う。なんだろうこの感情は。とうてい処理しきれない。
「そうだ、なまえは何色が好きですか?」
「え・……?色ですか?」
ぱちくりと目を回す。唐突な質問についていけなかった。ジャーファルが質問を補足する。
「もし髪留めにするなら何色を選びますか?」
「そうですね、黒か紺か……暗い色のほうが使いやすいです」
普段使いにするなら目立たないほうがいい。落ち着いた緑とかも良いかもしれない。
「わかりました、黒か紺ですね。今度プレゼントさせてください」
「プレゼントっ?!う、うけとれません!!ジャーファルさまからなんて恐れ多い……!理由もなしにいただけません」
「理由ならあります。シャルルカンがあなたの髪留めを切ったのでしょう?弁償といってはなんですが、あの男にそんな考えはないでしょうから、上の立場でもある私からぜひ」
「私が弱いからこういう結果になっただけで、シャルルカン様に責任とか一切無いです」
頑として断るなまえに、ジャーファルは顔を険しくした。
「私が差し上げると言っているのだから、ここは黙って受け取っておくのが礼儀と知りなさい」
急に鬼の政務官らしい表情に切り替わり、恐怖で無意識に返事をしていた。
「は……い……」
「よろしい」
いつものふんわりとした雰囲気に戻って、ごく自然に頭をなでられた。再び絡む指に、動悸が治まらず、同時にどうしようもない喜びを感じた。
「あなたが無事でよかった。髪も、切られてませんよね?」
「えっ、はい。なんともないです。ご心配ありがとうございます」
「さて、部屋に戻るところだったのに引き止めてすみませんでした。ゆっくり休んでください」
「はっ、失礼します」
思わず正式な礼をとると、ジャーファルからも優雅に返された。
部屋に返って髪を梳く。
とっさに髪になじむ色、と思って答えてしまったが、もっと明るくてかわいらしい色を選ぶべきだった、と後悔する
にも、女性ぶるにもとうに後の祭り。
それよりもなによりも、整理のつけきれない自分自身の気持ち。
あんな一言でこんなにも嬉しい。他の誰に言われるより、嬉しく感じると同時に息もできないくらい苦しくなる。
こんな地味の色をきれいなどと形容したジャーファル。丁寧に触れたそれが愛おしく思えてくる。
**
それからしばらくジャーファルに会うことはなかった。気持ちを落ち着けるのにちょうど良いが、どうしてだか大事なものが欠けている気分になる自分もいることに戸惑う。
ようやく長い訓練を終え、夕食を済ませてさぁ部屋へ戻ろうというところで呼びつけられて、ゆっくりと振り返る。
やはりジャーファルだった。どのような顔をしていいのかわからなかったが、顔は意思に反して嬉しさでしまりのないものに占められていた。
ところが目の前の人物こそが、いつにもない笑顔を見せたので、どうしたのだろうと首を傾げていると、
「まずはこちらを。お約束していたものです」
包まれてもいない艶やかな紺の布を手渡された。約束といえばひとつしか心当たりがあらず、なによりも楽しみしていたのだから忘れられるはずがない。ただこんなに滑らかで、肌触りの心地よい布を髪留めとして使用してもよいのだろうか。言われても手ぬぐいにするにもためらわれる。もしかして骨董品や観賞用の陶器の下敷きなどにするものなのでは。高そう、と口を出そうになったところをこらえる。
「このような素晴らしい品を・・・ありがとうございます。お忙しいのに、わざわざ手間をかけていただいて……」
「いえ、その色で大丈夫でしたか?」
「もちろんです。……といいますか、お恥ずかしながら、こんな上等な髪留め使ったことないです」
「では良かったらこちらも」
目の前に新たに出されたものに、目を丸める。
「こちら……って?私、この髪留めだけでもう過ぎるほどいただきましたよ?」
なかば押し付けられる形で袋を両手で受け取る。
「えらそうに言ったものの、女性の趣味などには疎くて・・・いくつか選んだので、どれか一つでも気に入ってくださるといいのですが」
紙袋を開くと、黄色と赤や明るい色を中心にしたものや模様の描かれたリボンたちと、手の込んだレースなども入っていた。そこに詰まっていたのはずっと焦がれつつも、似合わない、必要ないからと諦めてきたものたち。
「どうして……私が欲しいものわかったんですか?」
「いえ、ただ私がなまえに差し上げたかっただけで……気に入ったのなら良かった」
「ありがとうございます。ぜんぶ宝物にします!!」
「ぜひ使ってくださいね」
「でも、こんなにきれいでかわいいの、もう飾るしかありません」
「あなたの髪に飾るんですよ。きっと似合います」
「わかりました。着けたら、ジャーファルさまに一番にお見せしたいです、といったら……迷惑ですか?」
「私は嬉しいですよ。むしろ他にみせるほうが妬いてしまいますね」
「??焼く?」
あまりにも自分と縁遠い言葉だったので適切な文字が思い浮かばなかった。
「あぁいえ、なんでも。心待ちにしてます」
夢心地でひるがえるクーフィーヤを見送って、ふらふらと自室に帰った。
一番はじめにもらった髪留めはもったいないけれど、派手なものではないし訓練でも日常に使えるだろう。だが紙袋に詰まっている乙女の夢ならぬリボンやレースとなると、休日か。それにあわせて普段の道着などとんでもない、スカートや色の明るい服を出すことになるだろう。なんだか考え出すとどうしていいかどんどんわからなくなっていく。けれど変な服装など彼には見せられない。そう意識してしまうと大変緊張してきた。
あたらしく洋服も買い揃えたほうが良いだろうか。友達に付き合ってもらって買い物にでないといけないかもしれない。
そうして休みをとってすぐさまあの店に歩を向ける。
ゆるやかに進展していくこれを、恋と知りつつ指摘するも野暮。
買い物に付き合わされた友人はせっせと、秘密裏になまえ乙女化計画を練っていくのだった。
**
おわり
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マギ 短編
人形を着飾らせるよりも木の棒を握って外で走り回るのが性に合っていて。
幼いころから女の子にあこがれていた。というと誤解を招く言い方だろうが、自分にないものをまぶしく感じていた。
ようは男勝りだったのだ。敬愛する師匠も兄弟子もいたけれど、決して惚れたはれたの間柄に発展することはなかった。まわりの女の子はかわいくて清潔感があってきらきらきれい。丁寧に櫛を通された髪やら、ふんわりとした肉付きの丸い肩、花びらが揺れるような細やかな足運び。見ていると守ってあげなければ、と保護欲をかきたてられる。
女友達は年を経るごとに華やかになっていく。身を飾ることを覚え、家事をこなすようになって。一部の友人は家庭に縛られず仕事に専念するものもあったが、それでもなまえのように剣や槍を振り回すものではない。毛織物を生産したり魚を卸売りしたり、そういった芸術や商売に向いていたのだ。ただ自分は闘いの才能を持ちそれを伸ばしてきただけのこと。
そんな自分に疑問を持つこともなく少女時代をとうに過ぎるまで育ってしまった。それに大して不満もなく。
だったのに。
あの人に出会ってから、なにかがおかしい。
年齢にしては幼く、男性にしては丸みを帯びた顔立ち。細い眉、なお愛らしさを増す浮いたそばかす。最大にまで露出を控えた政務服がまた似合うのだ。そうした隙を見せない姿勢もまた良い。しかし笑うときりっとした雰囲気がくずれる。
ああ、かわいらしいひとだな。
そう思った瞬間に、どきりと心臓がいままでにない動きをした。
この国を率いる頭の切れる政務官と評されるが、それに飽き足らず武術にも通じている。なにしろ八人将のひとりだ。きゃしゃそうにみえてその身に秘めた実力は計り知れない。
すばやく相手を分析しねじふせる。
その戦いぶりを見てまず憧れを抱いた。だから、この胸のうちにあるものが尊敬からくるものなのだと思い込んでいた。
**
初めて言葉をかわしたのは、王宮の練習場だった。訓練中に、周囲よりひときわ小柄な自分が目にとまったらしい。
隊長から呼びつけられて、すぐさま剣を鞘に収めて走った。
ぴしりと両足をつけて起立すると、気を楽にしてください、と優しい言葉をいただいた。
「いえ、訓練の邪魔をするつもりはなかったのですが。少し気にかかったものですから」
「文官長殿がお前について問いただしたいことがあるとのことだ」
「はっ。なんなりと」
そこにいるのがかの政務官であることを確認すると、きびきびとした動作で礼をする。明瞭ではあるが男には似つかわしくない声をきいて、彼はその丸い目を軽く見開いた。
「あなたは……女性でしたか」
「はい。なにかありましたでしょうか」
女だてらにこういった職業についていると、よく驚かれる。体を張って戦う女が他にまったくいないというわけではないが、珍しいだろう。髪をあげているとそれだけで顔つきも引き締まるうえ、サラシも巻いて胸もつぶしているので
ちょっと見ただけでは女顔の優男だ、などと判別つきにくいはずなのだが、わかるものにはすぐわかる。それでたまにからかわれたり意地の悪いことを言われたりもするが、黙って堂々としていればつまらなそうにしてたいていはすぐ相手にしなくなる。しつこい相手も一度腕を見せればとたんに黙る。つまりこういった反応が茶飯事なので心を乱すことはない。そして彼が見せたのは嫌悪の類ではなく感嘆のようだったので、こちらも気が楽だった。
「それでは、ここまでくるのも険しい道だったでしょう」
「そのようなことは。私にはこれしか才能がなかったので他に道もなく、天命と思っております」
「あなたのような方がいるとなると頼もしいものですね。わざわざ呼び立ててしまってすみませんでした。そうだ、名前は?」
「なまえ、と」
「なまえ、どうぞシンドリアのため、これからも励んでください」
「はっ!」
王宮への入隊試験なみに緊張した。これからの人生をかけたあのときのように。剣を必要以上に握りこむと、少し落ち着く。サラシの下で長い息を吐いた。
それからというもの、よく目をかけてもらっているようだった。名前をきかれただけでも光栄なのに、親しく話しかけられると身に余る。もちろんうれしいのだ。憧れていたのだから。ただいつになっても緊張は解けない。
「髪をいつも結っていますね。長いのですか?」
言われてそっと頭に手を伸ばす。きっちりとひっつめておだんご型にまとめあげている。さらに後れ毛も押さえるように、鉢巻のように長い布を生え際に沿わせ、首の後ろで結んでいる。これが首まわりもすっきりして一番楽なのだ。
「これは……不精で伸ばしているのです。短いよりまとめやすいので。闘いになるとどうにも邪魔ですし」
長い髪は嫌ではなかったから、ずっとそのままにしていた。つい手入れを怠るために滑らかで美しいとはいいがたいが、親からもやんわりとひとつくらい女性らしい部分を持ちなさい、と言われていたし。武術の上達は喜ばれたが、体のどこかしらに傷を増やすことには不安そうな顔をされていたものだ。
「きれいな色をしています」
「えっ?!」
「なにをそんなに驚きますか」
「……その、そんなこと言われないもので。お褒めいただきありがとう、ございます。私にしたらジャーファルさまのように明るくやわらかい色は少しうらやましくあります」
「これは味気ない色ですよ。あなたの深みのある髪は美しいです」
「は、はぁ……」
しどろもどろになる彼女を、かわいいものだとジャーファルは優しい表情で見ていた。
そうして稽古を終えたその足で、アロマやマッサージなどを営んでいる友人のもとを訪ねた。
彼女はもじもじとした、らしくないなまえを笑顔で迎え入れた。
「いらっしゃーい!今日もマッサージ?」
「あの、今日は……違うんだ。その、クリームとか……」
「ん?かすり傷でも作った?」
「怪我じゃなくて。トリートメントとか・・・髪に使えるの、ある?」
「あぁ、ヘアトリートメント?あるけど……どうしたの急に」
「その、最近ちょっと気になってきて」
自分でもどうしてあのたった一言で、もしかしたらただのお世辞だったのかもしれないのに、きれいな色だといわれて、それを真実にしたいと思うようになってしまった。こんなぱさぱさの艶のないほったらかしなどではなく。
「ほぉー、いままで自分のケアなんてぜんぜんそっちのけだったくせに」
言われてはっとする。他の友人へのプレゼントとでも言っておけば、あやしまれずに済んだものを。もうごまかしようもない。
「いいんだ、これからは手入れすることにしたんだ」
体のだいぶぶんは仕方ない。筋肉質でしなやかではあるが丸みというには物足りない。これは必要なものだし、どうしようもないので、ほかのできる部分から変えていきたかった。
「私としてはお客さんが増えるのは嬉しいから歓迎よ。そっか、とうとう女として目覚めたか」
「どっ、どういう意味だ」
「ま、座って。まずは筋肉ほぐしてあげる」
促されるまま椅子に腰を落ち着ける。繊細な指が髪留めを解いて、軽く髪を梳かす。櫛を通すしぐさが丁寧で優しい。髪を前へ流し、首筋からマッサージが始まった。
「確かに毛先は痛んでるわね。でも、良い心境の変化だって言ってるのよ。トリートメントはタダにするから詳しくきかせなさいよ。何かあったの?」
「話すことなんてなにもないっ、よ」
うわずる声をどうしたのだときかれたら、マッサージのせいだと言おう。
「んーじゃ、まぁ良いわ。ていうか聞いてよ、この前会った男なんだけど!」
付き合いの長い彼女のことだ、無理にききだそうとするとなおさら口を閉じる癖を知っているから、素早く話題を切り替えた。というよりこちらを本当に話したかったのだと思う。
しつこくつっこまれなかったことに胸をなでおろして、いつも通り耳を傾ける。
「またデートうまくいかなかったのか?」
「失礼ね、まただなんて。ちょっと一緒にでかけただけで、あんなのデートでもないし」
しばらく愚痴に付き合った後、帰りには香油をいくつか分けてもらって、使い方も教え込まれた。
王宮の自室へ着いてからも、いままでになく艶やかで指どおりのよいそれを、なんども手櫛で漉いた。ちょっとしたことでこんなにも違うものなのか、と女としての喜びを欠片だけ理解できた気がする。
教わったとおり、髪の手入れを毎晩心がけていると、だんぜん髪が扱いやすくなった。まとめるにも櫛を通すにもひっかからない。友人に報告と感謝を告げると喜ばれ、さらに肌の手入れをしろと試供品を数種類押し付けられた。そういうつもりではなかった、と弁解するもとにかくやりなさいと押し切られ、最初は面倒でしぶしぶだったが試してみると確かに手触りが滑らかに心地よく、最近ではその変化を楽しむようにまでなっていた。
そしてそれは主に女友達だが、他からも気づかれるようになりあるときジャーファルが。
「……なにか変わりましたか?」
「違うように見えますか?」
「どことなく空気が……さらにやわらかくなったといいますか」
「あぁ、いえ、柄でもないんですけれど、私もそれなりに女らしくしようと最近友達からいろいろ勉強しているんです」
「そんなことなどせずとも、じゅうぶん女性らしいですよ」
「私がですか?」
「ええ。」
「失礼ですが、ジャーファルさまはじめ、私を男だと思いませんでしたか?」
「あれはその、剣を扱う男性にしてはずいぶん細身でしたし遠めからだとずいぶんと若い、もしくは少年かなと思いましたね。けれど近くで見ればやはり顔立ちはごまかせませんし、なにより表情が華やかです」
「はなやか……そんなこと言われたの初めてです」
そりゃあ幾多の修羅場をくぐってきた戦闘の玄人からすれば自分などはまだまだ経験の足りない半人前で、まとう雰囲気から違うのだろうが。毎日の修行だけではまだ気合が足りないのかもしれない。
「顔がゆるんでますか?もっと修行して引き締めないとだめでしょうか……」
褒めたのにけなされたと受け取っている。説明しても納得はしてくれないだろうと判断して、首を振った。
「……私が変なことを言いました。どうぞそのままでいてください。私の言葉は気にしないで。あなたは十分努力していますし強いですよ」
「ありがとうございます。ジャーファルさまにそう言われると照れますね」
スキップしてしまいたいくらい浮かれているのだが、政務官の手前ぐっと気持ちをこらえる。
それでも顔がにやけてしまう。
細い眉毛、丸い目、自然に色づく唇から、うっすら筋肉があるとはいえそれでも薄い撫で肩も、ジャーファルからは最初から女性にしか見えていないのに、当の本人は見守るような視線の意味に気づかず、こちらを魅了するような笑みを浮かべている。
**
日も刺すように照りつけるなか、刃物を打ち合う高い音が連続的に響く。定期的に行われる剣術の訓練だ。上級者も新参者も混合で二人一組で剣を競う。右から左から、ときにはじかれた刃がきらめきながら宙を舞う。
必死に柄を握り締め、じんじんと刃を受けるたびにしびれる痛みに耐えつつ、なんとか剣だけは落とすまいとそれだけで、とても攻撃にまでは回れない。基礎である力はもちろん、素早さも技術もなにもかも上の敵にあしらわれ、これはもしや準備運動にすらなっていないのではないかと感じはじめたころ。
「やめっ」
鋭い声が短く響いた。対戦相手と向き合って、手を合わせて礼をした。こちらが額に汗を浮かべて息をあらげているというのに、かの指導者は涼しい顔で剣を収める。
「ご指導ありがとうございました、シャルルカン様」
「あーいや、すまん。最後ちょっと深く刃入れすぎたかも」
「え?」
ぴりり、と耳の後ろで布が引き裂かれる音がした。
「よろしい、今日は休めなまえ」
「はっ、ありがとうございました」
声を張り上げると、髪がばさりと前に下りてきた。
「わっ……失礼します」
下げていた頭を勢いよく上げて、さっときびすを返した。身なりを乱したまま師匠の前にたつなど無礼なまねはできない。
練習場を離れて皆から見えないところまで届くと歩調を緩め、歩きながら鉢巻も外してしまい、自室のある塔に向かう。目を閉じて深く息を吐くと頭蓋の圧迫感が消え、顔の筋肉がゆるむ。
ぱっと前をみると見慣れた姿が反対側から歩いてくるので、控えめに手を上げた。
「あ……ジャーファルさま」
いつものように名前を呼ぶと、相手が立ち止まった。数秒間じっとりとまばたきもせずにみつめられる。
「……、なまえ?」
「はい。どうかなさいました?」
首を傾げると、耳にかけていたものが視界を狭めた。指で梳いて、違和感に思い至る。いま、初めて髪を下ろした姿を彼に見せているのだ。
「あぁ、……」
「すみません、ずいぶん印象が変わってらしたので、その……」
「みっともないところをお見せしました。シャルルカン様にお手合わせしていただいたのですけれど、やはり敵いませんでした。髪留めだけで済んでよかったです。いま整えに戻るところでした」
きつく縛っていたものだから、跡が残ってしまい首の辺りからくるくると好き勝手に波を描いている。手でまとめて、右肩に流す。
髪型一つでこんなにも雰囲気を変えてしまうのか。
普段まとめあげている影響から細い眉と目がきゅっと上がっていて中性的にみせていたが、ひとたびゆるめると丸みを帯びてなんとやわらかくなるものか。
「ちょっと良いですか」
すっと首元からひと房をつかんだ指が、ゆっくり毛先までおりた。軽くつっぱる髪が、光を弾く。こんなに彼が近くにいることが信じられず、体がこわばる。こんなに、背の高い人だっただろうか。細身だと思い込んでいたのに肩幅はなまえのものよりずいぶんと広く、袖から伸びた手首は想像よりも太い。
「ああ、やっぱりきれいだ」
それに対する返答をさがして、魚のように口を動かした。
「みんながあなたのこの姿を知らないなんてもったいないな」
そういいつつその顔には優越感の笑み。ジャーファルだけがなまえの素顔を知っているのだと。自慢したいような、大事に秘密にしておきたいような。
「そそそそそんな見せられたものじゃありませんから!」
ただ髪を眺められているだけなのに、裸になったような気分だ。恥ずかしさで泣きそうになる。幾度剣の勝負で負けても、悔しくても泣かないのに、いまは自分の感情をコントロールできない。
「おや。そんなことありませんよ」
あっけなく指は離れた。触れられたのは髪なのに、胸がいたむ。
もっと近くにきてほしい、なんて一瞬浮かんだ考えに戸惑う。なんだろうこの感情は。とうてい処理しきれない。
「そうだ、なまえは何色が好きですか?」
「え・……?色ですか?」
ぱちくりと目を回す。唐突な質問についていけなかった。ジャーファルが質問を補足する。
「もし髪留めにするなら何色を選びますか?」
「そうですね、黒か紺か……暗い色のほうが使いやすいです」
普段使いにするなら目立たないほうがいい。落ち着いた緑とかも良いかもしれない。
「わかりました、黒か紺ですね。今度プレゼントさせてください」
「プレゼントっ?!う、うけとれません!!ジャーファルさまからなんて恐れ多い……!理由もなしにいただけません」
「理由ならあります。シャルルカンがあなたの髪留めを切ったのでしょう?弁償といってはなんですが、あの男にそんな考えはないでしょうから、上の立場でもある私からぜひ」
「私が弱いからこういう結果になっただけで、シャルルカン様に責任とか一切無いです」
頑として断るなまえに、ジャーファルは顔を険しくした。
「私が差し上げると言っているのだから、ここは黙って受け取っておくのが礼儀と知りなさい」
急に鬼の政務官らしい表情に切り替わり、恐怖で無意識に返事をしていた。
「は……い……」
「よろしい」
いつものふんわりとした雰囲気に戻って、ごく自然に頭をなでられた。再び絡む指に、動悸が治まらず、同時にどうしようもない喜びを感じた。
「あなたが無事でよかった。髪も、切られてませんよね?」
「えっ、はい。なんともないです。ご心配ありがとうございます」
「さて、部屋に戻るところだったのに引き止めてすみませんでした。ゆっくり休んでください」
「はっ、失礼します」
思わず正式な礼をとると、ジャーファルからも優雅に返された。
部屋に返って髪を梳く。
とっさに髪になじむ色、と思って答えてしまったが、もっと明るくてかわいらしい色を選ぶべきだった、と後悔する
にも、女性ぶるにもとうに後の祭り。
それよりもなによりも、整理のつけきれない自分自身の気持ち。
あんな一言でこんなにも嬉しい。他の誰に言われるより、嬉しく感じると同時に息もできないくらい苦しくなる。
こんな地味の色をきれいなどと形容したジャーファル。丁寧に触れたそれが愛おしく思えてくる。
**
それからしばらくジャーファルに会うことはなかった。気持ちを落ち着けるのにちょうど良いが、どうしてだか大事なものが欠けている気分になる自分もいることに戸惑う。
ようやく長い訓練を終え、夕食を済ませてさぁ部屋へ戻ろうというところで呼びつけられて、ゆっくりと振り返る。
やはりジャーファルだった。どのような顔をしていいのかわからなかったが、顔は意思に反して嬉しさでしまりのないものに占められていた。
ところが目の前の人物こそが、いつにもない笑顔を見せたので、どうしたのだろうと首を傾げていると、
「まずはこちらを。お約束していたものです」
包まれてもいない艶やかな紺の布を手渡された。約束といえばひとつしか心当たりがあらず、なによりも楽しみしていたのだから忘れられるはずがない。ただこんなに滑らかで、肌触りの心地よい布を髪留めとして使用してもよいのだろうか。言われても手ぬぐいにするにもためらわれる。もしかして骨董品や観賞用の陶器の下敷きなどにするものなのでは。高そう、と口を出そうになったところをこらえる。
「このような素晴らしい品を・・・ありがとうございます。お忙しいのに、わざわざ手間をかけていただいて……」
「いえ、その色で大丈夫でしたか?」
「もちろんです。……といいますか、お恥ずかしながら、こんな上等な髪留め使ったことないです」
「では良かったらこちらも」
目の前に新たに出されたものに、目を丸める。
「こちら……って?私、この髪留めだけでもう過ぎるほどいただきましたよ?」
なかば押し付けられる形で袋を両手で受け取る。
「えらそうに言ったものの、女性の趣味などには疎くて・・・いくつか選んだので、どれか一つでも気に入ってくださるといいのですが」
紙袋を開くと、黄色と赤や明るい色を中心にしたものや模様の描かれたリボンたちと、手の込んだレースなども入っていた。そこに詰まっていたのはずっと焦がれつつも、似合わない、必要ないからと諦めてきたものたち。
「どうして……私が欲しいものわかったんですか?」
「いえ、ただ私がなまえに差し上げたかっただけで……気に入ったのなら良かった」
「ありがとうございます。ぜんぶ宝物にします!!」
「ぜひ使ってくださいね」
「でも、こんなにきれいでかわいいの、もう飾るしかありません」
「あなたの髪に飾るんですよ。きっと似合います」
「わかりました。着けたら、ジャーファルさまに一番にお見せしたいです、といったら……迷惑ですか?」
「私は嬉しいですよ。むしろ他にみせるほうが妬いてしまいますね」
「??焼く?」
あまりにも自分と縁遠い言葉だったので適切な文字が思い浮かばなかった。
「あぁいえ、なんでも。心待ちにしてます」
夢心地でひるがえるクーフィーヤを見送って、ふらふらと自室に帰った。
一番はじめにもらった髪留めはもったいないけれど、派手なものではないし訓練でも日常に使えるだろう。だが紙袋に詰まっている乙女の夢ならぬリボンやレースとなると、休日か。それにあわせて普段の道着などとんでもない、スカートや色の明るい服を出すことになるだろう。なんだか考え出すとどうしていいかどんどんわからなくなっていく。けれど変な服装など彼には見せられない。そう意識してしまうと大変緊張してきた。
あたらしく洋服も買い揃えたほうが良いだろうか。友達に付き合ってもらって買い物にでないといけないかもしれない。
そうして休みをとってすぐさまあの店に歩を向ける。
ゆるやかに進展していくこれを、恋と知りつつ指摘するも野暮。
買い物に付き合わされた友人はせっせと、秘密裏になまえ乙女化計画を練っていくのだった。
**
おわり
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マギ 短編
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